正しい保護者の過ごし方

子供の成長を見るものはいいものです。子供の部活動を見ながら休日を過ごす父親のブログです。

大晦日

2009-12-31 23:20:34 | Weblog
今年も残すところあと僅かな時間となりました。
今年を振り替えるとまずあっと言う間の一年だったとそう思います。
娘の受験、新しい学校。高校生として子供の試合。息子の引退。子供を中心に考えても多くの人たちに支えられて来たなと感じます。そんな昨日に感謝です。
そして来年。息子の受験。娘の二年目と何が待っているのでしょう。
明日から、明日からまた新しい一年が始まります。
楽しく前を向いて頑張っていきたいものです。
多くの皆さんに心からの感謝と明日からの未来にエールを送ります。
みんな、ガンバレ、ガンバレ。

怪我

2009-12-28 19:18:14 | Weblog
昨日娘が練習試合で怪我、膝をやってしまったようです。よりによって年の最後の練習での怪我。今日は朝から家内と病院を梯子したのですが結局埒が開かず、水曜に専門のスポーツドクターに見て頂くこととなりました。
痛みは膝に溜まった血を抜いたので、納まったようですが、当分は松葉杖生活となりました。
これで一月の試合もパー。二人しかいない団体戦ですから、なんともパートナーの牧チャンには申し訳ない限りてす。
怪我はつきものとは言え、武事故れ名馬の格言もあります。怪我を如何に軽減し早く治すか、これも大事な練習と思います。
怪我の功名となりますやら、本人次第です。
怪我に注意!寒い時期は特に怪我が起こります。
怪我をしないに越したことはありませんから。

受け身

2009-12-25 20:55:15 | Weblog
以前にも述べた事がありますが、柔道を始めたらまず習うのが受け身。まず自分の身の守り方を習います。相手に投げられた時、如何に自分の身を守るか。または如何に痛みを軽減するか。自分の頭や内蔵、足腰を最少の痛みにするために、最少のダメージにするために受け身は重要で、柔道には無くてはならないものです。私も入門当時はかなりの時間を受け身の練習に費やした記憶があります。
ところが少し覚えると途端に受け身の練習をしなくなります。例えば籠の鳥といって、円陣に人が立った真ん中に受け身の練習者が立ち、360度あらゆる方向から押され、それに合わせて受け身を取ったり。掛かり稽古と言って、投げ役の前に順番に並び、投げ役にどんどん掛かっていって投げられるだけの練習を毎日必ずした時期があったと記憶しています。
今の練習はやはり勝負としての練習に重点を置いているためか受け身の練習を果たしてしているのかと気付きました。
形の試験では投げられ役も重要。というより投げられ方がうまい方がより投げる方が上手く見られます。
各学校や教える先生によっても違いがあると思いますが。競技、あるいは格闘技てしての柔道の一面には護身術としての柔道の良さもあるわけです。
是非受け身の練習、もう一度見なおしてみてはいかがでしょう。

冬休み

2009-12-24 21:04:37 | Weblog
学校はすでに冬休みモードに突入、娘の練習も練習試合や出稽古になかなか忙しい毎日がスタートした様です。日頃の練習の成果を試す絶好の機会と普段対戦出来ない相手と如何に多く対戦するかで実力が養われると思います。
娘はベンチで50キロを上げたと自慢し、負けじと兄が僕は80キロを上げてたと応酬する。知らない人が聞いたらいったいどんな兄妹と思うような会話。父は苦笑です。そういえば自分も高校時代は80キロが最高だったなぁと思い出し、話に加わろうとしたものの、子供たちに追い越された父親の悲哀を感じてしまう今日このごろです。
娘の課題はスタミナとポイントの取れる足技。けんか四つには強いくせに相四つには弱い。それに寝技、課題は山盛りですが、本人はあまり興味がないのか向上心がないのか、少しいらいらします。ただ、こちらが口出しすると倍、いや三倍になって返ってくるのでむやみには口出し出来ない怖ーい娘です。
休みに練習見に行っていいいっと聞くとだめーっと一喝!淋しい父なのです。
とはいえ、冬休みは大いに伸びる時期でもあります。毎日疲れて眠る娘にガンバレ、ガンバレ。

力の結集

2009-12-22 22:05:41 | Weblog
先日来、奈○中での事故問題について私なりの考えを披露して参りましたがもう一つこれだけは忘れてはならないと思う事があります。それは何故これほどまでに保護者や柔道部OBをはじめ沢山の力が結集し、彼の教諭を擁護し無実を晴らそうと立ち上がり結集したかと言うことです。
それは実はある政治力、あるいは権力とでもいうのでしょうか。いわゆる政治家の介入に他ならないと私は思っています。
ある市会議員が唐突にも、あろうことかこの一件を自らの政治公報のビラに掲載し自分がいかにも被害者救済の救世主と言わんばかりの内容で駅頭での配布やポスティングを実施したのです。しかもその内容は何ら調査も行っていないにも関わらず明らかに先生や学校を誹謗中傷したものでした。我々保護者会もあまりのやり方に当該の市会議員に質問状を送り面会にまで及びましたがらちが開かず、挙げ句の果ては市の予算委員会等でも質問まで繰り返したのです。その間一度も道場や練習をみることもなく、正に弱いものの味方、正義の味方として自らのプロパガンダに利用したのです。この一連の議員のやり方に当時の部員の保護者は皆一応に憤慨し結集したのです。そして忘れもしない台風の日の校区内での署名会。その日は同時に市大会女子個人戦の日で、私の娘をはじめ二名の優勝者を出した記念すべき日でもありました。
結局、彼の先生の無実を信じる署名は九千名あまりにまで達し、部員、保護者、柔道関係者の上申書とあわせて検察に提出させていただいたのです。この力の結集、まさに市民レベルでの素人の集合帯が成しえた奇跡の署名がそこにあるのです。その中には静岡からわざわざ彼の人を心配して来られた元の小学校の担任の先生、あるいは顧問によく叱られた元奈○中卒業のヤンキーたち。みんな一応に先生はそんなことするはずがないと、大雨の中集まってくれたのです。小さな力、想いの結集が連帯の絆として結ばれたのです。一日二度の感涙、嬉し泣きは後にも先にも初めてでした。
あきらめない。信じる。助け合う。ことばはいろいろですが、一つの目的、信じるものへのひた向きな努力は本当に報われるのだなといまさらながら感じます。何故ここまでこじれたのか、それは何処かに原因があったと思います。ただ、本当に怪我をした本人の為になったのか。これからこそその答えを考えなければいけません。そしてもう一つの宿題、彼の市会議員を私は絶対許す気にはなれないのです。この気持ち、私だけでは無いはずです。
絶対、本当に絶対許せないのです。

稽古納め

2009-12-21 21:50:38 | Weblog
12月もあと十日、今年もあっと言う間に終わりです。そして年末最後の練習、もうすぐ稽古納めがやってきます。今年一年の感謝を込めて道場を清掃して、一緒に頑張ったみんなでその敬意を讃え、来年の目標を新たに今年の稽古を納める日。
楽しい思い出ばかりではないでしょうが、ことしはどんな一年だったのか、しばし振り返ってみましょう。稽古納めはそんな一年の締め括り。今年は娘が高校で初めての年末を迎えます。どんな稽古納めになるでしょう。私もちゃっかり参戦したい。娘の許しがでればですが…。無理かなぁ。

代償

2009-12-18 21:39:52 | Weblog
今朝の新聞に子供達の恩師である奈○中柔道部前顧問の部活中に起こったとされる事故についての刑事訴訟に対しての不起訴が報道されました。一度は不起訴とされながら不起訴不当の訴えに対し、業務上過失についての再検証がなされ、その嫌疑についても不起訴となったとの事です。当該教諭の無実が五年の歳月の末ついに立証されました。ところが素直に喜べない気持ちを感じてしまうのは私だけではないと思います。何故なら、この悲しい事故についてはいろんな意味であまりにも多くの代償が支払われたのではと感じているからなのです。
まず怪我をされたご本人。もし怪我がなければ、柔道部のOBとして今も多くの元の柔道部仲間や後輩と、県武や道場で笑顔で語り合えたのではないかと感じます。怪我で途絶えた柔道部としてのキャリアや高校でされるはずだったレスリングでの夢が途絶えた代償は計り知れません。次に当該の元顧問教諭、彼は確か前年講道館杯で日本一になり、当時は海外の大会での日本代表にも選ばれ、オリンピックの候補の一人と目されていたと記憶しています。そんな中で起こった悲しい事故、彼の柔道家としてのキャリアはこの時点でぷっつりと途絶えたのです。
そして部員たち。特に指導者としての顧問教諭を突然のかたちで失った彼らはいったい何をしたというのでしょう。
今回の件の結末は誰もが喜べない、つらい結末なのかも知れません。信頼していたはずの顧問に対する疑念はやっと晴れました。対立軸を作る結果になった告訴。誰もが誰かのせいにすることで安心したかったのに誰のせいとは言えない結論は何とも重い結果としか言いようがありません。やはり問題は事故そのもの、人のせいばかりでなくもし道場にスプリングが入っていれば、大怪我に至らなかったのかもしれません。フローリングの武道場に畳を敷き詰めただけの道場。昔に比べイスの生活が増え、子供自身の体形や体力も大きく変わった今、果たして道場自体が安全なのか。多くの人が悲しみ、人生すら変えてしまう事故。二度とこんな思いをしたくありませんし、させてはならないと心から感じています。代償、それは誰にも取り替えせないのです。悲しい限りです。

道徳教育についての考察

2009-12-17 21:04:36 | Weblog
最近の殺伐とした世の中において子供たちに対して心の教育、いわゆる道徳の必要性を強く感じているのは私だけではないと思います。
道徳と言ってしまうと結構堅苦しく成ってしまいますが、要するに人としてこれだけは守るべき事、最低限のルールやマナー。それを如何にして子供たちに理解してもらうかという事だと思います。朝晩の挨拶、お年寄りや両親への敬意。感謝の気持ちや向上心。社会に対する参画意識や国民としての尊厳と義務感などなど、小さなころから本当は少しずつ少しずつ教えられていくものです。では誰が教えるのか、本来は両親や家族からまず学ぶべきところが、我々の親の世代、核家族化と高度経済成長期の真っ只中で両親が共働き。そんな子供が親になってしまった今、教えたくても何を教えたら良いのかわからない親たちがあまりにも増え過ぎたのでしょう。
挨拶が出来ない、年寄りを大事にしない。そんな子供たちはある意味我々親の世代の被害者かもしれません。勉強以外もすべて学校、先生に丸投げする親たち、これは教えないのではなく教えてもらっていないから教え方がわからないのです。近所のお爺さんが悪いことをしている子供を注意する。それを知った子供の親は感謝すべきところを、お爺さんに抗議する、そんな親たち。何故こうなるのか、親たちこそちゃんと両親から道徳教育を受けていないからなのだと思います。では、これからどうすれば良いのか。それはまず、親が子を教育する場、機会を作ることから始まると思います。そしてその機会こそ部活動が作ってくれると思います。先生方はまず親を巻き込み親を啓蒙する。子供とともに保護者も成長してもらうのです。その保護者が別の保護者を感化する、この舞台として部活動はまさに最適と感じています
明日をになう子供たち、殺伐とした社会を変えるのは彼らの気持ち、ハートです。彼らを認め頑張りに賛辞し、挨拶の大切さ、気持ち良さから話してみましょう。まずは自分達の子供から。きっとかわると思います。家族、社会、そして国自体が。大げさかもしれませんが、人は人からしか学べないのです。みんな、がんばれ、がんばれ。

褒め上手

2009-12-15 22:33:01 | Weblog
我々親父の会の中心人物、平○氏は類い稀な褒め上手。子供たちの中学時代から、コーチとして生徒たちの信頼と心の拠り所となって、子供たちを鍛え育んで頂きました。彼の人の凄いところは生徒を乗せる、本気にさせるまさに達人であることに他なりません。
先日の選手権の神奈川予選の娘の試合はその典型でした。彼の人が「今日の動きは良いよ。」と言えば本当に良いと思ってしまいますし、「そうそう、身体が良く動いてるょ、いいねぇ。」と言えば、本当に今日の自分はいいんだと、俄然身体が動きだす。褒める7割り指導3割、決してけなしたりはされません。ですから生徒たちは自分の長所を全面に押し出せ、短所を見えなくしてしまうのです。
個人の良さ、長所を引き出すばかりでなく的確なアドバイスで勝利を導く、経験と観察力で相手に対する戦い方を柔和に伝える話術はまるで魔法の様です。
うちの娘いわく、「平○さんが試合場に居てくれるだけで安心する」と言わしめるまさに褒め上手。本当の父親が嫉妬心すら感じるくらいの絶大なる信頼関係を築いて頂いて、そのお陰で娘は何度となく実力以上の成績を上げさせて頂きました。明るく楽しく柔道大好き。彼の人の魅力は永遠に尽きないでしょう。
心より感謝と敬意を。そしていつまでも子供たちをよろしく。
柔道、あー楽しい!

忘年会

2009-12-14 21:39:22 | Weblog
週末土曜日は子供の中学時代の柔道部の保護者たちで作った通称親父の会の忘年会。子供の柔道を肴に呑んで食べての楽しい夜を過ごしました。
何より子供たちの柔道話で盛り上がるこの父親たち、実は自分達も一緒に練習し一緒に試合を戦っている気分になっているのです。
中学時代から現在までの子供たちの成長を共有してきた親父たち、それまで触れることも無かった柔道という触媒を介して、父親と子供、そして父親同士がどんどん距離を短くして、ともに子育てを語り、自分達の子供を認めて行く過程は、トテモ温かくそしてこの上ない親子関係を作り出してくれているのです。
いくら子供の柔道にため口をついても最後はがんばって続けてくれている事に感謝し、喝采を送ることを忘れません。
そして来年の目標は自ら柔道をすること。五十の手習いではありませんが、親父の会柔道部を是非やってみたい、そんな父親たちは意気壮ん。夏には奈○中に挑戦、そして自分の子供に…夢は尽きない親父たちなのです。
柔道に感謝。親父たちよ、がんばれ、がんばれ。