勝海舟は「氷川清話」で次のように述べている。「おれは、今まで天下で恐ろしい者を2人見た。それは横井小楠と西郷(南州)隆盛だ。横井の思想を西郷の手で行われたらもはやそれまでだと心配していたに、果たして西郷は出てきたわい」。坂本龍馬は「西郷や大久保がする大芝居を見物されると良いでしょう。大久保達が行き詰まったりしたらその時ちょいと指図してやってください」と懇請したという。吉田松陰、高杉晋作など幕末の英傑達がこぞって一目置き師と仰いだ横井、維新の青写真を描いた男である。
幕末の熊本藩で時習館に学び、江戸に学んで藤田東湖、川路聖謨らと交友、福井藩の松平春嶽に招かれて政治顧問になった。1860年、国是3論で開国通商、殖産興業、富国強兵を提唱、幕政改革に手腕を振るった。後に酒の失敗などで不遇を託ったが、坂本龍馬などに慕われ影響を与えた。維新後には新政府の参与となるが明治2年暗殺された。
横井の思想は実学で始まった。「治国安民の道、利用厚生の本を敦くして決して智術功名の外に馳せず眼を第一等に注け、聖人以下には一歩も下らず日用常行忠信孝弟より力行して、直ちに三代の治道を行ふべし。是すなわち堯舜の道・孔子の学、是正大公明真の実学」
国是3論では、①富国論:信義に基づく平和外交と通商、参勤交代廃止と開国 ②強兵論:海軍増強 ③士道論:文武両道を旨とする。 これを福井藩で実践し日本の国是とすることを考えていた。このころ高杉晋作が福井の横井を訪ね人物識見に敬服している。
松平春嶽が幕府の政治総裁職になったときにはそのブレーンとして国是7条を策定した。①将軍は上洛して朝廷に無礼をわびる ②大名の参勤交代をやめる ③大名の妻を国元に帰す ④ 外様、譜代の区別なく人材を登用する ⑤言論の道を開いて天下公共の政治を行う ⑥海軍を増強する ⑦相対貿易をやめ官貿易を行う。 このころ龍馬と出会っている。龍馬はこの国是7論に共鳴、冒頭の船中八策につながっていく。
横井が渡米する弟子に与えた送別の辞。「堯舜孔子の道を明らかにし、西洋器械の術を尽くせば、なんぞ富国に止まらん、なんぞ強兵に止まらん、大義を四海に布かんのみ」 世界における日本のビジョンを示している。現代の混迷する政治家達にこうしたビジョンを期待したいものである。
そして国是12条。①天下の治乱に関わらず一国(藩)の独立を本となせ ②天朝を尊び幕府を敬え ③風俗を正せ ④賢才を挙げ不肖を退けよ ⑤言路を開き上下の情を通ぜよ ⑥学校を興せ ⑦士民を慈しめ ⑧信賞必罰 ⑨富国 ⑩強兵 ⑪列藩に親しめ ⑫外国と交われ
このように横井の国是7条は12条につながり、龍馬の船中八策が新政府綱領八策に、そして由利公正の五箇条のご誓文にとつながっている。一言で言えば「富国有徳」、今の日本に必要なことである。
横井小楠―維新の青写真を描いた男 (新潮新書)
