私の日記

身の回りに起きたことをこのブログにとどめておきたいと思います。

菜の花匂う吾妻山のパノラマ

2014-01-23 17:54:07 | 
>神奈川県二宮町にある標高136メートルの吾妻山に出かけました。
水仙の花を眺めながら数百段の階段を息を切らし
登り詰めると一挙に視界が開けました。
満開の菜の花を通して富士山が青空に浮かび、眼を転じると眼下に相模湾が広がり、
展開された大パノラマの風情に息を飲む思いでした。




浅草七福神めぐり

2014-01-13 21:10:17 | 
成人の日、浅草の七福神めぐりをしました。
浅草の七福神は古く江戸時代末期から始まり福禄寿、寿老人が2社づつある計9か所の寺院です。
今回は「矢先稲荷神社(福禄寿)」を除き8か所を巡りました。
雷門から浅草寺に至る仲見世通りは外国観光客など参拝客で込み合っていました。
団子を食べたりや甘酒を飲んだり、土産ものを買ったりで込み合っていました。
美しく着飾ったお嬢さんの姿も見えました。




待乳山聖天(毘沙門)
601年(推古9年)この地に十一面観世音菩薩の化身、大聖歓喜天が現れ干ばつで飢えと焦熱に苦しむ人々を救ったという伝説が残っています。
社務所で大根が売っていました。大根は人間の迷いの心を表はしているそうです。神前に供えて迷いから解放されることをお祈りするのだそうです。



今戸神社(福禄寿)
イザナギノミコト・イザナミノミコト夫婦神を祭っていることから縁結びの神社とされています。
若いカップルの参拝者が多くいました。
婚活の神様です。



橋場不動院(布袋尊)
布袋様は肥満な様相で楽天的な和尚さんで平和安穏、家庭隆盛をを図ってくれる仏様です


石浜神社(寿老人)
以前は隅田川沿いにあったのを再開発により昭和63年に現在の地に遷座したものです
境内には富士山がありました。参拝すると富士詣をしたことになるとのことです。


吉原神社(弁財天)
吉原遊郭の南にあり、往時は遊女花魁、遊び人で賑わったことと思われますが現在はひっそりと佇んでいました。


鷲神社
最後に鷲様に詣でました。
お酉さまの時は、熊手ので店で賑わいあちこちで景気の良い三拍子の拍子木の音が響きます。
正月には「箕輪」が飾られます。S字型に一回りして、今年一年の健康と幸せを念じてきました。
写真は同行の友が撮ったのを借用しました。


順路です。約15,000歩でした










足立美術館・出雲大社・萩市を訪ねる

2014-01-05 22:55:36 | 旅行
孫に引かれて訪れた島根県の「足立美術館」です。
近代から現代までの日本画、陶芸、童画など約1500点を収蔵する美術館で、横山大観コレクションは世界一と言われています。
枯山水庭をはじめ、50,000坪におよぶ6つの庭園は目を見張るばかりの美しさです。
川合玉堂の作品があり青梅市御岳の「玉堂美術館」を思い出しました。







岡山県と鳥取県の境の蒜山高原には「スイトン」という恐ろしい怪物がいて、
悪い人間を引きさいて食うという伝説があります。
街道でにらみをきかせていました。



次いでに神の国、神話の国で知られている出雲の国に足を伸ばしました。
因幡の白兎のお話、国引きなど「古事記の世界」に思いをはせながら参拝してきました。
ここでは、参拝のときは「二拝四拍手一拝」で拝礼し、お祈りしたあとで自分の住所姓名を唱えることになっているそうです。
所在を言わないと神様がどこの人か迷うそうです。




山口県萩市の松下村塾です
幕末の志士 吉田松陰が塾を開き高杉晋作、久坂玄瑞、吉田栄太郎、入江杉蔵など維新の基礎をつくった人々を育てました。



松陰は「安政の大獄」で処刑されました。
 辞世の句 親を思う心に勝る親ごころ
       今日のおとずれいかに聞くらん


2014年初詣

2014-01-03 10:22:11 | 
2014年1月2日深大寺に初詣をしてきました。
殊勝にも「平和で幸せな一年」にであることを祈ってきました。
そして、一日一日を大事にしようとも念じてきました。
また、大切な人の無事を願って「赤駒」を買ってきました