ここのところの1日の気温差には参っています。住まいの周りは建物がなく、風が吹けば吹きっさらし!
窓を閉めなければ、この季節でも寒~い❗まぁ、だから、冷房なしの真夏を常として暮らせているんでしょうが。
しかし、天気気候季節に合わせて、身体を維持するて面倒くさいですわ!(^^;
さて、眼科の次は、耳鼻科⁉️の今朝でしたぁ!
昨晩、👄くちびる上にタラタラ、汁が流れてるっ!鼻水かぁ . . . 本文を読む
夕食のおかずが仕上がった午前8時前で~す❗
具たくさんのヒジキの炒り煮と麻婆茄子がメインかな?あっさり系は、モヤシの和え物…。以上だけれど、頂いたきゅうりで??
最近、ヒジキに嵌まっちゃいましたネ。\(^^)/
さて、朝のうちに晩ごはんの支度は済ませた後は、私の朝めしっ! . . . 本文を読む
今日は❓
はてはて❓でありますね。(-o-)/
昼はヒジキ煮物と冷凍飯でチャーハン⁉️ 汁物は…。余っていた水菜だけで、いやとろろ昆布も放り込んだ吸い物よ。でも、予想外に美味しくて、HAPPY😆💕✨❗
う~ん!朝は❓ざるそばに、昨日に作ったおかずの残りでしたぁ❗何だっけ?あぁ、キュウリの酢の物とヒジキ
ヒジキの炒め煮でした。
そうそう、残ったヒジキと冷凍飯を炒め混ぜたんであ . . . 本文を読む
真夜中、👁️目の痛みに気づきましたぁ!左目の目尻が赤くなっており、痛みもあったもんだから、う~ん❗
応急処置と、ペガモックスを点眼したら、症状が落ち着いた気がして、再睡眠…。朝になったら、眼科へ行くぞと覚悟を定めてネ。(^^;
目が覚めた後は、昨夜の白い巨頭?いや巨党の前半分を視聴して、時間を過ごし、駅前の眼科へ向かいました。出来たら、バスを使いたかったけれど、次の便まで、30分も . . . 本文を読む
今日は、見ていたテレビ番組を途中で録画にして、大北ガーデンへ…。台車ゴロゴロ、行きました。
舗装が新しい道を、また場所を選びながらですわ。まっ、午前の9時だから、いいかぁ!だわさ。(^^; 台車を使うのは、午前7時以降でないと…。(-o-)/
ええっと、実家の前栽に生えていた風船かつらを移植して、それから?プランターの浜木綿…。土をほぐしながら、雑草を抜きましたっけ。( ̄^ ̄)
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作業終了、午前7時半過ぎ。がたごと台車を押しながら、ご飯の炊き上がりを案じたり、何食べようかなと考えたりしながら、帰途の私でありました。(^^)/
今朝も四条通りに面した大北ガーデンで~す!
昨年前半は、入院入院入院にリハビリ通院で、“こぼれ種” だけで、菜の花、スイートピー、向日葵、菜の花? 植物の生命力にタジタジ、感動と驚愕の日々でしたが…。
それじゃ「芸」がないと、枯れた . . . 本文を読む
午前5時33分出発、帰宅午前7時55分くらい? 作業場、「大北ガーデン」。(私は勝手にこのブログで、そう呼んでるだけ!(^^;✴️) 昨日に続いての作業です。
今朝は、のっぽの向日葵の苗の引っ越し、移植をしました。2度目の引っ越しだわさ❗
ここじゃ狭すぎる~❗
スイートピーを整理して、やっとスペースが出来たので、そう2度目の引っ越しと相成りましたぁ。
でも、でも、作業 . . . 本文を読む
いつも通りの早い目覚めだったけれど、本📗を開いて、活字を追っかけはするものの、とろんとまぶたを閉じ…の繰り返しでした。各国史シリーズ『ドナウ・ヨーロッパ史』「第1章ドナウ・ヨーロッパの形成」。
しかし、気になって仕方がないのは、ラチrhythm❗
えんどう豆とそっくりだもの、ちょっと摘んで、おかずの足しにとなったら、事件です。大事です❗
気になりだしたら、ドナウど . . . 本文を読む
文化住宅に住んでいたとき、ブロック塀と住まいの間に「物干し場」がありました。1階です。玄関先にもスペースがあって、家でも種子から、時には苗から花を育てておりました。
花の姿のスケッチをしたり、墨絵で描いたり。 そして、個人通信の挿し絵にあしらいにしてきました。文章は……。息子の成長の記録や二人の旅、学校でのできごと。約20年間で、49号。
1991年の30号は、ウイキョウとトリ . . . 本文を読む
やっとこさ、雨天になりました。わたしは深夜、リビングの椅子に座ったまま、雨音を聞いていました。この地で降りはじめたのは、昨夜の午後9時頃からで、やっと傘☔がいるかな程度でしたが、次第に激しくなっていきました。樹木草花にとっては、いのちつなぎの恵みでしょうが、人間にとっては❓雨が降れば「お仕事難儀」な皆さんもいらっしゃいます。
同じ「大阪」でも、地形や気流の関係からか、📺テレビの予報は☂️ . . . 本文を読む
まずは大事なメモからぁ❗
①アルザスの領有をめぐってAとBの対立の中で、Aの父子は死んだ。テウデbertとリク(613)。結果、フランク王国をクロ2掌握《大系フラ1 p.144》
②p.146 A貴族層の要請でクロ2は623年自分の息子Dagobertをアウスとらしあの王にする。
歴史大系『ドイツ史Ⅰ』の索引で、🐙ダゴ…は、56,61,63ページ。623年「ダゴベルト一世は三 . . . 本文を読む
今はノートにまとめることは避けています。
📙本の欄外、余白に可能な限り「書き込み」をしておるんよ。もちろん、歴史の書籍は、参考文献・引用・索引を明確にしていない、流し書きのレベルには、銭は使いませんね。
「新書」でも、最低限、参考文献を載せていない本なんて❗エッセイとかは別ですが…。
まっ、買う本を選ぶ際は、どこの出版社が出しているかも大丈夫です。
さぁて、今日はランゴバルト . . . 本文を読む
◯◯は続くよ、どこかまでよ♪🎶🎶🎶
今朝は昨日の続きです。
コンラートには息子はいなかったが、弟(Eberhard)はいた。フランケン公位は弟にだが、国王に指名したのは、「敵対」したザクセン大公よ。リウドルフィング家のバインリッヒ。
何で?
各国史の方は「敵対」と表現だが、大系:では「フランケンの王権にたいしては、敵対こそしないものの、はっきり距離を持していた。」(p.11 . . . 本文を読む