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光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

韓国 国立現代美術館にて #3 果川館、徳寿宮館

2016年08月07日 | アート 現代美術

 韓国国立現代美術館  果川館の紹介です。 

大きなミュジーアムで、複数のいろんな企画展や特集が、組まれていました。

規模が大きかった李淑子(イ・スクジャ)展を公式Webサイトから

 ”国立現代美術館の長期企画、韓国現代美術作家シリーズの韓国画部門三回目の展示で、芝郷・李淑子(1942~)の
半世紀をかけた彩色画の世界が総覧できる大規模な回顧展です。

韓国現代美術作家シリーズ

 
 
 
 
 
 
                              引用終わり”

 
 
韓国画という言葉があるんですね。 日本画の技法に近いもので、韓国の情緒を表現する絵画という感じです。

 ただ、李淑子は韓国画だけではなく、いろんなスタイルの作品がありました。 

 

 

 かなりの作品を6月29日の記事で紹介しましたので、未紹介の作品の一部を記事にします。

こちらは韓国画。

 

 

 

 

  自画像で50歳の頃のもの、髪をこういうふうに描かれると、お岩さんのイメージが浮かんで怖い!

 

 

 「白頭山の夜明け」 岩絵の具を使ったクールな描写は、日本画と同じ感触です。

 

 

 

 こちらは、韓国画の技法で、布をコラージュした作品。 韓国の情緒が溢れています。

 

 

 

 

李淑子さんのアトリエを再現した展示室がありました。

 

 

 

韓国の画家の方は、よく牛を描いています。 もう一つのミュージアム、徳寿宮館の李仲燮展でも牛の絵が多かった。(後述)

 

 

 

 

果川館で印象に残った作品に、音響作品があります。  体育館のような広さにスピーカが複数設置されて、暗いなかで

不思議な音を聴いた。  2012年に東京都現代美術館 「アートと音楽」で聴いた音響作品とコンセプトが似ている。 

 現代アートは、映像や音響に、どんどん踏み込んできている。

 

 

他で面白かったのは、金鳳台(キム・ボンテ)作家(1937-)の回顧展です。

金鳳台は、原色の色彩と幾何学的造形を特徴とした作品活動を見せてくれます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他の特集など、キャプション抜きで 

 

 

 

 

 

 果川館内の光景。  

 

 

 

 6月30日(木)朝、韓国国立現代美術館の分館の一つ、徳寿宮館に向かっているところ。 右手のビルはソウル市庁舎

 

 

 徳寿宮の入口

 

 

 

 様々な経緯があり、王宮としてはあまり使われなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 現代美術作品の展示館です。

 

 特集されていたのが、李仲燮(イ・ジュンソプ)個展、以下、公式Webサイトから引用させていただきます。

 

”百年の神話:韓国近代美術巨匠展 李仲燮(イ・ジュンソプ) 1916〜1956

 


李仲燮(イ・ジュンソ1916-56)は、1916年に平安南道平原の裕福な家庭に生まれ、平壌、鄭州、東京で学業を積みました。
植民地時代の日本で画家としての活動を始め、咸鏡南道元山に戻った後、解放を迎えました。朝鮮戦争のため、済州島、釜山など
の地で避難生活を送り、戦争直後には統営、ソウル、大邱などを転々としながら、過酷な環境の中でも情熱的に作品活動に取り組
んでいましたが、
1956年に41歳で生涯を終えました。

植民地、戦争、分断などで血塗られた韓国の近代史を生きながらも、李仲燮は粘り強く「芸術家」としての人生にこだわりました。
日本の植民地時代にも民族の象徴である「牛」をためらうことなく描き、限りなく暗い現実を自嘲する絵も残しました。貧しい避難
時代にも家族と幸せな時間を過ごし、純真無垢な美しさを表現しましたが、戦後には強烈な意志と自信感で力強い黄牛の作品を描き
ました。彼は何より自分の感情表現に忠実な「正直な画工」になろうとし、韓国の伝統美を表現する「民族の画家」になりたいと考
えていました。しかし、愛する家族と別れた後、詐欺に遭って借金に苦しめられ、経済的生活苦の中で「拒食症」を伴った精神疾患
により不幸な晩年を送ることになってしまいました。最後は、寂しく切ない作品を残し、一人きりで生涯を終えました。

今年は李仲燮の生誕 100周年、没後 60周年を迎え、国立現代美術館で初めて李仲燮の個展を開催します。”

引用終わり

 

 

個展は、何の事前知識もなしに見ました。  独特のドローイングが印象的でした。

こんな個展も開催されて、韓国では巨匠として名をなしたのだろうな・・・・と思ったのです。

ただ、家族にあてた手紙も多く展示されていて、日本語で書かれた、子供への愛情のこもった

内容に、?、日本と関わりがあったのかな?・・・などと思いつつ徳寿館をでました。
最近、ブログ記事
を書くために調べると、日本人妻と涙ぐましい生活を送った画家だったこと

がわかりました。 2014年には映画「ふたつの祖国、ひとつの愛」も制作された。

李仲燮作品を見ているときは、絵具のボリュームの少ない作品に不満を感じたりもしましたが、困窮

生活で、絵具も買えなかった状況がわかり、作品は、背景も知るのも、必須ではないけど大事な

ことだと感じた次第。

 

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韓国 国立現代美術館にて #2 ソウル館

2016年08月02日 | アート 現代美術

次の展示室は、ファッション写真特集でした。

国立現代美術館公式Webサイトから、概要を抜粋します。

『写真特別展 〈ファッションを超えて〉

ファッション写真は、写真家だけではなくスタイリストやヘアデザイナー、メイクアップアーティスト、セットデザイナーなど多くの主体の
創造的なコラボレーションによって誕生し、「流行」と「スタイル」のバロメーターとして時代に従って「新しさ」を見つけて変化するとい
う特徴があります。〈ファッションを超えて〉展示は、時間の流れに沿って積極的に変化して来た韓国のファッション写真の可能性とアイデ
ンティティを紹介します。韓国のファッション写真は、1970年代と 1980年代の女性誌全盛時代を経て、1990年代半ばの海外ライセンスファ
ッション誌時代が始まり、急激な変化を遂げました。〈エル〉、〈マリ・クレール〉、〈ヴォーグ〉、〈バザー〉、〈ダブルユー〉などライ
センスファッション誌が次々に国内に入り、海外ブランドが怒涛のように押し寄せて来ました。その結果、特定の都市や特定の地域のスタイ
ルではない、世界的な流行スタイルが時差に関係なく共有されました。また、1990年代半ば以降、雑誌社から独立したフリーランスの写真
家の活発なファッション誌制作により、本格的なファッション写真の時代が開かれました。初の韓国ファッション写真企画展となる本展は、
韓国社会にライセンスファッション誌が登場してから現在までのファッション写真の中で興味深い四つ主題に焦点を当てました。

★韓国の文化、美的アイデンティティを探して

 ★モード、その決定的瞬間 

★ストーリーを盛り込んだファッション写真

 ★ファッション写真と現代美術、創造的対話 

 

会場光景  やはり、若い女性の関心が高い。

 

 

 

 

 

 

 

 

『韓国の文化、美的アイデンティティを探して

ファッション写真の中で、韓国的な美しさと独創性を追求する試みは、何人かの写真家と媒体によって試されました。特に〈ヴォーグ・コリア〉は
「コリアニズム(Koreanism)」という表題の下で韓国的な美感を介して、インスピレーションを与えることができる実験的なビジュアル制作を継続
的に行ってきました。他のライセンスファッション誌も一連の似たような制作を発表しました。このような試みは、グローバルな環境の中で逆説的
に韓国ならではの文化的アイデンティティを探そうとする積極的な努力の一環でした。17~18世紀のヨーロッパ貴族たちの間で流行していた中国文
化に対する憧れが込められた「シノワズリ(Chinoiserie)」や印象派に影響を与えた日本文化に対する憧れである「ジャポニズム (Japonism)」のよ
うに、韓国の美感がグローバルな美的趣向に昇華されることを夢見る試みだと言うことができます。

 

 

こんなファッションだったら、街を歩いても奇抜には見えず、カッコイイ。 帽子が面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真は6月29日の記事の再掲ですが、一番気に入った作品。

 

 

 

展示室をでて、吹き抜けの中庭を見ながら進みます。

 

 

ソウル館中央部の吹き抜けの展示コーナ ”ソウルボックス”

今回の展示作品は <bit.foll pulse>

 

 

間欠的に流れ落ちる白糸の滝のようなものに、文字が浮かびます。 大掛かりな装置のわりにつまらないと思いました。

 

 

 

次の展示室は《妄想地区》   公式Webサイトにはいろんな蘊蓄が述べられていましたが、うーん?でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジル・バルビエの《エコー・システム》は面白かった。

ジル・バルビエはフランス、マルセイユに住む作家で、独特のユーモアある作品をつくっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

展示を見終えて、美術館内のカフェレストランで、窓越しに設置工事中の船体を撮った写真です。(6月29日記事の再掲)

 

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韓国 国立現代美術館にて #1 ソウル館

2016年08月01日 | アート 現代美術

6月下旬に行った、韓国国立現代美術館の紹介です。
昨年も紹介しましたが、とにかく面白い美術館です。

6月29日(水)に現地から第一弾をアップしましたが、まだまだ、紹介したい作品が
多いので
詳細編をアップします。

韓国の国立現代美術館は、果川館、ソウル館、徳寿館の3館に分かれ、また収蔵や研究
センタとして、清州館が建設中です。  
今日は、ソウル館の紹介です。

ソウル館の建物です。 歴史と由縁を簡単に。
1910年代、ここには李氏朝鮮の官庁があり、その後、1930年代、日本の植民地時代に
官立病院として建てられたもので、韓国にはもうあまり残っていないといわれるモダニ
ズム建築の1つです。 これが戦後は韓国の軍事病院として使われ、1970年代には国軍
機務司令部になり、
2012年に現在の国立現代美術館ソウル館になった。》

 

 

敷地内では、新しい展示作品と思われる”船の前部”の設置工事中でした。 完成後を見たいなー。

 

ソウル館の常設展は、写真を中心とした特集でした。

〈とても公的なとても私的な:1989年以後、韓国現代美術と写真〉

以下、公式Webサイトからの抜粋です。

”本展は、過去30年間の韓国現代美術史において、写真媒体がどのように現代美術の言語と遭遇し、新しい作品世界を構築して来たかを眺望する展示です。

韓国初の写真展は、1957年のニューヨーク現代美術館巡回展〈人間家族展(The Family of Man)〉で、第1、2次世界大戦以後の人間に対する本質と和合の努力として企画されたこの展示は、国内の写真界に大きな影響を与えました。韓国では以後、リアリズムを根幹としたドキュメンタリー写真とジャーナリズム写真が主流をなしました。本展は、韓国美術でリアリズムを根幹とする公的イメージから始まった「写真」という媒体が、1980年代後半以降、作家個人の概念表現と審美言語として機能するようになったことに注目しました。

特に 1989年は、グローバリゼーションの観点から見ると、非常に重要な時期です。中国の天安門事件(6月)、ドイツのベルリンの壁崩壊(11月)、ソビエト連邦のペレストロイカ(1990年 8月)が呼びこんだ冷戦体制の終焉は、国際社会の価値観に大きな変化を与えました。韓国社会は、1988年のオリンピック開催と 1989年の海外旅行自由化によってグローバル化の急激な流れに乗ることになり、作家の視線や態度において大きな変化を経験することにもなりました。

「とても公的なとても私的な」展は、当代の写真家と現代美術作家がグローバル美術界で、美術の言語としての写真というミディアムをどのように借用し、使用して、新しい視覚言語として作り上げて来たかを見せてくれる展示です。デジタル革命を経験した世代が過去 30年の変化を眺望し、今後の新たな写真の可能性と向き合った時点で、「写真家」が美術家(artist)と呼ばれる脈絡に注目しようとしています。”

 

早速、展示を(6月29日にアップしたものの再掲) 鑑賞しているオバサン(失礼)の赤と緑の服がアクセントになりました。

 

作家についてのキャプションです。  4月からハングルを勉強しだしたのですが、まだ内容の理解までは出来ません。

 

 

展示室1の光景

 

 

上の写真の右壁に架かっている写真です。
漢江のタイトルがついていて、川面のきらめきを表現しているのかな?
銀塩紙へのプリントですが、切り貼りしているかのよう。

 

作家のキャプション。

 

 

ポートレート作品。

 

 

右下の写真を単独で。 タイトルは「焼き肉ラーーメン店で、笑うトランスジェンダ(性転換者)」

 

 

 

 

次はポラロイドの作品。 門や壁を撮っているのですが、描いているようなマチエールで、いい雰囲気があります。
作家キャプションを読むと、スクラッチングやスマッジング(絵具付け)をしているとのことで納得。

 

     

 

 

もやがかかったような作品が多い、ミン・ビョンフンさんの作品。 

 

 

 

右端の写真を単独で。  シンプルですが、いい雰囲気があります。

 

 

 

一転、派手な写真。 写真の横に子供が描いような絵があります。 たぶん、この絵をもとに演出した写真を撮ったのでは?
キャプションは撮り忘れ。

 

 

 

上の作品群の左下から2枚をピックアップ。  

面白い。  背後霊のようなものは私です。

 

 

演出した写真ですが、女性達の表情はリアルで、面白い。

 

 

この作品、意味はよくわかりません。

  

 

 

 

靴で人間を表現しているのが面白い。

 

 

 

この作品、キャプションを撮り忘れ。 次の作品と同じ作者のような気がします。 

 

 

 

タイトルをみると、マイケル・ジャクソンとレーニンの滅び・・・?

 

 

 

在韓米軍が駐屯する現実を認識させる東豆川シリーズの姜龍錫(カン・ヨンソク) ← 公式Webサイトからの抜粋

  

 

 

 一部ピックアップ。  撮られた人の視線が穏やかではない・・・

 

 

 

展示室光景

 

 

遠目には、幾何学模様に見えるが・・・ 北朝鮮のアリランフェスティバルの純澤(ノ・スンテク)、

  

 

 

マス演技なんですね

 

 

 

透明ボックスにはいった、女性の人体をオブジェとして様々な場所に置いた作品。 奇抜で綺麗ではあるけど、迫力は今一つでした。

  

 

 

中央の作品をピックアップ。

 

 

 

 ちぐはぐな印象の作品。 合成写真で表面のビニールラップなど、わざとチープな印象にしたのだろうか?

 

 

上の写真の素材となった写真。

 

 

 

 中世英国女性(エリザベス女王?)の衣装をまとった作家のバエ・チャンヒョか。 森村泰昌やシンディ・シャーマンの影響かな。

 

 

 

 

この作品には、ウーンと唸りました。
66の部屋にはそれぞれ異なったシーンが写されている。 
キャプションによると、ドイツ、デュッセルドルフのホテルをつかって、準備に2年をかけ、撮影された。
労力とお金がかかった作品です。
一昨年、台北市立美術館で見た周慶輝の「人的荘園」もそうした作品でした。


《Saturday Night》   2007  C.Print、diasec

 

 

 

合成した作品ですが、面白い。

 

 

 

 

 

 

今回、最も面白いと思った作品。
韓国各地で開催されたNational Song Contestの出演者が最高にパフォーマンスした姿!
日本でいうと、NHKのど自慢の地方大会決勝で、出演者達が、本番さながらにデモ演技している感じか。

 

 

 

右側の作品ピックアップ。 迫真の表情が素晴らしい。  背後霊が邪魔してすみません。

 

 

 

 

 

 

 

キャプションです。

 

 

展示の様子

 

 

 

太刀魚のような魚が、置かれた写真。 なぜか気になる写真です。

   

 

 

6月29日の記事にも出して再掲になりますが、学芸員の説明ツアー光景です。 日本と違って、若い人の多いこと。
芸術文化に関しては、韓国の方に勢いがあります。

 

 

女性ポートレート。 美女のポートレートではなくて、ちょっと味のある写真になっています。

  

 

 

 静謐で絵画のよう。 二つのウェッジというタイトル。

 

 

こちらは、無題ですが、二つのウェッジが存在しています。

 

 

こちらのタイトルも、二つのウェッジですがウーン。

    

 

展示の様子。  

 

 

透明プラスチックにフィルムを焼き付けたような作品。

  

 

 

 

廃校となるハイスクールの科学教室、それが医務室に変わった光景を捉えたもの。
忘却の海に流れさる、リアルなある一瞬が写真に残されると、不思議な重みで迫ってきます。

 

 

 

 写真展は、まだファッション写真のコーナがあるのですが、それは次回に。

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川田祐子展 ー千年の翠(みどり)- 横須賀美術館 その2

2016年07月14日 | アート 現代美術

 川田祐子展 ー千年の翠(みどり)-の後半です。

最近作の並んだコーナです。 

なお、今回、川田画家や主催者の御厚意で、特別に撮影許可を頂いています。

 

前回紹介した作品が、スクラッチやハッチング、そのミックスしたものでした、近作は油彩画になっています。

そのあたりが、川田作家のブログで説明されていますので是非ご覧になってください。

 

タイトルの「甘露」  中国古典などに詳しい川田作家らしい題名です。 色合いがいい。

 

 

 

 

これも難しいタイトル。  玲瓏は、澄み切った美しいさまを示す言葉。

 

 

 

 機微としての蔦草…‣ウーン、考えてもよくわかりませんが、絵をみると蔦の花が見えるようです。

 

 

例によって、クローズアップ。  いつも不思議に思うのは、こうして部分だけの拡大を行っても、これだけで一幅の絵になっていることです。

 

 

さらに拡大。 キャンバス目が みえるのですが、このレベルでも複雑に微細に、微妙なぼかしがかけられています!

 

 

 

「揺光の花」は、2015年暮れの個展の中心作品。

 

 

 

部分拡大。  重層的に塗り重ねたぼかしやグラデーション、そして色そのものが綺麗です。

 

 

 

緑がコアな色になってきます。

 

 

 

部分拡大。  微妙な色合いが確認できます。

 

 

 

更に拡大。  この微細さで、このボカシ!

 

 

最近作で最も大きな作品です。  基本的なモチーフは、木々から漏れる光などの光景だと思いますが、私には、細胞内の景色に見えてきました。

ミトコンドリア、DNA,RNA、作成されたタンパク質・・・・いろいろに見れるのも川田作品の特徴です。

 

 

 何段階も拡大してみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで拡大すると、微細な孔が見えます。  肉眼では見えないようなレベルです。  微細な塗りも確認できます。

 

 

 

 

 次の、「 翡翠の泉」 一番お気に入りの作品です。

 

 

 

部分拡大。

 

 

 

更に拡大。  何と綺麗な色!

 

 

この作品、気に入っていろいろと触ってみると、左に90度回転させると
下の絵になります。(川田画家、勝手に作品をいじってすみません)
産卵と受精のような光景に見えます。  今回は生命現象のイメージがなぜか湧きます。

 

 

 

 ガラリと変わって、次は第2の展示室の作品です。

第一展示室が主要な作品とすると、作風の流れを補足するような作品群です。

「memory of sands」 今から11年前の作品。

前回紹介した、1998年の初期スクラッチ作品のイメージは継承しつつも、ハッチングの導入で痛々しい感じは薄れ、複雑なイメージを想起
させます。

 

 

部分拡大。

 

 更に拡大。 ハッチングの微妙な色合いの変化によって、複雑性が増すように思います。

 

 

 そして、2009年頃の「KAGUYA」や「FUJI」などの連作、大作「雪波」で、スクラッチとハッチング作品の頂点を迎えたように思います。

その頃の作品 「震生」

 

 

 部分拡大。   スクラッチはハッチングに隠れるようになってきました。

 

 

 

以降、ハッチングのみの作品となっていきます。  

そして、空をモチーフにした作品が多くなります。 

  

 

 

 

 

 

 

 部分拡大。 

 

 

 

 

  

 

 

 

部分拡大

 

 

更に拡大。 こうして、細部のディテールをみると、ハッチング作品も油彩作品も、色の重なり合いやそのぼかし具合など、手法の違いを

越えて、共通するものがあります。

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 個人蔵で額装したものもありました。 ただ、写真に撮るとガラスの反射が避けられません。

 

 

 

 

  

 2015年には、草花にモチーフが移ります。 その代表作がこの作品。

  

 

 

花芯部分の拡大。 

 

 

 

花びらの端部分。

 

 

 

いかがでしたでしょうか川田作品。

作風や技法の変遷はありますが、一貫して微小なディテールから積み上げて、マクロの面白い形が立ち現れる作品になっています。

ディテールに神は宿ると言いますが、神々の宿った曼陀羅作品が、今後も私達を驚かせ、楽しませてくれることでしょう。

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川田祐子展 ー千年の翠(みどり)- 横須賀美術館 その1

2016年07月12日 | アート 現代美術

7月9日(土) 横須賀美術館の川田祐子展 -千年の翠-を見てきました。

2014年の「クインテット-五つ星の作家たち」展以来、ファンになっている現代画家です。

まず、フライヤーを

 

 

横須賀美術館は、初めての訪問です。

この日は、あいにくの雨でした。

 

 

 

エントランス横のイタリアンレストラン、10時過ぎに美術館に到着し、帰りはここでランチを目論んでいましたが

時間に追われてパス。  次回の楽しみに残しました。

 

 

受付です。  夏休みにピッタリな標本をテーマに企画展が組まれていました。  こちらは、川田祐子展のあとで紹介予定。

 

 

ここから玄関を振り返ると、沖合に船が航行中。  晴れた日は、素晴らしいでしょうね。

 

 

それでは、川田祐子さんの、メッセージから

 

 

 

常設展の途中から、川田祐子展が始まります。 

なお、今回、川田画家や主催者の御好意で、特別に撮影許可を頂いています。 有難うございました。

 

 

 

KANEKO ART TOKYOで見た、「無方の空」が出迎えています。 懐かしい。

 

 

 

奥には、最近作の「緑の神話」などが

 

 

 

上の空中デッキから撮影。  右下の入口が第二の展示室。

 

 

 

第二展示室の中。  同じく東京の個展で見た作品が並んでいます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二展示室をでて、第一展示コーナを振り返って撮影。  天井や壁の採光窓がきれいです。

 

 

 

入口付近で、子供が絵に寄りかかっていて、美術館の方が慌てて注意をしています。

 

 

 

 

それでは、作品を。  「無方の空」は雲と空の描写が素晴らしい。 右に90度回転させると目で見る光景となりますが、回転して観ることで

別な雰囲気になります。 他の美術館で、スーパーリアリズムの作品をいくつも見ていますが、このマチエールは出せないでしょうね。

川田画家のハッチング技法が、微細なディテールを醸し出し、複雑で、ダイナミックな全体の動きにぶるっときます。

 

 

 

 

雪波も大好きな作品です。  太古の地球の、マグマのうごめきのようなスケールの大きさを感じます。

 

 

 

例によって、拡大表示。

 

 

更に拡大。  重層的なスクラッチとハッチングが、絵に奥深さを出しています。

 

 

 

反対側の壁面には「赫映(KAGUYA)」  2年前、クインテット展で見たときは、恐ろしさで血が凍る感じがしました。

 

 

 

部分拡大です。

 

 

 

更に拡大。 ここまでくると怖い感じはないのですが、鋭い針のようなマチエールと、血のような色がそんな印象をもたらすのでしょうか。

 

 

横に展示されている「不二(FUJI)」  以前のブログに書いた相模原時代の川田作品の印象と同じでした。

 

 

 

 

部分拡大。

 

更に拡大。

 

 

 

この作品は初めてです。  川田画家がスクラッチ技法を使い始めた頃の作品。 

川田画家のブログに自作解説がアップされています。 自傷行為とかドキッとするような言葉が出てきて、作品の理解が深まると思います。

是非、ご参照を。

                             

 

 

部分拡大。  縦横に重層的なスクラッチ、特に縦のスクラッチの密度には、強い精神エネルギーが感じられます。

 

 

 

「緑色の夜」 色調が素晴らしい。  どっしりとした安定感を感じる絵で、なにか底深くうごめく気配を感じさせます。

 

 

 

部分拡大。 ボールペンが使われています。 下の図だと、黒いインクだまりがある線でしょうか。  面白い。

 

 

 

 

 

大作の「BAIO-FOLD 風景の襞」  全体としては、暗い色調とあいまって目立ちませんが

 

 

 

部分拡大。 スクラッチが痛い感じです。  特に赤い素地が出た部分は、擦り傷で血が滲んだよう。

 

 

更に拡大。

重量感のある作品群にため息です。 第1回目はこの辺で。  

 

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都内ギャラリー巡り その3 ニルス・ウド展

2016年07月11日 | アート 現代美術

都内ギャラリー巡りラストは、KANEKO ART TOKYOのニルス・ウド展です。 

以下、Webサイトから抜粋

 

ニルス-ウド 展
ー Painting ー

若き頃、画家をめざしていたニルス・ウドは2次元に3次元を描き出すことに悩み、写真で自然との関わりを表現する独自の世界を築きあげた。
老年期を迎え、再び絵画に挑み、新たな世界を展開している。
その一端を皆さんと共に鑑賞したいと思いました。 金子

2016年7月14日(木) − 7月31日(日)

12:30〜18:00[ 木〜日曜日 開廊 ]

 

 

 

 

エントランスに掲げられた作品。  樹林の艶やかな相、冷涼な相が美しい。

 

 

 

展示室光景

 

 

 

 

 

具象と抽象を湛えた、面白い作品群です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真作品がメインだった頃の作品も参考として添付(会場内での展示はありません)

Amazon.co.jp: Nils-Udo. Wanderer in Natur und Kunst: Uwe Rueth: 洋書    クリックすると元のサイズで表示します 
                                             《シルト島》1986

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都内ギャラリー巡り その1 会田誠展

2016年07月08日 | アート 現代美術

7月7日(木) 午前中は水彩画教室、午後から織姫に逢うため

天の川の中央線を越え、都内のギャラリーを巡りました。

 

最初に、ミズマアートギャラリー

会田誠展「はかないことを夢もうではないか、そうして、事物のうつくしい愚かしさについて思いめぐらそうではないか。」

夢もう…って何と読むのかわからないのですが、DMの案内メール (下記)が営業力満点の文章でした。

『今回会田が目指すものは、ずばり絵画における「純粋な美」です。出品点数は30点以上――ギャラリーにおける個展としては過去最多となる見通しです。
「こんな絵画展らしい絵画展をやるのは、これが人生で最初で最後だろう」「ゲルハルト・リヒター、ジェフ・クーンズ、ダミアン・ハーストといった国際
的アーティストと、自分との関係を深く考えた末の結論だ」と会田は語ります。世界的視座を持った現代美術コレクターには、きっとご満足いただける内容
になることでしょう。今まで会田の作品に、あるいはミヅマアートギャラリーに馴染まなかった方にこそ、ご覧頂きたい展覧会です。』

詳細は、他のギャラリーの頭出しの後に書きます。

 

次に、銀座資生堂ギャラリー

石内都展  メキシコの女性画家フリーダ・カーロの遺品を撮影したもの。 次回に詳細をアップします。

 

 

 

そして、最後が KANEKO ART TOKYO

ニルス・ウド展  ー Painting ー   こちらも次々回にアップ予定です。

 

 

 

それでは会田誠展を

昨日がオープンでしたので、落ち着いているかなと思ったのですが、混雑とまではいかないのですが、ひっきりなしに鑑賞客

が来ていました。 市ヶ谷駅から歩いて10分ぐらいですが、間違って四谷駅で降りて20分ほど歩きました。 暑さのせいにしよう

 

 

ん? 受付カウンタに変なモノ

 

 

 

この展示、会田誠のコンセプト説明ペーパーを読まないと、??で終わる恐れがあります。

 

 

実は、読まないで会場撮影を終え、受付カウンタに戻って、説明ペーパーをチラ見してバッグにしまってカウンタ

を撮影してたら、ギャラリーオーナが、「ペーパーのコンセプトを読まないと、わかんないですよ!」と親切に

声かけをしてくれました。 確かに会場内のお客はペーパー片手に鑑賞しています。 見栄をはって、読んでバッグ

にしまってますよと返すと、オーナーはニコリ。 

 

 

 

 

コンセプトを読まずに、この作品を見た印象。 DMに騙された! 何!弁当の空箱にウンチみたいなクリーム垂らして!

 

 

 

 

でも、空箱の印刷などに合わせて、ウンチクリームも色合いを考えているな・・・

 

 

 

 

これ、色合いやクリームの形、なかなか面白い・・・

 

 

 

 

立体感を見るため、少し斜め横から撮影。

 

 

 

 

寒色系・・・今日の暑さには心地よい。

 

 

 

クリームはわずかですが、これはこれで合っている・・・寿司系の弁当かな 素地のデザインがいい。

 

 

 

うっ! ド・ウンチ系 しかも下痢気味の・・・

 

 

 

 

宇宙遊泳みたいな世界・・・

 

 

 

 

「地獄門」が目に浮かぶ・・・

 

 

 

日本間にかけられた作品

 

 

 

掛軸に変わる現代日本間ができる!

 

 

 

床の間の作品、空箱でなくても木板にかけてもよさそう・・・

 

 

 

 

空箱もいろんなデザインがあるんですね、カラフルなクリームがあいます。

 

 

 

 

ノリ弁かな?

 

 

 

 

国際アートマーケットがどう反応するか楽しみです。  

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ソウルにて 李淑子展など

2016年06月29日 | アート 現代美術

6月28日(火)からソウルに来ています。

金浦空港からソウル市内に向かう途中、車の中から漢江を撮ったもの。  もやっています。

 

 

初日は三星美術館Leeumに。  古美術と現代美術の二つの展示が素晴らしいのですが、作品は撮影禁止なのが残念です。

ロビーにあったKohei Nawaの作品だけは撮影OK。 昨年、オペラシティ・アートギャラリーで開催された「高橋コレクション展 ミラー・ニューロン」でみました。

 

 

三星美術館美術館をでて、ソウル市立美術館に向かいます。 

 

 ソウル市立美術館にて

 

 

日本と違って、若い人が多く来ている。 

 

 

 

近くの徳寿宮の裏門

 

 

夜は焼肉

 

 

豚肉を焼いてキムチを巻いて食べる、グッド!

 

 

2階のBonSuniでいただきました。

 

 

 

翌29日、ホテルの窓から

 

 

朝食ビュッフェ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 国立現代美術館ソウル館へ行く途中で

 

 

 新しい展示物の設置工事中のよう

 

 

 

国立現代美術館ソウル館はほとんど撮影OK

 

 

 ガイドツアー やはり若い人が多い。

 

 

 ファッションフォトの特集コーナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バックに設置工事中の船の輪切り

 

 

 

 

 

 

 

 

 現代美術の勢いは、韓国が日本を上回る。

 

 

 国立現代美術館 果川館。  ソウル館から無料シャトルバスで1時間の場所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 李淑子の特集が面白い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日も焼肉。  竹筒ご飯が珍しい

 

 

 

 オウガという焼肉店

 

 

 

 

 

 

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森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」がであうとき  国立国際美術館 #5

2016年06月27日 | アート 現代美術

森村泰昌展も終わりましたが、ラストの紹介です。
もう一度、観てみたい素晴らしい展覧会でした。

第8章 画家が見つめようとしたもの:ベラスケス

17 世紀スペイン絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケスの名画「ラス・メニーナス」(侍女たち)。
ベラスケス自身が登場するこの作品をテーマに、プラド美術館(マドリッド、スペイン)でも
撮影された作品。
絵画の中と外で画家、モチーフ、鑑賞者が往還し、複雑な構図が構成されている。

 

 まず、プラド美術館のベラスケスの部屋の実景。  ※写真前面のガラスに映りこみがあり、見づらくてすみません。

 

 

 

私は展覧会では、この写真を見ても、揺らぎが何かわかりませんでした。

 

 

 

こちらが原画です。 中央のマルガリータ王女の左上の鏡に、両親のフェリペ国王と妃の鏡像が見えますが
森村作品では、国王夫妻に替わって、森村が写っています。 鏡は鑑賞者を映す設定なのです。

 

 

 

ベラスケス(森村の扮装)が絵の中から抜け、手前にきて絵を描いている・・・絵の中の奥の階段を森村が降りてきている

 

 

 

 今度は、手前のキャンバスに<マルガリータ王女>…ベラスケスの絶筆となった作品

王女は当然、森村の扮装、わざと冴えない顔貌にしています。 そして登場人物の背中

この侍女達も森村の扮装、さすがに右端の小人は無理かなと思いますが、森村のことだから、これも

扮装かも。 そして、この配置で、奥に鏡があれば、ラス・メニーナスの人物配置どおりに写ることになる、…なるほど。

 

 

  

拡大したもの。

 

 

 

今度は、すべての人物に森村が扮装。 奥の鏡、その中の絵、本当に複雑だ

 

 

 

 最後にフェリペ国王夫妻が鑑賞者の位置で、もちろん森村の扮装。

 

 

 

 第9 章 「私」の消滅

エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク、ロシア)の第二次世界大戦下での

美術品疎開を題材とした「Hermitage1941-2014」シリーズは、「私」が次第に

不在化していく試みである。前章に続き美術館に焦点をあてることで、作品と展示

される場所との関係性を問い直してもいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第10章 さよなら「私」と、「わたし」はつぶやく

レンブラントの《された牛》をモチーフにした《白い闇》(1994)、
マリリン・モンローに扮した《セルフポートレート/駒場のマリリン》
(1995/2008) 、森村の幼少期を重ね合わせたかのような新作《少年カ
フカ》(2016)等を展示。美術史の中に存在する「私」を超越し、森村
泰昌としての「わたし」へと回帰を果たす姿を見せる。

 

タイトルもいいですね。

 

 

この設定、面白い。  森村のなりきりよう!

 

 

 

  

 これは迫力が凄かった。 顔の白い油脂も、気味悪さをかきたてるのですが体当たりの迫力が伝わってきます。

 

 

   

 

 この雰囲気、いかにもカフカ。

 

 

 

 森村が小さい頃、大事にしていた熊の人形でしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

[第2 部] 「私」と「わたし」が出合うとき-自画像のシンポシオン」

自画像によって描きだされる「私」とは何なのかを論じる新作の映像作品。

新進気鋭の映像作家・藤井光を起用し、全編60 分を超える、森村の試みとし

ては初めての長編映像。自画像を描く芸術家たち、レオナルド・ダ・ヴィンチ

ファン・エイク、デューラー、カラヴァッジョ、ベラスケス、レンブラント、

フェルメール、ルブラン、ゴッホ、フリーダ・カーロ、デュシャン、ウォーホル

に森村が扮し、そして森村自身を加え計13 人が登場。自画像における「最後の晩餐」

を展開する。

 

 

 

 

 どうして撮ったのか、そのメークも知りたい映像、写真です。

 

 

 

 

 

 制作スタッフです。 まるで映画のスタッフ紹介のように大人数です。 

確かに、これだけの人の、スキルとセンスがないと出来上がらない作品たちでした。

 

 

 第二部映像作品の入口。 私は、時間の関係で7割程度しか見れませんでした。

 

 

 

 入口左に掛けられていた作品。 ダリと奥さん

 

 

 

 

 その3D写真、カラーグラスをかけると、立体的に見えるのかな。

 

 

 

 最後に、国立国際美術館の地下フロアでの1枚。

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森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」がであうとき  国立国際美術館 #4

2016年06月13日 | アート 現代美術

 第6章 日本の前衛精神は眠らない


岡本太郎、山口小夜子、田中敦子、大野一雄といった表現者たちの
ヴァンギャルドな精神が森村によって再構成される。

入口から左側の展示

 

 

 右側の展示

 

 

 展示を見たときは、原作者が誰かわかりませんでした。 すごくカッコイイ絵だな…が印象。

ブログ記事のため、調べていて岡本太郎の《傷ましき腕》が原作と判明。

原作には人物の顔は描かれていないのですが、リボンをつけた森村と岡本太郎(森村扮装!)のデスマスクの頭部が通わす雰囲気がいい。

 

 

 

 


原作  『傷ましき腕』(1936/1949)    岡本太郎の出世作で、戦災で焼失した後、1949年に再制作したもの。
岡本太郎も、昔、こんな絵を描いていたのか! と再認識。

 

 

 

 

舞踏家:大野一雄に扮した作品。 おどろおどろしい、クネクネと動く動作を、森村が必死で演じている、凄まじい気魄に脱帽。

  

「大野一雄/《ラ・アルヘンチーナ頌》のための三つの映像」 Three Films for Kazuo Ohno's La Argentina 2010)



 

 

 

 

 

 田中敦子?  AKB48のメンバー?と思ったこの作品、こちらも最近、調べて分かりました。 

戦後できた前衛団体「具体」、私は馬鹿なパフォーマンスをする芸術家集団という認識で、興味はありませんでした。
田中敦子は、その「具体」のなかの唯一の女性作家で、その先見性は、世界でも評判になった作家。

田中敦子が、1956年に発表した《電気服》、森村が電気服を着て、少し不安げな表情…似てる

    

原作 電気服を着た田中敦子 1956年
1954年に結成された具体グループの紅一点である田中敦子のパフォーマンスアート「電気服」 

  

 

 

山口小夜子は昨年の《未来を着る人》展以来の、ご対面です。

 

 

 

 

 

  

うーん、誰でも小夜子になれる! メークさえすれば。

 

 

 

第7章  20 世紀は自画像の時代だった

日本の現代美術に続き、森村によるデュシャンやシンディー・シャーマンへのオマージュ的作品、そしてウォーホルをテーマとした映像作
品など海外の現代美術作家の展示。

 

 

 ウォーホールは好きではないけど、存在感はあります。

  

 

 

 森村が妹と呼ぶ、シンディ・シャーマン、彼女もセルフポートレイトで、誰かになる作品で有名です。

 

 

 

原作です。 2011年に3億1千万円強で落札された!

 

 

 

さて、マルセル・デュシャン。  この作品は、とても面白いと思ったものの、原作や背景など全く知りませんでした。

森村、なりきってますね。

 

 

 

 こちらが原作。  この写真の女性はヌードモデルですが、森村はこの女性に替えて、デュシャンの女装名

ローズ・セラヴィになっています。 背景のガラス作品がデュシャンの代表作、通称”大ガラス”

  

 

写真家マン・レイが撮ったデュシャンの女装写真、ローズ・セラヴィ

 

 

  

 

 

 

 

 

 展示光景

 

 

 

 

 

 

 こちらもデュシャンへのオマージュですが、デュシャンとの関係はチンプンカンプンでしたが、昨日(6月12日)

東京都美術館のポンピドゥー・センター傑作展をみて、わかりました。

マン・レイが、デュシャンの後頭部頭髪を星字形に剃髪した写真があったのです。

 

 

 

 などの 

 

 

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森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」がであうとき  国立国際美術館 #3

2016年06月09日 | アート 現代美術

第1部-第5章

時代が青春だったときの自画像は美しい

日本の近代絵画で異彩を放つ、松本俊介、萬鉄五郎、村山槐多、関口正二などの自画像に扮して

いるのがまた素晴らしい。

後日、国立近代美術館でみた(5月28日)、奈良美智が選ぶMOMATコレクションにも、上記の

画家の作品が選ばれていました。 一流アーティストが見ると、いい作品はすぐわかるのでしょうね。

 

展示光景

 

 

松本俊介の《立てる像》に扮したもの。 

 

 

原画(下の写真)は、今年1月に鎌倉近代美術館の閉館展で見ました。  素晴らしいの一言。

  
松本俊介《立てる像》1942年、画布、油彩、162.0×130.0cm、
神奈川県立近代美術館

 

森村作品の《立てる像》のメーキングがわかります。

 

 

《立てる像》へ様々なアプローチ。

 

 

 

 さすがに童顔は無理か。

 

 

 

 

原画

自画像(じがぞう) 1941(昭和16)年 油彩/画布 33.6×24.5    岩手県立美術館蔵 

                                                                 


 この作品、女の目線と左手の位置が少し不自然に見えます。 原画をみても違います。
森村の意図は?

 

 


原画。 なおこの作品と、国立近代美術館にある《建物》が松本俊介の絶筆。

 松本竣介 「彫刻と女」 1948年 福岡市美術館蔵

 

 

 

 村山槐多ねー、さもありなんの自画像。  デカダンスを全うし、22歳で夭折。 

 

 

原画


「紙風船をかぶれる自画像」(1914年)
水彩 鉛筆 紙 45.4×31.7

国立近代美術館で以前、撮った村山槐多の作品。 初めて見た槐多の作品に驚いた記憶があります。

 

 

 

 

続いて関根正二、関根も二十歳で夭折した。 まさしく青春の自画像にふさわしい。

 

 

 

原画。 こちらも国立近代美術館で以前、撮った写真。

 

 

 

 

青木繁。 彼もまた、28歳で夭折。  原画の自画像の赤い輪郭線が強烈。

 

 

  
          《自画像》1903年、石橋財団石橋美術館

 

 

 

 

 

 

 

最後に萬鉄五郎。  原画も強烈ですが、森村の扮装作品は更に気味悪さが増している。

 

 

 原画

  
《赤い目の自画像》(1912~1913年)岩手県立美術館 

 

 

こちらの自画像はさらに気味悪い。

 

 

 

 原画

 

 『雲のある自画像』 1912年 岩手県立美術館 

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森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」がであうとき  国立国際美術館 #2

2016年06月06日 | アート 現代美術

第1部-第2章

究極の画家は究極の演技者である:レンブラント

第1章にもあった17世紀オランダ絵画の巨匠レンブラントの、人生の機微を森村の扮装自画像でたどる。〈1994年原美術館での初個展で展示されたもの)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1部-第3章

「私/わたし」は冷静に熱狂する:ゴヤ

ゴヤの版画「ロス・カプリチョス」シリーズのテーマを、現代の世相に置き換えて風刺した作品。

国立西洋美術館でみたゴヤの版画「ロス・カプリチョス」シリーズは、強い印象があり、この作品

に着目した森村もさすがです。  実に面白い

 

 

 

ゴヤの原画。

 
〈ロス・カプリーチョス〉: (53) 何て有難いお説教  1799年
エッチング、アクアティント、バーニッシャー、エングレーヴィング/簀目紙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなか妖艶です。

 

 

 

 

 

 

 

紳士の哀れさ! 淑女の怖さ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あえて風采の上がらぬ自画像にしたゴヤ。  帽子をバケツに変えたアイデアは森村自身で、嬉しそうでした。

 

 

ゴヤの原画

 

 

 

第1部-第4章

「私/わたし」の傷みによって世界を革命せよ:フリーダ・カーロ

横浜美術館で本シリーズの作品は見ていて、強い印象があったのですが、20世紀メキシコの現代絵画を代表する画家ぐらいしか知らなかったのです。

今回を契機に、フリーダ・カーロを調べると凄い人生ですね。 彼女の絵もそれを反映しています。 ほとんどが自画像です。

フリーダの強烈さを表現するには、これぐらい派手でないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」がであうとき  国立国際美術館 #1

2016年06月04日 | アート 現代美術

凄い!

森村泰昌
自画像の美術史 「私」と「わたし」がであうとき  


 

関西の親戚を訪ねた翌日、4月26日(火)国立国際美術館で開催中の

《森村泰昌 自画像の美術史 「私」と「わたし」がであうとき》を鑑賞した。 

森村泰昌が全精力を傾注して企画・制作しているのが、ヒシヒシと感じられる”凄い”アート展でした。

第一部 自画像の美術史(10章構成)

第二部 「私」と「わたし」がであうとき -自画像のシンポシオン-(60分の映像)

で構成され、私は1部 → 2部と順に見たのですが、第2部の映像で森村の考えが語られ、内容も面白いので

第2部からみるのもありです。

 

では早速、第1部 第0章 から

《美術史を知らなかったころの「わたし」がいる》

森村が初めて、美術史の大家ゴッホに扮して制作した作品を出展した、1985年の京都での「ラジカルな意志のスマイル」展を再現しています。

 

 

 

 

 

第1章 「私」の美術史

公式サイトから引用。

”西洋美術史における自画像の端緒として森村が取り上げる「レオナルドの部屋」

、そしてデューラー、ファン・エイク、クールベ、ゴッホや3D 手法を取り込ん

だダリの作品コーナーなどからなる「様々な自画像の部屋」を全新作により展示。

自画像に登場することで美術史に潜む「私」を明らかにする。”

絵のように見えますが、すべて写真作品。  私も、画面に近づき確認しましたが

確かに写真です。

   
                   

 クローズアップ。

メーキャップは、資生堂の専門家が実施。 そういえば、山口小夜子の「未来を着る人」展のとき、小夜子への扮装には、小夜子のメーキャップを担当した

資生堂の専門家に依頼したのだった。

 

 

 そしてダビデ像。 なんで、ダビデ?、なんで若きレオナルド?と会場では思ったのですが

その後、調べてみると、レオナルドの師であるヴェロッキオの彫刻作品の扮装で、モデルが弟子であるレオ

ナルドだとする説があるようです。

 

 

鼻から口にかけて、益田キートンに似ているなと思ってしまいました。  

 

 

  

 芸術家としての自意識を込めて自画像を「発明」した画家。 強調された右手は、創造の手

 

 

 

 

 

 

 

 

 レンブラント。 第2部の映像作品では、描かれた美術史の巨匠たちについて、その人生のエピソードなどを

語っていて、巨匠たちも人間臭い生活を送っていたんだと、安心したりします。

デューラーより後の時代、17世紀に活躍したレンブラント1606-1669)は生涯自画像を描き続け、晩年は困窮

した生活だったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 展示風景 

 

 

 

 

 

 

カラヴァッジョ、実は、昨日(6月3日)国立西洋美術館でカラヴァッジョ展を見てきました。

当初は、行く気はなかったのですが、森村展で多くのカラヴァッジョを題材にした作品をみて、面白いと

思ったのです。   なお、作品には天井照明が映りこんで見にくくなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラヴァッジョの自画像といえるのが、この作品の生首になります。

第2部映像作品でも、神を殺すなどのセリフとともに、この顔で現れます。

 

 

 

 

フェルメール。  彼は自画像を描いていない。そこで森村は《フェルメールの部屋を訪ねる》との題名の作品を仕上げている。

第2部映像作品でフェルメールはこう語る。 

しかし私は、じつは皆さんの想像もつかぬ方法を用いて、自分自身の姿を絵の中に描き入れています。誰にも気づかぬように、そっと。 

 

 

 

 美人女性画家でマリー・アントワネットとも親交のあったルブラン。

証言台に立つ・・・という意味がよくわかりません。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これなんか絵画にしか見えませんが、よーく見ると写真です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1章はこれぐらいで、ウーンまだ先は長い。

 

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村上隆のスーパーフラットコレクション展 #9 1950年~2015年 その2

2016年05月28日 | アート 現代美術

 奈良美智の作品まわりにある小物の作品たち。 キャプションは撮れませんでした。 

 

 

 よくわかるシーンです。 犬は、飼い主の顔を舐めるのが好きです。

 

 

 

小出ナオキの陶器人形も面白い 

 

  

 

 

ニック・ジーを調べると、ニック・ザレンバという米国のアーティスト。

 

 

 

 

 次の展示室との間の小スペースにも作品。

 

 

 面白そうですが、意味はよくわかりません。

 

 

 

 4作品のうち、右側の2作品は奈良美智です。 左の2作品に興味を引かれました。

 

 

 

 《とても暗い鹿》  ウーン、訴えてきますね。

 

 

 

 

 

 小さな命を見つめているのだろうか? 自然な表現がいい。

 

 

 

 

 

奈良美智の《ハートに火をつけて》のバックにしたショッキングピンクの作品と同じ作家。

三葉虫の化石のようなオブジェ、きれいでした。

 

 

 

この作品も独特の妖気を放っています。

 

 

 

最終の展示室。

 

 

 

 

 

 一見、写真かと思いますが、色鉛筆と紙の作品。

  

 

左上の作品を拡大   

  

 

更に拡大。 色鉛筆のタッチがわかります。

 

 

フリードリッヒ・クナスの作品《スターライトウォーカー(星明かりの散歩)》

この作品、面白いのですが、置かれた環境でもっとよくなります。

右横は、リーフレットに載っていた別展示場における写真です。 違いますね。

 

 

 

こうした薄気味悪い作品、嫌いな人は目を背けるでしょう。

でも、不思議ですね、こんな作品も心の奥の何かを刺激し、アートとして存在する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この像、開会直前に届いたそうです。 2015年にニューヨークの美術展で購入とのこと。

フランク・ベンソンの3Dプリントによる彫像「ジュリアナ」。 実在のトランスジェンダー作家、ジュリアナ・ハクスタブルがモデル。

緑色のラメが美しい・・・実際にモデルは夜の社交場でこの色でいるそうだ。

 

 

 

最初に見たときは、背景は知らなかったので、女性のヌード像だと思ったのですが、この角度から見ると、トランスジェンダー であることがわかりました。

 

 

 それにしても滑らかな肌と肉感、凄いですね。  女性の鑑賞者は、目を背ける方が多い。

 

 

菊畑茂久馬のこの作品、私は良さがわかりません。

 

 

 

 

村上隆の弟、村上裕二の作品。  ウルトラマンが出る日本画ですが、面白い。

 

 

 

小品が密集し、キャプションと作品がよくわかりません。 水彩画は常識的な作品ですが、こういうものもコレクションしているのですね。

    

 

 

 

爆破の瞬間、エネルギーが凄い。 

 

 

 

 

村上隆の率いる㈲カイカイキキの一員ob(おび)の作品。 若い女性らしい作品。

 

 

 

 

よく見るとシュール

 

 

 

よく見るとサブカル寿司

 

 

 

韓国の作家で、村上が最近、興味を持ってコレクションしているとか。

若冲みたいに、隅から描き始めて一気に描き上げるようで、1日で仕上げるとか。 確かにずば抜けた筆力。

 

 

 

カメラを引けない状況で、1枚に収まらないので、2枚で掲載。

  

 

 

 

 

 

このあと、映像作品もあったのですが、混雑等で見れませんでした。

 

いかがでしたか、圧倒的なボリュームと内容、評判も良かった展示会でした。

そして、今日、Webを検索していたら、この展示会にあたって、村上とゲストキュレータの

三木あき子、横浜美術館館長の逢坂理恵子の3人のオープニング時のトークセッションを見つけました。

日本の美術業界と現在喧嘩状態にある村上の怒りの言葉や、古美術のコレクションを始めたときの

失敗談など、飽きずに聞ける面白い内容でした。 村上のアートに対する一生懸命さ、パワー全開で

進む姿勢のなかに、アートに関して傲慢に聞こえるところがあるのは事実ですが、それを責め立てる

美術関係者がいるのも、度量が狭い感じがします。 あの草間彌生も、ピカソに負けないアーティスト

と自らを豪語しています。  村上が日本の美術界に辟易し、今後、日本では展示はしないといっている

のが気にかかります。  それと、このコレクションの今後の扱い・・・村上隆のことだから、新たな発想

で、多くの人に見られる仕掛けをつくるのではないかなと期待するところです。  

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村上隆のスーパーフラット・コレクション展から #8 1950年~2015年 その1

2016年05月21日 | アート 現代美術

 村上隆のスーパーフラット・コレクション展の最後となる《1950年代~2015年》

面白い作品が多く、長くなります

では早速、このパートのキャプションから

 

 

 冒頭には、アンディ・ウォーホールのドローイング、篠山紀信、荒木経維の写真が並びます。

 

 

 

 

 左の写真:篠山紀信 SHINOYAMA Kishin《三島由紀夫「1968 東京」》、"Mishima Yukio, 1968 Tokyo"、1968年

 

 

 アンディ・ウォーホールは好きな作家ではありません。 しかし、2015年の美術品オークションで世界第二位の取引額

なのです。(一位はピカソ)   経済的価値と美術的価値はイコールではありませんが、無視できない存在になっています。

村上隆もアンディ・ウォーホールの蒐集は、自作のアメリカでの売り込み戦略に役立ったのではないでしょうか。

 

 

 

中央の細長い作品の裏側を次に紹介します。

 

 

 

 

この作品の作者ヘンリー・ダーガーは初耳で、何も知らないで見ました。 印象は、一見、少女漫画的なイラストですが、不思議な迫力があり

1950年代のあえて稚拙を狙った現代アート作品かな?と思ったのです。 

ブログ記事作成のため、今回、作者を調べると、アール・ブリュットの作品なんですね。

アール・ブリュット:既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作された芸術作品の意味で、 生(き)の芸術。

          アール・ブリュットの作家は他人に見せて評価を受けることや、売ることは考えてなく、社会的に疎外された環境で孤独に

          生きている人が多い。 

 

 

 

ヘンリー・ダーガーは、孤独な生涯を送った。 今でいう自閉症スペクトラム(以前はアスペルガー症候群と呼称)と思われます。

誰に見せることもなく半世紀以上もの間、たった一人で作品を書き続けたが、死の直前にそれが「発見」され、アウトサイダー・アートの

代表的な作家として評価されるようになった。

 

ご覧のように、少女に対する執着は異常ですが、この異常さがアートに遷移したと思います。

 

 次の展示コーナ。 右下の絵を除いて、他はホルスト・ヤンセンの作品。

ヤンセンの作品も、最初は印象が薄かったのですが、二回目に見たとき独特の迫力に惹かれました。

   

 

                         この自画像、村上隆に自画像の重要性を認識させたとか。

      

 

 

《カトリック(カラ)》

上下の作品も異様で薄気味悪いのですが、迫力が凄く、面白い。

 

《かなり繊細さに欠けた練達の野良犬》

 

 

 

痛々しいイメージで、第一印象は強いのですが、部屋に飾りたいかと自問するとノーとなる。

 


 

 

 最初の展示コーナにあった作品ですが、三番目のコーナに荒木経維の作品がまとめてあったので

一緒に紹介。 荒木が電通の広告写真マンだった頃、職場結婚した時の新婚旅行の写真集《センチメンタルな旅》

 

 

 

 

この写真集の白眉、私写真ですが 普遍的なものを感じます。

 

 

展示状況

 

 

荒木の妻、陽子さんは、結婚から19年後に病没,中段の遺影写真は、荒木が最も気に入っていた妻の肖像写真

  

 昔、荒木が写真雑誌にアラーキなどと呼称して、エロっぽい写真などで売り出したとき、ちょびひげの風貌とともに

嫌いな写真家にカテゴリー分けしていましたが、後年、荒木の凄さがわかり、好きな作家になっています。 肖像写真などで圧倒的な力を見せます。

昨年、《山口小夜子の未来を着る人展》で、篠山紀信と荒木が撮った山口小夜子の演出写真を見くらべると、私は荒木の作品にぐっときました 

 

 

 

 

次のコーナ 

 

 

 

 

ジェフ・クーンズ。 村上はクーンズとの対談で「東洋美術を別とすれば、僕にとって最も大きな存在はあなたです」と語っています。

  

 

大竹伸朗の作品が、中央に上下に斜めにずれて掲げられています。 

キャプションによれば、大竹の展覧会を観て現代アートに進むことを決めた村上隆。

2015年夏に横浜トリエンナーレで見た大竹の作品は確かに凄かった。

 

 

 

 

  

 

大竹伸朗の《網膜/境界景2》の部分拡大。

 

 

奈良美智の作品収集数はダントツではないでしょうか。 村上と奈良は、米国の大学で客員教授として一時期、一緒に仕事をした仲間。

 

 

 

 

 

  

 

  

 

 さて、中原浩大の作品(村上のサブカルチャー作品 に影響を与えた)

私は初めて、この手のフィギィア作品をみました。  メディアを通じて知っていたフィギア

作品には、どうしてあんなものが?という疑念を持っていました。

が、実物をみて、それは取り払われました。 確かにぐっとくるものがあります。

健康美、エロスも・・・

 

 

 

 

 次のコーナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国の絵画(パステル画)4点も眼を惹きました。  絵はリアリズムですが、状況がわからないので理解は難しい・・・だけども気になる何かがあります。

上から右側の4点の作品:リ・ユソン(李・尤松)(1968年生まれ) 2006年制作、パステル、紙 。 右下の作品のタイトルは《No.27》で、その他3点ともタイトルは《無題》

 

 

 

 ロイヤル・アート・ロッジって、カナダのイラスト集団のようです。 個々のイラストも面白いし、作品群全体の醸し出す雰囲気も面白い。

 

 

 

 ↓私も中央線で通勤していたので、よくわかります。 

 

 

 

 奈良美智の彫刻が目立ちます

 中央の像:NARA Yoshitomo 奈良美智《ハートに火をつけて》"Light My Fire" 2001年
      Acrylic and cotton on carved wood 

 

 

 

 

 

右側の壁面のショッキングピンクの作品 :アンゼルム・ライラ Anselm Reyle  "Untitled"  2007  mixed media on canvas, plexiglas 

 

 

一つのアイデアが浮かび、ショッキングピンクの作品を背景に、《ハートに火をつけて》の一部分を撮影してみました。

 

 作品紹介はまだ続きますが、 とりあえず、この辺で休憩です。 

コメント (2)
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