幕藩体制の限界と列強諸国からの開国要求を受けて起きた明治維新は、大名が統治する諸藩に分権された封建的専制体制から、日本という国民国家となる大きな社会変革でした。日本としての大改革だったとは思いますが、そこに科学的考え方の未熟さや宗教的倫理観欠如があると指摘した西欧人がいました。イギリス人女性イザベラ・バードは明治維新の10年後となる1878年頃に日本を訪れ、東北、蝦夷、関西を旅して、日本で起きている明治維新の意義と日本人の持つ文化を高く評価しました。一方、教育において「倫理」が教えられていないこと、そして西洋の技術や文化、考え方を受け入れる素地のない人々にも強制することで、上辺だけの外国文化理解や知ったかぶりの危険性があると指摘しています。さらに、明治政府の財務体質が弱いことをあげ、江戸時代に大名が庶民に借金した証文を新政府が返済しなければならないこと、このために今でいう国債を発行していることにも言及しています。彼女は次のように言います。「日本の将来にかかる暗い影は、財政不安よりも、キリスト教の果実を、それが育った木を移植することなしに獲得しようとしていることに根ざしている。仏教が廃れ、儒教での道徳の教えも一部の特権階級であった武士の階級にとどまっているこの国では、国民が高潔さと立派な精神を持つことで初めて日出づる国になり、東アジアの光明になれると考える」(「イザベラバードの日本紀行」より)第一の開国後の将来の失敗を予言するような言葉だと思います。
第一の開国を迎えようとしていた江戸時代の終わり頃、隣国中国がアヘン戦争で骨抜きにされ、列強諸国にいいように植民地化されるのをみた日本の知識階級が、明治維新で最も重要視したのは日本人自身の手による改革でした。当時の一流国である英仏独露西に対抗できるアジアの一流国になること、それが明治の日本人の目指したビジョンでした。殖産興業、富国強兵で『坂の上の雲』を見た明治日本人の夢は、日清日露戦争での勝利、第一次世界大戦後の領土拡大で達成できたかに見えました。しかし、その後満州事変から太平洋戦争に突入、敗戦を迎え、「第二の開国」を占領により強制されることになりました。
こう振り返ってみると、明治維新で行った第一の開国での急速な改革が国家勢力の発展のみに傾斜していたために、時の為政者は列強諸国の後を追うように強硬な植民地政策を実行せざるを得なかった、その結果世界での孤立と太平洋戦争開戦、そして第二の開国を余儀なくされることに繋がったのではないでしょうか。明治の教育者、新渡戸稲造は、「文明の遅れた国に先進国が植民を行うことは『文明の伝播、地球人化』である。植民地統治は列強の倫理的使命であり、先進国としての崇高な歴史的使命」だと考えていました。当時の知識人としては普通の考え方だったのかもしれません。歴史を振り返ると、植民地支配のための軍艦来航前には必ず布教者が来航しています。しかし多くの場合先進国による布教は植民地支配を容易にする支配への前奏曲であり、布教に続く植民地統治では、軍事力で劣る植民地の人々を搾取、支配してきました。儒教が人民統治に重要と考えたのは五徳(仁義礼智信)であり、キリスト教の布教者は自由・平等・寛容・博愛の精神を唱えていますが、領土拡大を図ったいずれの国における統治でも、自国が行う植民地統治では現地人に対してこうした教えを実践してはいないのです。国により程度の差はあるでしょうが、バードが懸念した倫理観を自国が行う統治戦略には活かせていなかったのです。
戦後の経済発展は経済至上主義ともいわれ、1960―70年代の日本人は欧米マスコミからは「働き蜂」とも揶揄されながらも日本を世界第二の経済力を持つ国に引き上げました。その後の東西冷戦終結、バブル崩壊、リーマンショックを経て日本は「第三の開国」を迎えようとしているというのが第三の開国論です。それでは第一の開国失敗は活かされていたのでしょうか。和辻哲郎は1950年に発刊された著書「鎖国」で、太平洋戦争を迎え、そして敗北した原因は「科学的精神の欠如であり、合理的な思索を蔑視し、偏狭な狂信に動いた人々が日本民族を悲劇に導き入れた」と分析しています。これは個人もさることながら国家的意思決定のプロセスで科学的精神を生かせる仕組みが日本には組み込まれていなかった、という指摘です。丸山真男は1959年に発刊した著書「開国」の中で次のように述べています。「一体として外から迫ってきた国際社会に対して、日本は否応なく世界とわれの意識を目覚され、自己と全く価値体系と伝統を異にする西洋に屈服するか、自足的な体系を固守するかを迫られた、これが明治の開国であり、太平洋戦争に至る道であった」(「開国」丸山真男より)イザベラバードが1878年に指摘した懸念事項は、50年後である昭和時代においてもある意味で的中していたと考えられるのです。
そして現代、第三の開国を迎えるに際して、第一、第二の開国で喫した失敗を生かすために、私たちは何を考える必要があるのでしょうか。「自由の気風はただ多事争論の間に在りて存するものと知る可し。単一の説を守れば、其の説の性質はたとひ純精善良なるも、之れに由て決して自由の気を生ず可からず」と福沢諭吉は「文明論の概略」で唱えています。丸山真男は1943年の戦争中にそれを参照して次のように述べています。「今の国家主義者を見ると、福沢諭吉の個人主義と国家主義はバラバラに切り離されて、歴史的地盤とその上に浮遊するがごときである。」戦争のまっただ中であり注意深い記述ですが、国が国家主義へ大きく偏向して個人の内面的自由を抑圧している批判をしているのです。個人の倫理観や道徳律をもって、国家としての暴走をなぜ止められなかったのでしょうか。
「昭和史の根底には満州の赤い夕日があった」としたのは「昭和史」の著者 半藤一利氏、日本が日露戦争の結果、資源と市場である満州の利権を手に入れたことが、その後の日中戦争につながったと指摘しています。アメリカがベトナム戦争に突入してしまった最大の原因は「大きな市場として期待していた中国の喪失だった」としたのは「それでも日本は戦争を選んだ」の著者 加藤陽子氏です。経済発展のために必要なのは大きな市場であり、アメリカは中国に続いて東南アジアが次々と共産化することを恐れた、という指摘です。時の為政者は国中から集められた「ベスト&ブライテスト」、しかし士官学校などの超一流教育を受けた純粋培養のエリート集団が国のため、と考えると歴史の教訓も誤用してしまうという主張です。判断に迷った為政者が戻るべき場所はどこなのか、それが「自国の経済や市場」だけでは判断を誤るのではないかという指摘だと思います。日本が満州事変から日中戦争に突入したときにも、建前は別にして「資源と市場の確保が国家の生命線」という主張が為政者が判断に迷った際に戻った場所でした。当時それを煽ったマスコミや知識人にも責任はあるでしょうが、そうした流れに乗ったのは当時の日本人でした。(「昭和史」、「それでも日本人は戦争を選んだ」、「日本の失敗」松本健一著より)国として大切なことは自国経済や資源だけではないはずだ、というのが第一、第二の開国での失敗の教訓ではないでしょうか。
イザベラバードの指摘していた懸念は、130年を経た現在の日本にも国家財政の脆弱性も含め結構当てはまりそうです。「西欧におけるキリスト教の果たした道徳的役割を輸入せず、その果実たる先進技術のみを活用している。日本には道徳律の確立が重要である。」バードが指摘していた道徳律の確立について、現代で考えれば、個人、企業、国それぞれのレベルでの社会や地球環境に向けた責任の遂行、道徳観の実践を考えなければ第一、第二の開国の失敗を繰り返してしまうことにならないでしょうか。当たり前のことなのですが、為政者が判断に迷った際に戻るべき場所は「経済と資源」だけではなく、地球環境や国際社会での自国の責任を果たすことを加える、というのが国家レベルでの社会的責任の考え方だと言えます。福沢諭吉や丸山真男の考えは、それを現代に当てはめて考えるならば、個人の社会的責任を国家レベルに広げて実現することが理想だったとは言えないでしょうか。つまり、第三の開国で日本に必要とされるのは、個人や企業が必要とされる社会責任を国家レベルで果たす、いわば地球(グローバル)責任の履行であるというのが、戦後の高度経済発展とバブル崩壊を経験した日本企業と国民が考え、果たすべき役割ではないかと思うのです。
過去に学ぶべきであるにもかかわらず、何度も同じ過ちを繰り返してきたことが人類の歴史です。経済発展なき中での社会的責任や道徳律の実現はあまり意味がないでしょう。しかし、成長と沈滞の間を振幅する日本経済を見ると、第三の開国を考えるに際しては、少々経済成長偏重であった経済成長時代を反省し、福沢諭吉の唱える多事争論の考え方や、儒教の五徳を政治や外交に生かすチャンスが到来したと考えたらどうかと思います。太平洋戦争後、第一、第二の開国に比べて多少は進んだ国家レベルでの政治・外交の国際化、個人が持つ道徳観や倫理観を国家レベルでも実現することが前提である、と思います。日本国民である私たちに今できることは何でしょうか。
イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)
坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)
文明論之概略を読む 上 岩波新書 黄版 325
「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)
文明論之概略を読む 下 岩波新書 黄版 327
昭和史 1926-1945
それでも、日本人は「戦争」を選んだ
日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)
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