意思による楽観のための読書日記

わたしのイギリスあなたのニッポン 高尾慶子 ***

私だからこんなことができた、という自慢話だ。

日本の京都に生まれてイギリス人の男性と結婚、京都とロンドンに暮らし、その後その弾性とは離婚して日本に帰った後に一人で再び渡英した筆者のイギリス観。異国に暮らすなら差別されることは当たり前と思え、嫌なら自分の国に帰りなさい、と言う、これには誠に賛成。筆者の姪がイギリスの学校でいじめられてこういったという。「私は無料の特権生徒ではないの。あなた方はお父さんが軍人だからこの学校の授業料免除でしょ、私のおばさんはロンドンのレストランで働いて、この国に税金を払っているの、その税金であなたのお父さんの丘陵や軍隊の武器代になっているの、あなたの大嫌いな外国人があなた方の授業料を払っているのよ」あくる日、クラス中の生徒がいじめたことを謝りに来たという。筆者の元夫は「彼女はこの国で立派に生きていける」と言ったという。

イギリスの警察が怠慢だという話。空き巣に入られたので警察に通報すると、警官が来た。ドアの入り口で「靴を脱いでくれ」と言うとこう答えた。「我々は忙しいのだ。日本の警察のように犯罪の少ない国いるのではない」これと同じ経験を私もした。アメリカに住んでいるときに住んでいたアパートのシャワーが故障したので、修理を頼んだ。修理に来た配管工に玄関で「靴を脱いで作業をして欲しい」と頼んだら「靴は安全確保のために脱ぐことはできない、靴をぬぐなら作業はしない」と答えたのだ。「じゃあ帰れ」と言いたいところだったが、シャワーを修理して欲しかったので、「口の泥をきれいにぬぐって部屋に入ってほしい」などと妥協したことを思い出した。

イギリス礼賛の本が多いことを嘆く筆者、そういう本を読んでイギリスに来たときに感じた落胆。食べ物はまずく、人々は不愉快で、子供っぽくてゆとりなどない人達だった。日本人が新幹線を降りるときに自分のゴミを手に持ってプラットフォームのゴミ箱に捨てるさまをイギリス人に見せたいという。

イギリスの大学病院に就職面接を受けたときの話。東洋人は雇いたくないという面接官に次のように言った。「私の国ではイギリス人はあなたなような美しいクイーンズイングリッシュを話すと信じています。ところがこの国ではコクニーやアイリッシュなどひどいアクセントで話しています。そのような職場で働けば私の英語もそのような言葉になるでしょう。私の夫はイギリス人ですが、一日中一緒にいるわけではありません。この職場で入ればあなたのようなきれいな英語を話せるようになると思うので就職したい。」これで就職できたというのである。ほんとうの話かもしれないが、これは鼻持ちならない自慢話だ。イギリス人は英語を大事にすることは確か、しかしそれは優越感の裏返しである。優越感は教育の裏付けがあり、その裏付けを逆手にとってうまく行ったということ。それでもイギリスで暮らす日本人には大いに参考になるだろうことは想像に難くない。

ジョン・レノンが教養もないオノ・ヨーコにたぶらかされたことを悲憤する筆者、これはよくわかる。日本では全く知られていなかった女性、そして有名になったいまでも尊敬されてはいない女性である。なぜジョン・レノンは前の妻と別れても一緒になりたかったのかを冷静に分析している。これはすでに筆者がイギリス人になっている証拠のような逸話であり、読んでいて好ましい。

イギリスには度々行ったことのある私には同感、違和感、入り混じる。イギリス人には良いヤツも多いのだが、優越感を隠しえないことろが単純というかわかりやすいというか。この本を読んで感じたのは、私の付き合ったイギリス人もこの本に書かれたように有色人種とのコミュニケーションにも難しい物を感じていたのだろうか、ということ。そういえばやたらに日本が褒められたことは記憶にあるが、それは自分もイギリスのいいところを見つけようとしたことと相似形だったと思うのだが。わたしのイギリス、あなたのニッポン
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↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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Unknown
姫路出身ですよね?
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