
サスペリアのリメイク作品を監督したルカ・グァダニーノによると、イタリアの映画監督はアントニオーニやフェリーニなどの芸術作品に長らく影響を受けすぎていて、エンターテイナーとしての役割を忘れていたという。実際当時の伊映画界を下支えしていたのは、マカロニウェスタンやジャッロなどのB級作品であったにもかかわらず、評論家連中は見向きもしなかったらしい。その芸術映画一辺倒の流れを変えたのがダリオ・アルジェントその人だというのだ。ハリウッドにおいてタランティーノがやろうとしたことの、いわば先陣を切っていたのである。
イタリア映画と聞いて思わず肩をいからせて身構えている観客に対してアルジェントは初っぱなこう語りかけるのである。「なんていうか真面目すぎる。君たちはミュージシャンだろう、もっとラフでいいんだ」ついつい映画の裏に隠されたメタファー探しにやっきになってしまい映画全体を見る余裕を忘れてしまった私たちに、もっと肩の力を抜いてエンターテインメントとして映画を楽しめと語りかけているのである。
ゴッホの『夜のカフェ』から着想を得たとの噂もあるエドワード・ホッパーの『ナイト・ホークス』という有名なアメリカン・アートに描かれたダイナーを、ローマの街にそっくりそのまま再現してみせたアルジェント。なぜかダイナーの中の客は微動だにせず、街はシーンと静まり返っている。そこに響き渡る女の悲鳴。そして血だらけの女の背後に茶色のレインコートを着た殺人鬼の影が…
イタリアのレトロモダンな雰囲気が大好きな君がみると、本作はおそらく「かっけぇー」シーンの連続だろう。70年代にプログレッシブ・ロックを映画に取り入れたのは、アントニオーニとこのアルジェントくらいしか私は知らないし、スプラッタ部分のクローズアップももしかしたら本作が先駆けではないのだろうか。犯人の全体像をあえて撮さない演出は、きっとブライアン・デ・パルマの『殺しのドレス』なんかにも影響を与えているに違いない。
ラストに2転3転する犯人捜しの意外性についてはもはやいわずもがな。『欲望』でアントニオーニの分身を演じたイギリス人デヴィッド・ヘミングスの、ラスト“深淵なるロッソ”に映し出された「してやったり」の表情は、監督ダリオ・アルジェントのどや顔そのものといってもいいのではないだろうか。もしかしたらそこには、サスペンスホラーを芸術作品と同等の地位にまで高めた真犯人の顔が映っていたのかもしれない。
サスペリア2
監督 ダリオ・アルジェント(1975年)
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