典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

子育てを考える その1

2007年01月07日 | 〈雑記〉孫や子ども達、若い人と
 そもそも、子どもは可愛いものだと考えること自体が間違っている
のではないだろうか?と思う。

 赤ん坊は、夜昼構わずぎゃあぎゃあ泣く。乳をやり、おしめを替え
ばならない。生んだ途端、生み親は自分の生活のペースは狂わされる。
 
 ウンチは臭い!
 ところが、自分のウンチは臭くても平気と同様に、我が子のウンチは
汚いとは感じない。
 固さや色をみて、子の腹具合を案じるし、手についても平気だし、
おしめも当然のこととして、洗濯をすることが出来る。
 そんなとき、ふと、自分もこのようにして親に養育されたのだと
気づく・・・。

 まあ、今は紙おむつの時代である。私が子どもを産んだ頃にも紙お
むつはあったけれど、高いので外出や旅行のときしか使わなかった。

 赤ん坊の夜鳴きは、ほんとうに辛いものである。いくらあやしても
泣き止まなくて、頭がおかしくなりそうだった。側に誰かがいてくれて
こそ、耐えることが出来たのかも知れない。

 子どもを産むと自分の気持ちや都合は、二の次になってしまうのだ。
だがしかし、乳をのみ、すやすやと眠る子どもを愛しいと感じるから、
しんどさ辛さも「苦」とはならずに清むのだろう。

 首がすわる、寝返りをうつ、「這い這い」をする・・・。赤ん坊の
日ごとの成長は、心うれしいものである。
 しかし、むずがったり、熱を出して泣くときは、やはりしんどいし、
不安に駆られたりもする。

 動物の子どもに比べて、何と人間の子どもの養育は手間のかかる
ことか!と思う。いやいや、動物たちだって、しっかりやっている!

 つたい歩き、やがて一人立ちして自分で歩くようになる・・・。

 さて、最近気になることの一つに、赤ん坊のほとんどがベビー・
カーに・・・である。おんぶベルトとかで、子どもを抱くようにし
ている母親をみかけない。
 わたしの時代は、まだ背に負う昔ながらのおんぶ紐しかなかった
が、アングロ系のお母さんがそのおんぶ紐でもって、背ではなく、
胸に抱いていたのを見て、わたしもすぐに真似た。

 前に抱くと、子どもへの話し掛けがふえる。生まれたての時から
どんどん声をかけることが必要だと教わった。

 さて、このテーマでブログを書こうと思い立った理由は、今の
子どもの「情緒の安定」はどうなっているのか?が気になったから
である。
 子どもの情緒というものは、乳児期の早い段階での養育環境と
切り離せないと思うのだが、どうだろう。イライラした声や怒鳴り
声というものは、言葉のわからない時期から音声として赤ん坊の
耳に入っていく。
 言葉を話せるようになった幼児期なら尚更である。

 今の若者や子どもたちが「切れやすい」というのは、親の養育
態度とは結びついているのではないだろうか?

 欲しいものを買ってくれて駄々をこねる幼児に対する親の叱り
方などをみていても、「これはダメだ~」とため息をつくことが
増えている。
 そういう時の子どもって、確かに腹が立つし、急いでいる時は
いらついてしまう。けれども、そこで怒鳴っちゃおしまいだ。
怖いから大人しくなるならば、ペットと、犬猫と同じではないか?

 

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