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意思による楽観のための読書日記

世界のなかの日本 司馬遼太郎、ドナルド・キーン ****

ちょうど10年前に読んでいる本。御二人とも亡くなってしまい、今ではその声を聞くことはできないが、こうして書物として残っているものを読めるのは幸せなことである。

現在の日本で「日本的」と言われるものの多くはその濫觴が室町時代にあり江戸時代に花開いた文化であることが多い。服装、絵画、歌舞伎、詩歌・俳諧、文学でも源氏物語はあるが忠臣蔵や心中天網島などの中で描かれた忠誠心や悲しみなどによる価値観が現代にまで引き継がれている。それが途切れたのが明治維新。維新政府は江戸時代までの文化を全否定しようとして、西洋からの新しい文明を取り入れようと努力した。能楽師は明治になり失業し、神仏分離が徹底されて多くの書画骨董が失われた。

同様のことが起きたのが第二次世界大戦の敗戦で、昭和20年以前の価値観を全否定しようとした。以前の国家観や家庭のあり方は「封建的」として排除された。ドナルド・キーンが来日した1953年ころには古くて嫌いなものを「封建的だ」として排除する人が多かった。首相が古臭いことを言ったり、父親に小言を言われると「封建的だ」と。それが1960年代に入って日本の近世を再評価する声が出始める。芭蕉、近松、歌舞伎、能・狂言などを見直して日本文化として世界に広めたいという動きが広がった。ドナルド・キーンは近松や芭蕉の研究者として有名だが、本書の中でも近松の「冥途の飛脚」を高く評価、日本独特な世界観を見直すべきと主張する。

江戸時代末期に、勝海舟がオランド語を勉強して、来日していたカッテンディーケに「国民国家」たる必要性を説明され、その後の価値観に大いなる影響を受けた。カッテンディーケは日本の農民や裕福な商人でさえ、外交や国家防衛は幕府のすることで私どもとは関係がないこと、と考えていることは間違っていると指摘。このことに深く感銘を受けた勝海舟はその後の発言や行動で度々そのことを思い出す。渡米後の報告で「アメリカは賢い人が上にいる国」と老中に言い、江戸城開城では幕府の退場を強行に後押しした。

朝鮮通信使が江戸時代に日本に来ていた頃、日本では通信使一行を大切な情報をもたらしてくれる人たちとして大変もてなした。ところが相手は、日本人のことを「倭人」だとみなして人間よりも獣に近い存在だと下に見ていた。漢文・漢詩が下手、会う殿様たちは殆どが世襲の愚鈍で「礼」を知らないと。日本で礼といえば礼儀や行儀作法と同義くらいに考えているのが、中国や朝鮮では、儒教の体系としての「礼」を考え、大人が来ているのだから日本側も大人でもてなすべきと考える。新井白石が贅沢をやめて節約のために通信使接遇を簡素化したときには、礼を失する国、と感じたという。

西洋の画家たちが浮世絵に感激した理由は、絵画対象のモノの表現で、光と影、色彩で表現せず、濃淡と線だけで表現してしまう平面的画法にショックを受けたから。広重が遠近の表現を使ってフレーミングする、こういう手法にも感銘を受けた。

ドナルド・キーンが一番好きな最高の詩歌として謡曲をあげ、世阿弥作の「松風」を激賛している。英語に翻訳すると良さは伝わらず、アメリカの学生に日本語を学ぶ理由として、この作品を原語で読めることを上げるほど。「月はひとつ、影はふたつ、満つ潮の、夜の車に月を載せて、憂しとも思はぬ、潮路かなや」。音の響きがなんとも言えず在原行平を慕う海女の恋は、あわれというも愚かなり、完璧な文学作品だと評価している。それが幽玄な能舞台で演じられる、この喜びを伝えたいのだという。

1992年発刊の一冊。なんどでも読み返したくなる。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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