言語聴覚士の独り言

言語聴覚士の日記

息子の卒園式

2024-03-23 12:14:00 | 日記
昨日、息子の保育園の卒園式でした。

私は久しぶりのスーツに袖を通し、妻は着物です。

我が家の子どもたちは1歳から保育園に行っています。


末っ子の息子の卒園で保育園とはお別れになります。

ポケットにはハンカチを忍ばせました。

式が始まり、子どもたちの歌や言葉で直ぐにハンカチの出番です。

さらに、涙を堪えている担任の先生の姿を見て涙は加速します。

実質、家族以上に子どもと過ごす時間が長い先生の気持ちを考えると…。

感情は伝染します。

式が終わり、ライオン組の教室に戻り、思い出のスライドショーを鑑賞。

その後、涙腺が崩壊した先生の挨拶。

ハンカチがポケットに戻る暇がありませんでした。

子どもたちの様子を見ていると、女の子の数人が嗚咽をあげながら泣いています。

男子と女子の感受性や理解力の差はこの頃はかなりあるのだと感心すると同時に、会場の感動の渦はクライマックスです。

息子は元気に素直に育ってくれています。

保育園の先生や園児の仲間たち、送迎を主に担ってくれた妻

本当に感謝です。

次は体より大きなランドセルを背負い、ダボダボな制服を着た息子の姿を見るのが楽しみです☺️



思い入れのあるモノを周りに置く幸せ

2024-03-13 22:57:00 | 日記
私は訪問してリハビリを提供する仕事をしています。

高齢者の家を訪問すると、子どもさんやお孫さんの絵など作品が飾ってあることがあります。

それを見て私は特段何も思いません。

子どもや孫がいるという情報を得ます。

私にも子どもが3人います。

子どもたちの作品を飾っています。

飾る理由は子どもたちが一生懸命作った作品を捨てることを躊躇うことと、我が子の作品は素敵に感じるからです。

この前はニトリで額を買って子どもたちの絵を飾りました。

孫にも衣装でより素敵に感じます。



なぜ、他人の子どもの作品は何も感じない(かわいいとは思います)のに我が子の作品は素敵に感じるのでしょうか。

それは単純明解で“思い入れ”があるからでしょう。

我が子より上手い子は沢山いますが、たとえその子の作品をもらっても飾ろうとは思いません(プロほど上手い場合は別ですが)

我が子の作品には子どもの頑張りが透けて見え、描いた当時の思い出も付随します。

そして、幼少期は瞬く間に過ぎ去るので、そのひと時を作品と一緒に保存します。

だから、その分が上積みされて素敵に感じます。

インテリアや洋服で新しくてかっこいい物を自分の身の周りに置くのもいいですが、

もしかしたら、良い思い出がたっぷり詰まっている古い物を周りに置いた方が幸福度は高いかもしれませんね☺️

天才を殺す凡人

2024-03-07 23:03:00 | 
この本はビジネス書や自己啓発本に分類される本ですがストーリー仕立てで進み、大変読みやすく分かりやすいです。

内容を簡単に要約すると

世の中には3つの才能がある

天才:創造性が軸
秀才:再現性≒論理性が軸
凡人:共感性が軸

関係性は下の図の通り



◉軸:その人が「価値」を判断する上で、前提となるもの。絶対的
◉評価:軸に基づいて「Good」や「Bad」を評価すること。相対的

評価は相対的で変わる事があるが軸は変わる事はない。

従って、軸が異なることによるコミュニケーションの断絶はとてつもなく「平行線に近いもの」になる。

天才が創造性を実らせる為には数が多い凡人の共感を得る必要がある=凡人は天才を簡単に殺すことができる

また、秀才は天才に妬みと憧れの相反する気持ちを持っており、天才の創造性に再現性を与える最高の味方にも、創造性を論理的に批判する敵にもなりうる。

凡人の中には天才を理解できる共感の神がいる。

この共感の神が根回しすることによりイノベーションが起きる

反対にこの軸の異なるコミュニケーションの断絶が社会の停滞を生んでいる。

才能の奥義を知るステージ
①自分の才能を理解し、活かす
②相反する才能の力学を理解し、活用する
③武器を選び抜き、リミッターを外す

凡人、秀才、天才は使う主語が違う

凡人に多い主語:人メイン 
秀才に多い主語:組織やルールのどの善悪
天才に多い主語:世界や真理など、超越した何か

◉キラーワード
「あなたならどうしますか?」
これで主語を変換させて異なる才能を活かす

凡人の最強の武器は【自らの言葉】

自らの言葉で白状することで共感を得ることができる


この本は異端(天才)が生きにくい世の中で1人でも天才救いたい気持ちで書かれています。

私はこの本を読んで、人間関係の悩みの根本に近づいていると感じました。

人の話を聞くや、人を理解することが良いとされていますが、そもそも軸が異なることを理解しないと本当の意味での理解は難しいとなります。

私は40代です。若い才能に対して根回しができれば良いですが、せめて理解が困難だからといって殺すこと(老害)だけはしないようにしたいです。

私の拙い文章では分かりにくいと思います。ぜひ手に取って読んでみてください。






仕事と家庭は別のゲーム

2024-03-04 23:27:00 | 日記
昨日はひな祭りでした。

娘のいる我が家では毎年、和装をして地域のひな祭りのイベントに行くのが恒例です。

しかし昨日は上司から学会の参加を打診されていました。

私は迷いましたが学会参加を断り、家族と例年通りひな祭りのイベントへ出かけました。

私は父であり、夫でもあります。また、仕事をしている社会人でもあります。

仕事で良い結果を出していたり多額を稼いでいるから、良い父親や夫ではありません。

ここを勘違いすると後で取り返しがつかない家族との溝ができてしまいます。

“仕事だから仕方がない”は自分は思っていても家族が同じ気持ちだとは限りません。

もちろん良き父や夫であるからといって仕事が上手くいくわけでもありません。

いわゆる別のゲームだと思います。

どちらかが高得点でもその得点は別のゲームでは役に立ちません。

例えば仕事で成功してたくさん稼いでいるとします。
そこで家族との時間が取れない事は仕方がない、収入が多く豊かに暮らせるのは自分のおかげと考えてしまうと家族関係は上手くいきません。

仕事で成功するには、周りの人が何をやって欲しいのかを考え行動することが大切です。

同じく家族関係を良好にするには家族が何をやって欲しいか考えて行動することが重要になります。

仕事ではできるのに、家族に対してはできない中年男性が多いように感じます。

これは仕事↔︎家庭だけの話ではなく、人間関係全般にいえます。

たとえ年齢や収入、能力など秀でるものがあったとしてもそれはそれが通用するゲームの中だけです。

私も忘れないようにブログに書きました。

意識をして気をつけたいです。