"パンへの飢えがあるように、
豊かな国にも思いやりや愛情を求める激しい飢えがあります。
誰からも愛されず必要とされない心の痛みです。
与えてください。あなたの心が痛むほどに....。"
これは、コメントにお返事を書かせて頂いていた時に、
ふと思い出したマザーテレサの言葉です。
物質的にどんなに豊かでも心が満たされていなければ本当の幸せとは言えません。
心に飢えがある方が本当は、不幸なのです。
しかし、物質的なものだけを求め
「自分さえよければ」
「お金さえあれば」
「多少の人の犠牲は、仕方が無い」
「今が良ければ」
自己中。物欲。利他愛の欠如。自己愛の欠如。
そういう思いが言葉に出てくるのは、心のどこかにそういう気持ちがあるからです。
あるのがいけないというのではありません。
人間は、自分がどんなに幸せであれ、不幸であれ、
人の幸せが祈れる事がもっとも幸せなのだと思います。
なぜなら人間の本質は、人の為に生きているからです。
例えば、仕事。
仕事は、給料をもらい生活するために働いていると思っていますよね。
しかし、あなたが働く事によって、誰が助かっています。
自分の仕事を考えてみてください。
結局は、誰かの役に立っています。
仕事だけではありません。
あなたが生きている事すべてに意味が有り、必要だからここに存在しています。
今、命あるすべてのものは、みんな必要なのです。
あなたの存在は、この宇宙を形成しているひとつです。
人間の体で何か一つが欠けても困るようにあなたという存在は、必要なのです。
誰からも愛されていない。
誰からも必要とされていない。
そう感じる方が居られるのであれば、まず自分を愛し、自分を必要としてください。
自分が自分を愛していないのに、人が愛してくれるはずがありません。
自分が自分を必要としていないのに、人が必要としてくれるはずがありません。
そう思いませんか?
以前、コップに水が入るのは、その原因があるからだという話を書いた事がありますが、
自分の心というコップ愛という水をいっぱいにするから人に与え、与えられるのです。
自分に自分が愛情を持っていない、つまり、コップがからだから人のコップからそれを貰って満たそうとすると、相手のコップの水が減るから争いになるのは当然です。
これも以前書いた天国と地獄の地獄そのものですよね。
自分の心というコップに愛情という水をいっぱいにするのは、自分の問題です。
自分が自分を愛してあげれば、必ずいっぱいになり、人にも愛情を分け与えてあげられます。
その結果、相手からも愛情を与えられるでしょう。
つまり、与えてみれば、与えられている事に気づきます。
マザーが言われた
"与えてください。あなたの心が痛むほどに・・・"
人を愛おしいと思えば思うほど、心は、痛むものです。
そんな経験、皆様もあるのではないでしょうか。
みんながみんな、心の痛むほどお互いを思いやり、愛せる人間でありたいですね。
そうすれば、本当に飢えが無くなるのではないでしょうか。
皆様のお幸せを心より祈念致します。
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