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オークの木の下で

成城7丁目の小さなお店「ティンラ成城」の日々を綴っております

クロブレ会‥。

2025年05月18日 15時57分00秒 | その他

昨日は閉店後、『クロブレ会』in我が家。いつもはクロブレのお膝元、代々木公園のタラモアさんで開催するところ、クロスブレッドキッチン時代のスタッフ達が集まってくれた。


我が家の大事なシェフが殺されてからというもの、人をお招きするときは私の拙いお料理でおもてなしするしかなく‥完成度が‥少しずつなんか違うなぁ、なんて思いながら料理を並べているのだが、この日はマイ包丁持参で全てカズの愛弟子達が当時のクロブレメニューを再現してくれた。


アンチョビのクロスティーニ(通称アンクロ)や胡椒と蜂蜜のスペアリブ、懐かしいね‥。


イチゴとヤギのチーズの前菜、カルパッチョ、生ハムとソーセージの盛り合わせ、イチジクとクレソンのサラダ、蒸し鶏のゴマヨネーズ、魚介のテリーヌ、鮪のタタキ、キッシュ、フォカッチャ、パテ、ひよこ豆のフムス、イチボ肉のすき焼き風ステーキ、佐渡の鮭のソテー、オランダのホワイトアスパラのソテー、チョコレートケーキ、フルーツなどなど‥。時間切れでリクエストのリゾットまで辿りつかなかったくらい、メニュー盛り沢山!



















調理中の写真はクロブレの奥の小上がりのスペース、キッチンとホールの画が再現されているみたい。





駆け出しの自営業、クロブレ時代は事業は軌道に乗らない上に私にとっては育児に奮闘中で、ただ辛い時間だったが、カズはこんなにも温かいスタッフに恵まれ、大変ながらも楽しい職場だったんだな、と思う。


彼がいつも一番感謝し続け、大事にしていたスタッフ達。

カズの悲願、独立して歩み始めた創世記を支えてくれた、苦楽を共にしたスタッフを新居に招くこと‥が叶った瞬間だった。


もしこの場所に居たなら、こんなに美味しいお酒はない、って泣いて誰よりも調子に乗り、精一杯のおもてなしをし、話題の中心にいたことだろう、皆の活躍を小さな目をもっと細めて喜んでいたことだろう。何故叶わなかったんだろう?


25年前の5月17日も雨だった。


たまたまだったが、今日は入籍記念日。法律上の銀婚式。

一人じゃなくて良かった。


私は自分の両親の銀婚式の日、ご近所に招待状を配ってお招きし、ちょっとしたパーティを開いたりした。その時の両親は今の私より若いのに既にもっとおじいさん、おばあさん風だった気がする、気のせいかな?


銀婚式の年はどんなに忙しくとも記念に残る旅をしよう、カズは叔母夫婦のいるスペインに行ってバル巡りを実現させよう、と言っていた。


スタッフ達や常連さま達を招くことも、旅することも‥その為だけに長い間、頑張って来た。


私は犯人を許さない。


生きていれば、様々な夢が形になっていた。彼に実感してもらいたかった。


今日も図太く何事もなかったかのように被害者にするべき誠実な対応を何一つしない、何もかもを壊した殺人犯、平気で嘘を付くその親、犯人に着く弁護士、真摯に向き合わない検事、知らぬ存ぜぬの保険会社、あの日から私がどれだけ憤り怒り、絶望の中暮らしているか、生きていることが苦しいか‥わかりますか?


#ティンラ成城#成城#成城学園前#大蔵町#鶴川#町田#代々木八幡#代々木公園#クロブレ会#クロスブレッドキッチン#アンチョビのクロスティーニ#スペアリブ

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ザワークラウトと時計草‥。

2025年05月15日 22時43分00秒 | びんづめ


カズの御師匠さま直伝の『ザワークラウト』作ってみた‥。同じような味になったんじゃないかな?


成城では市販の物で美味しいモノに出会ったことがない‥と仰るお客さま達が定期的に買いに来て下さっていた商品。カズが居なくなって‥在庫が無くなって‥お客さまにも再販をと言われるんだけど、もうどうしたら良いのだろう?とただ途方に暮れ、今日まで来てしまった。


カズが作るこのキャベツの酢漬けに豚バラ肉を煮込んだ洋風角煮(=それがドイツ語でザワークラウト、フランス語でシュークルートって言うんだ、って毎度ウンチクたれていたり‥)、ソーセージなんかでも良いらしいのだが、その角煮がバツグンに美味しくて、仕込みの度に食べれるのが楽しみだった。もう食べたくても二度と味わえない家族だけの特権。


カズの産み出す瓶詰め達はあちらこちらで評価を受け、ある高級スーパーでは2023年早々に並ぶ予定で、百貨店でも事業展開する為に商談は進み、正式に取り扱いが決まったのは彼の葬儀の翌日のことだった。


私は決して犯人を許さない。


でも美味しいものばかりを食べ続けて来た結婚生活の中で、舌は覚えていて忘れない。

カズのその辺の感覚は天才的で、どこまで再現出来るかは未知数だか、少しずつ復活させて行けたらと思う。


今年もカズが大事に愛でていたトケイソウの一輪目が咲いた。






#ティンラ成城#成城#成城学園前#大蔵町#鶴川#町田#ザワークラウト#シュークルート#時計草

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夏のギフト‥。

2025年05月14日 15時12分00秒 | 催事
気が早いようだけど、母の日終了し、高島屋さんオンラインは早くもお中元に切り替わったので、お中元ノボリ出してみた〜。季節の先取り‥。

#ティンラ成城#成城#成城学園前#大蔵町#鶴川#町田#お中元#高島屋#高島屋オンライン#ウェブストア#夏のギフト

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銀婚式‥。

2025年05月13日 23時40分00秒 | その他





いつもお世話になっている包材やさんの見本市に行ってみた。カズと共にワイン屋、イタリア食材、古くはギフトショーなんかには行った事があったのだが、一人で扱い慣れない名刺片手に出向くのは初めてのこと。なんか良い商材ないかな?って覗いて見たけど、この道24年目‥さすがにハイハイ知ってます、って業者が多かったが、今後のお仕事に繋がるヒントも得られた。




夜は仲良しと久しぶりに会い、乾杯!


今晩は独りで過ごさずに済んで良かった。


25年前の今日は雨だった。






カズが生きていたら今日、銀婚式を迎えていたのだった。相棒が死んでいたら銀婚式とは言わないものなのかな?


‥だから夜の会に少し余分な時間があったので、28年前に彼と出会ったその場所にも立ち寄ってみた。


彼の死後、親友から聞かされた、「(私の)旦那はオレにしか務まらない、タイヘンな人だから」なんて言っていたらしい。私もその通り、ハイ、タイヘンな人です、って自覚、大いにあるけれど‥お言葉返すようだけれど、カズの奥さんは私にしか務まらかった‥と思う。


ジェットコースターみたいな結婚生活、駆け出しの自営業の妻はそりゃもう大変で、何度か子ども達連れて蒸発してやろうかな?って思った事もある。


でもその度に、結婚式でお祝いして下さった130名の皆さんの顔を思い出し‥おもてなしするどころかとんでもはっぷんな式だった為、何があっても絶対に添い遂げなきゃいけない、と思ったものだし、結局のところ、どんなに苦しい時も惜しみない愛を注ぎ続けてくれた彼だったからこそ、ずっと一緒に居れた。


娘が小さい頃、ミスチルの「youthful days」が流れると「あ、パパの好きな歌だ」と必ず言った。「何で好きなの?」と聞くと「ずっと二人でいられたらいい」のとこ。

‥ならば、私一人残し、何故自分だけジェットコースターから飛び降りてしまったのだろう?私の旦那さんは自分にしか務まらないと思うなら何故?








藁葺き屋根の建物は三つの島の意味を持つモルジブの元祖「ティンラ」

新婚旅行の写真は芸能人でもないのにテレビ明日の「若大将のゆうゆう散歩」にて電波に載せたもの。


結婚式の写真を見ては「カズは今の方がかっこいいね!」「ありがと〜う!」「私は全然変わらないね」「図々しいね」の同じやり取り、何回した事だろう。


銀婚式のその日、一緒にお祝いするはずの最愛の人はいない。 




友と別れた帰り道、駅にはずっしり重く響く絵手紙が飾ってあった。

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母の日‥。

2025年05月11日 23時25分00秒 | その他
母の日。
笑っちゃうぐらいヒマだった。
ヒマ過ぎて、母の日当日なのにティンラ始まって以来、初めて駅前のお花屋さんを覗いたりした。
これならエコパスタジアム行けたじゃん。治一郎はリノちゃん効果で完売だって‥。
来年はもう辞めようかな。

3年前の今日は30周年Liveで福岡にいた。一泊二日だったが、実質、カズと最後の旅行となった。
奮発して一流ホテルに泊まったのに、彼が「ウチの方がいいな」と幾度も言っていたことが印象に残っている。

2日目、波佐見焼を見に行こうと長崎まで足を延ばす予定をしていたのだが、あの頃は忙し過ぎて余裕がなく、移動時間の長さに、また今度にしよう、って事になったのだった。

あのとき、頑張って出かけていたらな‥。

こうやってタラレバの事故を回避出来たはずと、過去の行動をいちいち後悔ばかりする毎日に疲れ果ててしまった。カズと共に生きていた頃は前しか見ていなかったのに。

私は自分の命より大切な人を亡くす経験をして、もし加害者になってしまったら生きてはいけないな、と思う。奪った命には命でしか償えないから。
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