the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

涙の訳は

2007-07-21 01:43:57 | 鬱病日記
7月20日



今日は最初から調子が悪かったのだ。

それでも昼過ぎに起き上がり、ベットから這い出てキッチンに向かった。
ダイニングテーブルの上に何も用意されていないことを確認してから、冷蔵庫をあけ、赤いトマトを1つ手に取る。
ついでに牛乳パックも片手に持って、後ろでに冷蔵庫の扉を閉めると、先ほどとりだしたトマトを流水で簡単に洗い、そのままパクリ。
カップ1杯の牛乳を口にして、僕の朝食兼昼食は終了。

部屋に戻り、朝・昼分の薬をミネラルウォーターで一気に喉に流し込む。
あまりの量の多さに、喉が詰りそうになる。
あぁ、また食前薬を飲むのを忘れていたよ・・・。
これも二袋を一気に・・といきたいところだが、粉薬の漢方で量も多く、味も苦いのでこれは二回に分けて慎重に飲む。

僕は粉薬が苦手だ。

食事も面倒な時があり、サプリメントは手放せない。
カプセル一つで一日に必要な充分な量の栄養素を摂取できるようになる未来を想像したが、時代はまだ僕の想像に追いついてきてはいないようだ。

シャワーを浴び、身支度を整え、いつものリュックを肩から背負って街に行く。

いつものカフェで、いつものカフェラテを飲み、いつものように新聞を読む。


でも、どこかがおかしい。
体の奥、胸のあたり、いや、もっと奥のほう。

なんだか、寂しい。

あぁ・・これは危険な兆候だ。
“孤独発作”の前触れかもしれない。

僕はそのカフェでそれから3時間、道を行き交う人を眺めて過ごした。
通り過ぎる人の数だけ、僕の心の中は空っぽになっていく。

いつしか“寂しさ”は“孤独”に変わり、置き去りにされた僕は、冷え切ったカフェラテを飲み干して、その店をでた。

携帯はいつも握り締めている。
これが僕が世間と繋がっているための唯一の道具だから。
でも、滅多に鳴ることはない。
“電話の形をした時計”。

繁華街を徘徊し、あちこちの店を覗いてみるが、そのたびに僕の心は落し物をしていくようだ。
動くたびに心のなかが空っぽになっていく。

その空っぽになった心を捕まえて、頭の中のヤツが言う。
「お前の好きな、孤独な時間の始まりだ。せいぜい楽しむがいいさ。クククッ。」

落ち着かない。
座っていても、立っていても落ち着かない。
不安で、不安で仕方がないのだ。
誰かと繋がっていたい。
でも、僕の手の先に触れるものは何もない。

孤独が心を支配する。

駅のベンチで1時間、何もせずに座ってみた。

こんなに多くの人が行き交っているのに、僕に気づく人は一人もいない。


もう夜だ。


電車に乗ろう。

心の中に黒い雲が立ち込める。
その黒い雲の下で、小さな僕は、不安定な足場を行き来する。

何か繋がるものを求めて。
誰か手をつないでくれる人を探して。

居候中の母の家に着いたときには、ダムの一部が崩壊していた。
部屋に入るのと同時に眼から“水”が一滴流れ落ちた。

そこからはもう、とまらない。

眼からとめどなく流れ落ちてくるものは涙か?
もしかすると他の何かなのかもしれない。

知っているかい?
ヒトの体から流れ出た血は、ぬるっとしていて温かい。

自分の両手を真っ赤に染めて、膝をついて天を仰げば、誰かが気づいてくれるだろうか。

誰か、僕のこの赤く染まった手を握り返してくれないか。

いいや、だめだね、流れ出る血は滑りやすいから。

握られた手は、するりと抜けて、指先から離れていった。
自分の血で顔を染めたら、誰か気づいてくれますか。


僕は、嵐の中で泣いています。あたりを赤く染めながら。
滴る雫をペロリと舐めたら、錆びた鉄の味がした。


どなたか、涙を止める薬を分けてはもらえませんか?
孤独を埋める、泥人形はどこで手に入りますか?


ダリが描いた絵画のように、僕の胸には大きな穴が開きました。


そこに大きな風が吹く。
ヒュルリ、ヒュルリと泣きながら。

またしばらく、寒さに震えることになりそうだ。



それまでに、流れ出る血を止める何かを探さなければ。


それは、どこにありますか?
どんな形をしていますか?
どんな味がしますか?
どんな匂いを漂わせているのですか?



どなたかご存知ありませんか?



あぁ・・僕の“時計”も赤く染まってしまいました。
ボタンを押すたびに血が滲みます。



これじゃもう、どこにも繋がることはない。




僕は精神障害者。

2007-07-19 01:47:56 | 鬱病日記
7月18日



地上に通じる地下鉄の階段を上ると、果物のいい香りが流れてくる。一種類の何かではなく、たくさんの新鮮な果物の香り。


この階段を上りきると、すぐ右手に果実店があるはずだ。
正面の道路を挟んで右手にはドーナツショップ、左手には銀行、そして少し奥にはファーストフードの店がある・・。


その階段を上りきると、記憶にあるとおりの町並みが目の前に再現されていた。



懐かしい街。


10年前、僕はこの街に住み、この街にある精神科専門病院の閉鎖病棟で白衣を着て働いていた。
この地下鉄の入り口に広がる商店街は、離院(閉鎖病棟の入院患者さんが病棟から“逃げ出す”こと。患者さんなので“脱走”とは言わない。)した患者さんを探して、白衣のまま走り回った思い出のルートだ。

歩道が狭いのも、放置自転車が多いのも昔のまま。
変わったのはしゃれた料理店がいくつかできたくらい。

果実店を右手に見て道なりに進むと程なくして大きな交差点にぶつかる。
ここを左に曲がれば、あの病院につながる道。

でも、今日は曲がらない。
交差点をまっすぐわたり、2~3分歩いたところにあるオフィスビルに入る。
1Fのホールを抜け、エレベーターに乗る。
僕の手に握られたパンフレットには、このビルの5Fに目指す施設はあることになっていた。

エレベーターの扉が開き、すぐ右手にその施設はあった。


「障害者職業センター」


主に精神障害者の方を対象に、社会復帰へのお手伝いをする公的施設だそうである。
独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構なる団体の下部組織にあたるらしい。


1ヶ月前、2週間に一度通っているメンタルクリニックの主治医にあるパンフレットを見せられた。

「鬱病などで会社を休職された方を対象に、ゆっくり確実に復職までもっていくための専門の支援をしている機関です。利用されてみる気はありませんか?」

手渡されたパンフレットには、「復職支援(リワーク支援)」の文字と、なにやら数人の人物が作業や、ミーティングを行っている写真が掲載されていた。

はじめにこの話を聞かされたときは、「精神障害者向け施設」という看板に、かなりの違和感と若干の不快感を覚えた。
ただ、鬱病患者の休職からの復職プロセスを支援する団体は公・民問わず存在することは知っていたので、その制度自体に特に違和感を感じることはなかった。

僕はもう休職期間を終え退職してしまっているので今は無職だが、主治医が熱心に薦めることもあり、また「利用者の評判も悪くない。(主治医談)」そうなので主治医の顔を立てる意味でも一度この施設を訪れることにしたのだ。

施設へはその日のうちに電話で連絡をいれ、現在鬱病で通院中であることと、主治医からその施設を紹介されたことを伝えた。
電話にでた職員の説明によると、この施設の支援を受けるには一度「ガイダンス」を受ける必要があると言う。
また、リワーク支援を希望しているが、現在は既に退職済みであることを伝えると、「う~ん・・・退職済みの方ですかぁ・・・。」と難渋気味。
なんだか怪しい展開だが、とりあえず「ガイダンス」を受けてみてくれ、という職員の指示に従って一番直近に開催されるガイダンスに予約をいれた。

「ガイダンス」当日、会場に来ていた“障害者”の方は僕を入れて4名。僕以外すべての方が付き添いつきで、外見や付き添いの方とのやりとりから、おそらく統合失調症かあるいはそのほかの精神障害をもたれた方だと推測がついた。
僕は障害者の方を差別しているつもりは全くないのだが、正直なところ、彼らと同じ席につき、これから受けるかもしれない支援サービスについて、同じ説明を受けることに少なからず戸惑いを受けた。

やがて時間となり、無表情で小柄な女性が部屋に入ってきた。
やや小さな声で、これまで何十回と繰り返してきたと思われる決まりきった挨拶と、これから始まるガイダンスの進行方法及び概要について抑揚無く説明をした。

その後、誰からも質問が無いことを確認して、事前にそれぞれの机の前に用意されたカラー刷りのパンフレット数枚が手元に行き渡っているかを確認し、これまた抑揚も表情もない小さな声で説明をはじめた。

僕にはそれがまるで出来損ないの詩の朗読か、前衛演劇の一場面を見せられているような気がして、他の“聴衆達”を含めたこの空間が、現実世界のものではないかのように感じられ、自分が存在しているこの小さな空間に強烈な違和感を覚えた。

一通りの説明が終わったあと、次は個別の面談にうつると説明があった。
会場を出て、それぞれがパーテーションで仕切られた企業の商談スペースのような小さな空間に入るよう促されていく。

その小さな空間には四人がけのテーブルとイスが備えられており、僕の入った個室には既に女性の面接官が座っていた。
テーブルを挟んだ向かいのイスに座るよう促された僕は、素直に指示に従う。

「桐原さんですね?今回の面接を担当させていただく○○です。よろしくお願いします。」

明らかに僕よりも遥かに年下であるように見えるこの女性は、感情のこもった人間味のある常識的な挨拶をした。

どうやらこの人は出来損ないの詩を読んだり、前衛演劇を演じたりする人ではないようだ。

その女性は、見かけの若さをはるかに凌駕する仕事っぷりを見せた。
僕の現在の病状と通院状況、服薬している薬の種類と量やこれまでの病歴、鬱病を発症した経緯やその当時の職場環境や生活環境、及び現在の生活環境や普段の生活の様子まで、およそ必要と思われる内容について一つ一つ端的に、要領よく、適切な質問をした。僕が何かを語ると必ず相槌をうち、僕の説明が不十分であると補足的な答えを促す質問をした。

そんなやりとりが20分ほど経過しただろうか。

結論から言うと、僕は主治医から薦められた「リワーク支援」という援助を受けることはできないのだという。リワーク支援はあくまでも休職者向けのカリキュラムだから、というのがその理由だった。
その代わりに僕の現在の病状や医師の意見書をもとに考えられるサービスとして、「職業支援サービス」なるものがあると言う。
先ほどの能面の女性が朗読していたものと同じパンフレットに記されたそれは、精神障害者と思われる複数の男性がなにかの軽作業をしている写真が掲載されている。どうやらカリキュラムの一部を紹介したものらしい。その他の作業として説明された写真には、「バラバラにされたボールペンの部品の中から適切な部品を適切な数だけとりだして、1本の完成されたボールペンを組み立てる」作業を延々と繰り返すものがあるという。

ここまできて、僕は来るところを間違えたのではないかと言う最初に感じた疑問が確信へと変わった。

「ボールペンの組み立て作業」を例にあげ、どうも今の自分の病状や性質にあっているとは思えない、という感想を率直に正面に座っている担当者に訴えた。

しかしこの作業は、最初に主治医の指示で僕が受けることを希望していた「リワーク支援」でも行われるカリキュラムの1つなのだという。
また、目的は“できるだけ多くのボールペンを短時間に作成できるかを競う”などというものではなく、“どの程度の作業でどの程度自分に疲労がでてくるか”を客観的に確認するために行うのだとの説明も付け加えられた。

全くもって意味不明である。

ボールペンを完成させることに何の意味があるのかわからないし、だいたい普通の日常生活を送る健康な社会人だって、何時間もそんな作業を繰り返していれば誰だって疲れるに決まっている。

そして今の僕に適しているとして紹介された援助サービスの説明の最後にはカッコ書きでこう書かれていた。



(対象:精神障害者)



その日の面談はそこまでで終了し、この施設での援助を受けるかどうかは改めて主治医と相談してから回答する、と伝え施設を後にした。


その数日後、メンタルクリニックの予約診療の際、紹介された施設に行ってきたこと、リワーク支援は受けられないらしいということ、そのほかのサービスとして「職業支援サービス」なるものを紹介されたことを伝えた。

僕は主治医に率直な感想を伝えた。
他の精神障害者の方と一緒にボールペンを組み立てることが、今の僕に役立つとは到底思えない。
また、そのほかのメニュートして紹介されたSST(ソーシャル・スキル・トレーニング=生活技能訓練)やグループミーティングに関しても、かつての精神科病院勤務時代に“参加者”とは別の立場で関わっており、その“質”や“期待される効果”などについては、あまり良い印象をもっていないことも付け加えた。
SSTとは日常の生活能力が欠けた方に対して行う一種のリハビリのようなもので、精神科病院などでよく行われる。精神科ではお馴染みだが、著名な精神科医の中には「SSTほどくだらないものはない。全くの無駄。」と言ってはばからない人もいる。まぁ、この医者の発言は極端なものの一つだが。

僕の話を一通り聞いた主治医は、現在の多くの精神科で漫然と行われているSSTやグループミーティングなどについて問題があることは認めた上で、それでもその施設を利用する価値があると言う。

精神科病院でSSTなどが行われる場合、参加者は入院患者さんの比率に比例するように統合失調症(一昔前までは精神分裂病と言った。)などを患っている方が多い。僕は10年前の精神病院の現場しか知らないから、あまり勝手なことは言えないが、当時のそれは、はっきり言ってあまり意味のある行為には見えなかった。

やらせている側(医療従事者)も、やらされている側(患者さん)も、“やらされている”感たっぷりなのである。Dr.が指示するから仕方なくやっている。そんな感じなのだ。

僕の主治医はもっと辛らつに、精神科病院で行っているそれは、金儲けのためです。だからあんなふうに漫然とした雰囲気になるのです。と言い切った。

だがしかし、ここの施設の支援を受けることは、今の僕にとって悪くないというのだ。

理由は、まだ新しい施設であり、統合失調症などの比較的症状が重い患者さんなどの利用はまだ少ないと考えられること、また、僕の今の病状で優先的に解決されなければならないのが、昼夜逆転の生活を改め、生活リズムをもとに戻すことであること。そのためには、無理のない範囲で一定の場所に通って適切なケアや訓練を受けるのが有効であると考えられること、などをあげた。

まだ釈然としないままであったが、確かにこのまま2週間に一度通院していても生活リズムが元に戻るとも思えず、また、この1年、同居している母以外の人間とはまともに会話を交わしていないので、社会復帰のためにも集団の中でコミュニケーションをはかることは確かに良い影響を与えるかもしれない。

しかし、やはりあのパンフレットに載っていたボールペンを組み立てている精神障害者の方の写真と、十年前に経験した精神科病院でのSSTを行っている患者さん達の無気力さのイメージが先行してしまい、心のどこかでブレーキがかかる。

そんなこんなで結構悩んだが、支援プログラムの援助を受けるのは無料な上、自分に合わないと思ったらいつでもやめられる、ということだったので、ここは主治医の意見を信じてみることにした。

翌日改めてセンターに支援サービスを利用したい旨を電話で伝えた。
すると今度は、個別の支援プログラムを作成するために専門の相談員との面談と、いくつかの検査を受ける必要があるという。



やがて予約の日がおとずれ、冒頭で紹介した思い出の街を抜けた僕は今、個別面談を受けるために、その施設の前までやってきた。


窓口に立ったが誰も僕に気づいた様子はない。
しかたないので声をかけてみる。

「あの・・・すみません。」

何人かの職員が顔をあげ、一番近くにいた男性職員が近づいてきた。

「14:00から面談のお約束をしていた桐原です。」

男性職員は丁寧な応対で僕を、あのガイダンスで使われたパーテーションでしきられた小部屋で待つよう案内した。
程なく別の男性が現れ、僕を「面談室」なる部屋に入るよう促した。

ちょっとした会議室のような程よいスペースのその部屋で、大きなテーブルをはさみ改めてお互いに挨拶を交わした。

渡された名刺には、「障害者職業カウンセラー」の肩書きがあった。

僕はそこで約二時間の間面談を受けた。
正面に座った「障害者職業カウンセラー」からの質問は、前回の面談資料と主治医に書いてもらった「意見書」に基づき、現在の生活や病状の再確認と、今後の支援の方向性を話し合うものだった。彼は、熱心にメモをとりながら僕の話を注意深く聞いた。
いわゆる“カウンセリング”とは違い、彼と僕の話す割合は五分五分といったところだ。

今後、支援を受けていくにあたって質問は無いかと問われたので、僕は前回の診療の際に主治医に問うた事と同じ内容の質問をしてみた。

ボールペンの組み立てについての話はなかったが、このセンターの利用者は意外なことに鬱病の患者さんが大半であるという。
僕が予想していた統合失調症などの患者さんは、かかりつけの精神病院でSSTなどの訓練をうけるので、外部機関であるこの施設にくることはないのだそうだ。

その後、社会復帰したときの希望月収や希望職種などを聞かれ面談は終了した。

今日はこれで終わりかと思ったのだが、

「お時間のほうが大丈夫でしたら、このままいくつかの検査を受けていただきたいのですが、大丈夫ですか?」

とのこと。
だいたい友人のいない僕に約束などあるわけもなく、僕はそのまま2つの検査を受けた。それは心理検査のようなもので、1つは鬱病の病状の程度に関するもの、もう1つは性格判断に使われるようなものだった。

それぞれの検査は数分で終わり、その結果を1つ1つ確認しながら、深く掘り下げた質問がなされた。

そして丸2時間たって、ようやく初日に予定は終了し、また次回の面談の予約を入れ、僕は「精神障害者」という身分から解放された。

次回の面談でもまだいくつかの検査が行われるという。


はじめに感じていた不安は、今回の面談で随分解消された。
ただ、実際のプログラムが始まっていないのでなんともいえないが、一つだけ確実なことは、僕はいつのまにか「鬱病患者」から「精神障害者」に、呼称が変わったようである。


精神障害者というと、多くの方は知的障害があり、言語や動作が不自然な方を想像されるかもしれない。
僕も正直なところ、精神障害者として扱われるのは、あまり気持ちのいいものではない。

しかし、調べてみると、「精神障害者」に対する法的な定義は複数あるようで、いわゆる日常生活に支障をきたす程度の深刻さを持った方を精神障害者と定義する法律もあれば、精神科領域の疾病(鬱病などの感情障害を含む)で在宅で療養中の方までも含めて精神障害者として定義する法律もあるようだ。


最初は抵抗があり、憤ってみたり、精神障害者と呼ばれることの憤りを感じるということは、彼らに対して無意識のうちに差別意識をもっていたということだろうか、などと内省してみたりもしたが、なんだかもう、どうでもよくなってきてしまった。
僕は確実に精神障害者として扱われる流れの上に載ってしまっている。


しかし、誰になんと呼ばれようとも、僕は桐原亮司。


狂った一族の嫡子であり、また、その一族の血を断つ使命を持った者。

傷ついた魂を抱え、ボロを着て、杖を突き、ランプを片手に闇の大地を彷徨う者。

ココロに空いた“穴ぼこ”を埋める“何か”を探して永遠に彷徨い歩く者。

過去の記憶に生きる者。



そう、僕の名前は桐原亮司。


精神障害者、桐原亮司。

狂気の者、桐原亮司。

孤独を憂い、孤独を求める者。




そう、何も変わらない。

何もかわらないのだ。



僕は、精神障害者、桐原亮司です。

鬱病の話ではありません。

2007-07-12 02:07:35 | Weblog

・まずはじめに、この記事は鬱病に関するものではありません。

・僕は昨今のスピリチュアルブームなるものに対して好意的な印象を持ち合わせてはおらず、それらについて肯定的な立場に立つ者ではありません。

・同じく、それらを商売道具としてメディアに登場し、人身を惑わす人々に対しても良い印象はもっておりません。

・また、スピリチュアルとは別に、大柄で失礼な物言いが売りの某女性占い師に対しても同じ気持ちであります。

・また、このブログでは、特定の宗教、宗派への入信や帰依を薦めることは一切ありません。

・いわゆるオカルトものに分類される、UFO、宇宙人、幽霊、超能力、占いなどについてはそれぞれ肯定的・否定的意見を持っていますが、それらを全てを盲目的に信じているわけではありません。

以上のことをご理解のうえ、下の文章をお読みください。


<お願い>
これから妙なことを語る。できれば前半部分の突飛さに振り回されずに、最後まで文章を読んでいただきたい。僕が言いたいことがご理解いただけると思う。



僕にはある“特技”がある。
本来であれば、それは“特技”ではなく“能力”と言ったほうが正確かもしれない。



「僕は、相手が隠している事情や事柄を、言い当てることができる。」



突飛なことを書いたが、別に狂ったわけではない。
世間ではこういう能力を「霊視」とか「透視」とか言うのかもしれないが、そんな能力ではないと思っている。

この能力が発揮されるためには、限定条件が沢山つくのだ。

まず、相手は僕と特定の関係になった人でなければならない。

特定の関係とは、僕のココロの厚い壁を乗り越えて、僕の内側まで入ってきた人のことである。
普段からこのブログでも孤独であることを自慢げに書いている僕なので、このような親密な、濃密な関係になる相手は滅多にいない。30年生きてきて、過去に5~6人である。しかも全員、僕が社会に出てから知り合った人たちだ。
訳あって、彼らはもう僕のそばにはいないし、もう二度と会うことはないと思うが、特定の一時期、唯一、文字通り濃密な関係を持った人たちである。

第二に、自分の意思によって制御できる“能力”ではない。

特定の関係になった相手であっても、自分から望んでその人の隠れた部分を覗こう(オカルト的に言うなら霊視)としても、できるというものではない。
普段の何気ない日常生活の中で、それはぼんやりとしたイメージで胸の奥に湧き上がってくる。最初から相手への質問という形をとっていることが多い。それに、きまってその対象となる相手と一緒に過ごしているときに、そのイメージは浮かんでくる。

いくつか例をあげてみる。

・Aの場合
ショッピングモールを二人で並んで歩いているとき、ふとAに対する一つの質問というか疑惑のようなものが思い浮かんできた。軽い気持ちで口に出すとAの顔色が変わった。絶句しているようだった。しばらくしてAはその事実を僕に隠していた事を認め、謝罪した。僕は滅茶苦茶に傷つき、再起不能になった。

・Bの場合
Bが、当時一人暮らしをしていた僕の家に遊びに来ていたとき、おふざけで占いをすることになった。(※今まで黙っていたが、僕はアマチュアで占い師をしていたことがある。もう何年も手をつけていないが、専門はタロットと西洋占星術。高校の頃から校内で有名で、お客様が絶えなかった。どうやら当たるらしいという噂とタロットカードを操る金髪の男子高校生というシチュエーションが女子に受けたようで、その噂は隣の高校にも知れ渡り、駅で他校の生徒から占いを依頼されることもあった。社会人になってからは、あるいきさつで某闇金融の占い顧問をやっていたことがある。プロにもスカウトされたことがあったのだが、この話は別の機会に。)そこで、たまたま僕の部屋においてあったカードを使って二人の関係を占ってみた。
僕と彼との関係を占っているはずなのに、そこには人物を表すカードが3枚出ている。その中の一人の人物について僕は、“優しい顔をしているが、自分のことしか考えていない嘘つき”とリーディングした。
「二人の関係なのに3人目の人物がでてくるなんて、やっぱりしばらくやってないと当たらないものだね(笑)」
と笑う僕が見上げた彼の顔は青ざめていた。その日はうちに泊まっていく予定だったのだが、直後に急用を思い出したとかで、カードを片付ける間もなく、そそくさと帰って行ってしまった。
あとで判明した事実だが、“優しい顔をしているが、自分のことしか考えていない嘘つき”とはBのことだった。新たにあらわれたCなる人物もそのときのカードの中にでていたのだが、そのCを僕はBと読み違えていた。その後、この三人の人間関係はもつれ(というか最初からあってはならない関係だったのだが)、僕は雪降る冬の夜に車でCに拉致され、雪山で一晩を過ごすことになった。その後もドロドロのやりとりが数ヶ月続くのだが詳細ははぶく。この事件により、僕はまたもや魂に深い傷を負うことになった。

・Dの場合
これが一番直近のケースである。
Dとメールのやりとりをしていて、またふとした質問というか疑惑が胸に浮かんできた。それをそのままDに伝えると、「何言ってるの~!ありえないから。」との返答。しかし五分とたたずに電話がかかってきて、「亮司さんには黙っていようと思ったんだけど、実は僕・・・・」と語りだした事実は僕が問いかけた“予感”そのものだった。僕は強い衝撃を受け、絶句し、苦悶し、深く悲しんだ。そしてまた傷をおった。


回りくどい書き方をしているので、うまく伝わらないかもしれない。
だが、3人のケースの共通点はどれをとっても、“同じ疑惑”が浮かびあがってくるということである。

そして、世に言う霊能力者や超能力者と違う点は、
・自分の意思で感じ取ろうとしてもできないこと。
・胸に湧いてきた疑問を口にだして相手に問うているときも、自分自身が冗談だと思っていっている=その疑問(疑惑)を事実だと認識していないこと。
・冒頭でも記したが、この“能力”は僕の心の中の厚い壁を乗り越えて、濃密な関係を築いた人に対してしか現れないこと。
・湧いてくる疑問(疑惑)は、相手に関係なく同一の疑問(疑惑)であること。
の4点である。


限られた特定の相手に、自分の意図しないタイミングで、必ず特定の事象について、相手が隠していることがわかってしまう、という“能力”。

もし仮に、これを霊視、若しくは透視と呼ぶなら(本人はそのような力ではないと認識しているが)随分と中途半端で厄介な能力である。

対象になる人や明らかにされる事柄が限られているうえ、その疑惑を相手に投げつけているその瞬間も、自分自身は冗談を言っているとしか考えていない。後になってそれが事実だと判明し、恐ろしいほど深刻な傷を負う。

まったく不便で、不幸である。



その疑惑は、相手と僕の関係との間に決定的な亀裂を生じさせるものであり、僕の心はズタズタになる。
これも毎回のパターン。
精神的に疲れて、疲れて、ボロボロになって、それでも信じて裏切られ、気づくと一人ぼっちで震えている。

そんなとき、頭の中で声がする。

「ほ~ら、独りになった。お前の望んでいたとおりだろう?お前は孤独を恐れているふりをしているが、本当は独りでいることを望んでいるのさ。自分の理解者なんていないって思っているんだろう?そうなったじゃないか。良かったなぁ。クククっ」

そしてまた、魂が傷を負う。


だから僕は独りなのだ。

僕は相手との適切な距離をうまく保つことができない。

信頼して心を開く相手が現れることは稀有だが、一度心を開いてしまうと、相手と自分との境界がなくなってしまう。

相手に嫌われること、置き去りにされることが怖い。

できるだけ、近くにいようとする。

順風満帆だ。


でも。


そんなとき、ふとした疑惑が胸をよぎる。

毎回のことなのに僕は気づくことなく、軽い気持ちでその疑惑を口にしてしまう。


そして僕は、裏切られたことを知る。



この一連のパターンは、本当に精神的に“くる”。ダメージがでかい。考えるに、僕はそういった人たち、つまり僕がやっと心を開いて信用した人たちとの関係に「依存」してしまうのではないだろうか。自分の存在、自分が自分であることを認識するのに寄って立つところを、自分の中にではなく、他人=特定の相手との関係の仲に求めてしまう。だからその関係が崩れてしまったときには、彼らとの関係だけではなく、僕自身の心のありかを見失ってしまう。そして自己崩壊を起こす。


だから、最後の自己崩壊を起こしてからおよそ4年、僕は人と極端に親しくなることを慎重に避けていた。その人との関係に依存してしまわないように。

ところがそれがどういうわけか、長年の孤独に耐えかねたように転んでしまった。
それがここ最近のこのブログの沈黙の理由である。


僕はこれが“能力”と呼べるようなものだとしたら例えばこういうものなのかもしれない、と思う。

僕が昔、精神科の閉鎖病棟で白衣を着て働いていた時代があることは、このブログで何度も紹介してきたところであるが、婦長(看護師長)や熟練の看護師さんはある種の直感のようなものを持っていて驚かされることがある。

前日、病棟内で患者さん同士のトラブルがあったり、患者さんの生命に直接影響するような事態が発生したとする。

その日が非番で翌日出勤してきた看護師長は、申し送りが始まるまえに、「昨日、何があったの?」と問いただしてくる。

なぜこちらから報告する前に、前日にトラブルが発生していたことがわかったのか。
後に直接本人から聞いたが、そういう日は、「いつもの病棟じゃない」と直感的に感じるのだそうだ。閉鎖された病棟で長期にわたる(中には10年を超えて入院している方もいる)生活を強いられている人々は、漫然とした変化の乏しい日常を送る。そうした患者さんたちは、トラブルがあったあとも平然といつもどおり過ごしているように見えるのだが、看護師長に言わせると、「何かが違う。うまくは言えないが何かが確実に違う。」のだそうだ。同様に、トラブルの発生を事前に知っている看護スタッフたちも本人ですら気づかない程度の緊張感を発しており、ナースステーション全体の雰囲気がおかしい、のだそうである。長年の経験からこうした日は何かがあったあとだ、というのがわかるらしい。

僕は先輩から、「看護の基本は観察から」と教わった。
特に精神科の患者さんの場合、他の身体科の患者さんのように、自分自身の体の不調を自分で訴えることが難しい患者さんも多い。(その逆にうるさいくらいナースコールを鳴らす患者さんもいるが。)看護者が毎日注意深く患者さんの行動や様子を観察していなければ、大事故や重大な病気、場合によっては命に関わる危険につながる可能性が高いのだ、と教わった。
おそらく、前述の看護師長も普段から卓越した観察眼を持って病棟全体や患者さん、スタッフを観察しているうちに、五感の一つ一つでははっきりとは捉えきれない僅かな“異常”を、総合的に感じ取ってあのような“予知”ともとれる発言としてあらわれたのではないだろうか。もし人間に第六感というようなものがあるのだとしたら、こういった種類のものではないかと、僕は思う。

それと近い感覚なら、僕も病棟内で一度経験したことがある。
病室の環境整備だったか、動けない患者さんの洗顔介助だったか忘れたが、6人部屋の病室で先輩の女性看護師と二人で仕事をしている途中、その病室のOさんの動きが気になった。

「Oさん、どうかしましたか?」

返事は無く病室を出たり入ったりを繰り返している。
そのような行動は、精神科病棟では日常的に見られる“普通な光景”なので、改めてなんらかの処置をとるようなものではないのだが、そのときはOさんのいつもの見慣れた行動が、何かしら不自然に思えた。
一緒に仕事をしていた女性看護師さんに、「Oさん、何かおかしくありませんか?」と同意を求めたが、彼女はきょとんとした顔をして、「そう?私にはいつものOさんにしか見えないけど。」と答えたので、僕も気のせいかと思い作業(看護だったかもしれない)に戻った。

しかしその数分後、Oさんは洗面所で水道の水を大量に飲んだ後、廊下で倒れているところを発見され、看護主任ら他のスタッフに抱えられて、保護室に隔離されてしまった。

「水中毒」である。Oさんは以前から水中毒の既往歴があった。
水中毒というのは、毒のある水を飲んで中毒を起こす、ということではない。
水の大量摂取により体内の様々な場所に異常をきたし、処置を間違うと死に至る恐ろしい病(症状?)である。
特に精神科の閉鎖病棟にいる患者さんは水中毒になる可能性が高い環境で暮らしている。専門病棟を除く多くの病棟では、統合失調症による入院患者さんの比率が一番多いと思うが、精神科で用いられる薬は、その副作用として口渇感を与えるものが多い。鬱病の治療で用いられる薬、特に一世代前の三環系と呼ばれる薬などの副作用としても有名である。閉ざされた環境で、大量の精神科領域の薬を長期間にわたって服用することが誘因となって、水中毒を引き起こすのである。もちろん、全ての患者さんにあてはまるものではない。

この時感じたOさんの異変。どこがおかしい?と聞かれると答えに困るが、何かいつもと違う印象。これが看護師長の言う感覚に近いものなのかもしれない。



話はだいぶそれたが、たまに現れては僕の魂をズタズタにして去っていく、自分の意思では制御できない、“能力”。
おそらくこれも、濃密な関係を気づいた二人の間に流れる微妙な雰囲気の違いを感じ取った心の中の僕が、自然と口に出して問いかけてくるものなのかもしれない。

間違っても、僕にはオーラは見えないし、死後の世界のことはわからない。
死んだ人と話す力も無ければ、悪霊を退散させるようなスーパーテクニックは持ち合わせていない。

(占い(タロットと西洋占星術)はちょっと別なのです。僕の中で。)

自分自身の出来事で、誰が死んだわけでもなく、僕自身の魂(※先ほどからこう表現しているが、世間で言う「霊魂」のようなものではなく、心の本質部分というか、人間としての存在の本質のようなもの、という概念で使っております。)がズタズタに傷つくだけでもこんなにつらいのに、テレビにでてくる霊能者の方々やスピリチュアリストなる人は、よくもまぁ、死んだ人と話して恨みつらみを聞きながら、あんなへらへらした顔をしてやっていられるもんだ、と感心する。
それが“修行”の成果なのだろうか。

僕にはそんな能力、耐えられない。



やはり、あの「頭の中のささやき声」のように、僕は僕自身が孤独でいることを憂いながら、その反面、それを望んでいるのかもしれない。


やっかいだ。


ハロー、バイバイ

2007-07-05 23:23:41 | 鬱病日記
7月5日



こういう傷の負い方は、もうだいぶ前に忘れてしまっていたけれど、数年ぶりに突然降って湧いて出た。

こちらはただでさえ手負いなのに、その上ナイフで突き刺すような仕打ちなんてむごいよ。

だから嫌なんだ。

だから避けてきた。

これからもずっと、そのつもりだった。

なのに。

ほら、僕の身体はナイフの傷でボロボロじゃないか。

滴り落ちてくる血を、ぬぐいきれないよ。



だから、嫌だったんだ。

こうなることがわかっていたから。


出口なんて、みつからないよ。


ほらまた、魂が傷ついた。