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意思による楽観のための読書日記

1971年の悪霊 堀井憲一郎 *****

本書筆者は1958年の京都生まれだという。私よりも4年ほども年下だが、学年では3つ下で、筆者が中学二年生のとき私は高校2年、1971年夏の京都の高校で起きた小さな紛争の記憶を共有している。京都教育大学附属高校で、ちょっとした期末試験ボイコット、キャンパス封鎖という事件があり、その時問題を起こした生徒の「端くれ」が私が通っていた高校に転校してきた。当時は、そんな事件のことも深く意識せず友人として付き合い、今でも同窓生として懐かしい思い出を共有できる仲である。以下の内容は本書に書かれた内容であり、私の思い出でもあるので、記述がどうしても混在してしまうことをご承知願いたい。

高校時代には、暇さえあればギターを弾いて、みんなで歌を歌った。友よ、戦争を知らない子供たち、遠い世界に、風、青年は荒野をめざす・・・。当時はやった映画で「小さな恋のメロディ」のような切ないロマンチックな雰囲気で、少しだけ反戦的な内容を含んでいた。英語好きな友人はPPM、ブラフォ、ディラン、ジョンバエズ、S&Gなども歌っていた。みんなで歌い、反体制的な歌詞もある、という共通点があった。関西では、関西フォークという音楽があり、岡林信康、高石ともや、五つの赤い風船とか、日本的土俗的なモノが良いんだ、という主張で、これも反体制的な雰囲気で良かった。

高橋和巳が死んだのも1971年、悲の器、邪宗門、とにかく読んでいないと子供扱いされるような気がしていた。小松左京や筒井康隆、庄司薫なんかではいけないし、司馬遼太郎でもない、高橋和巳を読んで、なにか感想を言うことを自分に課していた。

ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが死んだのが1969年、ジミー・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンが続けて死んだのが1970年、ドアーズのジム・モリソンが1971年、いずれのミュージシャンも享年27歳だった。30歳までは、必死で自分を主張して、大人の30歳以上に反抗して死ぬ、ボンヤリとではあるが、カッコよさのようなものも感じた。当時の高校生の間には、この世の中に具体的になにか大きな不満があるわけでも、あるべき社会の具体的体制イメージがあるわけでもないのに、現状変革が必要だと思いこむ雰囲気があった。

1971年の付属高校の学校封鎖事件時の問題は、封鎖解決のために学校側が機動隊を導入したこと。学問と学園の権力からの自立、ということを普段から唱えていたはずの教職員が、いざとなると権力にすり寄った、というショックである。学園紛争はすでに下火だったが、左翼へのシンパシーを世間がまだまだ許容していた時代。メーデーの日には、教職員がバスをチャーターして、二時間目の授業終了後、メーデー会場へと集団で移動する。それを、生徒たちも「ラッキー」と思いながらも、少し応援する気持ちで見送っていたことを思い出す。事件後は、京都では各公立高校で生徒会と職員の間で話し合いが持たれたが、結論はなく、ほろ苦い思い出を残した。そしてその年度の冬、学生運動の変曲点である「あさま山荘事件」へと進んでいった。この事件を機に、左翼運動=暴力的、という印象になり、左翼運動への世間のシンパシーは徐々にではあるが雲散霧消していく。

考えてみると、1971年当時の京都の公立高校には、現状を自分たちの力で変えてより良くしたい、という自由な気分が溢れていた。「反体制」=自分たちのあるべき立ち位置、という気分が横溢していた。社会科の授業で資本主義と社会主義について次のように学んだ。「世界には資本主義と社会主義の国がある。資本主義は資本家が運営する社会である。資本家が投資したお金で作られた会社や工場で、労働者が働いて賃金を得る。資本家は儲けたお金で次の会社や工場を作り、労働者は稼いだお金で生活する。社会主義では、国は社会の平等を目指す。儲かったお金は国が公平に分配するので、次の投資を行い国は発展しながらも、社会には金持ちや貧乏人は存在しない。共産主義は、社会主義の理想的形であり発展型である」。こう説明を受けたまだまだ幼き生徒たちは、社会主義の体制は現状よりずっと良さそう、と思った。京都や大阪、東京の首長に革新系候補が当選し、世の中が変わりそうな機運もあった。学生運動はもうなかったが、左翼の思想には共鳴できる部分が多かった。

こうした話をお正月に親族が集まる時、おじさんたちに話をすると、「共産党は暴力を肯定するんやぞ、それでもエエんか」とチャチャを入れられた。そうなのかと思ったが、その直後、テレビで見たのがあさま山荘事件、「ホンマや」と思った。それ以降、左翼的主張や一見良さそうな主張には、常に「これはホンマか」という姿勢で臨んだ記憶がある。

そもそも、こうした左翼へのシンパシーは、それ以前からの積み重ねであった。韓国の政権は朴正煕大統領で、領土問題などで反日的な姿勢を明確にしていたし、北朝鮮は「地上の楽園」だという触れ込みで、日本で戦後、不遇だった在日朝鮮人への帰国事業が大々的に行われた。ソ連の科学はアメリカより進んでいて、宇宙飛行のガガーリンが日本に来たときには大変な歓迎を受けた。大学に行くなら、最先端技術が学べるモスクワ大学に行きたい、と本気で思っていた。中国からの情報は非常に限られていたが、「文化大革命」が起きていて、人民が国を発展させるための運動が行われているものだと思いこんでいた。戦後、まだ貧しい生活を送る日本人家庭が多く、アメリカ製ドラマを見て、冷蔵庫と自家用車に憧れた。五輪のTV中継で見たアメリカ人、ドン・ショランダーや、チェコスロバキアのベラ・チャスラフスカはトンデモなくカッコよかった。ひょっとしたら、こうした「欧米への憧れ」「反体制に向けた思い」は、第二次世界大戦で一時的に途切れたが、日露戦争後から日本の中でずっと続いていたのかもしれない。

本書によれば、それが、変わり始める切っ掛けは1980年の総選挙。革新政党勝利の事前予想を覆したきっかけは、選挙期間中の大平総理の急死で、結果は自民党大勝利。革新政権誕生に期待していた人たちはがっかりした。その後、鈴木善幸、中曽根康弘という政権で、バブル時代へ向かっていく。気がつくと、追いつきたかった欧米諸国に、経済的に肩を並べ、GNP、今でいうGDPで世界第二位になった。ロックフェラーセンターやコロンビア映画を日本企業が買収、日本が世界一になる、かもしれないという雰囲気もあった。社会主義へのあこがれが一気に途切れて、終わりを告げたのは、ソ連の崩壊、ベルリンの壁崩壊であった。反体制への憧れは欧米への憧れと表裏一体だったのかもしれない。その後、細川護熙政権が短期間で倒れ、村山内閣で国の自主独立を唱えてきたあの社会党が、自衛隊と安保是認を宣言して体制側に付いたときが、左翼シンパシーの終焉だった。村山富市さんの長い眉毛の向こうに、学問と学園の権力からの自立を教えてくれた先生の笑顔を見たような気がした。左右対立の時代は終わった。2009年の民主党政権誕生は、こうしたシンパシーの残像と残り香が産んだマボロシだった。本書内容は以上。

本書の内容は、ほとんど気分をシンクロできる。懐かしい気持ちで読んだからか、久しぶりに会って話をする同窓生のように感じて一気に読んでしまった。「おわりに」で、1971年連合赤軍の面々に取り付いた「悪霊」が、50年後、われわれに何かを囁きかけているのではないか、と書いている。頼りにならない現政権への信頼できる対抗軸は見当たらない。選挙で現政権がもし負けたとして、どう変えたいのかが明確にできないという行き止まり感があるために、五輪、ワクチン、何をやってもうまくいかない政権でも延命可能になっている。現在の野党には、残り香も残像も感じられない。悪霊は、どうしろと、囁くのだろうか。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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