
斜陽の芸者置屋を舞台に(男抜きの)女の本音トークを堪能できる成瀬絶頂期の1本。山田五十鈴を筆頭にオールスターを揃えた本作は2項対立的なキャスティングに是非とも注目したい。
①つたと梨花
頭のてっぺんから爪先まで芸者としてのプロ意識にこだわる置屋の主つたを演じるのは、劇中惚れ惚れとするような三味線演奏と唄声を聞かせてくれる山田五十鈴。この人以外にこの役を演じられる女優さんはまずいないだろうと思われるほど役にはまっている。対する素人女代表、夫と子供を亡くし職安の紹介で家政婦として住み込みで働くお春こと梨花を田中絹代が好演している。礼儀正しい立ち居振舞いが置屋の中でかえってうきまくる様子は妙に心地よい。浮世離れした存在は昭和のメリー・ポピンズ?
①つたと梨花
頭のてっぺんから爪先まで芸者としてのプロ意識にこだわる置屋の主つたを演じるのは、劇中惚れ惚れとするような三味線演奏と唄声を聞かせてくれる山田五十鈴。この人以外にこの役を演じられる女優さんはまずいないだろうと思われるほど役にはまっている。対する素人女代表、夫と子供を亡くし職安の紹介で家政婦として住み込みで働くお春こと梨花を田中絹代が好演している。礼儀正しい立ち居振舞いが置屋の中でかえってうきまくる様子は妙に心地よい。浮世離れした存在は昭和のメリー・ポピンズ?
②染香と勝代
10歳下の若い男と同棲中の通い芸者染香(杉村春子)と男に媚びを売る母親の仕事に嫌悪感すら抱いているつたの娘勝代(高峰秀子)。貢いでいた男に逃げられた染香と、女が一人で生きるため手に職をつける勝代の火花飛び散る本気モードのバトルは必見。「大変なことおしゃいましたよ、このお嬢さんは。女に男は要らないだって?」男を知らない高峰を嘲笑する杉村の泣き笑い演技がお見事な本作クライマックスシーンの一つである。
③なな子と米子
若さと美貌を武器に男をとっかえひっかえ、そしてつたの家きっての情報通でもあるなな子(岡田茉莉子)は、将来間違いなく玉の輿にのりそうな典型的小悪魔。夫(加東大介)に離縁され娘と置屋に転がり込んできた米子(中北千枝子)とは正反対。浴衣の胸元もだらしなく、内股にまったく力が入っていない立姿にも、男に捨てられた女のセルフネグレクト感が漂っている米子。それを演じた中北千枝子は本作影の助演女優賞だろう。
④とよ子とお浜
経営の傾いたつたの家を抵当にしてつたや染香に金を貸す実の姉とよ子(賀原夏子)は見た目どおりのケチケチな鬼子母神。一方つたの良き先輩で表向きはつたを庇護するお浜(栗島すみ子)は、裏でつたの家から芸者排除を画策する冷徹なリアリスト。成瀬が頭を下げてまで出演交渉したという栗島は、台詞を一切覚えないまま撮影所にのり込んだという逸話も残っている。正助演女優賞はこの栗島すみ子の貫禄勝ちといったところだろう。
⑤ポンコと不二子
米子の娘で大人の言うことにはいっさい逆らわない従順な不二子と終始マイペースの三毛猫ポンコ?でもこれは我ながらちょっと強引か…
10歳下の若い男と同棲中の通い芸者染香(杉村春子)と男に媚びを売る母親の仕事に嫌悪感すら抱いているつたの娘勝代(高峰秀子)。貢いでいた男に逃げられた染香と、女が一人で生きるため手に職をつける勝代の火花飛び散る本気モードのバトルは必見。「大変なことおしゃいましたよ、このお嬢さんは。女に男は要らないだって?」男を知らない高峰を嘲笑する杉村の泣き笑い演技がお見事な本作クライマックスシーンの一つである。
③なな子と米子
若さと美貌を武器に男をとっかえひっかえ、そしてつたの家きっての情報通でもあるなな子(岡田茉莉子)は、将来間違いなく玉の輿にのりそうな典型的小悪魔。夫(加東大介)に離縁され娘と置屋に転がり込んできた米子(中北千枝子)とは正反対。浴衣の胸元もだらしなく、内股にまったく力が入っていない立姿にも、男に捨てられた女のセルフネグレクト感が漂っている米子。それを演じた中北千枝子は本作影の助演女優賞だろう。
④とよ子とお浜
経営の傾いたつたの家を抵当にしてつたや染香に金を貸す実の姉とよ子(賀原夏子)は見た目どおりのケチケチな鬼子母神。一方つたの良き先輩で表向きはつたを庇護するお浜(栗島すみ子)は、裏でつたの家から芸者排除を画策する冷徹なリアリスト。成瀬が頭を下げてまで出演交渉したという栗島は、台詞を一切覚えないまま撮影所にのり込んだという逸話も残っている。正助演女優賞はこの栗島すみ子の貫禄勝ちといったところだろう。
⑤ポンコと不二子
米子の娘で大人の言うことにはいっさい逆らわない従順な不二子と終始マイペースの三毛猫ポンコ?でもこれは我ながらちょっと強引か…
この映画には原作とは異なる不自然な点が一つある。田中絹代演じる家政婦の山中梨花である。幸田文の原作ではつたの家の芸者衆を醒めた目線で見つめる語り部として登場しているのだが、成瀬はこの梨花をわざわざ春と呼び換えて、つたの家の女たちを影で暖かく見守る善きサマリア人として描いているのである。
神棚のないつたの家の風呂釜脇に、冗談のように置かれた蛙の置物=水の神に向かって手を合わせる染香。この春こと山中梨花を成瀬は、つたの家の窮地をみるにみかねて現れた“(お)水の神”であり“芸事の神様”でもある弁財天として演出したのではないだろうか。
災い(鋸山)去ってつたの家に“春”がきたのも束の間、結局時代の変化には逆らえないことをお浜に告げられ、つたの家を去る決意を固めるのだ。現実の厳しさに近い将来直面するであろう女たちに、まるでエールを送るように大福をくばる福の神。時代の大きな流れの中では神の慈悲さえもそう長くは続かないのである。
流れる
監督 成瀬巳喜男(1956年)
[オススメ度


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監督 成瀬巳喜男(1956年)
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