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意思による楽観のための読書日記

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 大木毅 ***

1941年6月ナチスドイツとその同盟国の軍隊は、独ソ不可侵条約を破りソビエト連邦に侵攻した。1945年まで続いたこの戦争を独ソ戦と呼ぶ。その戦線はフィンランドからコーカサスまで数千キロに広がり数百万人の大軍が衝突した。歩兵による対陣、装甲部隊による突破進撃、空挺作戦、要塞攻撃など現代陸戦のあらゆるパターンが展開されたという。この戦いの中で、ジェノサイド、捕虜虐殺など、軍事的には無意味である蛮行が繰り返され、絶滅戦争と称される。

日本における太平洋戦争の死傷者数と比較すると、独ソ戦の規模が想像できる。1939年時点の日本の総人口は7138万人、動員された戦闘員のうち210-230万人が死亡、非戦闘員は55-80万人が死亡したとされる。一方、ソ連の1939年人口は1億8879万、戦闘員の死者数は866万ー1140万人、民間人の死者数は450万ー1000万人、疫病や餓死で800-900万人が死亡したとされるが、国家イメージ低下防止のためこうした数値は正確には報道されなかったとされるが、死者総数は2700万人だとされている。ドイツ側の1939年総人口は6930万人、独ソ戦以外の戦闘も含めて戦闘員444万ー531万人、民間人が150万ー300万人に及ぶとされる。

ヒトラー以下のナチスドイツ軍は、優秀なゲルマン民族が、劣等人種であるスラブ人を奴隷化する「世界観戦争」と定義した。世界観戦争とは劣等とする人種は皆殺しする闘争であり、戦闘員、民間人、子供などの区別はしないというもの。対するソビエト連邦指導者のスターリンはコミュニズムとナチズムの戦いであり、ファシストを撃退し祖国を守る「大祖国戦争」であると定義した。ファシストは道徳的、倫理的に許されない敵を滅ぼす聖戦であるという認識を民衆レベルまで広めることで、ドイツ軍に虐殺された犯罪行為に対する報復感情を正当化した。こうした扇動を双方の軍隊が受けた結果、現代の野蛮というべき凄惨な戦闘と殺戮が繰り返されたのが独ソ戦であった。

多くの戦争回顧録では、こうした蛮行や戦争の戦略策定の無謀さを死んでしまったヒトラーとスターリンにその責任を押し付けるような記述がみられたが、実際には国家レベルを上げての蛮行や戦略策定と実際の無謀さは、一人の独裁者による独断と強引さに起因するだけではないことは明らかである。本書では、緒戦のドイツ軍の勝利から、戦いの後半におけるソビエト軍と連合軍による東西からのドイツ挟撃戦の実際について検証する。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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