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カイくんと、日々~想う

日々の自然な姿を前向きに発信します。
散歩に写真に思い出すこといっぱい!

家族に相談

2007-03-17 | 思い出すこと
2月14日続き…、 気持ちを落ち着かせる。「今日は帰るよう」に皆から言われた。 妻に「早く帰るから、和歌山市駅に迎えに来て」と電話した。 当時、私は30才、妻は27才だった。 和歌山市駅に着いて、車に乗り込む。 「今日は何でこんなに早いの?」と妻が言う。 「この間受けた胃の検査の結果やけど…」 「うん?今日わかったの?何かあったの?」 「それが、『胃ガン』やて」 「えぇぇ~~!ウソ!や~!」 「 . . . 本文を読む

告知のあと

2007-03-15 | 思い出すこと
2月14日続き…、 しばらくして、目の前の医師に問うてみる。 「僕は30才ですが、こんな年齢で『胃ガン』なんてあるのですか?」 「若年性で、あります」と医師は言った。 それから、説明が始まった。 「この前採取した細胞の病理検査は『異型細胞グループ』になります」 「私達、医者にとっての見識は、これは悪性でガンです」 「薬で治療できる手段は現代医学にはありません」 「手術しかありません」 「しかも . . . 本文を読む

手術のきっかけ

2007-03-14 | 思い出すこと
本日、「胃カメラ」による内視鏡検診を受けましたが、 私がどうして、12年前、全身麻酔による手術を受けたか。 その当時、平成7年の日記の内容を記載したいと思います。 内容は、びっくりするかもしれませんが、現在問題はありません。 それで、ここに掲載しようと思います。 1月31日 夜中に胃の痛みで目を覚ますほどになってきた。 そのために、仕事をぬけて、病院に行く。 医師は「胃カメラ」を飲んで検査するこ . . . 本文を読む

3・1 12年前

2007-03-01 | 思い出すこと
1995年、1月に阪神大震災があり、3月には地下鉄サリン事件が起こった年。 その年の3月1日に、私は全身麻酔による開腹手術を経験した。 それから12年がたつ。 その時の日記より… 前夜9時に精神安定剤を服用させられた。 今日の手術は午後1時から。 朝から妙に落ち着いていた。 もっと、バタバタして怖いものかと思っていたが、 時間が経つにつれ、機械的に処理されている自分が客観的に見えてくる。 尿管 . . . 本文を読む

こけたら!あかん!

2007-02-25 | 思い出すこと
続編・修学旅行の思い出は二日目です。 大分の筋湯温泉を出発し、朝の早いうちに阿蘇山へ到着。 草千里から噴火口へと足跡はたどる。 そう、僕達の集団が、噴火口を目指し歩いていると、 やまなみハイウェイを、3台のオートバイが、 快晴の天候の下、爆音をあげながら、下方から走ってきた。 なかなか、さまになったスタイルで、連なる中型バイク隊。 そういうものに対し、やたらと血が騒ぐ年頃の僕達は、 「いえぇ! . . . 本文を読む

バスのなかはパニックに!

2007-02-22 | 思い出すこと
続・思い出の修学旅行(高校編)です。 和歌山は海南駅を出発し、国鉄乗継ぎ、新幹線…そして、 僕達は新下関からクラスごとに西鉄バスに乗る。 一クラス45名の8クラス、生徒合計は360名。 初日の行程は無事だったのだろうか? どこに立ち寄ったかは、全く覚えてはいない。 乗車後、ほどよくして、バスの中は、大騒ぎ! 当時の流行り歌などを唄っては、何を話してたのだろう? 曲は?う~ん!古いですね~、 . . . 本文を読む

修学旅行の工作員

2007-02-17 | 思い出すこと
朝から、小雨降る曇り空。 出かけるより、今日は家で過ごそうかい。 カイくんも、窓から外をながめてら~~。 ねこおばさんのブログに出会って、 昭和55年、高校2年時、北九州への修学旅行を思い出す。 当時の国鉄を乗り継いで、新幹線で新下関に到着~! そこからはクラスごとに、西鉄バスで行く行く。 福岡~大分~熊本~長崎の周遊コース。 旅の思い出は、いっぱいあるけど、 旅行より、そう~出発までの、あれこ . . . 本文を読む

「早生まれ」って…

2007-02-16 | 思い出すこと
今日、2月16日は、娘の4歳の誕生日です。 ママはケーキを焼いて、ささやかに、お祝いしました。 それに続き、来月、3月6日は、私の誕生日。 二人とも、いわゆる「早生まれ」です。 そこで、私の小学校入学時にさかのぼります。 海南市立日方小学校、私の同級生は4学級クラスでした。 学級名称は、今でもそうですが、 星組、月組、雪組、花組です。 クラスは、1~2年、3~4年、5~6年の2年間づつ、 同 . . . 本文を読む

カラーテレビ

2007-02-02 | 思い出すこと
プラズマや液晶の大型テレビが、 物質として、家庭の主流になってきました。 ウチは、ブラウン管テレビが十分にがんばってます。 それについて、 僕がまだ小さい頃、家には白黒テレビしかありませんでした。 友達の家にはカラーテレビがあり、 当時のヒーロー「ウルトラマン」をカラーで見ることができる、 その子供仲間達が、とてもうらやましかったです。 僕は母親に泣きながらねだりました。 「カラーテレビ欲しい . . . 本文を読む

試験の頃

2007-01-20 | 思い出すこと
今日と明日は大学入試のセンター試験ですか。 私が高校生の頃は「共通一次試験」っていいました。 当時は、寒く、天候も晴れやかでなかったですね。 一緒に試験に行く同級生が当日の朝に誘いに来てくれた時、 私、まだ寝てました。 そう、寝過ごしたんです。サイテー! 母親はテストの時間知らなくて、起こしてくれるわけでもなく。 バスで試験会場の「和歌山大学」へ行かなきゃいけないので、 食べる時間も、トイレへ . . . 本文を読む