あまりにもネタがないので、以前某所で書いた話題を手直しして出すことにします。
手抜きだなぁ(笑)。
ええと、マスタリング、リマスタリング、ってわかります?。
演奏を録音して市販するとき、ライブ盤はとりあえず除外するとして、大抵の場合はそれぞれのパートの演奏者が個室に入って、それぞれ別のチャンネルで録音されるのね。それをあとで1枚のメディアに合わせて、ひとつの演奏にする。
要するに、同時に演奏を始めて同じ音を聴きながらも、ひとりひとり出した音は別々に録音してるわけさ。
マイク1本~2本(チャンネルがひとつかふたつ)で、みんなで集まってサンハイで録るような、いわゆる「2チャンネル1発録り」みたいなのは少なくなってきてる。
下手すりゃ同時に演ることすらしないで、各々バラバラに録って重ねるようなやり方だって、現在では珍しくはない。
なんでこんなことするのかっていうと、それぞれの演奏者の音を別々に録ることによって、各演奏の音程や音質を調性したり、音響効果を付加したりすることが容易にできるからなのね。そうやって各々別々に音を整えたあと、それをひとつの演奏として合わせて、音量バランスを調節、さらに演奏全体としての音響効果の付加。
コーラスやリバーブ、エコーなんかの色々な音響効果を附加することも、現代の技術なら楽勝でできるし、音痴な歌をある程度補正したりもできちゃう(笑)。
この、各パートの音量バランスを合わせて調性することを「ミキシング」。演奏を収録したマスターテープの音源を、エンジニアサイドで製品として出すために全体の音の体裁を整える作業を「マスタリング」っていうのね。
そうやっていくつもの音つくりを潜り抜けて、ひとつの演奏はメディアとして世に出てくる。市販のメディアって、演奏された音をそのまま聴いているのとは程遠い世界なんだね。
で、「リマスタリング」ってのはマスタリングをやりなおす事ね。
ジャズの古典的名盤を現代において製品化する場合、おおもとの音源をデジタル処理してCDにするんだけども、エライ昔の録音だとマスターテープが痛んでいたり劣化してたりで聴き取れなかったりノイズが入ってたりすることが多々あるわけ。で、それをどーにかこーにか弄くりまわしてきちんと聴ける製品に仕立てようって作業が、リマスタリングの過程に入ってくるのね。
具体的な方法としては色々あるんだけど、機械的な信号の処理を除外してみると、マスターテープが痛んでいて聴き取れない箇所があったとしたら、同じアーティストの同じ曲の別テイクのマスターテープやら録音時のセッションテープを探してきて、曲の同じ部分のところをそっくりそのまま編集してすげ替えたりとかしてるわけ。
要するに別モンのテープから切り貼りして取り繕ってるのさ。
でね、マニアに言わせると、細かいところなんだけど発売当時のレコードと聴きくらべると5秒や10秒単位のすげ替えなんざ当たり前で、そういう箇所が一曲につき2箇所3箇所あったりするのはザラなんだそうだ。
耳ざわりの良い音響効果をバンバンかけて、音色や雰囲気自体も相当変わってしまっていることも多いそうなのね。
あと、追加トラックとかボーナストラックとかいう名目で、未発表テイクとかが追加されてることも多いでしょ。
未発表音源って、レコーディングする時になんテイクか撮って、その中でデキのいいものを選んで発売用の音源にするんだけど、アーティスト本人がデキが悪いとみなして発表を拒んだものだったりすることが極めて多いんだよね。
本人の死後に遺族とか権利を持った会社やらの裁量でそれが発表されてしまってるというだけの話し。
だから現代のアーティストの作品は別としても、トラディショナルな、いわゆる古典的名盤と言われるようなモノに関しては、アルバム全体の構成から曲自体の音色に至るまでまったくの別物になってしまってると・・・・・・。
で、思ったんだけど、それってアルバムを初めて聴いた人が「あ、ここからここまですげ替えだ」とか判るのかなって話し。
オリジナルを聴いた事無くて、リマスタリングされたものの方を初めて聴いたとしたら・・・・・それは多分わからないんじゃないかなぁ・・・・・・。
オリジナルと聴き比べればもちろん判りますよ。でもいきなり比較無しで聴いて判る人っているのか???。
僕はジャズに傾倒したのがCDが普及してからなので、ほとんどCDでしかジャズを聴いてないんですよ。
正直なところさっぱり判りません。
ライブの音に近い音作りをしてくれるのがリスナーとしては一番良いと思うけど、ライブだってミキサーの人がステージに対する音と観客に対する音をそれぞれ作って出してるわけだし、アルバムだって録音した時点でマスタリングが入るわけだしねぇ・・・・・。
だから音質の問題を除けば、アルバムのオリジナル音源に固執することに意味や意義があるのかどうか・・・・・・・結果として作品が良いか悪いかでしかないんだろうけどね。
ただ、アドリブってもんがひとつの醍醐味としてクローズアップされるジャズっていう音楽を愛聴しているリスナーとしては、こういう「演奏とは関係ないところでの音つくり」が前面に出てきてしまうっていうのは結構複雑だよね。
John Coltrane(ジョン・コルトレーン、ts,ss)とDuke Ellington(デューク・エリントン、p)が組んでレコーディングに臨んだときに、完成度にこだわって何度も録り直しをしようとするColtraneに対してEllingtonが「なんでやり直すんだ?、もう一度同じフィーリングになれるわけないじゃないか。これでいいんだよ」といってたしなめたという、有名なエピソードがある。
アドリブっていうのは瞬間的な閃きの世界だし、お互いの音を聴いて反応を返しあって演奏が進んでいくジャズって音楽では、同じ曲の演奏をその場で繰り返していけばフレッシュな感覚が失われていくのは必定。だからジャズのアルバムでは録り直しはしても、最終的にはファーストテイクが採用されることが圧倒的に多いらしいのね。
そういう意味では、録ったあとにあれこれと音を弄くってほしくないというのはあるよね。
マスタリングとリマスタリング、これをどこまで良しとするかというのは、ジャズっていう音楽にとって結構大きな問題なのかもしれないね。
ではでは。
手抜きだなぁ(笑)。
ええと、マスタリング、リマスタリング、ってわかります?。
演奏を録音して市販するとき、ライブ盤はとりあえず除外するとして、大抵の場合はそれぞれのパートの演奏者が個室に入って、それぞれ別のチャンネルで録音されるのね。それをあとで1枚のメディアに合わせて、ひとつの演奏にする。
要するに、同時に演奏を始めて同じ音を聴きながらも、ひとりひとり出した音は別々に録音してるわけさ。
マイク1本~2本(チャンネルがひとつかふたつ)で、みんなで集まってサンハイで録るような、いわゆる「2チャンネル1発録り」みたいなのは少なくなってきてる。
下手すりゃ同時に演ることすらしないで、各々バラバラに録って重ねるようなやり方だって、現在では珍しくはない。
なんでこんなことするのかっていうと、それぞれの演奏者の音を別々に録ることによって、各演奏の音程や音質を調性したり、音響効果を付加したりすることが容易にできるからなのね。そうやって各々別々に音を整えたあと、それをひとつの演奏として合わせて、音量バランスを調節、さらに演奏全体としての音響効果の付加。
コーラスやリバーブ、エコーなんかの色々な音響効果を附加することも、現代の技術なら楽勝でできるし、音痴な歌をある程度補正したりもできちゃう(笑)。
この、各パートの音量バランスを合わせて調性することを「ミキシング」。演奏を収録したマスターテープの音源を、エンジニアサイドで製品として出すために全体の音の体裁を整える作業を「マスタリング」っていうのね。
そうやっていくつもの音つくりを潜り抜けて、ひとつの演奏はメディアとして世に出てくる。市販のメディアって、演奏された音をそのまま聴いているのとは程遠い世界なんだね。
で、「リマスタリング」ってのはマスタリングをやりなおす事ね。
ジャズの古典的名盤を現代において製品化する場合、おおもとの音源をデジタル処理してCDにするんだけども、エライ昔の録音だとマスターテープが痛んでいたり劣化してたりで聴き取れなかったりノイズが入ってたりすることが多々あるわけ。で、それをどーにかこーにか弄くりまわしてきちんと聴ける製品に仕立てようって作業が、リマスタリングの過程に入ってくるのね。
具体的な方法としては色々あるんだけど、機械的な信号の処理を除外してみると、マスターテープが痛んでいて聴き取れない箇所があったとしたら、同じアーティストの同じ曲の別テイクのマスターテープやら録音時のセッションテープを探してきて、曲の同じ部分のところをそっくりそのまま編集してすげ替えたりとかしてるわけ。
要するに別モンのテープから切り貼りして取り繕ってるのさ。
でね、マニアに言わせると、細かいところなんだけど発売当時のレコードと聴きくらべると5秒や10秒単位のすげ替えなんざ当たり前で、そういう箇所が一曲につき2箇所3箇所あったりするのはザラなんだそうだ。
耳ざわりの良い音響効果をバンバンかけて、音色や雰囲気自体も相当変わってしまっていることも多いそうなのね。
あと、追加トラックとかボーナストラックとかいう名目で、未発表テイクとかが追加されてることも多いでしょ。
未発表音源って、レコーディングする時になんテイクか撮って、その中でデキのいいものを選んで発売用の音源にするんだけど、アーティスト本人がデキが悪いとみなして発表を拒んだものだったりすることが極めて多いんだよね。
本人の死後に遺族とか権利を持った会社やらの裁量でそれが発表されてしまってるというだけの話し。
だから現代のアーティストの作品は別としても、トラディショナルな、いわゆる古典的名盤と言われるようなモノに関しては、アルバム全体の構成から曲自体の音色に至るまでまったくの別物になってしまってると・・・・・・。
で、思ったんだけど、それってアルバムを初めて聴いた人が「あ、ここからここまですげ替えだ」とか判るのかなって話し。
オリジナルを聴いた事無くて、リマスタリングされたものの方を初めて聴いたとしたら・・・・・それは多分わからないんじゃないかなぁ・・・・・・。
オリジナルと聴き比べればもちろん判りますよ。でもいきなり比較無しで聴いて判る人っているのか???。
僕はジャズに傾倒したのがCDが普及してからなので、ほとんどCDでしかジャズを聴いてないんですよ。
正直なところさっぱり判りません。
ライブの音に近い音作りをしてくれるのがリスナーとしては一番良いと思うけど、ライブだってミキサーの人がステージに対する音と観客に対する音をそれぞれ作って出してるわけだし、アルバムだって録音した時点でマスタリングが入るわけだしねぇ・・・・・。
だから音質の問題を除けば、アルバムのオリジナル音源に固執することに意味や意義があるのかどうか・・・・・・・結果として作品が良いか悪いかでしかないんだろうけどね。
ただ、アドリブってもんがひとつの醍醐味としてクローズアップされるジャズっていう音楽を愛聴しているリスナーとしては、こういう「演奏とは関係ないところでの音つくり」が前面に出てきてしまうっていうのは結構複雑だよね。
John Coltrane(ジョン・コルトレーン、ts,ss)とDuke Ellington(デューク・エリントン、p)が組んでレコーディングに臨んだときに、完成度にこだわって何度も録り直しをしようとするColtraneに対してEllingtonが「なんでやり直すんだ?、もう一度同じフィーリングになれるわけないじゃないか。これでいいんだよ」といってたしなめたという、有名なエピソードがある。
アドリブっていうのは瞬間的な閃きの世界だし、お互いの音を聴いて反応を返しあって演奏が進んでいくジャズって音楽では、同じ曲の演奏をその場で繰り返していけばフレッシュな感覚が失われていくのは必定。だからジャズのアルバムでは録り直しはしても、最終的にはファーストテイクが採用されることが圧倒的に多いらしいのね。
そういう意味では、録ったあとにあれこれと音を弄くってほしくないというのはあるよね。
マスタリングとリマスタリング、これをどこまで良しとするかというのは、ジャズっていう音楽にとって結構大きな問題なのかもしれないね。
ではでは。