時代は昭和43年、昭栄化学(昭和電工がモデル)は大分に石油コンビナートでエチレンプラント建設を計画、コンピュータ制御によるプラント制御システムの導入を図る。昭栄化学でコンピュータ制御技術の担当者だった柿崎は糖尿病の持病をおしてプラント立ち上げに奔走、東京から大分に単身赴任して猛烈に働く。その後家族を大分に呼び寄せるが、猛烈ぶりは変わらない。大分での市議会議員選挙では昭栄化学は候補者を立てて選挙運動に励む。柿崎は本来の業務ではないと反発するが、近所の九六位神社に選挙運動に立ち寄るなどの協力をする。昭栄化学は阿賀野川流域の水銀中毒事件で被告になっており、一審判決を無条件で受け入れる、という経営判断をしているが、工場運営は地元の理解が得られて初めて成功する、ということを肝に銘じている。大分ではそうした努力の結果、選挙の候補者は当選する。こうした働きから、プラント立ち上げは成功、地元の理解も得られる。
物語の後半では大分のエチレンプラントを見学した中国から技術移転注文が入り、柿崎が技術指導者として訪中、先方からも絶大な信頼を得る。こうした中、柿崎の糖尿病は悪化、視力は極端に低下している。さらに、急性白血病を発症した柿崎は発熱の中、中国から訪日した技術団を受け入れようとする中で倒れ入院、闘病の甲斐なく数ヶ月後この世を去る。
家族はこういう猛烈に働く夫、父をけなげに支える、という視座から語られるが、仕事に打ち込み、一生懸命働くことは正しいこと、という価値観が前提であり、こうした前提があって日本の経済発展が成し遂げられたことも事実である。柿崎は死に際に次のようにいう。「俺はどんなことでもつねに全力でやってきた。だから未練はあるが悔いはない。」こうした言葉を座右の銘にしたビジネスマンは多いと思う。今の若者はどう思うのであろうか。
生命燃ゆ (新潮文庫)
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