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スーツでジェットスキー

大人も子供も! 金沢の自然を楽しもう!
金沢には30代前半まで生まれ育ち住んでました。
良い街です。
一時期金沢から子供達が都内に来て一緒に住んでましたが、やはり子育ては金沢が最高です。
それで、今は離ればなれに住んでますが、大人の金沢も振り返ると良いです。
海と山が極端に近くて(今住む関東から思えば、スキーの出来る山とジェットスキーの出来る海が同じような距離にあるのは希)事業をしてた頃でも息抜きや気分転換で非日常世界に即行けるのは良い。
散々仕事に時間を費やし実った(契約や完成引き渡し)時はご褒美に、平日でも夏は海、冬は山にそのまま出かけました。
海の家のBarでコロナ片手に飲む美酒は最高!
そして、海を眺めてるうち、脳裏に熱望が沸くのが「このままマリンスポーツもしたい!」そしてスーツの上着を脱ぎジェットスキーに飛び乗りネクタイなびかせて海の上滑走してました(笑)。
今、スマップの歌「バンバンバカンス」(だったよな?)のようにバカンスは半分馬鹿!同じ馬鹿なら愉しく馬鹿しないとね。
私の駆るのは起って乗るタイプのジェットスキーだから、もちろん革靴もスーツのパンツも海水でずぶ濡れだけど快活です。
冬にはやはり、街に近いスキー場に向かい、ロッジでBEER飲んでるうち、このままスキーしたいなって衝動に駆られ、即レンタルスキーと靴を借り、ロングコートとネクタイなびかせてコース滑走してました(笑)。
そして大転倒。
コートの裏地にまで雪がこびりつき、帰りの車のシート迄ずぶ濡れでした。
人間羽目外す事が時には大切。
そんな事が出来る街です。
飲んでて、そのまま明け方女性や飲み仲間と海や山に出かけることも時折ありました。
都会の快楽外とアウトドアが共存する瞬間ですね。
明け方の海は海水が澄んでて、砂の粒まで綺麗に見えます。
そして、不思議な現象で蛤やアサリが砂上で揺らいでます。
よーく注意して見ると、数10センチ間隔で転がってます。
水位20~30の所でゴロゴロ(笑)。
僅か数10分で車のトランク貝で一杯になります。
そして、落ちてた流木で暖炉を作り、やはり落ちてた車のホイルキャップで貝焼き。
味付けは海水。
最高です!
そんな、自然とビジネス街。快楽街(人口の割にやたらと多い飲み屋も歴史的背景由縁)とアウトドアが混在する都市が金沢です。
今は少し過疎化(商工会や経済界が保守的で自己中なのが原因)してますが、江戸後期は江戸・大坂に次ぐ大都市。
陸路の近江商人から海路の北前船で国際的にも大都市だった歴史が有るから、沢山の優れた人たちが集まった経緯があり、美男美女が多く(今の東京のように地方から集まった)優れた職人も多い。
もう少し、住む人たちが歴史や日本の中での位置に気が付けば良い方向に伸びるのだろうけど残念ですが、今は北陸三県(富山・福井・石川)の中では観光も産業も最下位(泣)。
世の中合併ブームだったのに近隣都市から嫌われ叶わず、選り江戸から続く大都市だった先祖様達への仇的方向に進んでるように街を離れて振り返ると感じる街です。
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古都金沢の崩壊

川崎でSpaceDesignerの私は北陸の金沢生まれ。
しかも30代迄金沢に住んでいた為、郷里を愛してます。
江戸中期、北前船が活躍した頃は、政治の中心江戸、経済の中心大阪に次、流通の金沢と三番目に位置する三大都市の一つでした。
今日本海側では新潟や富山等の発展から遅れをとり過疎化が進んでおります。
たいした産業も無く、銭屋五平が活躍する加賀商い船の恩恵も消え失せ衰退の一途を辿る金沢。
地元民は気がついておりません。
街の中心部は小さく、周りに調整区域(建物をたててはいけないたんぼ等の地域)が多かったため、開発行為にて宅地造成や大型商業施設の進出で、街が発展してると勘違いしております。
その新発展の地域は金沢の近隣市町村だったりするので、金沢市事態は過疎化の一途を辿ってます。
旧市街地は戦災にも逢わず、江戸中期から明治・大正・昭和の初めの建物が多く車社会にこそ対応しにくい町並みですが美しい街です。
その旧市街地はお年寄り住まいや空き家が多く、また人が住まなくなり二酸化炭素が減ると建物は崩壊し始めます。
そして、若い人が減ると商いも減り、商店が軒並み無くなる。
そんな、ゴーストタウンが金沢の中心部に出現し始めてます。
活気のある街でした。
今designers'ステショナリーやファニチャー家電が売れてます。
金沢も元々工芸都市、優れた和designerや工芸職人が沢山不景気に暇を持て余してます。
そんな、地域に都内で活躍するプロダクトデザイナーに非常勤講師を依頼し、和designerや工芸職人が常勤講師を務める。
そんな、一大工芸学園都市として、旧市街の町屋を改装し低層階の学校地区が出現すると、近隣町屋地域にも人が戻ってきます。(学生は学業が本分、車が置けないから嫌だとか言いません。)
昔は金沢城内に金沢大学があり、旧市街の町屋に若い人が学生住まいとして点在してました。
それで、街が活気があったのです。
前回に話した内容はこのぐらいで、今回崩壊の危機を感じてるのは郊外です。
北欧と南欧designを融合し、日本伝統も加えた昭和7年創業の木造ホテル「白雲楼ホテル」が廃墟と化し始めたからです。
マッカーサーも昭和天皇両陛下も宿泊した由緒有るホテルです。
8階建てのうち、上層部は木造で5階組まれており幻想的な綺麗なホテルです。
国登録文化財にまでなってる建物が崩壊寸前です。
http://discoverjunk.cool.ne.jp/haikyotop/hakuunrou/index.htm
債権者問題なんかでもめてるのか解らない内に崩壊ぎりぎり。
金の問題ではなく、地方でも地元有力者や名士が居れば、買い取り復興させるのが通例。
そんな、名士や実力者が居ないのが街自体の恥です。
HP掲載のように、侵入者に破壊行為いろいろされてまさすが、
クロス壁や畳の破壊や放火程度なら構いません。
即直せます。
ただ古からの職人技、ごう天井やヨーロピアン装飾が残っていれば、大壁の中途半端な部分は近代店舗DESIGNをもって融合すれば全国から人を集客できる一大モダンホテルに改装し再創業は可能です。
横浜の煉瓦館のような温故知新DESIGNを敢行できるセンスの持ち主(私も自信があります)であれば良い施設が再興するでしょう。
それを、出来る雄志や名士が私の故郷に居ないのが悲しいです。
アパグループ(金沢の企業)が安い下品なホテルを都内でも造り運営してますが、
社長の綺麗とは言えない写真を数十メータの大きなプリントで壁面に張り景観を損ねてるなら
白雲楼を買い取り、再び世界中から人を集める復活をさせて地元雄志企業です。
買い取れない半端な雄志なら都内でTVとか出て欲しくない。
私は地元に有志や名士が居ないこと嘆いてます。
一度参考HP観て下さい。
こんな大切なものを金沢経済界や財政会が崩壊させてます。
旧市街・文化財等を放置して私腹だけでの発展なんて、金沢自体が崩壊するのは時間の問題です。
地元金沢を愛すればこそ悲しい選択に想えてなりません。
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大都市金沢002

私の過疎化が始まってる故郷、金沢救済シリーズ。
昭和40年代、私が子供の頃不思議に感じてたことがありました。
そんな頃に過去に繁栄して潰れた巨大遊園地跡が近隣街に幾つかあった。
過去の遊郭のような繁華街跡も幾つかあった。
その昔大都市だったと聞く金沢。
1843年頃に遡り、銭屋五兵衛と加賀藩が組み、藩が海運業(北前船)に乗り出した頃からの事だそうです。
西回り(九州から沖縄)に始まり東回りルート(北海道から江戸)も産まれ日本を本当の意味で一つにしたのが加賀藩の海運業。
日本全国主要都市に支店(出張所)を儲け商いをした。
鎖国時代にロシア・中国・韓国(遠くは英国・北米・オーストラリア迄記録にある)に迄交易をしたフロンティアな金沢人(今の内向的なイメージとは真逆)
北海道開拓初期の命綱も北前船。
米等の食材から建築資材(瓦等)を持ち込み、昆布とニシンを買い付けた。
北海道で著名なニシン御殿の主や近隣住民の多数は能登出身者。
そんな、江戸時代から明治に掛け繁栄した加賀藩(金沢)。
その名残として昭和の初めに繁栄した遊園地や繁華街の跡があるそうです。
いまは40万足らず小都市金沢ですが、昭和の初めまでは東京・大阪・金沢の順で日本三番目の大都市でした。
過疎化が悪いのか良いのかは地元でも賛否両論ですが、
日本を一つにし、北海道を創った先人のフロンティア精神を考えると衰退させる今の在住市民には疑問感じます。
「人が少ない方が優雅で良い」なんて語り空洞化する金沢を少し改め、旧市街を見直した方が良いのでは。
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大都市金沢001

川崎活躍する私の故郷は金沢。
時折金沢で店舗designをする事が有り帰ります。
ところが此処10年程で街の様子が変わりました(泣)。
金沢市役所のHPに「市長への意見」みたいなページ有ったから意見出しました。
私が金沢に住んでた頃もなんとか、更に10年程前の1985年頃の金沢は森山に住んでおり、橋場や横安江町から武蔵・香林坊と大変な繁華街でした。
更に100年前は日本海側最大の大都市だったと記載があります。
ところが今は旧市街には私の同級生一人も居ません。
偶に旧市街のスーパーへ買い物へ行ってもお年寄りばかり(泣)。
私が愛する金沢何処へ・・・・。
そこで提案しました。
工芸文化をDESGINと見据え、今輝く現代プロダクトデザインと融合し両講師を定期的に招き、敢えて車での移動や駐車が不便な旧市街地のど真ん中に長屋を改装し数件連棟でDESIGN学校を創る。
ハードは長屋のまま趣を重視しソフトに予算を掛け講師や機材に投資して、全国の若者を誘致する。
もともと金沢は知名度は高いです。
古き建物に風呂もないのに住もうとする若者や伝統工芸を学ぼうとする若者も少なくないです。
そこへ近代DESIGNと重きを大切にする伝統工芸作家との融合すれば若者が魅了されないわけがない。
そんなコメント送りました(笑)。
寂しいのです。
旧市街の地元へ帰っても同級生等一人も居ない。
見たこと無い年寄りが多いんです。
それに立山(富山)や敦賀(福井)にリピートで山へ登ったり、蟹食べに出掛けたりで観光人口北陸三県では金沢が再下位だそうです。
確かに山や民宿へ蟹食べへのリピートは家族でしますが、兼六園リピートは少ないでしょう。
是非金沢を伝統と近代のDESIGN大都市に!
切なる願いです。
ただ、金沢在住の方車生活が多いので中心部の空洞化気にしてないんですね。
郊外が発展し便利になったから、私みたいに過疎化してる気してないようで・・・・・・。
でも、野々市や松任・津幡で買い物やお金落としても・・・
過疎は続くのだけど
何故気が付かない金沢人(泣)
前回金沢滞在時石川TVだったかのニュースで(ニュース番組好)
「片町の飲屋街郊外に流出」見たいな見出しで始まった特集に釘付け!
郊外に昔の片町の風景が・・・
若いおねちゃんが沢山!
客も沢山!
確かに食も郊外にお洒落なの増えてました。

今は道が良くなり、森山辺りから犀川大橋を通り旧市街を車で抜けるには僅か数十分。

何気なく通り過ぎれば車を止めて食事や綺麗な女性とお酒も呑め買い物もできちゃう。

旧市街なんて車停める事考えるとおっくうで仕方がないかも、

しかし、私の若い頃人が溢れてた旧市街の時期と、これだけ郊外に住宅地が出来た現在と同じ人口45万人の都市ギリギリ人数のまま・・

ただ、中心から外へ移動しただけの発展・・・。

その上郊外でも古い団地にはローンが終わった人たちが住み続け
若い人は新しい団地に移り住む・・・・

流牧民・・・・・。

定住しないのか・・・。

東京などは下町も若い人が住み活気がある。
新しい街には流入人が住み、古い町は常に活性化し若い世代も住んでる。

車社会だ住宅事情だなんて感じる所帯持ち世代は好きにすれば良いから、
若い独身世代で風流やロマンで生きれる世代10代から20代で旧市街を埋めたい!
これが一大計画の全容です(格好いい?)。
僅か車で数十分通過の街に拘り運動続けるぞ!
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