大寒のさなか明治神宮表参道を、時ならぬ夏の風物詩
「青森のねぶた」が「跳ねっこ」の「ラッセラ、ラッセラ」の音頭を先頭に勇壮な太鼓の音を響かせながらねりまわりました。
本年12月青森までの新幹線の開通を控えての私の故郷の催し物でした。
「青森のねぶた」が「跳ねっこ」の「ラッセラ、ラッセラ」の音頭を先頭に勇壮な太鼓の音を響かせながらねりまわりました。
本年12月青森までの新幹線の開通を控えての私の故郷の催し物でした。
フランシスコ・ザビエルは日本人にとって大変馴染み深い歴史上の人物で、
日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師です。
1928年に彼を記念して建てられたものだそうです。
クリーム色の壁とコバルトブルーの窓格子が鮮やかで、シックな感じのする
建物でした。
祭壇には中国風の提灯がつるされ、
キリストと聖母マリアを描いた絵画がありました。
顔は観音様か天女のような面持ちで衣も中国風の着物を着ていました。
日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師です。
1928年に彼を記念して建てられたものだそうです。
クリーム色の壁とコバルトブルーの窓格子が鮮やかで、シックな感じのする
建物でした。
祭壇には中国風の提灯がつるされ、
キリストと聖母マリアを描いた絵画がありました。
顔は観音様か天女のような面持ちで衣も中国風の着物を着ていました。
マカオの聖ドミニコ教会です。
「淡い黄色の石造りの外壁、漆喰が塗られた緑の扉と窓枠、
ファサードに化粧漆喰で描かれた繊細な文様は
マカオで17世紀に建てられたバロック様式の
中で最も美しいと言われている」との解説がありました。
「淡い黄色の石造りの外壁、漆喰が塗られた緑の扉と窓枠、
ファサードに化粧漆喰で描かれた繊細な文様は
マカオで17世紀に建てられたバロック様式の
中で最も美しいと言われている」との解説がありました。
定番のマカオの「聖ポール天主堂」のファサードです。
1582年に礼拝堂が完成しましたが1601年の火災で焼失、
1602年から天主堂の建設が始まり30数年の歳月を経て
このファサードが完成したとのことです
この天主堂の建設が始まった1600年前後は
日本では豊臣秀吉や徳川家康による禁教令
によって、キリシタンへの弾圧が厳しくなり
多数の日本人キリシタンがマカオに逃れてきました。
日本人キリシタンの中には、この天主堂建設に携わった
人もいたそうです。
このファサードに佇み、
遠い異国の地で故郷を偲びながら生涯を終えた
日本人キリシタンに思いを致し、しばらく
瞑想にふけりました。
1582年に礼拝堂が完成しましたが1601年の火災で焼失、
1602年から天主堂の建設が始まり30数年の歳月を経て
このファサードが完成したとのことです
この天主堂の建設が始まった1600年前後は
日本では豊臣秀吉や徳川家康による禁教令
によって、キリシタンへの弾圧が厳しくなり
多数の日本人キリシタンがマカオに逃れてきました。
日本人キリシタンの中には、この天主堂建設に携わった
人もいたそうです。
このファサードに佇み、
遠い異国の地で故郷を偲びながら生涯を終えた
日本人キリシタンに思いを致し、しばらく
瞑想にふけりました。
香港、ヴィクトリア・ピークから眺めた
100万ドルの夜景です。
映画「慕情」で新聞記者のマークと女医のスーインが
人目をしのんで逢ったところ、
また、朝鮮に旅立つ日に二人が別れを惜しんだ所、
そして、マークの悲報を受け、スーインが彼を偲んで一人佇んだ所、
ヴィクトリア・ピークから
美しいメローディとラストシーンを思い出しながら
眺めました。
100万ドルの夜景です。
映画「慕情」で新聞記者のマークと女医のスーインが
人目をしのんで逢ったところ、
また、朝鮮に旅立つ日に二人が別れを惜しんだ所、
そして、マークの悲報を受け、スーインが彼を偲んで一人佇んだ所、
ヴィクトリア・ピークから
美しいメローディとラストシーンを思い出しながら
眺めました。
「香港」と「マカオ」に旅してきました。
マカオの中心地「セナド広場」の夜景です。
旧正月まで飾っているそうです。
青と白の石が波のように規則正しく敷き詰められており
周囲の南欧風の建物と調和して柔らかい雰囲気を漂わせていました。
敷石は船のバラストを活用したものだそうです。
マカオの中心地「セナド広場」の夜景です。
旧正月まで飾っているそうです。
青と白の石が波のように規則正しく敷き詰められており
周囲の南欧風の建物と調和して柔らかい雰囲気を漂わせていました。
敷石は船のバラストを活用したものだそうです。