5月29日
昨日も明け方まで眠りにつくことができなかった。
空が明るんできて、カラスが鳴き出したことを覚えている。
おそらく、4:00AMを少しまわったところだろう。
そこから記憶が途切れた。
眠りからさめて、今日最初に時計を見たのが14:00PM。
そのまま起きてしまえばよかったのだが、なんだか身体が重く、いつものようにベットで寝たり、起きたり、ウダウダ過ごすことになった。
次に時計を見たのが16:00過ぎ。
今日の予定では、昼間のうちに街まででて、カフェラテでも飲みながらテキストを読むつもりでいたのだ。家にいるとすぐ横になってしまうから、外にいるほうが効率が良い。
でも、もう夕方になってしまったし、これから出かけるのもどうかなぁ・・と思案した。少し悩んだが、とりあえず外出することに決めたのは、母が帰ってくる時間が迫っていたからだ。
ここ数日の職場での動きをみる限り、今日当たり、またドカンと大きな出来事が起きているに違いない。そして、その事についての愚痴を、母はまた僕にぶつけてくるだろう。こう毎日毎日、重い愚痴を何時間も聞かされてはたまったものじゃない。少しでも母と過ごす時間を少なくしようとする魂胆だった。
バッグにテキストと、読みかけの小説を入れ、駅に向かう途中のコンビにで新聞を買う。
電車に乗っていつのものカフェに着いたのは18:00PM頃だった。
今日はまだ何も食べていなかったので、ベーグルとカフェラテ(ホット)を注文する。禁煙席に座り、カバンをおろし、新聞を中ほどまで読みすすめたところで携帯がなった。
母からのメールである。
「どこにいるの?お母さん、もう倒れてしまいそう。」
はぁ・・・・。
どこにいるの?って、昨日から今日は外出すると言っておいたはずだし、第一もう30歳のおっさんなんだから、夕方家を空けていてもわざわざ居場所を確認することはないだろう。
そしておそらく、メールの後半にある「・・もう倒れてしまいそう。」というくだりは、職場においてまた上司に呼び出されて精神的に追い詰められたということだろう。とにかく愚痴をいいたいのだと思う。
それまで、おいしいベーグルとお気に入りのカフェラテで心地よい時間を過ごしていた気持ちは、母の一行のメールで一気に吹っ飛んでしまった。
母の愚痴から逃れようと外出してみても、母は携帯という最新兵器で、まるでパトリオットミサイルを放つかのように、僕を捕捉して攻撃してくる。
もし母が妖怪だとしたら、無数に伸びた触手を長く伸ばして、唯一の愚痴のはけ口である息子の居場所をとことん調べ上げ、その触手でからみ取って自分の懐までつれてくるのだろう。
母が職場で追い込まれていくのと比例して、僕は母の“超マイナス暗黒思考”に基づく長時間にわたる愚痴で、どんどん追い詰められていく。まさに逃げ場なしである。
学生の頃から友達のいない僕であったが、不思議なことに、なにかと僕のところに相談にくる生徒は多かった。それは同じクラスの子であったり、隣のクラスの生徒だったりした。男子も女子も関わりなく、普通の生徒から不良生徒、果てには隣の高校の生徒からも相談に乗ってくれとお願いされたことがある。
この不可思議な現象については、実は理由があるのだが、これはまた他の機会にお話したいと思う。
社会にでてからもバイト君たちの進路相談や家庭内の問題など、いくつもの相談(あるいは面談)を重ねてきたが、自分に向けられる愚痴や相談が、こんなにも重く忌々しいと思ったことは過去に一度もない。
それだけ、今の母はある意味で強力である。
母からのメールで、勉強する気もすっかり失せてしまった僕は、読みかけの新聞を読み通し、すっかり冷めてしまったカフェラテを飲み干して店をでた。
電車にのる途中で、母が好きなパン屋で幾種類かのパンを買い、最寄の本屋で母が楽しみに視聴していたNHKの某番組のテキストを買う。
これらは、母と対面したときの衝撃を少しでも和らげるための“装備”である。
機動隊が持つ盾と防弾チョッキのようなものだ。
これからまちうける展開を想像し、重い気分を背負ったまま家のドアをあける。
居間に続く扉を開き、足を一歩踏み入れた瞬間、ソファに座っていた母が立ち上がり、今日、職場で起きた出来事を怒涛のごとく喋り始めた。
声は弱弱しく、身体もフラフラとおぼつかない。心身ともに相当弱っているようだ。今にも泣き出しそうな目をしながら自分の職場での窮状を語り続けている。
僕は黙って話を聞いている。カバンもおろさず、居間にさえ入っていない。居間に一歩踏み入れた状態で、ずっと立ちっぱなしで20分たった。
ようやくできた空白のタイミングで、僕はやっと一言を発することができた。
「話はわかるんだけどさ。とりあえず、カバンおろしたいんだけど。」
一度部屋にもどってカバンをおろし、部屋着に着替え、洗面台の前でコンタクトをはずす。
身を守るためにわざわざ買ってきた、“母お気に入りのパン“と、“趣味のテキスト”は、先方からの思わぬ先制攻撃によって使うタイミングをはずしてしまったが、わずかばかりの希望を込めて、居間のソファでうずくまる母に手渡してみる。
普段ならとても喜ぶのだが、今日はほとんどと言っていいほど、何の反応もない。
「買ってきてくれてありがとう。でも、今、そんな本を読む気にはなれないの・・。」
だ、そうだ。
この2週間で、僕の知りうる限り、母はどんどん鬱病の代表的な症状を示し始めている。
特に今日は情緒不安定で、言っていることがさっぱりわからない。
本人も、何から、何を話して良いのか、頭の中で整理できていないのだと思う。
よくよく聞いてみると話はこうだ。
昨日(ブログには書かなかったが)、例の「始末書」について職場の理事に呼び出され、再提出を指示したのに、まだ提出がされていない点について激しくお叱りをうけた。
本当は今でも書きたくないのだが、仕方なく書いた「始末書」を今日改めて提出したところ、また呼び出しをくらい、「本質的に私の言っていることを理解していない。」といわれた。
その上、そもそも「始末書」を書かなければならない“問題”について、始めは「上司に対する態度の悪さ」(そもそもその事実もないし、仮にそうであったとしても始末書をかかせるような問題ではないと思うのだが。)と説明を受けていたのが、日を負うごとに内容が変化し、今日の呼び出しに至っては、その理事が赴任するより以前の、“母が今の職場に就職してから本日にわたるまでの一連の出来事について”始末書を書け、と話が変わってきたそうである。
狭い個室で男性上司と一対一になり、時にはテーブルを激しく叩くなどの威嚇行為を目にしながら、「お前は悪い」「お前はおかしい」と連日責め立てられた母は、日に日に精神的にも肉体的にも憔悴しきっていた。
今日は施設に隣接する医療施設の顔なじみの職員や、母の部署で働く部下達からもあきらかに様子がおかしいけれど、何かあったの?というような質問があいついだそうである。
結局のところ母はどうしたいのか、つまり、今の職場で働き続けたいのか、それとも(年齢など)色々なハンデはあるかもしれないが、新しい職場を求め転職するのか、或いは他に選ぶ道を見つけているのかを尋ねても、
「お母さん、もう、どうしていいか、わからないの・・ねぇ、亮司。どうしたらいいの?」
と目に涙を浮かべる始末である。
どうしたらいいの?って、そんなこと知るか。という話だが、まさかそう本人に告げることにもいかないので、これからどうするか検討することになった。
まず、母の希望として、これ以上今の職場で(今の状況のまま)勤めるのは絶えられない。職場にも行きたくない。
ということだったので、明日から2,3日休みをとることになった。
また、
「そのうち僕の顔を見ると、頭痛がしたり吐き気がしたりして職場にくるのが嫌になるかもしれませんね?(不適な笑み)」
と言い放った理事は、今日の呼び出しの際も、母が弱気になり、
「私はここで働くのには適していない人材なのかもしれない、と思い始めています・・。」
ともらした瞬間、一変して穏やかな表情になり、それを決めるのは桐原さんご自身の問題ですね。と言ったそうだ。
これらの発言や、
「始末書は何回でも書き直しをさせるぞ。」
などの言葉から察するに、その理事とタッグを組む副施設長の勢力は、母を精神的に追い詰めて、自ら退職届けを出させようとしていると考えてほぼ間違いない。
そこで、結果的に今の職場を辞めることになっても、勤務を続けることになっても、今の状態で働き続けるのは限界があるので、労使間の紛争の調停をしもらえる第三者機関を探すことになった。
職場に労働組合があればよかったのだが、あいにく今の母の職場にはない。
だからと言って、弁護士に相談するのも今の段階ではちょっと違うような気もするし、相談料などもかかる割には、何も解決しそうにない気がする。(※勝手な思い込みだけど。)
それでネットを使っていくつか調べているうちに、各都道府県の労働局に「総合労働相談センター」なる相談窓口が設置されていることがわかった。
この機関では、労働者と事業主の間で起きる職場でのトラブルの解決を手伝ってくれるのだという。
具体的には、解雇、配置転換、賃下げ、セクハラ、いじめ、などの相談実績があるようだ。
自治体の機関で信用性が高いということと、秘密厳守だという点、何より相談は無料で予約不要ということだったので早速明日、そのセンターを訪れてとりあえず相談してみることになった。(今の状況の母と職場の関係が労使間のトラブルとみなされるのか、一般の業務指導の範疇に入るのかの判断を含めて。)
頭が全く混乱してしまい、言っていることもバラバラで要領を得ない。じっと座っていることすら危うい母が、センターに相談に行っても、自分がおかれている現状をうまく説明できるとは思えなかったし、現に母も自信がなさそうだったので、仕方なく、明日は僕も母に同行することになってしまった。
愚痴の吐き出し口だった僕は、ついに問題の核心に巻き込まれつつある。
例えば、僕の身体がスポンジでできていたとしたら、今の僕をギュッっと絞ると、ドロドロとした黒い液体が止めどもなく染み出し、流れ落ちてくるだろう。
それは今までに、僕が母から聞かされた愚痴そのものだ。
はぁ・・厄介なことになってしまった。
明日の相談結果にもよるが、労働局に労使間の話し合いの調整に入ってもらうか、それとも向こう(職場)の思惑通りで少し悔しいが、きっぱりと見切りをつけて退職願を叩きつけるか、あるいはまた他の道をさぐるのか。
本当は母自身で片付けて欲しい問題だが、母の収入は居候している僕の生活そのものに直結してくるだけに、迷惑ながらも、あまり人事ではない。
ここのところ母はたまに、
「過疎地に福祉施設のそばに引っ越して、ケアマネージャーとして働いていこうかしら・・。」
などととんでもないことを口にする。
過疎地の福祉に貢献するのは大変結構なことではあるが、僕が今の状態で過疎地に行ってしまっては社会復帰もまた遠のいてしまう。
これだけは絶対に阻止しなければならない。
また、母の精神状態・身体の状況から見て、今回の一連の事件のストレスによる何らかの精神疾患(或いはそれに類するもの)が疑われるので、心療内科を受診することをすすめた。
親子二人で鬱で無職・・・。
悪夢だ。
そして明日は8:00AM起床。
これもまた悪夢だ。
昨日も明け方まで眠りにつくことができなかった。
空が明るんできて、カラスが鳴き出したことを覚えている。
おそらく、4:00AMを少しまわったところだろう。
そこから記憶が途切れた。
眠りからさめて、今日最初に時計を見たのが14:00PM。
そのまま起きてしまえばよかったのだが、なんだか身体が重く、いつものようにベットで寝たり、起きたり、ウダウダ過ごすことになった。
次に時計を見たのが16:00過ぎ。
今日の予定では、昼間のうちに街まででて、カフェラテでも飲みながらテキストを読むつもりでいたのだ。家にいるとすぐ横になってしまうから、外にいるほうが効率が良い。
でも、もう夕方になってしまったし、これから出かけるのもどうかなぁ・・と思案した。少し悩んだが、とりあえず外出することに決めたのは、母が帰ってくる時間が迫っていたからだ。
ここ数日の職場での動きをみる限り、今日当たり、またドカンと大きな出来事が起きているに違いない。そして、その事についての愚痴を、母はまた僕にぶつけてくるだろう。こう毎日毎日、重い愚痴を何時間も聞かされてはたまったものじゃない。少しでも母と過ごす時間を少なくしようとする魂胆だった。
バッグにテキストと、読みかけの小説を入れ、駅に向かう途中のコンビにで新聞を買う。
電車に乗っていつのものカフェに着いたのは18:00PM頃だった。
今日はまだ何も食べていなかったので、ベーグルとカフェラテ(ホット)を注文する。禁煙席に座り、カバンをおろし、新聞を中ほどまで読みすすめたところで携帯がなった。
母からのメールである。
「どこにいるの?お母さん、もう倒れてしまいそう。」
はぁ・・・・。
どこにいるの?って、昨日から今日は外出すると言っておいたはずだし、第一もう30歳のおっさんなんだから、夕方家を空けていてもわざわざ居場所を確認することはないだろう。
そしておそらく、メールの後半にある「・・もう倒れてしまいそう。」というくだりは、職場においてまた上司に呼び出されて精神的に追い詰められたということだろう。とにかく愚痴をいいたいのだと思う。
それまで、おいしいベーグルとお気に入りのカフェラテで心地よい時間を過ごしていた気持ちは、母の一行のメールで一気に吹っ飛んでしまった。
母の愚痴から逃れようと外出してみても、母は携帯という最新兵器で、まるでパトリオットミサイルを放つかのように、僕を捕捉して攻撃してくる。
もし母が妖怪だとしたら、無数に伸びた触手を長く伸ばして、唯一の愚痴のはけ口である息子の居場所をとことん調べ上げ、その触手でからみ取って自分の懐までつれてくるのだろう。
母が職場で追い込まれていくのと比例して、僕は母の“超マイナス暗黒思考”に基づく長時間にわたる愚痴で、どんどん追い詰められていく。まさに逃げ場なしである。
学生の頃から友達のいない僕であったが、不思議なことに、なにかと僕のところに相談にくる生徒は多かった。それは同じクラスの子であったり、隣のクラスの生徒だったりした。男子も女子も関わりなく、普通の生徒から不良生徒、果てには隣の高校の生徒からも相談に乗ってくれとお願いされたことがある。
この不可思議な現象については、実は理由があるのだが、これはまた他の機会にお話したいと思う。
社会にでてからもバイト君たちの進路相談や家庭内の問題など、いくつもの相談(あるいは面談)を重ねてきたが、自分に向けられる愚痴や相談が、こんなにも重く忌々しいと思ったことは過去に一度もない。
それだけ、今の母はある意味で強力である。
母からのメールで、勉強する気もすっかり失せてしまった僕は、読みかけの新聞を読み通し、すっかり冷めてしまったカフェラテを飲み干して店をでた。
電車にのる途中で、母が好きなパン屋で幾種類かのパンを買い、最寄の本屋で母が楽しみに視聴していたNHKの某番組のテキストを買う。
これらは、母と対面したときの衝撃を少しでも和らげるための“装備”である。
機動隊が持つ盾と防弾チョッキのようなものだ。
これからまちうける展開を想像し、重い気分を背負ったまま家のドアをあける。
居間に続く扉を開き、足を一歩踏み入れた瞬間、ソファに座っていた母が立ち上がり、今日、職場で起きた出来事を怒涛のごとく喋り始めた。
声は弱弱しく、身体もフラフラとおぼつかない。心身ともに相当弱っているようだ。今にも泣き出しそうな目をしながら自分の職場での窮状を語り続けている。
僕は黙って話を聞いている。カバンもおろさず、居間にさえ入っていない。居間に一歩踏み入れた状態で、ずっと立ちっぱなしで20分たった。
ようやくできた空白のタイミングで、僕はやっと一言を発することができた。
「話はわかるんだけどさ。とりあえず、カバンおろしたいんだけど。」
一度部屋にもどってカバンをおろし、部屋着に着替え、洗面台の前でコンタクトをはずす。
身を守るためにわざわざ買ってきた、“母お気に入りのパン“と、“趣味のテキスト”は、先方からの思わぬ先制攻撃によって使うタイミングをはずしてしまったが、わずかばかりの希望を込めて、居間のソファでうずくまる母に手渡してみる。
普段ならとても喜ぶのだが、今日はほとんどと言っていいほど、何の反応もない。
「買ってきてくれてありがとう。でも、今、そんな本を読む気にはなれないの・・。」
だ、そうだ。
この2週間で、僕の知りうる限り、母はどんどん鬱病の代表的な症状を示し始めている。
特に今日は情緒不安定で、言っていることがさっぱりわからない。
本人も、何から、何を話して良いのか、頭の中で整理できていないのだと思う。
よくよく聞いてみると話はこうだ。
昨日(ブログには書かなかったが)、例の「始末書」について職場の理事に呼び出され、再提出を指示したのに、まだ提出がされていない点について激しくお叱りをうけた。
本当は今でも書きたくないのだが、仕方なく書いた「始末書」を今日改めて提出したところ、また呼び出しをくらい、「本質的に私の言っていることを理解していない。」といわれた。
その上、そもそも「始末書」を書かなければならない“問題”について、始めは「上司に対する態度の悪さ」(そもそもその事実もないし、仮にそうであったとしても始末書をかかせるような問題ではないと思うのだが。)と説明を受けていたのが、日を負うごとに内容が変化し、今日の呼び出しに至っては、その理事が赴任するより以前の、“母が今の職場に就職してから本日にわたるまでの一連の出来事について”始末書を書け、と話が変わってきたそうである。
狭い個室で男性上司と一対一になり、時にはテーブルを激しく叩くなどの威嚇行為を目にしながら、「お前は悪い」「お前はおかしい」と連日責め立てられた母は、日に日に精神的にも肉体的にも憔悴しきっていた。
今日は施設に隣接する医療施設の顔なじみの職員や、母の部署で働く部下達からもあきらかに様子がおかしいけれど、何かあったの?というような質問があいついだそうである。
結局のところ母はどうしたいのか、つまり、今の職場で働き続けたいのか、それとも(年齢など)色々なハンデはあるかもしれないが、新しい職場を求め転職するのか、或いは他に選ぶ道を見つけているのかを尋ねても、
「お母さん、もう、どうしていいか、わからないの・・ねぇ、亮司。どうしたらいいの?」
と目に涙を浮かべる始末である。
どうしたらいいの?って、そんなこと知るか。という話だが、まさかそう本人に告げることにもいかないので、これからどうするか検討することになった。
まず、母の希望として、これ以上今の職場で(今の状況のまま)勤めるのは絶えられない。職場にも行きたくない。
ということだったので、明日から2,3日休みをとることになった。
また、
「そのうち僕の顔を見ると、頭痛がしたり吐き気がしたりして職場にくるのが嫌になるかもしれませんね?(不適な笑み)」
と言い放った理事は、今日の呼び出しの際も、母が弱気になり、
「私はここで働くのには適していない人材なのかもしれない、と思い始めています・・。」
ともらした瞬間、一変して穏やかな表情になり、それを決めるのは桐原さんご自身の問題ですね。と言ったそうだ。
これらの発言や、
「始末書は何回でも書き直しをさせるぞ。」
などの言葉から察するに、その理事とタッグを組む副施設長の勢力は、母を精神的に追い詰めて、自ら退職届けを出させようとしていると考えてほぼ間違いない。
そこで、結果的に今の職場を辞めることになっても、勤務を続けることになっても、今の状態で働き続けるのは限界があるので、労使間の紛争の調停をしもらえる第三者機関を探すことになった。
職場に労働組合があればよかったのだが、あいにく今の母の職場にはない。
だからと言って、弁護士に相談するのも今の段階ではちょっと違うような気もするし、相談料などもかかる割には、何も解決しそうにない気がする。(※勝手な思い込みだけど。)
それでネットを使っていくつか調べているうちに、各都道府県の労働局に「総合労働相談センター」なる相談窓口が設置されていることがわかった。
この機関では、労働者と事業主の間で起きる職場でのトラブルの解決を手伝ってくれるのだという。
具体的には、解雇、配置転換、賃下げ、セクハラ、いじめ、などの相談実績があるようだ。
自治体の機関で信用性が高いということと、秘密厳守だという点、何より相談は無料で予約不要ということだったので早速明日、そのセンターを訪れてとりあえず相談してみることになった。(今の状況の母と職場の関係が労使間のトラブルとみなされるのか、一般の業務指導の範疇に入るのかの判断を含めて。)
頭が全く混乱してしまい、言っていることもバラバラで要領を得ない。じっと座っていることすら危うい母が、センターに相談に行っても、自分がおかれている現状をうまく説明できるとは思えなかったし、現に母も自信がなさそうだったので、仕方なく、明日は僕も母に同行することになってしまった。
愚痴の吐き出し口だった僕は、ついに問題の核心に巻き込まれつつある。
例えば、僕の身体がスポンジでできていたとしたら、今の僕をギュッっと絞ると、ドロドロとした黒い液体が止めどもなく染み出し、流れ落ちてくるだろう。
それは今までに、僕が母から聞かされた愚痴そのものだ。
はぁ・・厄介なことになってしまった。
明日の相談結果にもよるが、労働局に労使間の話し合いの調整に入ってもらうか、それとも向こう(職場)の思惑通りで少し悔しいが、きっぱりと見切りをつけて退職願を叩きつけるか、あるいはまた他の道をさぐるのか。
本当は母自身で片付けて欲しい問題だが、母の収入は居候している僕の生活そのものに直結してくるだけに、迷惑ながらも、あまり人事ではない。
ここのところ母はたまに、
「過疎地に福祉施設のそばに引っ越して、ケアマネージャーとして働いていこうかしら・・。」
などととんでもないことを口にする。
過疎地の福祉に貢献するのは大変結構なことではあるが、僕が今の状態で過疎地に行ってしまっては社会復帰もまた遠のいてしまう。
これだけは絶対に阻止しなければならない。
また、母の精神状態・身体の状況から見て、今回の一連の事件のストレスによる何らかの精神疾患(或いはそれに類するもの)が疑われるので、心療内科を受診することをすすめた。
親子二人で鬱で無職・・・。
悪夢だ。
そして明日は8:00AM起床。
これもまた悪夢だ。