ローバは一日にしてならず

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ローバは一日にしてならず…パートⅢ

2014-07-10 09:51:41 | 老後
母の生きてきた道を自分史から続きます(抜粋)

結婚・産婆開業

東京でお産の器具を購入、確か70円と記憶している。
昭和12年4月20日結婚式は飯田市で、披露宴を自宅で行う。
新婚旅行は天竜峡、新居での生活が始まった。
その頃、風呂が無く、外に桶を置いて、竹のササが落ちてきたとも
その内にタイルで作ったのが珍しく、近所の方々が入りにも来た。

自分のつわりが始まったが、お産に呼ばれれば、自分のつわりがどうのと
言っておれない。 初めて行った家の名前、と順追って記載有り。

お産一件5円くらいが相場だった中には3円という家庭もあった。
当時米一斗(約15㎏)は楽に買えたような記憶あり。
時代は「産めよ、殖やせよ」の時、忙しくなった。
道路はデコボコ、外灯もない山道や田圃道でもなるべく近道を選び
産婦の待つ家へ急ぐ、足には自信が有った、自分のお産もまじかになっていたが
それでも何とか熟した。
自分の陣痛が始まり産婆をお願いしてあったが、他家へ行って留守、近くの学校の先生の奥さんが
産婆の資格を持っているという話を聞き、急遽お願いした。
午後9時10分長男誕生(700匁…約2700g)
ところが3日目から産褥熱で39℃、近くの医者が注射をしてくれても下がらず
飯田からT.産婦人科医をお願いして、兄からの輸血を受けてようやく平熱に戻った。
その往診治療費が記述支払いが大変で何方かに立て替えてもらったとか。