オークの木の下で

成城7丁目の小さなお店「ティンラ成城」の日々を綴っております

一周忌…。

2024年01月10日 18時19分00秒 | その他
命日。
私の人生も事実上終わった日。

事故現場、普段はなるべく見ないようにしているけれど、今日はカズ最期の場所をその時間に子ども達と立ち、見つめる…。事故で薙ぎ倒された木は新しい木が植えられている。

今日は歩道に車なんて突っ込んで来なかったよ。

当たり前だよね、あと100年、1000年、10000年経ったってこんな場所に100キロのスピード出した車が歩道に突っ込んで来るはずなんてない。それぐらいあり得ない無責任かつ非常識な事故。

その後も一番義務を果たさなければいけない人間が何もせず知らんぷりして何の制裁も痛みもなく日常生活を送り、殺人まで犯している人間が今後ハンドル握る権利があるこの国ってやっぱりおかしい。

そして謝罪や供述は強要出来ないとただ言い放つ検事。

私達家族は日々、事故前後の自分達の行動を責めながら生きている。あの時こうしていれば…?
四六時中一緒にいたのに、何故あの時は一緒にいなかったのだろう?せめて一緒に事故に巻き込まれたら良かったのに。

そして、何も悪いことしていないのにこんな事を考えながら生活していることが悔しい…と娘。

車の自動ブレーキのテレビCMが流れ「殺人犯の車がこれだったら良かったのに…」と私が言うと、「今、同じこと思ってた。」

「どうやって育つと殺人という最悪の罪犯しながら謝罪すら出来ない人間になるのかな?」と私が言うと「僕はそんなんじゃない、謝るのは当たり前のことだよ。」

と言う息子。

息子は父親の死から葬儀を待つ一週間の間に共通テストを受験するという過酷な大学受験を乗り越えた。普段一番頼りない末っ子はそれでもやっぱり長男。皆が絶望のどん底だった時に彼の頑張りは一筋の光のようだった。
あと一ヵ月生きていてくれただけで、第一志望合格の吉報が聞けたのに。

もしタイムマシーンがあったとしてある一瞬に帰れるとしたら?昔、時々彼とそんな話をした時、彼も私も『町田駅の渡りだね!』と言っていた。

高校生の彼は小田急線方面から…大学生の私は横浜線方面から…知り合う前の私達、必ずどこかですれ違っているはずだからその一瞬を見てみたい…と。

今だったら2023年1月10日、「初めてLINEでアルバム作った〜、オレの撮った写真が一番よく撮れている」と満足気に前日の娘の成人式の写真を2人で見返していた朝に戻り、世田谷道路には決して近づいちゃいけない…と伝えるか、彼に成城の店を開けるよう出勤してもらったかな?






どれだけ後悔し考えたところで現実は変わらない。朝目覚めるとき、いちいち「そうだった、いないんだよね…。」と絶望から始まる1日は生涯変わることはない。

仕事に情熱を傾け続けていた彼が絶命したときに身に付けていた『おせちノート』と『絵本プロット』
亡くなる2週間前、御歳暮発送の手伝いに来ていた妹に絵本のプロットを少し照れながら話そうとした時、「そんなのあとあと!忙しいんだから!」と遮ってしまった私。そうだね、と少し笑った横顔が忘れられない。ちゃんと話、聞けば良かったよね、そうすればどんな絵本にしたかったか聞けた、もしかしたら時間軸がずれて事故を回避出来たかもしれない。








おせちノートは残っていても再現は不可能だな、と思うけれど、絵本はいつか必ず形にして、いつになるかわからないけれど今日まで私に力をくれた皆さんに見て頂きたいと思う。

いつも心を寄せて下さる皆さま、優しいお気持ちを本当にありがとうございます、感謝…。

一周忌の日に。

#ティンラ成城#成城学園前#成城#一周忌#命日#大学受験#共通テスト
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