the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

パソコン売りました

2008-04-01 22:07:52 | 社会復帰編
4月1日



エイプリルフールですが、嘘ではありません。

お金がない上、請求書やら督促状やらが山のようにたまってしまったので仕方なく金目のものを売りました。

パソコンと本を20冊くらい。


これで携帯がとまらずにすみます。

ちなみにこの記事は携帯から書いてます。
書きにくいです。

さらに言うと明日から仕事です。
以前うけた派遣のクライアント面接がとおりました。

今回は五人うけて受かったのは僕をいれて二人だけだそうです。

今月中は土日休みで、勤務といいながら実際は研修なので少し気が楽です。

しかし、過去に研修中に落とされていく人が結構いたようなのでどんな研修なのかちょっと心配です。



それにしても携帯からblogを書くのは疲れます。


いつまで続くかな…。

母の薬。

2008-03-31 22:57:29 | 社会復帰編
3月31日


先日の記事からおよそ2週間、母は仕事に行かなかった。
いつものようにリビングに布団を敷いて、家事も放棄し、一日中布団の中に引きこもっていた。

二日めの朝、僕がリビングに入ると、母は布団の上に座り込んで泣いていた。
声を立てずに、さめざめと泣いていた。
その様子は、この世の全ての不幸を一身に引き受けたかのようであり、見る者の心に不安をかきたてるものだった。

三日めの午後、僕が母のいるリビングに入ったとき、彼女は布団の中で沈み込んでいた。
リビングのテーブルの上には薬局から処方されたと思われる薬袋が置かれており、既に何錠か服薬した痕跡がみられた。

薬袋の隣に無造作に広げられた薬の説明書には、「デパス」(精神安定剤みたいなもの。)の文字があった。


僕はたったまま久しぶりに母に声をかけた。


「・・・病院、行ったの?」


母が言うには、最初にメンタルクリニックに行ったものの、新患は予約が必要だということで門前払いをくらい、仕方が無いので近くの神経内科に行ったのだそうだ。

神経内科の医師は母に「心が落ち着き眠くなる点滴」をし、デパスを処方した。
そして近いうちに専門のメンタルクリニックで診察を受けるよう助言したらしい。


デパスを服用するようになってからも、母はリビングに敷かれた布団の中にこもったままだった。

夜になると毎晩のようにどこかに電話をかけては、声高にいかに今の自分の状態が苦しいものであるのかを早口でまくしたてていた。

相変わらず夜は眠れていないようだ。

そして母は、この「出社拒否」の期間中に福祉職専門の職業斡旋機関に出向き、転職のための履歴書を提出したようだった。







それから数日が経過して、今朝、母は職場に復帰した。
復帰したという表現が正しいのかどうかはわからないが、ひとまず出勤するところまで復活したようである。

だが、今の職場で働くことに対するモチベーションはほとんどないようだ。


明日の仕事はどうする気だろう・・。



親子で共倒れする日も、そう遠くないのかもしれない。




この“子”にして、この“親”あり。

2008-03-20 02:29:21 | 社会復帰編
3月19日



枕元の携帯電話が鳴った。

まどろんだ意識のなかでディスプレイを確認する。
一般固定電話の番号からだ。
しかしその番号に覚えは無い。


無視。。。


僕の眠りを妨げるものは、例え恋人であろうとも、僕の逆鱗にふれる。
(怒っても怖くないですけどね、僕。)


そして僕は再び眠りの淵へ落ちていく。



どれくらい時間がたっただろう。
隣の部屋で物音がする。
僕の部屋(という名の物置)はリビングに繋がっている。

母と二人暮らしの僕。
今日は平日で母は朝から仕事にでている。・・・はず。


じゃぁ、誰だ??


呑気にベットから起き出してリビングに入ると、そこには憤懣やるかたない顔をした母がコートを脱いでいた。


「・・・仕事は?」

「帰ってきた。母さん、仕事辞めるから。いいでしょ?」


きた。
ついにこの日がきた。


日頃から職場の上司から冷遇~というか嫌がらせ~を受けている母。
中間管理職でありながら、歯に衣着せぬ物言いで意見を主張するので敵も多い。

去年辺りから散々もめてきたが、ここにきてついに堪忍袋の尾が切れたようだ。


僕は何も言わずに自室に戻りベットにもぐりこむ。
数分と立たぬうちに母の興奮した声がもれ聞こえてきた。
どうやら、どこぞやに電話をして今日の出来事の一部始終を、つまり職場での不当な扱いに対する不満を誰かにぶちまけているようだ。

いやだいやだ。。。

この記事をお読みくださっている方の中には、愚痴の一つくらい聞いてやればいいのに、と思われる方もいるかと思うが、母の愚痴は半端じゃない。
たぶん、一般人なら数時間きかされただけで、この人とは一生関わりたくない、と思わせるだけの暗黒の力を秘めている。

現に、そのせいで妹は、つまり母の娘と母とは疎遠を通り越して絶縁関係にある。


(余談だが、先日、妹が結婚した事をしらされた。披露宴は東京で行い、親戚一同大集合だったらしい。しかも去年の12月の話だそうだ。無論、母も僕も招待されてはおらず、母にいたってはその事実すら知らない。その点については気の毒きわまりない。)

ベットの中に戻った僕は、布団を頭からかぶり、CDで中島みゆきのアルバムを流す。持論だが、中島みゆきは鬱に効く。マジで。

布団の上からも、中島みゆきの歌声を多いかぶるように隣室の母の声が漏れ伝わってくる。
しかも、時間がたつにつれ、口調も、声量もますます大きくなっていく。

いったい何人を相手に話しているのか。

電話相手に気の毒な気持ちを感じながらも、その役割は僕にはできないとかたくなに拒む。


ふとんの中に潜って音楽を流しても耳にはいってくる母の“ぼやき”は、職場でいかに自分が不当な扱いを受けているかの一点に論点が集約されているようだ。


どうやら今回は本気で仕事を辞めるつもりらしい。

別にいいけど。



母子で無職。



生きていけるのだろうか。







ふと気になって携帯を見ると、先ほどの着信の後に留守電マークがついている。
再生すると、先日派遣先との顔合わせを終わらせた派遣会社の担当者からの伝言が録音されていた。

先日の顔合わせ以来、かれこれ一週間が過ぎようとしていた。

留守電に残されたメッセージによると、採否の連絡は今週末か週明け月曜日になるとのこと。

当面の生活のことを考えると、いつまでも無職でいられるわけもないのでなんとか受かっていて欲しいが、長い眼で見ると、この歳で派遣で、しかもコールセンターのオペレーターとかやってる場合じゃない、という気もしてくる。

たまに書店で購入する「ハーバードビジネスレビュー」(HBR)という高額なビジネス論文集だけが、僕の最後のプライドだ。


まだ電話で話している母を尻目に、僕はシャワーを浴びて駅に向かった。
今日は2週間に一度の通院日だからだ。

時間外診療で予約もしていなかったので、2時間半待たされた。
そして主治医とはとりとめのない話をし、仕事がなかなか決まらなくて困っていますという話しをした。

そんな僕に主治医は、

「焦ってはいけません。最初からフルタイムで働こうとすると身体がついていかない恐れがあります。できれば一日4~6時間、週3日程度で始めるのが良いと思います。」

ウチの主治医はたまにこんな風にトンチンカンなことを言う。
そんな仕事、アルバイト以外にあるわけがないし、だいたいそんな勤務で得られる給与で生活していけるわけがないだろう!

休職をすすめるときもそうだったし、復職にあたってもひどく慎重だった。

鬱の療養の基本は充分な休養にあることは百も承知でいうが、医者は、少なくともウチの主治医は、いい年をした社会人が、会社や社会から一定期間離れるということの重大性が理解できていない。

ましてや療養開始からもう何年目?という感じで世間から遠ざかっている三十路男が社会に復帰するということの難しさをどう考えているのだろうか。


所詮、これが医者なのか、と半ばあきらめてみたりもする。
精神療法なんて名ばかりで、ただの雑談なんだから、医者は処方箋だけだしてくれればいいのに、と本気で思う。


今日の通院の収穫は、薬が大幅に削減されたことだ。
ここ数週間はもっぱら、精神系の薬しか飲んでこなかった。
大量の薬を飲むのが面倒くさい、ということもあったし、精神系以外の薬が、副作用を抑える、若しくは緩和するための薬であることは承知していたので、別に飲まなくてもいいや、という感じだったのだ。

現に飲まなくても、飲んでいたときと副作用の症状はかわらない。
相変わらず便秘がちだし、口は渇くし、手は震える。
それに経済的な問題もあった。
薬の量が多くて、カネがかかるのだ。

無職無収入の僕には4桁の買い物は高額商品である。


事情を話すと、主治医は以外にもあっさりと減薬に同意してくれた。
その上、はずすことのできない精神系の薬も可能な限りジェネリックに代えてくれた。

この辺りの対応は柔軟なのだ、ウチの主治医は。



「それでは、また二週間後、お薬が切れる前に状況を報告してください。」


その頃には働いていたいものである。


そして母は・・・どうしたものか・・。



この“子”にしてこの“親”あり。


僕の観察が間違っていなければ、彼女もきっと病んでいる。間違いなく。



恐怖の10割負担。

2008-03-07 00:43:26 | 社会復帰編
3月6日



枕元の携帯がなった。

メールだ。

時計は6:30AMを示している。
こんな時間に誰だ?と思いつつ携帯を開くと、そこにはかつての同僚Mさんの名があった。

Mさんは既婚で小学生のお嬢さんがいらっしゃる。
しかし、僕なんか足元にも及ばないほど強烈な両極性障害(躁うつ病)に罹っている。飲んでいる薬の量も、発病から今までの期間も僕の比ではない。

「朝早く眼が覚めたから会社にきてみたけど、さすがにこんな朝早くから重たい仕事にとりかかる気にはならないね。やっぱり会社は定時出勤に限る。とりあえずコーヒー飲むよ。」

Mさんはとてもいい人だ。
僕が鬱病が原因で初めて休職することになったとき、帰り際のエレベーターホールで、小さな付箋を渡してくれた。

「俺も、一緒だから。」

にこっと笑ったMさん。
付箋にはMさんの携帯電話番号とメールアドレスが書かれていた。
それ以来、鬱でどん底にあるときにも、Mさんが励ましてくれた。

「同じ病気だからわかるんだ。」

その言葉はとても心強かった。
僕はいわゆる“躁鬱”ではなく、ただの鬱である。
しかしMさんは、“躁鬱”。

落ち込みがひどいときには起き上がることもできないが、調子がいいときは今日のように夜明けより早く起きて、とんでもない時間に会社に出勤している。

Mさんの口癖は、

「俺はこんなだからさ、もうどうしようもないけど、娘にはね、人並みの幸せをつかんでもらいたいんだ。」

今も時給で働くMさんのデスクには、いつもお嬢さんの写真が立てかけてあった。

そんなMさん、今日は“躁”の状態らしい。


「いくらなんでも早起きすぎますよ(笑)」

とだけ返して、僕は再び眠りについた。


その後何度か眼が覚めたが、なかなか起き上がることができず、予定していた外出時刻を2時間もおしてしまった。
今日は区役所に健康保険証を作りに行かなければならない。
ついでに、自立支援医療の手続きも更新しなければ。

シャワーを浴びたり、なんだかんだとやっているうちに、区役所についたときには、もう16時になっていた。

平日の夕方だというのに、その窓口は意外にも込み合っている。

数十分待たされてやっと僕の番になった。


「あの・・会社を辞めまして・・国保への加入手続きをしたいのですが。」

会社から発行された社会保険の資格喪失証明書と、国保への加入申し込み書類をあわせて、窓口に座っているおっさんに提出する。

おっさんは早口に何かをまくしたてるように言い、ひとりごとのように何かをつぶやきながら、パソコンのキーボードを人差し指でリズミカルに叩いていく。

「ありゃ、あなたね、これ、ダメですよ。△□×★・・・。」

後半は何を言っているのか早口でよくわからなかったが、辛抱強く聞いているとおおよそ次のようなことを言っているようだった。

社会保険(健康保険)の資格を喪失してから、国保へ切り替える手続きは、資格喪失の日から14日以内に行わなければならないらしい。
僕の場合は、1ヶ月以上すぎてしまっているので、その間に受けた医療費は保険でまかなうことができない=全額自己負担(10割負担)になるという。

マジッすか・・泣

前回の受診の際、僕は医療費を“ツケ”払いにしてあった。
今日は薬が切れているからなんとしても病院にいかなければならない。
区役所を後にした僕は銀行により、なけなしのお金を引き出し、夜間診療中のいつもの心療内科(精神科)に向った。

受付のお姉さんに事情を説明し、ひとまず前回分の医療費を支払う。
今回分は国保なので3割負担。
その後同じビルにある調剤薬局へ。
ここでもまず前回の“ツケ”を支払い、今回分の薬代を払う。

そんなわけで、本日支払った医療費は、

1万4千円也。

無職無収入の身にはかなり痛い出費である。


その後、もう何ヶ月も放ったらかし状態の眼科に久しぶりの定期検査を受けに行ってきた。
ここのところ眼の調子が悪いので心配だったのだが、幸いにもまだ“網膜剥離”の状態にはなっていないとのこと。
但し、周囲の変性が進んでいるのでこまめな検診と、可能であれば予防的措置としてのレーザー治療を薦められた。

両眼とも。


え?両眼???

左眼だけじゃなかったの?

人のよさそうな眼科医は、僕の眼球にレンズを押し付けながらつぶやいた。


「うわぁ・・・こんな風になっちゃったか・・。まずいね。」


確実に病状は進行しつつあるようである。
しかしながら、片眼5万円はかかるというレーザー治療を受けるだけの金銭的余裕は今の僕にはない。

なんとかこのまま頑張ってくれ、僕の両目!!


仕事がみつかり、収入がおちついたら治療を受けよう。
さすがに両眼とも網膜剥離なんてしゃれにならない。

なんだかなぁ・・。





明日は昨日とは別の派遣会社にいって仕事の紹介を受けてくる予定だ。

あまりめぼしいものがなければ、昨日の体育会系の営業君がすすめてくれた仕事にしよう。


とにかく、稼がなきゃ・・・。




そろそろ限界かも・・。

2008-03-06 01:57:13 | 社会復帰編
3月5日


昨日の予告どおり、今日は大手派遣会社Pの登録会に行ってきた。

プログラムでは(派遣先予定の)業界説明会+登録会、となっている。
予定の時間を過ぎてもなかなか重い腰があがらず、開始時刻の10分前になんとか滑り込んで受付を済ませた。

小さな会議室のような部屋に通される。
机の上に資料が6組ほど並べてあったが、実際に出席したのは僕を入れて4名。
僕以外は全員女性だった。

いざ説明会の開始、という段になって派遣会社の方が、型で抜いたような笑顔で近寄ってきた。

「こんばんは。桐原さんですね?お電話で受付をした際に伺ったのですが、桐原さんはこちらの業界でのご経験が豊富なご様子でしたので、よろしければ先に個別の面接をさせていただいてもよろしいですか?」

そう、僕はまたこりずに前職と同じ業界で働こうとしている。
だって、それしかとりえがないのだから仕方ない。

係の女性に促されるまま会議室を後にし、個別の商談スペースに通された。

程なくしてスーツを着た男性社員が現れ、名刺を差し出した。
年代的には僕と同い年か、少し上と言ったところだろう。
この人の笑顔も型で抜いたように固まっている。
なんなんだこの会社は。

その男性社員の質問に答えながら、しばし雑談。

その後、「いきなりですが・・」との前置きのあと、3社の案件について説明をうけた。

1)大手通信会社のテクニカルサポートのオペレーター
2)CATV会社のサービス案内(テレアポ。ノルマあり)
3)大手信販会社の料金関連問い合わせセンターのオペレーター。

どれも時給は千円台前半・・・。
今更、オペレーター・・・、今更、時給・・・。

男性社員は続けた。

「桐原さんは、コールセンター業界での経験が豊富でいらっしゃるので、本当なら管理職のお仕事も紹介したいのですが・・。」

そう言って紹介されたのは、“世界一有名なネズミが住む夢の国”に隣接するホテルの予約受付センターのSV(スーパーバイザー)である。

しかし、これには条件があった。

「英語はお得意ですか?」

夢の国で働くには、コールセンターのマネジメント経験+ビジネスレベルの英語力が必要とされるらしい。

残念ながら僕はそこまで英語が得意ではない。

「・・そうですか。残念です。」


ええ、こちらも残念です。



説明によると、3)の大手信販会社のセンターの業務では、最初はオペレーターという身分ではあるものの、将来的に派遣先の信販会社の社員に登用される可能性があるそうだ。といっても“紹介予定派遣”ではないらしい。

ノルマのあるテレアポなんて絶対嫌なので、こちらの会社でお世話になるとしたら1)か3)だなぁ・・・。なんて思っていると、話はひとまず中断して、パソコンのスキルチェックをするという。

なんてことはない、日本語の文章のタイピングとテンキーのタイピングのチェックだったが、こんなときに限って副作用の手の振るえが出てきてとまらない。


なんてこったい・・。


それでもなんとか制限時間いっぱいまでキーボードを打ち続け、続けて筆記試験をうけた。
これは1)の仕事に就くために必要な最低限のIT知識をチェックするものだそうだ。30問程度の問題に多肢選択方式で正解と思われる選択肢に○を付けていく。

昔とった杵柄で、20問程度は確実に正解を得られたと思うが6問程度はどうしても答えがわからず、検討すらつかなかったので無回答のまま提出した。

ひととおりのスキルチェックが終わった段階で、先ほどの商談スペースに戻された。出されたお茶を飲みながら、

「何やってんだろう・・俺・・。」

と軽く凹んでいると、別の男性社員が現れた。
名刺を頂戴し、挨拶を交わすとその男性は僕に向かって感慨深げにこう言った。

「桐原さん、とても落ち着いていらっしゃいますね。」

バカかこいつは。
いい年して、しかもこんな状況ではしゃいでいるヤツなんているわけないだろう。

僕と同い年か、あるいは若干年下で、学生時代は体育会でした、といわんばかりに日焼けしたその顔とたたずまいの営業社員。

実は、先に紹介のあった業務1)の担当者だという。


「桐原さんにぴったりのお仕事だと思います!!」


お前は俺の何を知っているというのだ。

「実は、このお仕事はオペレーター枠のほかにSV職でのご紹介もしていたんですが・・。」

なんでも、SV職として派遣したメンバーが延べで30名ほどいたらしいが(1つのセンターで30名のSVというのもすごい話だが・・)、ほとんどの方が“不適格”ということで派遣先であるクライアントからダメだしを受け、残っているのは9名ほどだそうだ。

「SV枠での応募は締め切っていますので、今回はオペレーターとしてのお仕事の紹介になってしまうのですが、研修終了後、実績を示していただければSVとしてキャリアアップして頂くことも充分可能です。是非いかがですか?」

SV職として採用になると時給が400円ほどあがるらしい。



この歳で時給を気にして仕事を探すはめになるとは思わなかった・・・。
わずか数百円の時給の差と業務内容を天秤にかけて真剣に考えている自分が情けない。



時給がよかろうとも、職種が管理職だろうとも、所詮派遣は派遣。
年齢的にいつまでもできる仕事ではない気がする。

そうは言っても仕事を選んでいる状況ではないのも事実で、今日のところは返事を保留にし、派遣会社への登録だけをすませてきた。

帰り際にその営業君は、

「スキルチェックの結果、バッチリでした!!是非ご検討ください。」

と、最後の一押し。


はい、検討します・・。


僕は今、この派遣会社のほかに、転職支援会社を通じて2社ほど書類選考の申し込みをしている。
いつまでたっても返事が来ないので、事前に電話で確認をしたのだが、2社とも時期的に新卒採用で大忙しで、中途採用のほうまで手がまわっていないという。

ちなみに、その2社のうちの1社は、大手通信会社の戦略子会社が運営するテクニカルサポートセンターのセンター長。そしてもう1社は、大手コールセンターエージェンシーの正社員=SV。

結局、この業界から足を洗えない自分にうんざりしてしまう。




帰り道、そのまま家に帰る気がしなかったので、気分転換に映画を見て帰ることにした。今日は水曜日で駅ビルの中にある映画館はメンズデー。男性は1000円で観賞できる。

チケットカウンターでお目当ての映画とタイトルを告げると、カウンターの女性が自動音声応答装置のような声でこう言った。

「お座席は全て予約制になっておりまして、上段、中断、前方からお選びいただけますが、どちらがご希望ですか。」

僕は、上段(後方)といいかけて、言葉を飲み込み中断の席を指定した。
視力のことが気になったからである。

選んだ映画は邦画だったが、今の僕の視力では後方の座席からスクリーンに映し出される情景を正確に見極めるだけの自信がなかった。

そして映画がはじまると・・・。




見えない。



あぁ、やっぱりだ。ほらね、見えないんだよ。
最悪。

さほど大きくない館内の中段に座っているにも関わらず、スクリーンに映る登場人物の顔がわからない。

それどころか、この映画は邦画にも関わらず、セリフの半分が英語なので字幕を追わねばならないのだが、その字幕が読めない。


やばいなぁ・・・。
僕の眼はそろそろ限界なのかもしれない。


映画はそこそこ面白かったが、戦後すぐの戦犯裁判を題材にしていることもあって、色々と考えさせられることもあり、戦争って嫌だな、なんて思いながらも、そんなことよりお前の仕事はどうするんだ、なんてコトを考えつつ、なんだか気持ち悪くなってきてしまった。


その上映が一番遅い回だったので、帰りの電車は終電。


そして今このブログを書いている。



やはり、眼が見えない。
ただの疲労だろうか。

最近はお金が無くて、コンタクトレンズ(※桐原は1日使い捨てを愛用)を買いに行くこともできず、いつも裸眼ですごしているから、余計みずらいのだろう。きっとそうに違いない。



・・でも、やっぱりちょっと怖いので明日は区役所に言って国保への加入手続きををしてこよう。ついでに心療内科(精神科)に行って薬をもらい、数ヶ月ぶりに眼科に行って定期検査をしてこよう。



こうしている今も、なんだか胃がムカムカする。


あ~嫌だ。なんでこんなに調子が悪いんだろう。





早く楽になりたい。







凹む・・・。

2008-03-04 22:54:22 | 社会復帰編
3月4日



こんばんは、桐原です。

気づけばもう三月。
ひな祭りも過ぎてしまって、もうすぐ春・・。

そんなかな僕は就職活動中。
転職支援会社を通じて、2社(正社員)の面接に応募したのが2週間前。
その後、連絡はなく・・・。

転職支援会社のキャリアカウンセラー曰く。

「首都圏の有効求人倍率は、1.5~1.6。また、中部圏は2.0を越えています。しかし、××(桐原在住の北の国)は、0.6程度しかないんです。」

そうですか・・。

場合によっては首都圏や関西圏での就職も考えたい、とは言ったものの、転居に伴う諸費用(引越し料金や新居の敷金、礼金、前家賃、仲介手数料など)が工面できず、なかなか現実的な選択にまでは結びつかない状況で・・。

今日、アルバイトの求人誌を2冊買い、無料の求人誌を1冊入手した。

もう、今更な感もあるが、月給で働くのは半ばあきらめている。

しかしながら、アルバイトの時給の安いこと!!
首都圏じゃ考えられない低水準に腰が抜けてしまう。


こんな給与じゃ、暮らしていけねぇっつうの!!!!!!



ところで、今朝、いつもの薬を飲もうとしたら、数種類の薬の数が足りない。
良く考えてみると、先週の日曜日が心療内科(精神科ですけど)の通院日だった。

鬱の症状はほとんど消えているものの、一定期間は薬を飲み続けないと症状が再燃してしまうのがこの病気の特徴。

早く病院に行かなければならないのだが、行けない。

なぜなら、保険証がないから・・。

前回の通院の際は、「保険証を切り替える手続きをしているので・・。」
という事情を説明したら、病院と調剤薬局の両方が、
「次回お越しになったときに合算してご請求します。」
と、いわば「ツケ」のような形にしていただけた。

しかし、今回はそうはいかない。
前回分とあわせて10割負担となると軽く3~4万円は超えてしまう。


薬が欲しい・・。でも、行けない・・・。


病院と言えば、一昨日あたりから眼の調子がおかしい。
このブログでも過去に書いたことが僕は眼に爆弾を抱えている。

網膜剥離まであと少し・・といった状態にあるそうだ。

網膜剥離になってしまうと、入院しての治療・手術が必要になるため、予防的措置としてレーザー治療をすすめられたが、5万円かかる、と言うのであきらめた。
その代わり、月に1回の定期検診は必須のものとなった。

しかし、その定期健診もここ数ヶ月行っていない。

その眼が、おかしい。

こうしてブログを書いているPCの画面すら良く見えない。


嫌だなぁ・・。嫌だ。


凹む・・・。本当に凹む。




明日は派遣会社の登録会に行く予定だ。

この歳でまた時給で働くはめになるとは・・・。


僕の人生は幼い頃から決して平坦なものではなかったように思うが、ここ4~5年で雪崩のように転がり落ちてきた気がする。


どれもこれも、こんな病気になったせいで・・。


これも因果、とあきらめてみても、あきらめきれず・・・。



心を病んで、視力も奪われて。

職を失い、収入も断たれた。



なんだかなぁ・・。




泣きっ面に蜂

2008-02-14 23:29:34 | 社会復帰編
2月14日


今日、僕の手元に一通の配達記録が届けられた。

受け取りのサインをすませ、封筒を見る。
差出人は、

「××健康保険組合」

僕が在籍していた会社「××」の名を頭に冠した健康保険組合である。
まだ傷病手当金が支給されていた昨年の暮れまでは、毎月この健康保険組合に医師の意見と押印を済ませた「傷病手当金申請書」をこまめに郵送し、生活の糧にしていたのである。


さて、その健康保険組合が今更なんの用件で?


「・・・つきましては、支給済みである傷病手当付加金を下記のとおり返還していただきますよう・・」


返還??


よくわからないまま読み進めると、そこには驚きの金額が・・


「請求合計金額 177,600円」


は????
払えませんから、そんな大金!!

というか、だいたいなぜ返還請求なんかされないといけないの??




早速、封筒に書かれている健康保険組合の連絡先に電話をいれた。
そこで担当者から語られた真実は無職無収入で凹みまくっている僕に、更に追い討ちをかけるものだった。


昨年末、アルバイト社員として「××」社に入社するまで、僕は傷病手当金を受給していた。
改めて書くまでもないが、この“傷病手当金”とはどの健康保険組合でも法律で支給が定められている給付金で、何らかの事情によりケガや病気にかかり、就業することができなくなった被保険者に対し、一定の限度額の“手当”を現金で支給するというありがたい制度である。
つまり、病気や怪我で長期の入院や療養が必要になり、やむなく会社を休んだり休職した者が申請をすることで得られる保険金のようなものである。

以前の会社を休職している間からずっと、僕はこの傷病手当金に頼って生活をしてきたのだが、昨年末の就職(アルバイトだけど・・)を機に、傷病手当金の請求は当然止めた。

しかし!

電話口にでた担当者によると、僕の申請に“不正な点”があるため、今回の返還請求に至ったのだと言う。



・・・・ますます訳がわからない。



30分ほどの会話のなかで得られた真実はこうだ。



今回のアルバイトでの入社にあたり、僕は××社の健康保険に加入することになった。それまでは前職=××社(正社員時代)の健康保険に任意継続で加入していたのだが、「××社で働いているのに××健康保険組合の任意継続を続けるのはおかしい。」との会社の判断から、僕は正式に××健康保険組合に加入することになった。

そこで健康保険組合の担当者が僕の入社日を調べたところ、10月末の時点で「入社」したことになっているのに、傷病手当金を11月末まで受給していることが判明した。そこで今回の返還請求になったというのだ。


ちょっと待って!確かに入社手続きをしたのは「10月末」頃だったように思うが、その後会社の事情で業務につくことができず、実際に働きだしたのは11月末からなので、その期間に申請をしていたのだが、これが問題になるのだろうか?


「はい、立派な不正受給になります。」


・・・・・・・・・。


ショック・・・・。



確かに、「入社」手続きが済んでいる時点で「就労できる心身状況にある」と判断されてもおかしくないのかもしれない・・。というか、その解釈が多分正しい。そうすると僕は立派な不正受給者になるというわけだ。


なるほど・・。



いやいや!感心している場合ではない。

17万某(なにがし)なんて大金、持ってませんから!

だいたい、入社手続きだけして傷病手当金の受給資格を奪っておきながら、1ヶ月以上も仕事を与えない(=時給が発生しない)状態に放置していた会社に問題はないのか??

今回も無理やり自己都合退職にさせられたし・・。


なんなんだこの会社は!!!



と、怒ってみても、理屈上僕が不正受給をした事実は変わらないわけで・・。



「返済期日:平成20年2月29日」





無理だから・・




もう嫌だ・・・こんな人生・・・。





即答。

2008-02-12 23:39:43 | 社会復帰編
2月12日



昨夜遅く、パソコンに向い転職サイトを開き、Webの履歴書を書いていた。
自己PR文も職務経歴書もなかなか良く書けた。

鬱病で会社を辞めて「ニート」状態になっていた2年間は、“親族の介護”を理由にしておいた。

応募した会社は前職と同様な業種のため、少なからず自信があった。
せめて書類選考くらいとおるだろう。
一次・二次面接は東京であるという点がちょっと面倒だ。
だが、東京勤務も悪くないかもしれない。


さて、結果はどうだろう。


先ほど転職サイトを確認したところ、応募した企業からメッセージが届いているではないか!


期待に胸をおどらせつつ、クリック・・・。




「・・・・・・慎重に検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせて頂きたく・・・」




門前払い。



凹むわぁ・・・。









なにやってんだか・・・。

2008-02-11 00:26:59 | 社会復帰編
桐原です。



先日、会社をクビになりました。



事実上の解雇なのに、無理やり自己都合退職扱いにさせられ、異議申し立てをしない旨の念書まで書かされて。



今月、僕は31歳になります。


そして、その記念すべき月に、また無職・・・。



同居中(・・というか僕が居候させてもらっている)の母親も、



「本当に、情けない。」



と。




そうね、そうだよね。自分だってこの年になってこんな思いをするとは考えてもみなかった。




とりあえず、来月からどうしよう・・。




今、僕のサイフの中には17円しかはいっていない。
そして、銀行口座には962円しか残っていない。



ありえない・・・・。



ありえない・・・・。






そんな状況で見つけた嬉しい(?)出来事。




少し早めだけど、バレンタインのチョコレートをもらいました。






19歳の男の子から。






「亮司君が東京で就職するなら、俺もついていく!俺じゃ、ダメ・・?」




・・・・・。




・・・・・。




俺じゃダメ・・というか、そういうことではなく・・汗。



じゃあ、いいのか?


いや、さすがにまずいだろう、いろんな意味で。



とりあえず、学校を卒業してもらって、成人になるのをまって・・。




いや、違う違う。そういうことじゃないはず・・・。






とりあえず、収入を確保しなければ。





チョコレートもらってる場合じゃない。






なにやってんだか・・・。泣けてくる。







捨てるほどの愛でいいから。

2008-01-30 00:39:25 | 社会復帰編
1月29日


上司の携帯アドレスに、今日も欠勤する旨をメールで伝えた。


会社を休んで二日め。


クライアントとの重要な打ち合わせを投げ出して、総括責任者という責務も放り出し、僕は殻に閉じこもる。




幼い頃に、親の愛情に恵まれなかった子は、つまり、「無償の愛」を体験せずに大人になった子は、他人をうまく愛することができないそうだ。



なるほど。どうりで。



さっき手首を切った。

血が流れて、安心した。


所在無さげな僕の心は、睡眠薬と自らの血によって、落ち着きをとりもどす。


消えてしまいたい。



僕にはうまくできないよ。



あぁ・・手首の血がとまらない。




このまま死んじゃうのかな。

だったら楽なのに。




明日の朝、目覚めた僕は、何者だろう。




君は泣いてくれるかい?


それなら死ぬ価値もあるかもしれないな。