2024年8月15日(木)みどり湯へ プール
遠足でよく足を運んだ平尾台
ブロ友さんから届いた北九州の平尾台の
最近の写真2枚
数年前帰郷の折 ヤマボウシさんが平尾台に
同行して下さった
その時山頂から実家のある苅田町山口方面
が見える場所に連れて行ってくださった
集落が見えるが隣集落かな?その山の向こうに周防灘?
実家の墓は 田んぼの中にポツンとある 長兄が生存中
に建立 父は7人兄弟末っ子で 分家で墓も土を盛った
お粗末なものだった 近くに大きなダムができて 家の
田んぼの半分以上が買い取られ この田んぼは逃れたの
で自宅から歩いて5分の場所に建立された
2年前帰郷の折 墓守の甥っ子の嫁と近くに住む姪っ子
姪っ子は 私が中学生のころ生まれて、よく自転車で
あちこち連れまわした 美術教師となりもう定年を
迎えたが 母校にまだ駆り出されているようです
今日は終戦記念日 5歳だった私はぼんやりとしかその
日のことは覚えてない
「もう防空壕に逃げなくていいんだよ」
あの日の空は青かった それは姉たちがあの日を語る時
必ず出てきた言葉だった
■1971年、第17回原水爆禁止世界大会に向け、
日本原水協と日本のうたごえが「原爆を許すまじ」
につぐ新しい原水爆禁止の歌を公募し、
第1位に入選した曲。
♪青い空は青いままで 子どもらに伝えたい♬
のフレーズは、詩人であり、子どもを守る運動に
携わってきた小森香子さんの「培ってきた理論と
愛が花開く思い」でもあると言われています
あじさいでも この歌は愛唱歌中の愛唱歌です
雑詠句
・敗戦が平和への一歩決めた日に
・ ケアマネが来ると夫饒舌に
・ 戦とは地獄を招く人の業