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カイくんと、日々~想う

日々の自然な姿を前向きに発信します。
散歩に写真に思い出すこといっぱい!

ホームルームは楽しい場

2007-03-31 | 思い出すこと
「左平の要望」より、続きます… 尾崎豊の「卒業」のなかに、 ♪「退屈な心、刺激さえあれば、何でも、大げさに、しゃべり続けた」 という歌詞があるが、僕達は全くこのとおりだった。 「退屈」ではなかったが、こんな些細な出来事でも、 自分たちにとっては大事件で、議論は続いた。 そして、結論のないままに、あくる日を迎える。 昼休憩が終わって、同じく「卒業」の歌詞のように、 ♪「チャイムが鳴り、教室のい . . . 本文を読む

左平の要望

2007-03-29 | 思い出すこと
「『あれ』…やるか?」の続きです。 「おいおい、明日のホームルームどうする?」 「どうする?って、休むんか?、お前は幼稚園の子供や?」 「誰が!休む!て言うた!、切り抜け方を言うてるんやないか!」 と、ここでも、ボケたつもりのM2の言動に、被害者意識のある、 それを解しないM3がからみ、子供同士のもめ事が始まる。 そのあさましさに対し、 「お前ら、アホか!そんなことやってる場合やないわ!  さ . . . 本文を読む

「あれ」…やるか?

2007-03-27 | 思い出すこと
「死神左平」の残していった、冷やかな余韻がトイレ中に漂っている。 それから、僕達は今まで見てきたホームルームでの惨劇を経験に、 T先生の、生徒に対するいたぶり方や傾向を話し合い、その対策を講じた。 そうする間にも「おい!おい!もう最悪やぁ~!見つかるなんて~」 と未練たらしく、自分が共犯者になったことを、未だ納得しない、M3に、 「もう、しゃあないやないか~、現場をおさえられてるし、  これは . . . 本文を読む

死神左平は…

2007-03-26 | 思い出すこと
さて、「トイレでドバドバ」の続きです。… 「呆れて、モノも言えん!」と、T先生に言われた僕達4名。 これからの処遇は如何に?… その前に、紹介しておこう、 「死神左平」…こと、T先生は「生物」担当の我組の担任である。 当時、年齢30代後半、身長は160cm程度、中肉の背格好。 たまにレイバンのサングラスを愛用する。 何故?「死神」か?というと、その言動がネチネチしていることと、 「生物」教諭ゆ . . . 本文を読む

トイレでドバドバ

2007-03-25 | 思い出すこと
高校生でも掃除当番はある。 その時、僕ら2年生、男子4名は、放課後の3時30分過ぎ、 「視聴覚教室」のある新館3階のトイレ掃除の当番だった。 “いや~な”当番が回ってきて、しょうがなしにやっているのである。 だから、気が入るはずもなし、ホースでダラダラと水をまき、 備え付けの「サンポール」は使い放題で、ほとんど一本を空にする。 それは、掃除したという形跡を辛うじて残しておく、ポーズのやり方だった . . . 本文を読む

進路指導は夢語り

2007-03-24 | 思い出すこと
我が校、進路指導部、Y先生との会話です。 「先生、パイロットになるには、どうしたらなれます?」 「もしかして?君が?…か?  とんでもなく大それた、あつかましいことを言うてるな!」 「まあ、それはそうとして、どの道にすすめばいいの?」 「そうやな~、『防衛大学校』へ合格して、パイロットとして養成されるか、  『航空大学校』へ合格するかやな~   どっちにしても、君にとっては、『行く道険し』どころ . . . 本文を読む

失恋模様

2007-03-23 | 思い出すこと
僕が高校1年生のとき、同じクラスのIさんに恋をした。 何故?恋したのだろう? きっかけは、文化祭だったようだ。 僕達のクラスは模擬店でラーメン屋をした。 そのとき、僕はIさんと並んでラーメンの盛り付けをした。 男ながらエプロンをつけて楽しかった。 もちろん、彼女が横にいること、それは、もっと楽しかった。 授業中は、席が近く、常に彼女の存在を意識していた。 「エプロン、背中の結び目がはずれてるよ . . . 本文を読む

K君のコーヒー

2007-03-20 | 思い出すこと
僕の高校時代の同級生にK君(以下Kという)がいた。 Kは見かけによらず、女性に対して積極的であった。 Kの家に、夜、遊びに行ったときのこと、 これから、同じクラスの女子Mさんに電話するという。 何故?Mさんなのかと、僕がわざと聞くと、 「あの子、かわゆい(可愛い)やんか~、かわゆいもん!~」 と、案の定、少し言葉がずれた表現を連発した。 何故なら、Kは前歯が欠けていたからだ。 それも、「森永キャ . . . 本文を読む

注意事項は確実に

2007-03-18 | 思い出すこと
さあて、久しぶりに修学旅行の思い出を語ります。 二日目、阿蘇山から水前寺公園~三角からフェリーで天草を渡り、 いよいよ長崎へ、この日のお泊りは雲仙「新湯ホテル」です。 雲仙の硫黄の煙に囲まれながら、私達は夕刻、ホテルに到着しました。 前泊の「筋湯温泉」では、到着時間が遅く入浴もバタバタだった僕達。 その思いもあって、早い目にゆっくりお風呂に入りたかったです。 クラスの男子は26名を3部屋に、そ . . . 本文を読む

その後入院まで

2007-03-17 | 思い出すこと
2月16日 妻と二人で岸和田のF病院へ行く。 N医師に「和歌山の日赤病院で手術を受けたい」と申し出る。 「自宅近くで、それがいいでしょう」と快く承諾され、 「紹介状」を書いてくれた。 その間、私達二人に対し、先日私に言ったのと同じように、 病状について再度説明をしてくれた。 また、自分達の不安を和らげようとしてくれたのか、 強調して、「幸運ものです!」と繰り返し繰り返し言ってくれた。 「手術するこ . . . 本文を読む