日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想

2010年08月31日 | Books
日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想

日本統治下で過ごした幼年期から終戦に至る青春の日々を回想、巧みな日本語で綴ると共に、創氏改名、徴兵制、独立運動について自身の体験をもとに公正に評価。「日本統治=悪」の一面的歴史観の払拭を願って書かれた瞠目の書!

1926年、朝鮮・京城(現ソウル)で生まれ、終生、韓国の民主化を追求しつづけた1人の知識人が、20歳で終戦を迎えるまでの日本統治下での青春の日々を回想。開明的な祖父や学生時代の恩師の思い出とともに、創氏改名、独立運動の実際を、驚くほど率直、公正な筆で綴る。そこから浮かび上がってくるのは、現代化し始めた京城の、おっとりとした街の佇まいのなかで営まれる穏やかな日常であり、それは「虐政を施された植民地朝鮮」という一般通念から想起される光景とはかけ離れたものだったのである。戦後教育によってつくられた、日韓合併に対する一面的な見方を克服し、肯定的側面を直視することこそ、真の日韓親善に繋がると信じて書き遺された、渾身の一冊である。

著者について
朴 贊雄
1926年ソウル生れ。45年旧制京畿中学卒業。51年ソウル大学法学部、64年ニューヨーク大学行政大学院卒業。この間、51~61年陸軍通訳将校(落下傘遊撃隊員として朝鮮戦争に参戦)、56~61年京畿高校、延世大学講師、69~75年徳成女子大学、仁荷大学副教授。75年カナダに移住。76年韓国民主社会建設協議会設立。77~80年、82~86年同会会長。87~88年カナダ韓人会会長。2006年死去。著書に戦後韓国政治史シリーズ(全10巻)ほか。

http://www.amazon.co.jp/dp/4794217757/





【産経抄】8月30日
2010.8.30 03:19

 草思社から出たばかりの、『日本統治時代を肯定的に理解する』を読んで驚いた。学校が建ち、電気、水道、電話が導入され、急速に現代化する京城(けいじょう)(現ソウル)。よく通った日本人の歯医者さんは、子供にも丁寧(ていねい)に接してくれた。

 ▼1926年に生まれ、20年間日本統治を体験した著者、朴贊雄(パクチャンウン)さんの思い出は、愛惜に満ちている。朴さんによれば、創氏改名は強制ではなく、統治後期には独立の動きもなかった。「朝鮮に政争も腐敗も弾圧もない、このような天下泰平の時代が、かつてあっただろうか」とまでいう。

 ▼「植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」。日韓併合100年で出た菅談話とは、ほど遠い内容だ。カナダ在住の朴さんは、4年前に亡くなった。日本語で書かれているために、韓国で広く読まれる機会がないのが残念だ。

 ▼韓国では2005年、高麗大学名誉教授の韓昇助(ハンスンジョ)さんが雑誌『正論』で、「日本の植民地支配は不幸中の幸いで、むしろ祝福すべきこと」と論じて、世論の袋だたきに遭い、行方をくらます騒動があった。

 ▼一方、昨年出た『大韓民国の物語』(文芸春秋)のなかで、植民地時代に韓国は近代化し発展した、との見解を示した李榮薫(イヨンフン)ソウル大教授はさほど激しいバッシングにさらされていない。韓国近代化の歴史を、実証を踏まえて見直す動きも出てきたようだ。

 ▼菅談話はそれに水を差し、日本の「悪」をひたすら追及する、日韓の左派グループを勢いづかせてしまった。韓国民が反日に血道をあげ、自らの暴政に関心を示さない状況を、北朝鮮は何より望んでいる。菅談話がどれほど罪深いか、首相は一刻も早く気づいてほしい。

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100830/kor1008300320000-n1.htm

ソウル大名誉教授「日本の植民地時代抜いて近代化説明不可能」
『大韓民国の物語 韓国の「国史」教科書を書き換えよ』
「教科書に描かれた李氏朝鮮の姿は誤り。本当は悲惨な時代だった」… 在米歴史学者
『日帝の土地収奪』など無かった」「『慰安婦の強制動員』というのは、資料が無い話」
「日本の統治により朝鮮人の生活は大幅に改善」と1920年代に米国人が論文 …容認しがたい挑発的主張だ
【日韓併合談話】日本の謝罪などいらない 韓国保守派の嘆きと憤慨
“朝鮮統治”で真に得をしていたのは誰か?







日本帝国の申し子―高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945
カーター・J・エッカート

「漢江(ハンガン)の奇跡」――韓国が解放後30年間に果した驚異的な経済成長を、世界の学者たちはこう表現した。この奇跡をもたらしたものは何であったか? 本書は、1970年代に「驚嘆する劇的な変化」を目の当りにしたアメリカ人研究者が「その現象の歴史的背景」を、一切の予断と偏見を排して解明した「韓国社会経済史」である。
韓国の一般的学説は資本主義の「萌芽(メンガ)」を李朝時代に求める。17世紀に芽生えた朝鮮の資本主義は、十分に成長する前に外国の圧力にさらされ、そのため日本の経済進出に耐えきれず、1910年の日韓併合による植民地化によって、1945年まで大きく抑制されていた、というのが、朝鮮半島の南北を問わず、堅固に定着した学説である。この説は「戦後史観」に立つ日本の歴史学者にも堅く信じられている。しかし、本書は「彼らの研究においては、論理より日本の行為を弾劾することで得られる感情的満足のほうが重要視されているようだ」と直言してはばからない。

1969年に平和部隊の一員として韓国に来た著者は、朴政権下で絶頂期を迎えた近代化推進の姿に驚嘆し、その歴史的背景に興味を抱く。そして東アジアと朝鮮半島の歴史研究に没入していくのだが、その結果知ったのは「資本主義の萌芽が李朝にあったという事実が重要となるのは、偏狭なナショナリズムを正当化するときだけである」ということだった。

いわゆる「萌芽派」の歴史家たちが用いている証拠はむしろ、彼らが無視する「空白期」、すなわち1867年の「江華条約(日朝修好条約)」による開国から1945年の解放にいたる期間こそ、社会経済史家が本格的に論じるべき時代であることを教えていた。そこで、著者が研究の焦点を向けたのは、韓国資本主義の象徴的存在である「京城(キョンソン)紡織株式会社=京紡(キョンバン)」とその創業一族「高敞(コチャン)の金一族」の歴史である。それは、「京紡は朝鮮史上初の朝鮮資本(かつ朝鮮人経営)による大規模な企業」であり、そこに「人間的なレベルでの韓国資本主義の起源と初期の発展を探ることができる」と考えたからに他ならない。そして著者は、同社に残された豊富な記録文書を精査し、日本が「圧政者であると同時に社会経済の変化の推進者」だったことを立証していくのである。(伊藤延司)

内容(「BOOK」データベースより)
日本統治の経験は朝鮮の工業化にいかなる影響をおよぼしたのか。それは戦後韓国・朴正煕政権時代の驚異的な経済成長とどのようにつながっているのか。朝鮮史研究の第一人者、ハーバード大学のエッカート教授が、史上初の朝鮮資本による大規模企業「京城紡織株式会社」の発展と拡大、そしてこれを経営した高敞(全羅北道)の金一族が産業資本家として成功をおさめるにいたったプロセスを精緻に検証。日韓近現代史における最重要のテーマである日本の植民地統治の「遺産」を初めて公正に評価し、欧米で高く評価された労作。日韓近現代史に根本的な書き換えを迫る、真に革新的な研究。

http://www.amazon.co.jp/dp/4794212755/



日本帝国の申し子

日韓併合をめぐる首相談話では、「意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」という部分が論議を呼んでいる。少なくとも国際法上は、日韓併合条約は大日本帝国と大韓帝国の合意のもとに署名・捺印された正式の外交文書である。

この条約が日本の圧倒的な軍事的優位のもとに締結されたことは事実だが、当時の韓国では「日韓合邦」を主張する民間団体「一進会」が100万人もの会員を集め、皇帝や首相に合邦を求める請願書を出した。李氏朝鮮が破綻し、多くの餓死者が出ている状況を改革するには、一足先に明治維新を実現した日本の援助が必要だったからである。

本書は、日本の「植民地支配」の実態をハーバード大学コリア研究所長が調査して書いた研究書である。日韓併合された1910年には1300万人だった朝鮮の人口は、占領末期の1942年には2550万人に倍増し、この間に工業生産は6倍以上になった。著者は「植民地時代の朝鮮の資本蓄積の90%は内地の資本によるものであり、戦後の韓国の驚異的な経済成長にも日帝時代の資本蓄積が大きな役割を果たした」と結論している。

「日帝36年」の歴史が彼らの「民族の誇りを深く傷付けた」ことは事実だろうが、もうそれを直接知っている人もほとんどいない。韓国も一人前の先進国になったのだから、いつまでもナショナリズムを「ガス抜き」に使わなくてもいいだろう。「歴史の事実を直視する勇気」が必要なのは、彼らの嘘に呼応して「慰安婦」騒動を創作した朝日新聞のほうだ。これを最後に「謝罪談話」の茶番はやめ、忘れるという合意が必要なのではないか。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51466394.html

「教科書に描かれた李氏朝鮮の姿は誤り。本当は悲惨な時代だった」… 在米歴史学者
日本統治の遺産評価 米学者の著書、初翻訳







日韓がタブーにする半島の歴史
室谷 克実

古代日本は朝鮮半島から稲作などの先進文化を学び、国を発展させてきた―という“定説”は大嘘である。半島最古の正史『三国史記』には、新羅の基礎を造ったのは倭人・倭種、中国の『隋書』には、新羅も百済も倭国を文化大国として敬仰していたと明記されているのだ。日韓古代史の「常識」に異義を唱え、韓国の偏狭な対日ナショナリズムと、日本のあまりに自虐的な歴史観に歪められた、半島史の新常識を提示する。

http://www.amazon.co.jp/dp/4106103605





 天皇が朝鮮半島から渡来したという大がかりな嘘はいかにしてデッチあげられたか
   日本文化も思想も、すべて朝鮮半島が教えたという虚説を爽やかに粉砕

  ♪
室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮新書)

 前々からこういう本こそ読みたいと思っていた。
 これまでにも漠然と感じてきた朝鮮半島の「歴史」なるものの胡散臭さ、しかし原典にあたる時間も読解力もなく、誰かがやるべきだろうが、いったい誰が半島歴史のデタラメと偽造、改竄の歴史を明確に証明しておくのか。
 本書はそのポイントを突いた、いわば古代史解釈の盲点を深く抉った、画期的な書物と言って良い。判型こそ新書版だが中味は優に単行本一冊以上。あとがきを読むと半分に濃縮したという。
 ともかく韓国で流布している歴史解釈が嘘の固まりであることは百も承知でも、日本からは反論がしにくかったのは自虐史観の悪影響が残っているからで、半島側が巧妙にでっち上げた「神話」も無批判に日本に輸入されてきた。
韓流ブームにいたっては時代考証も服装も会話もすべて近代的視点からのフレームアップがなされている。
秀吉は単純に「侵略者」? 日韓合邦が「日帝の侵略」?
理由は何か。戦後とくに朝鮮史学が滅茶苦茶なことになったのは、全体的空気が左翼の嵐のなか「戦前の歴史研究はすべて皇国史観だから、そこから脱却すべきだという日本版紅衛兵による文化大革命」があり、それは「マルクス主義史観への没入」に他ならなかったと著者は言う(212p)。
そして韓国では「超夢想的朝鮮民族絶対主義史観」なるものが確立され、テロリストが民族の英雄となり、その反日テロ礼讃支援団体の会長が李明博大統領ときたからには始末に負えない。
「伊藤博文は韓国併合に反対したのですよ」と韓国人に言っても鼻から受け付けない。
ましてや評者の経験では「安重根が撃った弾は伊藤博文の致命傷とはならず、真の暗殺者は駅の二階から撃ったのですよ」という真実を喋っても韓国人は、まるで聞く耳がない。
かれらにとって真実は知らなくても良い。歴史に客観的事実などどうでもいいのである。この事大主義は本場=中国を超えるのではないか。
現代自動車は一台買えば一台おまけといって強引に売っている国だから、「約束」とは一時逃れの方便としか解釈されていない社会だから、学歴詐称もカンニングも出世のためには許される社会が醸し出す異常さは、自ら改竄した歴史を信じなければ生活がなりたたず、その懐疑をうけつけようとはしない不寛容。この非科学的なメンタリティがなぜ生まれてきたのかが、本書の背景に流れる副次的なテーマである。
まさに本書をよむと従来の古代史の常識があたまのなかで転覆する。
 騎馬民族説は既にその嘘は木っ端みじんに吹き飛ばされていたはずだが、昨年韓国へ行って講演した小沢一郎の没論理の基盤にまだ騎馬民族説が残存していた。洗脳は解けていないのである。
 江上波夫の奇妙奇天烈な「騎馬民族」説が象徴するように、戦後の日本では日本人学者による反日史観からの演繹によって改竄半島史が積み重ねられてきた。
 嘘のうえに嘘を、その上に新しい嘘を塗りこめた。こうなると韓国に流布する歴史は架空の物語を超えて、あの左翼のサンドイッチマン=家永史観より韓国の歴史学者、御用学者がやったことは悪質なのである。それをしかも恥とは取らず、インチキへの倫理観が欠如しているのが、かの半島に住まう民族なのである。
 古代史の真実は、たとえば『三国史記』では新羅の基礎は倭人が造ったと書かれており、中国の『随書』では、新羅も百済も倭国を文化大国として尊仰していたと明記されている。
 評者(宮崎)にとっては韓国のインテリゲンチャのなかでも、とりわけ知日派の学者と意見をかわすことが多かったが、かれらは知っていた。「壇君神話」はとてつもない大法螺に過ぎず、日韓合邦(「韓国併合」って語彙もおかしい)は日本側の一方的な持ち出しであり、文明は倭人倭種から逆輸入されて半島にやってきたことを!
 丹念に歴史書を紐解いて、客観的な歴史的展望のもとに偽書偽説の矛盾を完膚無くまでに批判した本書はじつに長い間、日本の学術界、出版界から待ち望まれた。
待望の書の出現に乾杯!

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
http://www.melma.com/backnumber_45206_4826421/








【書評】『日本人ルーツの謎を解く 縄文人は 日本人と韓国人の祖先だった!』
2010.6.26 05:00

 ■科学的、論理的に定説を否定

 日本人のルーツはどこにあるのか。長い間、追い求めてきたロマンあふれる疑問だ。だいたいは、縄文人が住んでいたところに大陸、半島から稲作を携えて弥生人が渡来し、縄文人と混血しながら、現在の日本を形成していったというものだろう。

 だが、著者は最新のデータを基に、この考えを真っ向から否定する。稲作は縄文時代から行われていたし、朝鮮半島には日本の弥生式土器や古墳時代の前方後円墳が多く見られることから、縄文人が弥生人に移行し、さらに朝鮮半島に進出していったとする。ミトコンドリアだけではなく、Y染色体の系統も調べながら、これまでの定説を科学的、論理的に検証、否定していく。(長浜浩明・著/1785円、展転社)

http://www.sankeibiz.jp/econome/news/100626/ecc1006260502011-n1.htm









河添恵子『中国人の世界乗っ取り計画』(産経新聞出版)

 あるとき、気がつけば周囲はみんな中国人。ゴミの仕分けはしない、階段で排便するのは水洗がもったいないから。自治会費を支払う理由がない。自分勝手、自分だけが良ければコミュニティがどうなろうと知ったこっちゃないさ。
 埼玉県川口市にある公団住宅はかくて中国人に乗っ取られつつある。
 池袋北口はその典型、いまやチャイナタウンが混在している。周辺の居酒屋の仲居はほぼ中国人、スナックも風俗も中国人専用がある。中国食材店、中国映画テレビのDVD屋、中国語新聞は無料配布。飛びかう言葉は北京語。

 ことほど左様な現象が日本だけではない。世界的規模で同時進行中である。
 なんと、パキスタンでもスーダンでもアンゴラでも!
 本書の強みは世界中を所狭しと駆け歩いてきた河添さんの経験が堆積されている点にある。
 アンゴラは数万の中国人がやってきて華字新聞を四種類発行し、独特の臭いの食材が街を覆い尽くし、ついには反中国デモ。パキスタンでは中国人殺害、誘拐が多発したため、高い壁を張り巡らした一角に中国人が暮らし住民との接触は皆無。どうやら新興国でも嫌われているのだ。
 評者はかつて下記のコメントを書いた。
 「中国はアフリカの「庶民」に嫌われていますが。しかしアフリカ各地では「高級官僚」と政権のトップから好かれています。ゲンナマと特権。その独裁的体制を守るための武器を呉れるんですから。石油やガスや、レアメタルの権利を中国にくれてやっても、いいんですよ。つまり図式的にはアフリカ国民は、腐敗した政府を恨み、その政権を背後で操るチャイナを恨むということになります」
 さて本書の著者、河添恵子さんとは台湾の共通の友人を介してかれこれ二十年の付き合いになるが、北京と大連に留学し、中国語の翻訳本もある才媛。しかし中国だけが対象ではなく世界二十四カ国の教育事情をしらべてシリーズ世界の教育現場(学研)を四十冊。こつこつと仕上げてきたノンフィクション作家。
 評者(宮!))は嘗て貿易会社を経営していたので世界中に知り合いがいる。いまもかなりの人とクリスマスカードを交換している。もちろん中国、香港、台湾にいる中国人とも取引があった。
1980年代のこと。貿易相手の香港人がいうには『97香港返還』を前に英国へ渡るのは25万人の制限が設けられているので豪州へ移民する。あそこで5000万円ほど持ち込み、一年暮らすと永住権が取れる、という。
もうひとりの知り合いは「カナダは移民制限がもっと緩いし、大英連邦の一員でもあり、カナダで市民権を得る」と行って実際に移住した。場所は言わずと知れたバンクーバー。この街はすっかり「ホンクーバー」となった(ホンコン人の街だからである)。
 こうやって外国の永住権は市民権をえた中国人があちこちで中国と貿易をやり、親戚の保証人となり、あるいは外国の工場へよびこみ労働をさせる。
 台湾のビジネス・パートナーだったTさんは、いつのまにかロスへ移住し、市民権を得た。かれはしかも東京にマンションを二軒買った。
 逆に米国の友人や知り合いに尋ねると「そういえばチャイニーズが増えたなぁ」という。
 有名なNYのチャイナタウンを最初に見に行ったのは1978年頃だったが、まだ寂しい、あまり活気のない街だった。83年に最初に『中国之春』のメンバーと会食した場所はチャイナタウンの第一ホテル。路上にはみ出した物売り、屋台、雑踏の阿鼻叫喚に懼れをなしたものだった。90年代になると、チャイナタウンでは収容しきれなくなり、福建省出身者等はラガーディア空港近くのフラッシングへ移動して新しいチャイナタウンを作った。
 旧来のチャイナタウンの北隣はあのゴッドファアザーの舞台、「リトル・イタリア」だった。あっという間にイタリア街を蚕食し始めたチャイニーズはあらかたのレストランなどを買収し、つまりイタリア街は消滅し、ついでブロードウェイ対岸のソーホー地区へ侵入し、ここもチャイナタウンとしてしまった。
 凄まじい繁殖力、移民の爆発が何をもたらしたか?
 米国は移民の国ゆえに寛大にみえてそうではない。不法移民は追い返す。脱税は許さない。しかし中国系アメリカ人の法律事務所が乱立して商売繁盛。殆どが裁判に訴えて、勝訴し、合法的に居座っている。
 日本は間違いなく、明日のNYチャイナタウンのようになる。
 しかも子供手当を納税しない中国人にも支払い、これから外国人永住者へ地方参政権を認める方向にあり、とてつもない勢いで日本がチャイナに染まる日が来る。
あまつさえ、その方向へ現政権が誘導しているのだから、鳩山政権が売国奴と非難されるのも無理のないことであろう。

 中国人を地域的に叩き出した国がある。
 ロシアだ。ナホトカのチャイナタウンは幽霊屋敷化しつつあるのも、プーチン政権は意図的に外国人労働者を北朝鮮とアゼルバイジャンから移入させ、相対的に中国人を減らし、韓国からの資本進出に大甘な姿勢を取り、要するにバランスをとった。
 イタリアでは厳しい中国人の入国制限を取っているがEUのどこかから入ってしまえば移動の自由があり、円滑に行っていない。
 オランダは至る所でチャイナタウンが出現し、住民との軋轢は日々深刻になっている。
 本書はそういう無策、無謀な日本の政策にするどく警鐘を乱打する、憂国の書である。そして本書の推薦文に西尾幹二氏はこう書いた。
「有害有毒な蟻をこれ以上増やさず、排除することが日本の国家基本政策でなければならないことを本書は教えてくれている」と。

http://www.melma.com/backnumber_45206_4819326/









『シュリーマン旅行記 清国・日本』(H・シュリーマン 講談社学術文庫 1998年)

トロイア遺跡の発掘で知られるハインリッヒ・シュリーマン。彼はその発掘に先立つ6年前、世界旅行の途中、中国につづいて幕末の日本を訪れている。3ヵ月という短期間の滞在にもかかわらず、江戸を中心とした当時の日本の様子を、なんの偏見にも捉われず、清新かつ客観的に観察した。執拗なまでの探究心と旺盛な情熱で、転換期日本の実像を生き生きと活写したシュリーマンの興味つきない見聞記。

これまで方々の国でいろいろな旅行者にであったが、彼らはみな感激した面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。──(第4章 江戸上陸より)

http://www.amazon.co.jp/dp/4061593250


1871年にトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、それより6年前の1865年5月には北京の北方に位置する「古北口=満洲国境」に立っていた。

北京にとって返し、天津を経て上海に向かう。6月の半ばには八王子に遊び、幕藩体制が崩壊を迎えつつあった江戸で3ヶ月ほど過ごした後、太平洋を東に去る。彼は“江戸の夕映え“に何を体感したのか。

この本は、その折の旅行記である。
考古学者の偏見なき視線と執拗なまでの探究心は、当時の中国と日本の違いを見事に描き出す。因みに■は中国、▲は日本についての記述。

■ほとんどどの通りにも、半ば或いは完全に崩れた家が見られる。ごみ屑、残滓、なんでもかんでも道路に捨てるので、あちこちに山や谷ができている。

■どこへ行っても、陽光を遮り、呼吸を苦しくさせるひどい埃に襲われ、まったくの裸か惨めなぼろをまとっただけの乞食につきまとわれる。・・・彼らは痩せこけた手を天に上げながら、跪いて額を地にこすりつけ、大声で施物をねだる。胸が引き裂かれるような思いがしたが、私には彼らの苦痛を軽減してやることができない。

■全裸同然の屑屋をよくみかける。・・・また、ぞっとする光景だが、飢えた犬の群が糞集めの人夫たちの目を盗んで、自分の糞や馬糞をむさぼり食っている。

■シナ人たちは生来賭事が好きなので、どの通りにも賭博場があり、さらに戸外でもさまざまな小胴元が賭場を張っていて、そのどれにも男たちが群がっている。昼間は小金さえも出し渋るおとなしい小商人が、夜になると賭博場で数千ピアストルをすって、しかもまったく動じない。

■シナ人は偏執的なまでに賭事が好きであり、貧しい労働者でも、ただ同然で食事にありつけるかもしれないというはかない望みに賭けて、自分の食い扶持の二倍ないしは四倍の金をすってしまう危険をもものともしない。

▲家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の家はおしなべて清潔さのお手本となるだろう。

▲日本人が世界でいちばん清潔な国民であることには異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。

▲大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも退廃的だったから、嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々は、鄙びたといっていいほどに簡素な風情であるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた。

▲(寺の)どの窓も清潔で、桟には埃ひとつない。障子は裂け目のない白紙がしわ一つなく張られている。僧侶たちといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。

http://www.melma.com/backnumber_45206_4772402/





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