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ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

フランス

2025年03月21日 | ネタバレなし批評篇

これまでにも、自己矛盾の塊のようなヒロインをずっと描き続けてきた鬼才ブリュノ・デュモン。今作では、女優として油ののりきったレア・セドゥにTV局の人気キャスターを演じさせている。しかし、本作を普通の映画だと思って観ると手痛いしっぺ返しを食らう羽目になる。哲学畑の人が映画を撮ると、ゴダールやテレンス・マリックを引き合いに出すまでもなく、限りなくひとりよがりな映画に陥ってしまうことが多いようだ。それが“芸術”といってしまえばそれまでなのだが、娯楽性と芸術性を兼ね備えた映画が何よりのご馳走と考える私のような人間にとっては、かなりの苦痛となる133分だった。

のっけから、マクロン現フランス大統領が登場(多分合成映像)してきて度肝を抜かれるのだが、質疑応答の一番手は当然私よとばかりにマイクを分取り、差し障りのない質問を大統領にぶつけるフランス・ド・ムール(セドゥ)。しかし、その回答を真面目に聞く気のないフランスは、TV局のプロデューサーらしき女性と終始ふざけっぱなし。ジャーナリストとしての矜持など微塵もないタレント・アナウンサーなのかなと思いきや、内戦下のルアンダに自ら赴いて、銃弾が雨霰と飛び交う中、決死の取材を繰り広げたりするのである。

一流ブランドで揃えたケバケバしいスタジオ用衣装と、ヘルメット&防弾チョッキの戦場取材服とのギャップも甚だしく、本作のために体重を大分落としたやに思われるセドゥの7変化は確かに楽しいし、観ていてそそられる。戦場における逞しさとは裏腹に、アラブ系の宅配兄ちゃんがのったスクーターのオカマを掘ってしまって以来、フランスは極度のうつを発症。「あなたのファンです」と写メをせがむパンピーに笑顔を見せながら、次の瞬間には涙をボロボロとこぼすメンヘラ女に変貌してしまうのだ。

「人に見つめられるのが怖いの」と言いながら、誰よりも目立っているブランドもんの普段着は相変わらずで、誰にも会わないよう山奥のサナトリュウムにこもったはいいが、そこで知り合ったラテン語教師(本当は芸能記者)と不倫関係に。壮大な雪山の景色を眺めながら、フランスがラブソングを口ずさめば、芸能記者のイケメン男が厳めしい聖歌を唄い出すというように、フランス人が内面に抱えた自己矛盾を(ストーリーテリングをほとんど無視して)映像化した作品なのではないか。

ブリュノ・デュモンに言わせれば“私は、今の時代が求めてやまない“完璧さ”など一切求めていない”そうなのであり、何を考えてるのかよくわからない分裂症気味のフランスのように、不完全だからこそ美しい“芸術”たりえるのだ、とデュモンは考えているのではないか。「万人受けする映画を作るつもりはない」とも語っていたデュモン監督の本作は、その年のカイエ・ド・シネマのベスト5にランクされているほどフランス国内では驚きの高評価(日本では勿論アマプラスルー)だ。

セドゥの顔面アップの多用は、カール・ドライヤーからの引用だろうか。友人の番組プロデューサーに「泥沼からはいあがった時、あなたは今以上に愛される存在になる。最悪は最高なのよ」と励まされ、仏陀のごとく“今ここ”の大切さに気づくのである。時に報道の力を信じる勇者として世間の脚光をあびながら、周囲の裏切りや事故を経験しうつを発症、そして予想だにしなかった身内の○○...そんなフランスはもしかしたら、(次回作としてデュモンが手掛けることになる)現代のジャンヌ・ダルクだったのかもしれない。

フランス
監督 ブリュノ・デュモン(2021年)
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