最近、つくづく感じるのですが、仕事という名の言い訳で子供に対する教育を怠っている父親が自分も含め余りにも多いと思います。現代は自分達が育った時代とは飛躍的に変化を遂げて、多くの選択肢が子供の周りに存在します。遊び一つ取っても自分の子供のころはグローブとボールさへあれば良かった時代からテレビゲーム、インターネットと溢れんばかりの情報、選択肢の中で彷徨する子供が居るわけで、一番の相談相手に成るべき父親が親としての役目を仕事をする、つまり食い扶持の供給源としての役目しか果たせていないのが現状です。仕事の名のもとに母親に子供の教育を押しつけて、本当に子供が求めている父親としての役目が果たせていないと深く反省しています。確かに仕事は大事だし仕事の為なら家族を顧みないモーレツ社員は会社からは尊ばれます。ただ、優秀な社員が優秀な父親かというと決してそうではなく、むしろそれは社会や国に対する責任を果たしていないんではないか、最近そう感じています。
自分の子供の担任の先生や親友の名前も言えない父親。子供の夢や憧れも知らないくせに、仕事という言い訳で責任を放棄しておいて、悪いのは社会が悪いと他人のせいにする親たちが如何に多いことか。
仕事と家族、どちらが大事か、その答えも現代では大きく様変わりしているはずです。子供と会話し何を考え何を欲しているのか。それすらしろうとしない父親たち。
今本当に大事な事は自分の子供や家族を守ること、父親にしか出来ない父親の責任についてもう一度考える。そうすれば本当に大事なことは父親としてのこどもへの教育であり、大げさでなくその集大成が国の反映の礎のように感じています。それが本来の父親の責任ではないのかと、感じる今日このごろなのです。
自分の子供の担任の先生や親友の名前も言えない父親。子供の夢や憧れも知らないくせに、仕事という言い訳で責任を放棄しておいて、悪いのは社会が悪いと他人のせいにする親たちが如何に多いことか。
仕事と家族、どちらが大事か、その答えも現代では大きく様変わりしているはずです。子供と会話し何を考え何を欲しているのか。それすらしろうとしない父親たち。
今本当に大事な事は自分の子供や家族を守ること、父親にしか出来ない父親の責任についてもう一度考える。そうすれば本当に大事なことは父親としてのこどもへの教育であり、大げさでなくその集大成が国の反映の礎のように感じています。それが本来の父親の責任ではないのかと、感じる今日このごろなのです。