Whippet Tenny

犬なのに犬でない、不思議な犬との生活です。しかしフィールドでは、短距離最速を誇ります。

ラルフのこと

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ここ数年 お祭り広場で一緒に走った犬が虹の橋を渡っていくことが増えた。

寂しい限りである。


話を聞くと夫々の犬には、夫々の犬の物語があることが分かる。それは十有余年という

人間の一生から見たら決して長くはない犬生に於いて、しっかりと足跡を残し飼い主や

家族との深い絆を結んだ証であると思う。


ここに今から30年近く前、生後4か月で虹の橋を渡っていったあるウィペットの子犬の

物語がある。この物語は元々はテニーのホームページに掲載されていた。ところがその

ホームページがプロバイダーの都合によりサービス打ち切りとなってしまった。

そこで改めてこのblogに掲載しておこうと思った。その子犬が我が家に来たことによって、

テニーに繋がり、それが千葉組の誕生→CLCCへの発展へと繋がって行ったからである。



■出会い
実はテニーは我が家にとって、2代目のウィペットである。
先代は平成2年の暮れに、保健所の里親制度によって我が家に来た。

保健所に行くと、沢山の日本犬系のムクムクとした子犬の群れから、1頭だけ離れて小さなケージに入れられている犬が居た。
両手で抱き上げると、太いソーセージに細長い手足をつけたような、何とも奇妙な格好でダラーンとしている。およそそれまでの
私の中の子犬の範疇に納まらない、変わった姿形であった。

保健所の人がウィペットという犬です、競争犬ですよと教えてくれた。生後3ヶ月位だという。「大きくなるんですか?」と私。
「いや、いや。中型犬です」と言って、犬図鑑を見せてくれた。見ると胸が深く、ウェストがくびれ、手足が長く格好が良い。
家内に「これに決めよう」といって、貰うことにした。


■命名
ダンボール箱に入れ、車の後部座席において、つれて帰ってきたが、途中ワンともクウとも言わず、ただプルプルと震えていた。
「大人しい犬なんだな」これが第一の印象。

環境に慣れるまではそっとしておいて下さいと、保健所の人に言われていたので、ダンボールの箱に入れ、玄関の端に居場所を
作ってやった。本当に大人しい犬で、鳴くことを全くしなかった。そこで勇ましい名前にしようと家内が言って「ラルフ」と名付けた。

ところが4,5日して、近くの空き地に連れ出した時から、印象が一変する。とんでもなくすばしっこい、走るのが速い、速い。
コロコロとした子犬の雰囲気は全く無く、一直線に飛んで行き、そして突然方向転換する。これが競争犬なのかと、そのスピード感に
シビレた。早く大きくなって、広い公園に連れ出し、思い切り走らせてみたい。期待が高まった。

■昭和54年以来仕事でお付き合いのある世良さんが 想像で書いてくれたラルフとテニーの絵


ラルフとテニーが一緒にいたことはない。この絵を見て私は宗教画がなぜ生まれたか何となく理解した。


■発病
しかし、年が明けて、1週間ほどした頃から、鼻水を垂らし、食欲も無く、元気が無がなくなった。風邪でも引いたかと、
それまで外飼いをしていたのを、家の中に入れてやった。それから2、3日した頃の朝、突然背中をまるめ、口を大きく広げ
痙攣した。ものを吐くのかと思ったがそうでもなかった。しばらくするとまた同じ動作。不気味な予感がした。丁度その日は
私も疲れていて会社を休んでいた。早速獣医さんの所につれて行った。「ジステンパー」の可能性が有ります。ドキンとした。
小さい頃家に来たばかりの秋田犬の子犬をジステンパーで亡くしたことがあった。不治の病。

この痙攣は1日に何回か周期的に起き、そしてその間隔も短くなっていった。「間違い有りません。ジステンパーです」と
獣医に宣告された。「治るんでしょうか。」期待を込めて聞いたが、「難しいです。治っても後遺障害が残る可能性があります」
と獣医。悄然として家につれて帰った。ともかく保健所に連絡しよう、同じ頃保健所にいた子犬たちが感染しているかも知れない。
ところが保健所の対応は全く予想に反したものだった。「なんだったら、内で引き取りますよ。」「で、どうするんですか」
「処分します」ショブン?何てことだ、ふざけるな、何があっても最後まで面倒見てやらぁ~。憤然として電話を切った。


■闘病
しかし積極的な治療法は無かった。点滴とせいぜい高栄養の食事をさせるしかなかった。それでも夕食の時間になると、
寝床からキッチンまで這い出してきて、テーブルの脇にきちんとお座りし、オネダリをする。その健気な姿に、誰もが悲しくなった。
家中で一番泣き虫な長男は、自分の茶碗に大粒の涙をポロポロとこぼしながら、その飯をそのままかきこんでいた。

だが、まだトイレの躾も出来ていないジステンパーの子犬を面倒見るというのは、生半可なことではなかった。発作が起きた時の状態は、
だんだん酷くなっていった。家の中を全速力で走り回る。それが夜昼を問わずおきる。すると家内が毛布を持ってラルフを追いかけ、
うえから抱きかかえ、「大丈夫よ。怖くないからね。よしよしラルフは良い子だね」と宥める。すると最初はぶるぶると震えているのが、
しばらくすると静かになる。それの繰り返しであった。見かねた獣医が、これに入れておきなさいと言って、バリケンを貸してくれた。
発作がおきると、そのバリケンジがゴトゴトと揺れた。中には病気のラルフが入っている。夜中にその音を聞くのは、不気味であり憐れであった。

■そして
それから1週間ほどすると、自力で立つことも食事を取ることも出来なくなってしまった。目をつぶったまま、かすかに息をしている
だけであった。獣医に見せると「これ以上治療をしても、苦しむだけですよ」と治療の打ち切りを進められた。矢張り決断する以外に無いのか、
しかし、このままここで別れをするのは、なんとも忍びない。子供たちにもきちんと説明し、別れをさせてやりたいと思った。獣医にその旨を告げ、
家に連れて帰った。子供たちに、事情を説明すると、堰を切ったように泣き出した。なかでも犬を飼うことをねだった、長女が一番ショックを
受けたようだった。

子供たちをなだめた後、風呂に入れてやった。病に冒されながらも、僅か1ヶ月の間に、ラルフは確実に大きくなっていた。だが最早体に力は
入らなかった。自然と涙が流れて止まらなかった。

そして車に乗せた。私が運転し、家内が助手席に座り、その膝の上にラルフを横たえ病院に向かった。末の娘がどうしても一緒に行くと言って
乗り込んできた。ところが普通は10分少々で着くところが、夕方の渋滞にはまり込んで、なかなか車が進まない。イライラするなかで
時間が過ぎていった。と、突然ラルフが「ワン、ワ~ン」と2度大きく吠えた。ラルフが大きな声で吠えるのを聞くのは、私はそれが始めてであった。
「どうしたのラルフ。大丈夫?」と家内が声をかけた。そして突然「あっ、心臓が止まっている」と叫んだ。ラルフの胸に手を当てた。
確かに鼓動がしない。それまで弱々しくても、コトコトと動いていた、心臓の感覚がなくなっていた。兎も角獣医に見せよう。病院へ急いだ。

病院へ着いて、獣医さんに見せたところ、矢張り既に言切れていた。「残念だったですね。でも最後を見とれて良かったですね」と声をかけてくれた。
最後? では、あの泣き声は、今わの挨拶だったのか? 僅か4ヶ月の子犬が、僅か1ヶ月しか家にいなかった子犬が、一番世話を焼いてくれた人に、
きちんと暇乞いをして死んでいったなんて。犬は3日世話を受けるとその恩を忘れないと言うが、全くその通りだった。悲しさとそれ以上の愛おしさが
猛然と湧き上がってきた。

■告別
別れの挨拶をきちんとして行ったラルフに対しては、それなりのことをしてやろうと思った。またそうでもしないと気持ちを落ち着かせることも
出来ないと思った。色々と調べた結果、ペットを火葬し納骨させてくれるところが有る事を知った。そこはなんとラルフを貰ってきた、保健所の
隣だった。我々一家5人はラルフの遺骸を車に乗せ、そこへ向かった。その道は僅か1ヶ月前にラルフを連れて帰ってきた道だった。
社内は無言だった。

火葬場の炉の前には、小さな祭壇がしつらえてあった。一人一人が1本ずつ線香をあげ冥福を祈った。5本の線香の煙が静かに流れていった。
と、突然ゴォーッと炉が鳴った。ラルフの遺骸を焼く炎の音だった。めったに泣くことをしない末の娘が、ひとしきり大きく啜り上げた。
この炉の音と娘のすすり上げる声は、今でも私の耳に残っている。
30分程でラルフは骨になった。その骨は両の手のひらにスッポリと収まってしまう小さな骨壷に収められた。

この僅か1ヶ月のラルフとの生活が、それまでの私の犬に対する認識を大きく変えた。きちんと世話をしてやると、本当に家族の一員となる。
そして走らせることが出来なかった、ウィペットという犬への憧れが強く残った。


■エピローグ
平成3年の1月にラルフを失ったことがまるで切っ掛けのように、その後市原家の生活は暗転した。

平成4年8月には私が透析生活に入った。当初は腹膜透析を行ったが、これが全くの大失敗で状態が安定せず毎年夏になると入退院の
繰り返しであった。それと前後し私が社長を務めていた会社がバブル崩壊のあおりを受け倒産してしまった。

腹膜透析を血液透析に切り替え、仕事を立て直し、生活を再建し巡行飛行に戻すのに10年の月日を要した。

そしてラルフの死から12年後、念願だったウィペットの子犬を我が家に迎えた。テニーである。



■当家に来たばかりの頃のテニー


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マント調達

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テニーもかなり老いが進み、真夜中に排尿に連れ出さないといけないようになりました。

12月に入りかなり冷え込むようになり、夜に外に連れ出すにはそれなりに防寒に

気を付けないといけません。


防寒着は数年前に作ったフリース地のロンパスを持っているのですが、排尿は待ったなしなので

4本の足をユックリと通している暇は有りません。


そこでワンアクションで着れるマントは無いかとippukuさんに相談したところ、既製品を紹介されたのですが

我儘を言い これに若干手を加えてもらい 腹帯形式でワンタッチで止められるものにしてもらいました。


■ゼブラ柄のもの





■無地のネービー





着せてみたところ、文字通りワンアクションで着せることが出来、夜の排尿にも具合が良いです。

また生地はフリースで軽く暖かく、大きさもたっぷりしているので 重ね着にも対応できます。

そこで朝晩の散歩にも使っています。


これで今冬を乗り切り 春の16歳を目指します。

ippukuさん ありがとうございました。
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CLCC 2018年秋第2回ルアーコーシング写真-その2

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11月4日に行われた CLCC 2018年秋第二回ルアーコーシング写真のその2を

アップします。これで全てです。


尚、写真を提供くださったニケケロパパさん どうもありがとうございました。


■午前 左回り ゴール地点より




























































































































































---以上 その2 終わり---





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CLCC 2018年秋第2回ルアーコーシング写真-その1

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11月4日に行われた CLCC2018年秋第二回目の単独走行の写真を

ニケケロ家が撮って送ってくれました。全体で1300枚余ありましたので

その中から各ワンコが平等になるように写真を抽出してアップします。

写真は午前中の左回りの1走目2走目を写したものです。


尚、拙blogは一日当たりの写真アップロード枚数に制限があるため、以下は

約半分の枚数になります。残りは、その2として近日中にアップします。


■午前 左回り ゴール地点より










































































































































---以上 その1 終わり---
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CLCC 2018年秋第二回ルアーコーシング

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11月4日 少々肌寒いコンディションの中、CLCC 2018年秋第二回ルアーコーシングを

恒例の 野田市お祭り広場で開催しました。

コースはU字型240m これを午前は左回りで2走、午後は右回りで1走と多頭レースを

楽しみました。参加頭数は43頭、体験走行1頭でした。


■恒例の集合写真



レース中の写真は、下記に素敵な作品がアップされています。

  ・彪ちゃん家

  ・アシュ・ボル家


心配していた雨も、途中パラパラとは有ったものの、雨具を出すまでもなく

レースは順調に進み、3時過ぎには全てのレースを無事に終えることが出来ました。

何時ものことですが、コース設営・撤収作業に皆さんが積極的にお手伝いいただき

本当にありがとうございました。これもCLCCのアトホームな雰囲気を支えている

重要なメソッドだと思います。大事にしていきたいと思います。


今日、柏には激しい雨が降りました。一雨ごとに季節が進んでいくと思います。

皆様 ワンズ共々くれぐれもご自愛ください。

そして来春に またお祭り広場でお会いしましょう。



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11月4日のルアーコーシング

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11月4日は CLCC2018年秋第二回ルアーコーシングですが、

  予定通り開催します。

受付開始9時 レーススタート9時半を予定しています。


会場の状態は、10月14日に向けて整備されて状態がキープされていますので

良好です。


■草が綺麗に刈り込まれたお祭り広場





それでは皆さんお祭り広場でお会いしましょう。
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2018年秋第一回のルアーコーシング

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絶好の天気の下、本日10月21日順延されたCLCC2018年秋第一回ルアーコーシングを

野田市・お祭り広場にて開催しました。


■恒例の集合写真

  写真は JJ母さん提供によります


順延した大会だったために、参加頭数はいつもより少なかったものの

その分タップリと走りこめたと思います。


最後にいつもながら撤収作業へのご協力ありがとうございました。

次回は11月4日を予定しています。
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2018年秋第一回のルアーコーシングについて

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従来はルアーコーシングの開催の有無は、大会当日の朝6時までに

このblogで行っていましたが、今回は都合により

 CLCCのホームページで

行います。皆さんご注意ください。








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老いるテニー

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テニー昨日で15歳と半年になりました。元気にしています。

ただ15歳の声を聴いてから急速に老いが進みました。

■テニー近影。背中が丸くなってきました。




先ずあれ程好きだった散歩を行きたがらなくなりました。特に中間点までの「行き」は、本当に嫌々と歩き、

リードを引っ張ってやらないと中々前へと進みません。ところが中間点を過ぎると、全く別の犬のように

元気に歩き始めます。散歩を忌避するのは肉体的衰えよりもメンタルな部分が多いようです。以前から現金な

犬だと思っていましたが、その傾向が益々強くなってきました。


それでもひと夏だましだまし、朝晩1km~1.5kmを歩かせた結果、この夏を無事に乗り切り、今では2kmの

コースをこなすまでに回復してきました。

■8月下旬涼しくなった日に、久し振りに2km越えの散歩をしました。





家に帰ってくると、食事と飲水と排泄の時以外は大好きなカドラーで一日中寝ています。


■一日中カドラーで寝ていることが多くなりました。






で近頃急速に目立ってきたのは、そのカドラーから起き上がるときに、タイミングを失すると一人で

起き上がることが出来なくなってしまうことです。体の一部がカドラーの外にはみ出している時などは、

上半身は立つのですが腰が立たずに結局起き上がれません。先日所用があり5時間ほどお留守番をさせたのですが、

どうやらその時に起き上がれなくなり、長い時間 もがいていたらしく、前足の肘関節に当たる部分に血がにじんでおり、

畳が一部ささくれだって、お漏らしをした跡が残っていました。それ以来お留守番をさせることが出来なくなってしまいました。


家の中で排尿、排便をしてしまうことも増えてきました。また排尿の回数も増え、真夜中に外に連れ出すことも

毎晩のこととなりました。元々は家の中で排泄行為をしない子だったので、トイレシートにするというしつけは

入っていません。これは今から考えると失敗だったと思います。


食事も食べる量が減っています。ドライフーズだけでは見向きもしません。あれこれトッピングして、やっと1食分を

一日かけて食べている状態です。おかげで夏前に15kgあった体重が、近頃では14.5kg程度に減ってしまいました。


近辺のテニーと同世代の子たちが、どんどん虹の橋を渡っていき、いつの間にかテニーが最年長の犬に

なってしまいました。寂しい限りです。


でも内臓系の問題も特に無く、関節も傷んでいる様子が見られないので、散歩を中心にとした運動を続け、

少しでも長く元気で過ごさせてやりたいと思っています。
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チーターラン一般公開

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去年の12月にテスト的に公開された ズーラシアに於けるチーターランの

一般公開が始まったので 5月26日に孫たちと行ってきました。


■4人の孫たちと


孫はもう一人いるのですが、まだ小さくてお母さんべったりで。。。





チーターランの一般公開は、ズーラシアのホームページに小さく

掲載されたのみですが、結構な人がそれを目当てに来ていました。

■チーターランを待つ人たち




コースはCLCC的に言うと オーバルの300m程度。

これを1走目は左回りに、2走目は右回りに走りました。


■1走目の左回り








ルアー・三角ポストやプーリーはCLCCの仕掛けと全く同じです。



■2走目の右回り。ショートカットし岩の間から飛び出してきました。結構本気モードです。















見事なダブルサスペンションギャロップでした。


一般公開はこの2走だけ。時間にして僅か5分程度。

飼育員の方に聞いたら、チーターランをする個体は一頭だけで

調教しているわけではないので、2~300m走ったらもう走らないとのことでした。


でも迫力は十分で、ギャラリーからも歓声が上がっていました。

サポートした私も トラブルなく走っていたので安心しました。








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