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「ジャズ構造改革~熱血トリオ座談会~」感想①

2006-04-04 00:06:16 | ジャズの話題
ここ数日間、「ジャズ構造改革~熱血トリオ座談会~」という本を読んでた。後藤雅洋、中山康樹、村井康司っていう評論家3人での対談をまとめたものね。
ちょっと前に定期的に見に行ってるブログでこの本のことが採りあげられていて気になってたのね。んでタイトルで検索かけてみると、もうジャズの話題を扱ったあっちこっちのブログで感想が書かれてるみたいでさ、どこも相当エキサイトした批判が飛び交ってて、かなり話題沸騰な書籍みたいなのさ。
まったくの評論畑の人の座談会ということで、定価を出して買うのはちょっとと購入には二の足を踏んでたんだけど、つい先日よく中古盤を物色しにいく古本屋で売ってたので、かなり遅まきながら購入。たった今読了。
面白い内容のところも多々あったんだけど、基本的にはそれぞれの個人的な思いを語るというところに留まっていて、ジャズファンからしてみると啓蒙の足しになる部分はあんましなかったかな・・・・・最後の方はもう読むのが苦痛で苦痛で、かなりナナメ読みしてどうにか読み終えた。
今回はこれについての感想を、2回に分けて書くことにする。

一番面白かったのが、「ジャズを書く」ことについての言及ね。
昨今のネット上でのジャズ批評ブームのような現象について、そしてプロとしてジャズを書くことについての意義といったことを語っていたんだけど、これは頷かされる記述が多くあった。
ネット上の個人の文章に関しては、かなり手厳しい意見が飛び交ってたね。あんなもんは「ジャズ雑誌ごっこ」「評論家ごっこ」だ、なんて。そのなかで印象的だった発言をちょっと引用ね。
「アルバム紹介とか、仮想の読者や初心者を想定したうえでのジャズ入門コーナーとか。それは物凄く消極的な逃げだと思うんです。そもそも個人のホームページというものは、自分がジャズに対して思うところを忌憚なく書く場であり、また書ける場であるはずなんです。そうじゃないとするなら、わざわざ個人がホームページを開設する意味がないと思う」っての。
中山康樹の発言。これね、その通りだよなって思った。どこのサイトも通り一遍のことしかやってない、もっと極端に言うとすでに出回っている評論を焼き直したものばっかりだってことね。
そりゃその通りだ(笑)。

僕が常に思うのは「音楽を言葉で伝えることはできない」っての。これは絶対に無理だよ。どうやったって聴いたときの感動や心地よさを、文章で「体感してもらう」ことはできないんだ。
本文中でも3人ともそう言ってる。「言葉にするとすごい幼稚になっちゃう」「『クーッたまらん』『お~きたきた、ク~』としか言いようがないんだよね」(後藤雅洋)なんてね。
文章で音を伝えることはできない。できないからこそ、評論家はあの手この手で読者を騙くらかして、なんとかそのアルバムに興味を引かせようとする、それが物書きとしての技術なんだって。それもその通りだね。
名盤100選みたいな書籍ってそりゃもう星の数ほどあるし、僕も何冊か持ってる。ネット上でよく見るディスクレビューなんてのは、そういう本を一冊でも買ってくるか、他のネット上の文章をパクッてきて手を入れれば、もう誰にでもできちゃうことなんだよね。パーソネルだの曲目だのを載せるってのもね・・・・・レビューとか解説って、もう単なるデータ収集の事務作業じゃん。音楽の本質とはまったく関係がないというか・・・・・極端な話、そのアルバムを聴いてなくたってできちゃう(笑)。よしんばアルバムをちゃんと聴いて自分の感想を述べてもさ、行き着くところは「個人の感想文」「個人の作文」しかないんだよね。結局何も伝わらないんだ。
まあそういう地道な作業が好きな人がたくさんいるから、数多のレビューサイトがあるんだろうけど、データの量、アルバムの所持数だとか聴いている数ってのは、そりゃいつもいつもテスト盤送られてくるプロにはかないっこないんだし、文章力だって・・・・・そりゃプロなんだからさ(笑)。
彼ら3人の批判はプロの評論家たちにも及んでいて、「視点がない」「書き手の視点が見えない」というところに現在のジャズ評論の問題点がある、なんて話になってた。
「ミュージシャンの名前とアルバム・タイトルと曲名だけ置き換えたらなににでも通用するようなレヴェルのことしか書いてない」(中山康樹)、「自分の言ってることが正しけりゃいいってんなら、学術論文であって」(後藤雅洋)・・・・・結構ズシッと来るよね。
厳しい指摘なんだけど、間違ったことは言ってない。それなりに的を得てる。

このブログでもちょっと前に書いたけど、僕がアルバム紹介やレビュー、用語解説なんかをやらないのはそこら辺なんだよね。すでにたくさん出回ってるし、手間さえかければ誰にでも簡単にできる。やる意味がないし、読んでも書いてても面白くない。それはプロでもアマでも一緒でしょ。「資料として」しかそこに見出せる価値ってないんだよ。それならそういう面白くない作業、地道な労働は、それでメシ食ってるプロにやってもらうのがスジなんじゃないかと、僕は思うんだけどねぇ(笑)。
まあプロがアマチュアの、それもまったく公共性のない個人のサイトの文章を叩くというのは、ちょっとあまりにも大人気ないような気もするんだけど、彼らも自分の文章をアマチュアと差別化して売るためには、自分らの文章を権威付けをする必要があるだろうからね。ある意味食うために必死な部分ってのはあるんでしょう。
そもそもネットの文章なんて、各々が書きたいことを好き勝手に書いて「さあどうだ!、オレってスゲェだろ」っていうね、ささやかな自己満足以外のなにものでもないんだから(ギャハハ)。だからアマチュアサイドはさ、別に気にせずに書きたいことを書いてればいいんじゃないかと思うけどね(笑)。
僕は・・・・・僕は、そうねぇ。
一応ブログに文章を書くときのモットーというか、ネットに晒す基準として「何某かの問題提起があって、自分なりの視点でそれに結論を導いている文章であること」ってのがある。ホントにできているかどうかは別よ(苦笑)。
だから書きたいことがないときは無理して書かない。音楽ばっかりに関わってはいられない一般人なんだから、本当に書きたいことなんてそんなにたくさんあるはずがないんだしね。
僕の文章力なんてのはションベンみたいなもんだって、それは自覚してるし、だから思いついたままを語り口調で書き散らしてるだけ。
過去ログを読み返してみるとね、やっぱ稚拙だなって思うよ。赤面ものの文章ばっか(トホホ)。
まあそれでもね、ブログに何か書くことは楽しいし、ちょっとでも内容のあることが書けるといいんだけどね。

とりあえず今回はこのくらいにしておくか。
次回は彼ら3人の語ったジャズの歴史観、「ウイントンでジャズの歴史は終わった」ってのと、あとボロクソに叩かれてるジョシュアのこととか、彼らの言う「ジャズとして優れた演奏」といったことについて、ちょこっと触れてみようと思う。

ではではーん。