2018年12月14日(金)5604歩と温泉センタープールで1時間
8階建てまで行くのが億劫でうちから2分の6階建てから(温泉帰りですが)
残念なニュースです
一坪たりとも渡すまい
【作詞・作曲】沖縄青年合唱団
佐久川 末子
昆布土地を守る会
第4次日本のうたごえ代表団
1.東支那海前に見て
わしらが生きた土地がある
この土地こそはわしらが命
祖先ゆずりの宝もの
2.われらはもはやだまされぬ
老いたかたき手のひらは
野良の仕事の傷のあと
一坪たりとも渡すまい
3.黒い殺人機が今日も
ベトナムの友を撃ちにゆく
世界を結ぶ この空を
再び いくさでけがすまい
https://www.youtube.com/watch?v=34E0cHBEn4Q
沖縄 それは私の心のふるさと。
たくさんの命が奪われた沖縄戦。多くの同胞が眠っている地に。
かの国は我が物顔で居座り、基地を広げ、海を埋め立て
ジュゴンさえ追い払い 米兵の暴行も後を絶ちません
沖縄の犠牲の上に
日本の平和があるとしたら・・・
いま私たちにできることは何なのか・・・
半世紀前に創られうたわれてきた
「一坪たりとも渡すまい」 の歌が聞こえてくる
私は(26歳の時)第3次日本のうたごえ代表団で1966年
4月からか1ケ月の間沖縄に派遣されました。
その時のペンネームは川原ちどりでした。
この曲はその1年後に創られた歌です。
そして「タンポポ」
「たんぽぽ」と並んで うたごえの仲間では同じくらいうたわれている曲です。
私のサークルあじさいでは「カタカナタンポポ」と「ひらがなたんぽぽ」
といって歌いわけています。
私も基地で働いている日本の労働者に、歌を教えに行きました。
金網の向こうとは基地の中・・・
https://www.youtube.com/watch?v=mZ0hklVMzC4
■♪~金網の同こうに小さな春を…。1970年作文集「沖縄の子本土の子」の扉を飾った詩を詩人・小森香子が補作し、作曲家・大西進が作曲してうた新同年4/20号に楽譜を掲載。沖縄では愛唱歌となりバスガイドに歌い継がれるようにもなった
原詩 作詞 作曲 |
狩俣 繁久 小森 香子 大西ススム |
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2016年12月14日の記事は
雨だけど温泉往復歩きました。お年玉届けました(市社協赤い羽根より)