
ホロコースト映画だとわかってはいても無意識にうるっとさせられるのは、やはり本作が事実に基づいて作られた映画だからだろう。通常悪者にされるのはナチスドイツと相場は決まっているが、本作の場合、そのナチスに協力的だったヴィシー政権下のフランス政府やフランス人によるユダヤ人迫害の事実を暴いた1本になっている。
ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件の“ヴェロ”とは自転車のこと。勘のいい方ならもうお気づきかと思うが、あのツール・ド・フランスの前主催紙ロトがナチスに協力的だったゆえに、ユダヤ人収容のためあの巨大な室内自転車競技場が政府に貸し出されたとのこと。結果パリからアウシュビッツなどの収容所に総勢76,000人ものユダヤ人が輸送されたことが、シラク元大統領によって初めて公式に認められたらしい。
「ざまあみろ」「バカを言うな、次は俺達の番だ」などの野次が飛び交う中、サラたちユダヤ人家族はフランス警察に連行されヴェロドローム内に数日間缶詰状態に。直前、サラは鍵をかけたクローゼットに閉じこめ弟を危機から救うのだが、父母とも引き離されそのまま収容所送りになってしまう。弟のことが心配でたまらないサラは、中継収容所を脱走し農場経営する親切なフランス人老夫婦にかくまわれる。老夫婦と共にパリの自宅アパートにいの一番舞戻ったサラがそこで見たものは…
時代は現代。フランスの汚点ともいうべきこの事件記事を担当することになったジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は、サラの自宅アパートを引き継いだフランス人家族の子孫だったのだ。サラはまだ生きているかもしれない。取材をかねた捜索を開始したジュリアは、果たしてサラと会い直接話を聞くことができたのだろうか。パリ→フィレンツェ→NY。自身の出産や離婚を経験しながら、一人のユダヤ人少女が背負わされた罪、そしてその後引きずることになる人生の重荷を追体験するジュリア。
サラが後生大事に持っていた鍵が開けたものは、フランスが歴史の中に埋もれさせようとしてきた“疚しさ”、すなわちフランス人にとってのパンドラの匣だったのではないか。まったくの偶然とはいえ、そこに関わったフランス人の子孫として、何かしら“償い”をしないではいられない責務にかられたのではないか。ユダヤ人の母が息子を守るためについた嘘と、心あるフランス人一家が隠し通した秘密が一つに重なった時、明らかになった真実。無邪気に遊ぶもう一人の“サラ”がそれを知らされる日もきっと来るにちがいない。
サラの鍵
監督 ジル・パケ=ブレネール(2010年)
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