私は訪問してリハビリを提供する仕事をしています。
今日、30年以上独居を続けてこられた高齢な女性へのサービス提供が終わりました。
明日から施設に入ると決断されたからです。
その方は進行性の病気でした。
歩けなくなり、移動は四つ這いでした。
言葉も失い、詳細な意思表示は困難です。
周りから見ていると、もうとっくに1人暮らしの限界は超えているように見えました。
家で転倒や転落などで大怪我をする前に施設に入ることを何度も話し合いましたが頑なに拒否をされていました。
今日、最後の訪問すると何度も何度も聞いた事のある田んぼや畑、牛の世話を沢山頑張ってきた話をしてくださいました。
(言葉は出ないので筆談。文字も7割は間違ってしまいます。)
最後に私にできる事はないかと伺うと、「会いにきて欲しい」と言われました。
施設入所の話が出ては、たち消えていた方だったので、最後にまた大どんでん返しがあるかもしれないと思っていました。
しかし、寂しそうではありましたが入所するご意向は変わりませんでした。
最後の決め手は何だったの推測すると、自分で『納得』したかどうかだと思いました。
諦めて覚悟をする『観念』ではなく、自分で決めた『納得』です。
この方は嫁ぎ先が畜農家であり大変苦労をされましたが(本人談)、しっかり自分の人生を歩んでこられたことが分かります。
私は施設に送るサマリー(申し送り書)の最後に「全ての選択は本人に委ねるように配慮していただきたい」と書きました。
施設入所後も自分の人生を歩んで欲しいです。
もちろん会いにいきます。