朝鮮戦争における性暴力・慰安婦 ~ 戦時慰安婦はこうして銃後の平安を守った

2013年05月14日 | Books
朝鮮戦争における性暴力・慰安婦
「これでは困る韓国」 崔 吉城, 呉 善花 p.11-p.31 より


戦時慰安婦はこうして銃後の平安を守った

村に共産軍がやってきた
「これでは困る韓国」 崔吉城, 呉善花

 呉 崔さんのご出身は、北朝鮮との軍事境界線近くの村だそうですね。それで小学生のころに朝鮮戦争が勃発し、村にやってきたアメリカや韓国の兵士たちが村の女性たちに対して性的な暴力をはたらいたということ、それに対して売春婦たちが村に入ってきて村人たちの防壁の様な役割を果たしたということ、そうしたことを直接ごらんになった体験を、ご著書のなかでお書きになっています。
 そのあたりのことは、まったく別次元の問題かもしれませんが、私が日本で仕事をする韓国人ホステスの問題について書いたことと、なにか通じるようなものがあると思うのですが。

 崔 そうなんです。呉さんと私の接点はそこにあるように、私も感じています。

 呉 たいへん興味深いお話なので、ここでお話いただけるとありがたいのですが。

 崔 当時私は一〇歳で戦争を体験したわけですが、半分は怖くて、半分は非常に楽しかったという思いもあるんです。ホラー映画もそうでしょう? 怖いけど楽しい、あの感じなんんです。爆撃を受けて、みんな必死で隠れたりしたんですが、そのときはもう死ぬんじゃないかという恐怖に震えていて、それが過ぎると、すごく楽しい感じがあるんです。
 たとえば、ヘリコプターなんか、かっこいいなぁ、という感じで見ていました。ヘリコプターは韓国ではヘルギと言うんですが、おそらく学校教育がはじまる前はヘルギという言葉がなかったと思います。我々は、ジャムジャリビヘンギと呼んでいました。

 呉、ああ、ジャムジャリはトンボでビヘンギは飛行機ですね。そう言えば、私も子どものころはヘリコプターをトンボの飛行機と言っていました。

 崔 それから、戦闘機はセクセキと言いました。

 呉 セ~ク! といった飛行音で名前をつけたんですね。

 崔 ええ。そういう感じで、みんな自然に名前をつけていました。セクセキというのも、そのころはかなり広く用いられていたんです。ジェット機とか戦闘機なんていう言い方はずいぶん後のことです。この戦闘機が見られるのも楽しかったんです。
 まあ、そんなふに、戦争が怖くて楽しいという体験だったわけですが、ここでお話ししたいことは、さっき呉さんが言った、軍隊と性暴力のことです。
 戦争が起きれば、どんな戦争にも性暴力はつきものなんですね。最近ではユーゴスラビアの紛争で性暴力がありましたし、あるいはロシアの紛争でもそういうことがありました。そうであるのに、なぜか戦前日本の「従軍慰安婦」問題だけが取り上げられるんです。慰安婦制度がいいというわけじゃないんんですが、なぜ明らかな犯罪である性暴力が問題にならないのでしょうか。こっちのほうがより大きな問題だと思うんです。
 とくに、アメリカ人が朝鮮戦争のときにひどい性暴行を働いたということが、なぜ問題にならないのか、なぜ取り上げようとしないのか、私はまったくおかしなことだと思うんです。

 呉 崔さんが体験されたことによれば、朝鮮戦争時の中国軍はきわめて紳士的だったけれども、アメリカ軍と韓国軍はひどかったということですね。

 崔 そうです。アメリカ軍人がひどくて中国軍人が親切でおとなしかったということは、だれに言っても信用してくれないんです。でもそれは、私たち村の人たちすべてが体験した、疑いもない真実なんです。ですから、いくら米軍がいいと言ったって、村の人たちはまったく聴く耳をもちませんね。

 呉 彼らは若い娘たちがいるところへどんどん入っていっって……。

 崔 いや、もう入っていくなんてもんじゃなくて、強引に乱暴に引っ張っていっちゃうんです。私は一〇歳でしたから、偏見もなにもあるわけじゃないんです。私が一四歳くらいになっていたら、たぶん戦争に引っ張られていて、そんなことを目にすることもなかったかもしれません。そういう意味では、アメリカ人もひどいことをするもんだ、ということを体験できてよかったと思うんです。
 私の村は三八度線から四キロ以内のところにありました。南から攻撃をしかけたとか北から侵入したとか言われましたが、私の体験では、北から攻撃を受けてそのへんの人たちがみんな逃げてきて、私たちも村から出て避難したんです。約四〇日間避難していて、それから村にもどったんです。もどったら金日成の時代になっちゃていて、私たち子どもはわけもわからず「偉大なる金日成は……」といった歌を歌ったりしていました。この歌はいまでも忘れませんが、北朝鮮では現在でも歌われているそうです。
 そのときが一九五〇年の六月で、翌年の一月に中国軍が入ってきましたから、半年以上、私たちの村は北朝鮮の時代だったんです。
 そのころ、人民共和国内務省というものができて、村のある女性に、そこへ事務員として出向しなさいという命令がきたんです。彼女は、自分の恋人が北朝鮮に関係している人だったこともあって、断れなかった。それで彼女は事務員として出たわけですが、内務省は彼女を含む事務員となった人とともに、その年の穀物や果物の収穫量を調べるなどしましてね、これは日本の植民地時代以上の厳しさだと、村の人たちは不安な気持ちになっていました。
 そういうことはあったんですが、そのころはまだ、北朝鮮がいいのか、それとも韓国がいいのか、農民たちには判断ができなかったんです。

 呉 それは全国的にそうだったと言えるんでしょうか。

 崔 少なくとも、田舎はみんなそうだったと思います。そのときには北朝鮮の残酷さも知りませんでしたし、とにかく平和な時代がくればいいと思うばかりで、民主主義もなにもどういうものか知りませんでした。ただ、韓国では李承晩のイメージが強くありました。そのため、李承晩大統領が解放してくれるんじゃないか、というウワサが口コミでどんどん入ってきて、民主化の可能性がある、ということが言われていました。
 それで九月に国連軍の介入がすることになるわけです。ソウルから私の村は四〇キロのところですから、折るにソウルの方を見るとパアーッと明るく見えました。遠くで鳴る雷の酔うな音が聞こえて、空が真っ赤に染まっているんです。それを見て、やはり解放されるんだろうな、という期待を抱いて、ずっとずっと待っていました。
 そうして翌年の一月、とても寒いときでしたが、中国共産党軍がやってきたんです。そのころ、中国軍といえばとても残酷で、女性の鼻に穴をあけて牛みたいに引っ張るとか、そんなことが言われていました。そういう人たちが来るということで、もう村の人たちは恐怖心でいっぱいになっていたんです。
 夜になると、中国軍のラッパの音が聞こえて、民謡みたいなものが流れてくるんです。まあ心理作戦なんでしょうね。どうなることかと、とても寝られませんでしたが、夜中になって中国軍が村にやってきました。
 彼らは変な発音の韓国語で「ヨ~ボセヨ~」(もしもし)と大きな声を出しているんです。それで、これは大変なことになると思っていたら、そのまま家の前を通りすぎていくんです。軍隊だったらみんな家のなかに入ってきて悪さをするはずなのに、おかしいなと思っていました。
 朝になって家の外に出てみますと、山のあたりが真っ白になっているんです。中国軍は夏は草色の軍服ですが、冬は白い軍服となります。その白い軍服を着た中国軍が山の中腹にいっぱい陣取っていて、それで真っ白になっているんです。
 そのときから解放されるまでの三ヶ月間の間、我々は中国軍といっしょに生活しました。村は完璧に中国軍に占領されたわけです。
 昼間は飛行機が飛んでくるので、我々はみんな防空壕へ避難しているんですが、その間、中国軍の兵隊さんたちが家の中に入っているんです。そういうわけで、我々は昼はほとんど外へでないんですが、夕方からは自由に外へ出て、中国人とも交流しました。
 中国人とは言葉は通じなくても、とても親しくできました。彼らの軍隊にも一四、五歳の少年たちがたくさんいるんです。ですから、わりとおもしろく遊んだりしました。非常におとなしい軍隊でしたね。

国連軍・米兵と韓国兵の性暴力

 呉 それから国連軍による仁川上陸となるわけですね。

 崔 はい。このときの戦争というのは激しいものでしたね。
 間もなく米軍が村にも入ってきました。みんな大歓迎です。背の高いスマートなアメリカ兵たちにみんな手を振ってね。だいたい車なんて見たこともないわけで、そこへ大きな部隊がジープやらなんやらできたので、村中が大喜びしたんです。また、ろくな食べ物も食べてないところへ、彼らはチョコレートやビスケットをバラまくんですよ。彼らにもらったカンヅメなんかを腹いっぱい食べて、嬉しかったですねえ。
 しかし、そういう期間は非常に短くて、彼らは間もなく女性たちの略奪をはじめたんです。それはひどいものでした。
 私の姉は六歳上の一六歳でしたので、父はすぐに遠い親戚のところへやって隠したんです。それでも若い奥さんたちも狙われますから、みんな年寄りみたいなかっこうしてごまかそうとしました。手拭いなんか被ってね。でもそれは韓国式の年寄りのかっこうなんで、アメリカ人からはそうは見えなかったみたいです。

 呉 かえって、若い人がスカーフなんか被った、おしゃれなかっこうに見えたかもしれませんね。

 崔 ええ、そうだったかもしれません。また子どもがいない人はよそから借りてきて、背中におぶって仕事をしたりしていました。そのほうが襲われにくいですから。
 彼らは、昼間は村をぶらぶらしながら、女の目星をつけておくんです。それで夕方になると、坂道などの村を見渡せるところにジープを止めておいて、望遠鏡で目当ての女性を捜すんです。それで見つけると、猛然とジープを走らせてくるんです。そうして強奪していくんですが、我々はそういうジープを見ると、大声で「軍人! 隠れろ!」と叫んだものです。
 ところが、アメリカ軍人たちは軍用犬のセパードを連れていて、それに探させるんです。女たちは積んである黍のワラの中なんかに隠れるんですが、たちまち犬に見つけられてしまいます。我々が気がついて彼らを取り巻いたりしますと、何か捜査をしているみたいなふりをして行ってしまうんですが、目を離したスキに連れていかれた女性はたくさんいます。

 呉 家のなかには入ってこないんですか?

 崔 それが入ってくるんです。ある日、私の隣の家、数メートルほど離れた家ですが、その家で家族が夕食を食べていたときに国連軍の軍人がやってきたんです。そのときの軍人はアメリカ人ではなくイギリス軍のMPでした。
 その家には一五歳の女の子がいて、彼らはその娘を目当てにやってきたんです。その娘はギョクチャという、天井のほうにある家具などを入れておくところに隠れていました。私はその家のそばまでいって、彼らがなにをするのかをずっと見ていました。一人が障子戸のところに銃を持って立っていて、一人が探すんです。その娘は見つかりそうになって怖くなったんでしょうね。ギョクチャからパッと出て逃げようとしたところをつかまってしまいました。
 彼らは戸を閉めると一人が歩哨みたいにして外に立ち、一人が中で娘に暴行を働きはじめたんです。そのとき、私の親族に耳が聞こえない老人がいまして、その老人が熊手みたいな金属のスキがあるでしょう、あれをもって家に押し入るや、いきなり床をそれでバンと叩いたんです。もう死んでもいいと思ったと言っていましたが。それでイギリス人はびっくりして、ものすごい勢いで外へ飛び出したんです。で、エンジンをかけっぱなしにしてあったジープに二人して飛び乗り、行ってしまいました。
 その晩、そのまた隣の家でアメリカの黒人兵が殺されたんです。

 呉 村人に?

 崔 そうです。性暴行を働いたので村人が殺したのです。それで憲兵がきて捜査をはじめたのですが、殺した本人はもう逃げていましたからつかまりません。そうなると戦時中は、もう捜査を打ち切るんですね。そんなことに労力を使っていられませんから。
 死人が出たとなると、彼らも懲りたろうから性暴行がおさまるかと思ったんですが、それから一週間もたたないうちに、またやりだしたんです。
 女性だけではなく少年も襲われたんです。私より一つ上の一一歳の少年でしたが、おばあさんと一緒にサツマイモを洗っていたんです。そこにアメリカ兵がジープでやってきて、彼をおさえて性器を口に入れるんです。そばでおばあさんが大声で泣いているんですが、平気でそういうことをやっているんです。
 また、ある結婚したばかりの女性は、畑に肥やしをやっているところをアメリカ兵にジープでさらわれました。彼女は一カ月近く行方不明になっていて、ある日、同じ場所でジープから下ろされて村に帰ってきました。そんなひどい話がたくさんあります。

 呉 慰安婦がいなければ、暴力的に素人の女性を慰安婦にするんですね。戦争が最低の人間をつくってしまう。その後韓国軍がきますね。韓国軍の兵士たちはどうだったんですか。

 崔 やがて、国連軍と韓国軍が交代しますが、韓国軍もひどいことをだいぶやっています。韓国軍は我々の村が一時的であるにせよ北朝鮮の支配下にあったということで、北朝鮮への協力者の摘発をはじめたんです。先ほどお話しした北朝鮮の内務省の事務をやっていた女性ですが、彼女が思想的な犯罪者だということで韓国軍に連れていかれました。
 この女性に対する韓国軍の残虐さは、北朝鮮もアメリカ軍もやらなかったひどいものでした。彼女は四〇日間というもの、韓国軍のなかにとめられて強制売春みたいなことをさせられたのです。いや、売春ではないですね。めちゃくちゃな不特定多数による性暴行です。

 呉 そんなことがあったんですか

 崔 ほんとうにかわいそうでした。婚約者もいる未婚の処女ですよ。しかも彼女は、そのために子どもを産めない身体になってしまったんです。その後、彼女は養女をとって一人で育て上げたのですが、一生を不幸のどん底で暮らしたと言っていいでしょうね。そんな恥ずかしい目にあって村にはいられないという思いで、ソウルへ行って隠れるように暮らしたんです。
 韓国軍がこんなにひどいことをしたのは、私の村ではこの一件だけでしたが、他の村でも同じようなことがたくさんあったんです。
 私の村でもそうですが、三八度線近くの村では、北朝鮮に連れていかれた人、自分で行った人がたくさんいますので、なにかスパイ事件があると、それを理由にまた暴行される者がたくさん出るんじゃないかと、いつも緊張するんです。戦争は必ず悲劇を生むし、また生涯その悲劇から逃れられないで苦しむ人たちを生むんです。

 呉 国連軍の軍人たち、とくにアメリカ軍人がそういう残酷な性暴力をはたらいたということは、国民にはまったく知らされていませんね。それだけひどい性犯罪を犯しているのに、国内でも国外でも問題にされたことは、一度もありません。韓国政府は自ら国民に対して犯した犯罪を正直に表明して責任をとると同時に、アメリカや国連に対して声を大にして抗議すべきです。なぜそれをしてこなかったのか、デタラメじゃないですか。

 崔 この、朝鮮戦争時のアメリカ軍と韓国政府の構図が、いまなお続いているんです。東豆川にアメリカ第七師団が駐屯していますね、かつては四万人だったのが今では二万人ですが、あそこはまさに売春だらけの地域です。夜行ってみると、線路のところにズラッと売春婦が立っていますよ。
 そういう状況の中で、韓国人の売春婦がアメリカの黒人兵に殺されましたね。それで売春婦たちが彼女の死体をかついでデモまでしました。ところが韓国政府は、日本の沖縄で起きた問題のように大きな問題として扱わないんです。

 呉 売春婦だから、というのもあるんでしょうね。素人の女性でアメリカ兵の暴行を受けたものもかなりいるはずなんですが、性の問題というのは、韓国の女にとってはものすごく恥ずかしいことですから、被害があってもなかなか表ざたにはならないわけです。政府の方も、国民の恥みたいな考えで取り上げようとしない。そういう二重構造があるように思うのですが。

 崔 そういうことでは、戦後間もないころの日本と似ているんじゃないですか。日本でもそのころに、アメリカ兵に女性が性暴行を受けた記録がたくさんあるのに、国民も政府もあまり大きな問題として取り上げませんでした。それが、最近になってようやく、沖縄での性暴行事件をきっかけに、国民も政府も大問題だと取り上げるようになりました。
 韓国政府は、国連軍から受けている恩恵というか、そういうことに気をつかっているし、国民のほうもそういう問題に対する意識が弱いんですね。日本の占領軍と当時の日本政府・日本国民の意識も、やはり同じようなものだったんじゃないでしょうか。

 呉 日本人も韓国人も、「従軍慰安婦」の問題ばかりではなく、もっとそういう問題に目を向けていくところから、戦争と性暴力の問題を全体的な視点から眺めていくことが必要ですね。ベトナム戦争に韓国軍が参加しますが、そのとき韓国軍はベトナム女性に数々の性暴力をはたらいています。また、性暴力ではないかもしれませんが、韓国軍兵士がベトナム女性に産ませた子どもがベトナムにはたくさんいます。
 それでも、ベトナムは韓国に対して文句を言うことはありませんね。いまは力がないからそうしているのかもしれませんが、力を持ってくると、問題化されていくのではないでしょうか。戦争と性暴力の問題はなにか日本だけの問題だといわんばかりの態度を改め、自分たち自身が犯してきた問題として、いまからきちんとしておかないとならないと思います。
 
  ーー 途中略 ーー

売春婦とともに生きた村人たち

 崔 そういう呉さんの体験につながるのが、私の村の話にもどりますが、私の村へ売春婦たちがやってきたときのことです。
 私の村もいうまでもなく儒教社会の村であって、そこへ売春婦なんかを入れてしまえば、もう李朝時代のモラルは一気にふきとんでしまうはずなんです。ところが私たちの村では売春婦を歓迎したんですね。儒教社会がなぜ売春婦を歓迎するかということが、私には大きな疑問なんです。
 普通ならば、そういう人たちは村を守るために入れないわけです。しかし、米軍の性暴行に対して、正攻法では守れなくなった。それで村を守るために売春婦を喜んで迎えたという矛盾、これが私にはちょっと理解できないんです。あんなにまで性道徳をうるさく言っていて、あれほどに売春婦を軽蔑していた人たちが、彼女たちに村にずっといて欲しいと願う。それでなんで儒教社会だなんて言えるんですか。

 呉 戦場の軍人に対する慰安婦の登場ですね。彼女たちがいなかったら、いったい村はどうなっていたのか、この慰安婦を求めた村人たちの気持ちは、じつは銃後の我々すべてがいざとなればもったものであるはずなんです。そういうことを抜きにして「従軍慰安婦」問題を論じて欲しくないですね。

 崔 彼女たちが村にきてから、村の女性に対する性暴力はなくなったんです。
 雨が降るとコンドームがあちらこちらから流れてくるんですよ。子どもにはコンドームがなんだかわからないので、それに水を入れて遊んだりしたものです。アメリカ兵たちを性病から守るために、米軍ではコンドームを大量にストックしているんです。私のおじの家ではそれを横流しかなんかで安く仕入れてきたものを買ってきて、それをカミソリで細長く切ってゴムのヒモをつくり、それを靴下に編み込んで利用していました。

 呉 足首を止めるゴムにしたわけですね。

 崔 そうなんです。ほかにも利用の仕方はたくさんありましたが、まあそんなわけで、それまでなにか性不道徳そのものと見えていたコンドームも平気になってしまったんです。
 また、村の男の中で何人かは、売春婦、いや、はっきり言えば米兵相手の従軍慰安婦ですよ、彼女たちを好きになっちゃったのがいて、家庭問題を起こして奥さんとケンカになったり、メチャクチャになったのもいました。
 わずか三〇~四〇件の小さな村なんですが、そこへ若い女性がドッと入ってくると、村にがぜん活気が出てくるんですね。米軍のジープやトラックがいっせいにやってきて、あちこちに駐車して空き地が車でいっぱいになる。そして米兵たちが行ったりきたりしていますから、なんとも賑やかで活気があるんです。
 それで、米軍が訓練かなにかで外出が禁止されると、その日はまるで村が死んだように静かになる。売春婦たちとしても商売ができないので、明日はくるんだろうかどうなのだろうかと心配して、みんな沈んだ顔をしているんです。

 呉 村へきた女性たちは何人くらいだったんですか?

 崔 売春婦はだいたい三〇人ほどだったんですが、ほぼそれぞれの家に一人ずつ民宿させていました。そうやっていっしょに生活するので、自然に親しくなってしまうんですね。私も最初は売春婦たちは非常に不良っぽいイメージをもっていて、心も身体も最低の女性たちなんだと思っていました。しかし親しくなってみると、呉さんが言われたように、ほんとうに純粋な人が多いんですよ。
 呉さんがお書きになった韓国人ホステスたちもそうでしたが、家が貧乏で売春婦になったのであり、堕落してそうなったとか、倫理や道徳がどうだとかいうことじゃまったくないんです。家族と自分が食べるためにやってるんですが、心はダメになっていないんですね。

 呉 戦前のアジアの農村は、日本だろうと韓国だろうと中国だろうと東南アジアだろうと、みんな貧困問題を抱えていたんです。「従軍慰安婦」問題の本質はそこにあるわけで、アジア的貧困と戦争の根絶こそがほんとうのテーマなのです。

 崔 きれいごとじゃすみませんからね。



これでは困る韓国―ニューカマー韓国人の対話: 崔 吉城, 呉 善花


商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)
本書はニューカマー韓国人の著者二人が、日本語で対談をして本となったものです。
社会問題、犯罪等が起きる度に韓国に流入した日本文化をバッシングし続ける韓国は、いつまでたっても閉じた国家である。日韓国交正常化以後に日本で生活するニューカマー韓国人の二人が、権威主義を打破するヒントを語り合う。

目次
1 戦時慰安婦はこうして銃後の平安を守った
2 男尊女卑社会は偽りの人格を生む
3 「儒教ルネッサンス」なんてとんでもない
4 在日コリア差別アイデンティティの虚構
5 これだけ危険な韓国民族主義の排他性
6 日本文化へのこだわりを捨てなさい
7 権威と見栄にしがみつく社会に未来はない
8 いま、ここをなんとかして欲しい

http://www.amazon.co.jp/dp/4879195707





【連合軍(米軍等)による強姦事件が多発、韓国政府が慰安婦を募集】

列車の中での米軍兵士の韓国人への陵辱事件
 1947年1月11日「東亜日報」




米軍兵3人が未成年(19歳)の女性を輪姦事件
 1954年11月11日「東亜日報」




米軍相手の慰安婦だった2人の女性が、自らの身を悲観して自殺した記事
 1957年7月21日「東亜日報」




米軍の黒人兵による慰安婦殺害(疑惑
 1957年5月1日「東亜日報」




国連軍を相手にする慰安婦の登録を「ソウル市役所」が実施
 1961年9月14日「東亜日報」



http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=348439
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=21&nid=78362


朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表
【韓国】 大韓民国政府、国連軍のため慰安所運営~売春婦が外貨獲得政策の担い手だった
韓国人元慰安婦、韓国政府と米軍を告発 NYタイムズ紙




【映画の中の朝鮮戦争時の慰安婦】

実話を基にした映画「38度線」 朝鮮戦争時の従軍慰安婦(売春婦)



1986年に放映されたオランダ映画(英訳)の「38度線」
朝鮮戦争を舞台にしたオランダ兵の体験を基にした映画

http://www.youtube.com/watch?v=R3mfU3yNvYc




http://www.youtube.com/watch?v=CbeW2mF5RtI




【映画の批評】

朝鮮戦争 38度線、勝利なき戦い、追撃機、最前線、トコリの橋 Combat Club,TOKYO 東京コンバット倶楽部

38度線  Field Of Honor 1986米 93分   ★★★★★ 

監督:ハンス・シープメーカー、出演:エバリット・マッギル 、ミン ユー 、ヘイ ・ヤング・ リー

朝鮮戦争は「アメリカ・韓国」対「北朝鮮・中国共産党軍」の戦いと思ってたんだが、南側は実に16カ国連合軍であったことをこの映画で知った。その中のオランダ軍の物語というのがこの映画。しかし装備はほぼアメリカ軍と同じでみんな英語をしゃべる。装備はともかくアメリカ映画だから英語なんで、本当はオランダ語をしゃべったと思うけど…。

しかしとんでもない映画である。最初の中共軍の猛攻でちりじりになる部隊。主人公は文字通りサバイバルの戦いを強いられる。そしてそれは一般市民も同じこと。母と姉が兵隊たちに体を提供し、弟がお金を受け取る係という哀れな三人家族。それでも生きていければましだが…。戦闘シーンそのものは少ないのにすさまじい戦争映画である。中国共産党軍の個人装備を詳しく見ることができる。(2006/8)

http://tokyo-combat.com/newpage58.html




戦争映画「38度線」 評価★★☆ 朝鮮戦争に参加したオランダ軍兵士
kapon2の2005年04月09日の1番目の記事

1986 オランダ 監督: ハンス・シープメイカー
出演:エヴァレット・マッギル、ヘイ・ヤング・リー、ミン・ユーほか  
93分 カラー
 
 視聴後ヘコむ映画の一つに数えられるもので、最初から最後までどうも精神的に落ち着かない映画だ。舞台は1951年の朝鮮半島で、侵攻してきた中国軍に対抗する国連軍(オランダ軍)の話である。実話に基づいて脚本化されたとこのことであり、描かれている内容が事実ならばかなり問題は根深い。女性にとってはかなりショッキングな内容と言える。これを見て、韓国人はどう思うのか気になるところ。
 冒頭から女とやることしか頭にないオランダ軍兵士が登場。韓国女性は皆売春婦扱いであり、韓国女性をモノとしか見ていないことが良くわかる。母親だろうが、生娘だろうがただただやりまくるオランダ軍兵士は鬼畜以外の何者でもない。戦場では精神的に極限に達するため、非道に走るケースはままあるが、オランダ軍の場合前線勤務は極めて少なく、決して極限とは言い切れない。主人公の軍曹が単身敵地に取り残されてからは、やや人情的な部分が出てくるが、それでも壊れた軍曹のイメージが強い。役者も何だか汚らしいし、相当ワルって感じがする。本作では、極限状態の兵士を表現するためにこのような描写を用いたのかもしれないが、かなり強烈すぎて同情に至ることはない。ハリウッド系映画とは全く異なる作り方がある意味興味深い。
 戦闘描写はたいしたことはない。爆薬使用量も少なく、戦闘格闘シーンにやる気が見られない。喧嘩のシーンなどは寸止めもいいところ。前身やけどや腑が飛び出た兵士が登場し、気が滅入るが、描写そのものはリアルではないので救われる。登場する兵器は戦車くらい。M-48パットンかな?
 それにしても、オランダ軍は朝鮮半島まで何しに来たのという映画。鬼畜だし弱いし、ろくなもんじゃないねという印象。そういえば、第二次大戦ではインドネシアで日本軍にボロ負け食らい、本国ではドイツ軍に電撃戦食らうなど弱さを露呈したにもかかわらず、戦後にインドネシア支配を目論んでみたりと、オランダにはあんまりいい印象がない。オランダって自称「寛容の国」とか言ってるけど本当に自称なんだろうなあ。あと、この映画中でも韓国人がやっぱり犬を食べてる。よっぽどインパクト強かったんだろうな。でも、犬食う韓国娘は嫌だあ。
 映画の音楽は何故か中華風。オランダ人にとって中国も韓国も区別つかないんだろうね。それから、腑飛び出た同僚の韓国軍兵士が「サカハシ・ボーイ」とか呼ばれているけど韓国人?日本名ぽいのが気になる。

興奮度★★★★
沈痛度★★★★★
爽快度★
感涙度★

(以下あたすじ ネタバレ注意 反転でご覧ください)
 
 1951年朝鮮半島。前年の北朝鮮侵攻に端を発した朝鮮戦争は中国軍の参戦で泥沼に陥っていた。国連軍は16カ国(米、豪、乳、英、加、南ア、比、泰、コロンビア、エチオピア、土、白、ルクセンブルグ、希、仏、蘭 *映画のママ)が参加した。オランダは1950年11/23に陸軍1個大隊を朝鮮に派遣した。
 
 オランダ軍テコニグ軍曹は部下とともに韓国人売春宿で情事にふけっていた。そこに同僚が前線出動の報を持ってくる。オランダ軍兵士らは男性韓国人経営者を銃で殴りつけて金を奪い、その金を売春婦に渡して出ていく。
 前線出動がほとんどなかったオランダ軍は、ある村の偵察任務に出る。ひっそりとした村内で新兵の誤認でテコニグ軍曹は娘を誤射で殺してしまう。ミスを犯し責任を感じるテコニグ軍曹だが、歴戦の勇士である彼はいつまでも引きずりはしない。
 駐屯していた基地で、テコニグ軍曹は靴磨きの少年キムに出会う。キムは母親と姉を紹介するという。食べるものを得るために売春を勧めているのだ。一瞬、躊躇するテコニグ軍曹だが、生きていくには仕方がないと母親と娘を基地に連れて行く。
 基地では、母親と生娘を相手に大勢のオランダ兵のセックスが始まる。気乗りしない若者兵にテコニグは「彼女らのためにセックスするのだ」と言うのだった。
 オランダ兵の乱痴気騒ぎの最中、密かに接近していた中国軍が攻め込む。基地はたちまち火に包まれ、オランダ軍は壊滅する。テコニグ軍曹も奮戦するが負傷して気を失う。
 翌朝、中国軍兵士が生きているオランダ兵を銃殺して回る中、テコニグ軍曹はなんとか生き延びた。他には全身やけどで苦しむタイニー伍長、腑が飛び出た韓国人サカハシ・ボーイが存命していたが、タイニーの苦悶に見かねて銃殺してやる。サカハシは腑を鉄兜で蓋をして押さえるが、次第に力を失って死亡する。テコニグ軍曹は破壊された車両の下に隠れて過ごすが、ちょっとした機会に車輪に足をはさまれてしまう。たまたま通りかかった善良な中国軍兵士に助けられるが、テコニグはこの中国軍兵士を殺してしまう。
 テコニグ軍曹は、焼け残った小屋に移って潜む。愛犬のチッピーも無事に戻ってきた。しかし、潜んでいるうちに他にも生存者がいることに気づく。それは少年キムと姉だった。テコニグ軍曹が目を離した隙に姉はチッピーを殺害して食料にしてしまう。怒ったテコニグ軍曹だが、弱った弟を救うためと知り、彼女らを連れてきた責任もあったため、彼女らを連れ帰ろうと決心する。
 国連軍の反攻が始まり、中国軍が撤退してきた。丘にある監視所に隠れていたテコニグ軍曹らだが、そこにも中国軍兵士がやってきた。抗戦するテコニグ軍曹だが姉は銃弾を受けて死んでしまう。残ったキムを連れてテコニグ軍曹は自隊に戻るのであった。 


http://plaza.rakuten.co.jp/kapon2/diary/200504090000/




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