the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

鬱病の話ではありません。

2007-07-12 02:07:35 | Weblog

・まずはじめに、この記事は鬱病に関するものではありません。

・僕は昨今のスピリチュアルブームなるものに対して好意的な印象を持ち合わせてはおらず、それらについて肯定的な立場に立つ者ではありません。

・同じく、それらを商売道具としてメディアに登場し、人身を惑わす人々に対しても良い印象はもっておりません。

・また、スピリチュアルとは別に、大柄で失礼な物言いが売りの某女性占い師に対しても同じ気持ちであります。

・また、このブログでは、特定の宗教、宗派への入信や帰依を薦めることは一切ありません。

・いわゆるオカルトものに分類される、UFO、宇宙人、幽霊、超能力、占いなどについてはそれぞれ肯定的・否定的意見を持っていますが、それらを全てを盲目的に信じているわけではありません。

以上のことをご理解のうえ、下の文章をお読みください。


<お願い>
これから妙なことを語る。できれば前半部分の突飛さに振り回されずに、最後まで文章を読んでいただきたい。僕が言いたいことがご理解いただけると思う。



僕にはある“特技”がある。
本来であれば、それは“特技”ではなく“能力”と言ったほうが正確かもしれない。



「僕は、相手が隠している事情や事柄を、言い当てることができる。」



突飛なことを書いたが、別に狂ったわけではない。
世間ではこういう能力を「霊視」とか「透視」とか言うのかもしれないが、そんな能力ではないと思っている。

この能力が発揮されるためには、限定条件が沢山つくのだ。

まず、相手は僕と特定の関係になった人でなければならない。

特定の関係とは、僕のココロの厚い壁を乗り越えて、僕の内側まで入ってきた人のことである。
普段からこのブログでも孤独であることを自慢げに書いている僕なので、このような親密な、濃密な関係になる相手は滅多にいない。30年生きてきて、過去に5~6人である。しかも全員、僕が社会に出てから知り合った人たちだ。
訳あって、彼らはもう僕のそばにはいないし、もう二度と会うことはないと思うが、特定の一時期、唯一、文字通り濃密な関係を持った人たちである。

第二に、自分の意思によって制御できる“能力”ではない。

特定の関係になった相手であっても、自分から望んでその人の隠れた部分を覗こう(オカルト的に言うなら霊視)としても、できるというものではない。
普段の何気ない日常生活の中で、それはぼんやりとしたイメージで胸の奥に湧き上がってくる。最初から相手への質問という形をとっていることが多い。それに、きまってその対象となる相手と一緒に過ごしているときに、そのイメージは浮かんでくる。

いくつか例をあげてみる。

・Aの場合
ショッピングモールを二人で並んで歩いているとき、ふとAに対する一つの質問というか疑惑のようなものが思い浮かんできた。軽い気持ちで口に出すとAの顔色が変わった。絶句しているようだった。しばらくしてAはその事実を僕に隠していた事を認め、謝罪した。僕は滅茶苦茶に傷つき、再起不能になった。

・Bの場合
Bが、当時一人暮らしをしていた僕の家に遊びに来ていたとき、おふざけで占いをすることになった。(※今まで黙っていたが、僕はアマチュアで占い師をしていたことがある。もう何年も手をつけていないが、専門はタロットと西洋占星術。高校の頃から校内で有名で、お客様が絶えなかった。どうやら当たるらしいという噂とタロットカードを操る金髪の男子高校生というシチュエーションが女子に受けたようで、その噂は隣の高校にも知れ渡り、駅で他校の生徒から占いを依頼されることもあった。社会人になってからは、あるいきさつで某闇金融の占い顧問をやっていたことがある。プロにもスカウトされたことがあったのだが、この話は別の機会に。)そこで、たまたま僕の部屋においてあったカードを使って二人の関係を占ってみた。
僕と彼との関係を占っているはずなのに、そこには人物を表すカードが3枚出ている。その中の一人の人物について僕は、“優しい顔をしているが、自分のことしか考えていない嘘つき”とリーディングした。
「二人の関係なのに3人目の人物がでてくるなんて、やっぱりしばらくやってないと当たらないものだね(笑)」
と笑う僕が見上げた彼の顔は青ざめていた。その日はうちに泊まっていく予定だったのだが、直後に急用を思い出したとかで、カードを片付ける間もなく、そそくさと帰って行ってしまった。
あとで判明した事実だが、“優しい顔をしているが、自分のことしか考えていない嘘つき”とはBのことだった。新たにあらわれたCなる人物もそのときのカードの中にでていたのだが、そのCを僕はBと読み違えていた。その後、この三人の人間関係はもつれ(というか最初からあってはならない関係だったのだが)、僕は雪降る冬の夜に車でCに拉致され、雪山で一晩を過ごすことになった。その後もドロドロのやりとりが数ヶ月続くのだが詳細ははぶく。この事件により、僕はまたもや魂に深い傷を負うことになった。

・Dの場合
これが一番直近のケースである。
Dとメールのやりとりをしていて、またふとした質問というか疑惑が胸に浮かんできた。それをそのままDに伝えると、「何言ってるの~!ありえないから。」との返答。しかし五分とたたずに電話がかかってきて、「亮司さんには黙っていようと思ったんだけど、実は僕・・・・」と語りだした事実は僕が問いかけた“予感”そのものだった。僕は強い衝撃を受け、絶句し、苦悶し、深く悲しんだ。そしてまた傷をおった。


回りくどい書き方をしているので、うまく伝わらないかもしれない。
だが、3人のケースの共通点はどれをとっても、“同じ疑惑”が浮かびあがってくるということである。

そして、世に言う霊能力者や超能力者と違う点は、
・自分の意思で感じ取ろうとしてもできないこと。
・胸に湧いてきた疑問を口にだして相手に問うているときも、自分自身が冗談だと思っていっている=その疑問(疑惑)を事実だと認識していないこと。
・冒頭でも記したが、この“能力”は僕の心の中の厚い壁を乗り越えて、濃密な関係を築いた人に対してしか現れないこと。
・湧いてくる疑問(疑惑)は、相手に関係なく同一の疑問(疑惑)であること。
の4点である。


限られた特定の相手に、自分の意図しないタイミングで、必ず特定の事象について、相手が隠していることがわかってしまう、という“能力”。

もし仮に、これを霊視、若しくは透視と呼ぶなら(本人はそのような力ではないと認識しているが)随分と中途半端で厄介な能力である。

対象になる人や明らかにされる事柄が限られているうえ、その疑惑を相手に投げつけているその瞬間も、自分自身は冗談を言っているとしか考えていない。後になってそれが事実だと判明し、恐ろしいほど深刻な傷を負う。

まったく不便で、不幸である。



その疑惑は、相手と僕の関係との間に決定的な亀裂を生じさせるものであり、僕の心はズタズタになる。
これも毎回のパターン。
精神的に疲れて、疲れて、ボロボロになって、それでも信じて裏切られ、気づくと一人ぼっちで震えている。

そんなとき、頭の中で声がする。

「ほ~ら、独りになった。お前の望んでいたとおりだろう?お前は孤独を恐れているふりをしているが、本当は独りでいることを望んでいるのさ。自分の理解者なんていないって思っているんだろう?そうなったじゃないか。良かったなぁ。クククっ」

そしてまた、魂が傷を負う。


だから僕は独りなのだ。

僕は相手との適切な距離をうまく保つことができない。

信頼して心を開く相手が現れることは稀有だが、一度心を開いてしまうと、相手と自分との境界がなくなってしまう。

相手に嫌われること、置き去りにされることが怖い。

できるだけ、近くにいようとする。

順風満帆だ。


でも。


そんなとき、ふとした疑惑が胸をよぎる。

毎回のことなのに僕は気づくことなく、軽い気持ちでその疑惑を口にしてしまう。


そして僕は、裏切られたことを知る。



この一連のパターンは、本当に精神的に“くる”。ダメージがでかい。考えるに、僕はそういった人たち、つまり僕がやっと心を開いて信用した人たちとの関係に「依存」してしまうのではないだろうか。自分の存在、自分が自分であることを認識するのに寄って立つところを、自分の中にではなく、他人=特定の相手との関係の仲に求めてしまう。だからその関係が崩れてしまったときには、彼らとの関係だけではなく、僕自身の心のありかを見失ってしまう。そして自己崩壊を起こす。


だから、最後の自己崩壊を起こしてからおよそ4年、僕は人と極端に親しくなることを慎重に避けていた。その人との関係に依存してしまわないように。

ところがそれがどういうわけか、長年の孤独に耐えかねたように転んでしまった。
それがここ最近のこのブログの沈黙の理由である。


僕はこれが“能力”と呼べるようなものだとしたら例えばこういうものなのかもしれない、と思う。

僕が昔、精神科の閉鎖病棟で白衣を着て働いていた時代があることは、このブログで何度も紹介してきたところであるが、婦長(看護師長)や熟練の看護師さんはある種の直感のようなものを持っていて驚かされることがある。

前日、病棟内で患者さん同士のトラブルがあったり、患者さんの生命に直接影響するような事態が発生したとする。

その日が非番で翌日出勤してきた看護師長は、申し送りが始まるまえに、「昨日、何があったの?」と問いただしてくる。

なぜこちらから報告する前に、前日にトラブルが発生していたことがわかったのか。
後に直接本人から聞いたが、そういう日は、「いつもの病棟じゃない」と直感的に感じるのだそうだ。閉鎖された病棟で長期にわたる(中には10年を超えて入院している方もいる)生活を強いられている人々は、漫然とした変化の乏しい日常を送る。そうした患者さんたちは、トラブルがあったあとも平然といつもどおり過ごしているように見えるのだが、看護師長に言わせると、「何かが違う。うまくは言えないが何かが確実に違う。」のだそうだ。同様に、トラブルの発生を事前に知っている看護スタッフたちも本人ですら気づかない程度の緊張感を発しており、ナースステーション全体の雰囲気がおかしい、のだそうである。長年の経験からこうした日は何かがあったあとだ、というのがわかるらしい。

僕は先輩から、「看護の基本は観察から」と教わった。
特に精神科の患者さんの場合、他の身体科の患者さんのように、自分自身の体の不調を自分で訴えることが難しい患者さんも多い。(その逆にうるさいくらいナースコールを鳴らす患者さんもいるが。)看護者が毎日注意深く患者さんの行動や様子を観察していなければ、大事故や重大な病気、場合によっては命に関わる危険につながる可能性が高いのだ、と教わった。
おそらく、前述の看護師長も普段から卓越した観察眼を持って病棟全体や患者さん、スタッフを観察しているうちに、五感の一つ一つでははっきりとは捉えきれない僅かな“異常”を、総合的に感じ取ってあのような“予知”ともとれる発言としてあらわれたのではないだろうか。もし人間に第六感というようなものがあるのだとしたら、こういった種類のものではないかと、僕は思う。

それと近い感覚なら、僕も病棟内で一度経験したことがある。
病室の環境整備だったか、動けない患者さんの洗顔介助だったか忘れたが、6人部屋の病室で先輩の女性看護師と二人で仕事をしている途中、その病室のOさんの動きが気になった。

「Oさん、どうかしましたか?」

返事は無く病室を出たり入ったりを繰り返している。
そのような行動は、精神科病棟では日常的に見られる“普通な光景”なので、改めてなんらかの処置をとるようなものではないのだが、そのときはOさんのいつもの見慣れた行動が、何かしら不自然に思えた。
一緒に仕事をしていた女性看護師さんに、「Oさん、何かおかしくありませんか?」と同意を求めたが、彼女はきょとんとした顔をして、「そう?私にはいつものOさんにしか見えないけど。」と答えたので、僕も気のせいかと思い作業(看護だったかもしれない)に戻った。

しかしその数分後、Oさんは洗面所で水道の水を大量に飲んだ後、廊下で倒れているところを発見され、看護主任ら他のスタッフに抱えられて、保護室に隔離されてしまった。

「水中毒」である。Oさんは以前から水中毒の既往歴があった。
水中毒というのは、毒のある水を飲んで中毒を起こす、ということではない。
水の大量摂取により体内の様々な場所に異常をきたし、処置を間違うと死に至る恐ろしい病(症状?)である。
特に精神科の閉鎖病棟にいる患者さんは水中毒になる可能性が高い環境で暮らしている。専門病棟を除く多くの病棟では、統合失調症による入院患者さんの比率が一番多いと思うが、精神科で用いられる薬は、その副作用として口渇感を与えるものが多い。鬱病の治療で用いられる薬、特に一世代前の三環系と呼ばれる薬などの副作用としても有名である。閉ざされた環境で、大量の精神科領域の薬を長期間にわたって服用することが誘因となって、水中毒を引き起こすのである。もちろん、全ての患者さんにあてはまるものではない。

この時感じたOさんの異変。どこがおかしい?と聞かれると答えに困るが、何かいつもと違う印象。これが看護師長の言う感覚に近いものなのかもしれない。



話はだいぶそれたが、たまに現れては僕の魂をズタズタにして去っていく、自分の意思では制御できない、“能力”。
おそらくこれも、濃密な関係を気づいた二人の間に流れる微妙な雰囲気の違いを感じ取った心の中の僕が、自然と口に出して問いかけてくるものなのかもしれない。

間違っても、僕にはオーラは見えないし、死後の世界のことはわからない。
死んだ人と話す力も無ければ、悪霊を退散させるようなスーパーテクニックは持ち合わせていない。

(占い(タロットと西洋占星術)はちょっと別なのです。僕の中で。)

自分自身の出来事で、誰が死んだわけでもなく、僕自身の魂(※先ほどからこう表現しているが、世間で言う「霊魂」のようなものではなく、心の本質部分というか、人間としての存在の本質のようなもの、という概念で使っております。)がズタズタに傷つくだけでもこんなにつらいのに、テレビにでてくる霊能者の方々やスピリチュアリストなる人は、よくもまぁ、死んだ人と話して恨みつらみを聞きながら、あんなへらへらした顔をしてやっていられるもんだ、と感心する。
それが“修行”の成果なのだろうか。

僕にはそんな能力、耐えられない。



やはり、あの「頭の中のささやき声」のように、僕は僕自身が孤独でいることを憂いながら、その反面、それを望んでいるのかもしれない。


やっかいだ。


5 コメント

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心の裏 (櫻子)
2007-07-12 05:01:05


お早うございます。



私も 特定の宗教の信者と言うワケでも無く、ごくごく一般的な人々と変わり無い程度の宗教感しか持ち合わせていない人間です。



が、私の一族の中に 亮司さんと同じ様な能力を持っている者が おりましたので、お話の内容に驚く事無く素直な気持ちで伺えます。



私の直系に当たる人間でしたので、詳しい内容は ほとんど理解していましたので、子供の頃から 何の不思議も無く2人の能力を当たり前の事と信じていましたので、亮司さんのおっしゃる事が 決して突飛でおかしいなどと 思いません。



むしろ 私にとっては普通の事です。



私は、朧気ながら自分の事しかわかりません。しかもコントロール不能です。



2人は しっかりコントロール出来る能力を持っていました。



しかし、私が今でも忘れられない言葉があります。



人の心が わかってしまい、かえって悲しいと…







人間は、悲しい事に 善と悪 ふたつの心のせめぎ合いの中で生きている。



私もふたつの心を持ちたく無くとも 胸の中に隠し持っているのですから…。





亮司さんの苦しみに凡人で有る私では 何のお役にたてません。





ただ、私の経験を話すだけしか出来ません。





この私の話は 嘘偽り無く 真実です。





あなたのお心が癒やされる時を 願うばかりです。







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大丈夫ですか? (櫻子)
2007-07-17 02:22:31


お早うございます。亮司さん



台風・地震と大変な事ばかり続いて、日本は どうなってしまうのでしょうか?





あれから 10日間 お身体お辛いのでしょうね。



ゆっくりと 休んで下さい。



亮司さんの ブログを また読ませていただける時を 楽しみに お待ちしています。



そして、あなたのお身体が 1日も早く 健康を取り戻します様 祈りっております。





では おやすみなさい。





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間違ってしまいました。 (櫻子)
2007-07-17 02:30:47


度々 失礼します。



あれから 1週間の間違いでした。



ごめんなさい。



では,





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>櫻子さん (桐原亮司)
2007-07-18 22:56:25
お久しぶりです。
いつもご心配頂きありがとうございます。

ブログの記事についてですが、僕の場合は櫻子さんのご親族にいらっしゃるような「本格的」なものではなくて、単純なものです。超能力でも霊能力でもありません。
よく、女性は旦那の浮気に気づくのが早い、というじゃないですか?僕のたびたび起こる経験もそんな感じです。若干の限定条件がつくだけで・・。

このあたりの話は(占いも含めて)本当は真剣に健全な形で論議したいのですが、このブログを“そっち方面”に持っていくのが嫌なので、あまり書かないようにしたいと思っています。

次回は久しぶりに鬱の話を書きます。
気が向いたらご覧ください。
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ごめんなさい (櫻子)
2007-07-18 23:54:48


亮司さん、こんばんは



その通りですね。

亮司さんのブログの 主旨から少しづつ方向が違ってきてしまいますものね。



亮司さんのブログを 楽しみにしている者として 気遣いがたらず、お詫び致します。





次回を 楽しみにしております。





最後になってしまいましたが、体調はいかがですか?

少しでも 復調しておられる事を願っています。



では







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