昨日とは打って変わって、日曜日は一日中家にこもって、大学院の宿題をやっていました。(右は、金閣寺の池です)
まずは、太宰治の短編作品集から『東京八景』についての小論文作成です。
昨日のBan3dogsさんのコメントにあった「昭和15年の物価」の情報提供のおかげで、だいぶ勉強がはかどりました。ありがとうございました!
太宰の過ごしていたころの東京に思いを馳せながら何首か作歌しましたので少しだけ紹介いたします。
~日暮れどき神田の底より見上げれば空いっぱいの鰯雲ゆく~
~あかねさす勝どき橋を渡るとき水撒く人のはずめる声す~
~新木場は材木問屋の多き町 筏(いかだ)の木々のかおり立つなり~
つづいて、正岡子規の晩年の『墨汁一滴』と『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』の2冊です。これらは、亡くなる前に力をふりしぼって絵画・随筆・俳句・短歌など自分の思いを書き綴っています。現在のブログの日記や作家の活動記録のようなものかもしれません。
おかげさまで、この一日でかなりの枚数を書き上げました…(苦笑)
さて…本日も沖縄の現地特派員から、沖縄の六月を代表するお花が届きました。みなさん、何という名前かお分かりでしょうか?
ちなみに、私の実家のある北谷(ちゃたん)町の町花です。葉っぱの部分は沖縄料理には欠かせないものです。
これじゃあ『某大学・園芸学部(中退)』の名が廃る!
かも(汗)
紫陽花ではないことくらいです…わかるの…
(-"-;)
月桃(ゲットウ)といいます。答えが分かれば、な~んだという感じではにでしょうか。
また明日もよろしくお願いいたします。
月桃…地元ではサンニンと言います。「二人でもサンニン」というジョークもあります。
葉っぱの風味が良いのが特徴です。
辛い、と言いながら飲み干したような。
二人の遣り取り(友情)がイイナァ、と思った。
短歌を子規が書いていた、とは。伊藤左千夫って、あの、昔、山口百恵が演じた、民ちゃん、「野菊の墓」野菊の如き君なりき、の、あの作者と、お友達だっただなんて、知って、まだ、数年しか経っていません。
野菊の墓は、小学校の頃、子供同士でブームで、井上靖を読んで居るのに、伊藤左千夫を読まぬとは、と・・・
でも、その左千夫と子規が親友だった、とは・・・
愛媛に住んで居ると、俳句が、一種の、村興しの、「お商売」だからね、俳句、俳句とね。
短歌は、百人一首なんかの正月の『歌留多』をする家の人には親しいが、割合はどうだろう、少ないかも。
何しろ、親の世代は、戦争で、教育が悲惨な時期で、戦後の学制改革?でか、繰上げ卒業やなんかで、碌に勉強もしてない。
皆、短歌を学んでも、底は浅い。(学ぶだけまだしも。子供に教育を受けさせることに繋がる、意識、として)。
仰臥漫録(ぎょうがまんろく)は、読んだことは無いが、漱石に宛てた手紙で、痛くて痛くて、もう駄目だ、と書いてあるのは、ここに収録されているのかなぁ。
いずれにしろ、大方、な~~~んも知らぬ、のです。
子規さん、子規さん、とか松山NHKの俳句天国なんかでは、子供を「小さな子規さん」とまで呼んで、盛り上げていますが(その延長上に、一句一遊もあるのだろうが・・・)
私はどれも、「お商売」にしか見えない。
正直に言って、
現代文の5・7・5「○○○○は○○○○○○○こともあるよ」
こういうのが、子供の入り口にあるのは、致し方ないが、いい大人の句には、子規の名前なんか語るなよ、と言う程度の句が殆ど、の印象。そう感じる。
子規も、時代の流れの中の一人、なので、革新的であったのは、連句なんか止めて、独立句になっている部分がそうだ、と思うけれど。
後は、その本を読んでからの話です。
どう頑張っても、な~~~~んも書けぬ。
子規が、棄てたもの、と言うような角度からの論文もあるそうだから、それぞれだよね。
子規なんか大嫌い、と言う当地の婆も知っているが、子規の、幾つを読んで大嫌いなのか?
わざわざ、大嫌い、と言ってみなきゃならないのは、興味津々の裏返しでは、と思うのだが、当地は、「杏っこ」を書いた室生犀星の生まれ故郷で、犀星も俳句をしているからね。
泉鏡花と犀星、徳田秋声、この3人は文芸の拠り所。
暗くてウンザリするが・・・大嫌い、と言うほどの興味もないのですけど。
いずれ、文学そのものより、その土地の人だから、「贔屓」と言う人の数の方が多いような印象。それが大衆、Pops.と言うもの。
読んでから(いつになるか!?)ちゃんと、書きます。でも、英語論文にてこずっておるから、充てにならぬ先、です。
英語論文、がんばって下さい!!
論文は、内部の人達の、直接投資についての考え方(捉え方)多国籍企業の役割がどう果たされているか、中国の政策との兼ね合いの問題で、作者が、一仕事ついたら、アウトラインを書いて送るから、頑張りすぎるな、と言って着てくれたのですが、対抗相手の言い分は読んで解ったところですが、間、間に、毎月、小出しに色々な人が書いて居る、それ、全て当たっていたら・・・学者になれそうな位(気分だけ)。
アメリカも、脅威なんだよね、中国の、貿易黒字は。アジアは、沖縄の役割が大きい、自由圏の行き来の中で発展せねば、ですね。鳩山は、政治家としては不可能を平気で言って顰蹙だが、人道的な意味でだけなら、民間企業の役割で果たせることはあるのにね。(まあ、彼には無理かも知れぬが)ケンケンも、広く学ぶのは将来、ブリッジとして、活躍する為に、だもんね。学者どころか、「大」学者への道、邁進中ですね。
北谷てぇ町の頼もしい大人、への道。
上方の人は、上方、としての、美の感覚、と言うのがあって、虚子なんかとは、大いに違うように感じます。虚子からがして、子規とは大いに違う、商売人。
上方は、もう、そこに住んでいるだけで、お商売のセンスが違うように思うなぁ。
三村先生は、お商売人より学者のセンスに近いのか、あの先生は、富山時代に、わからんさんの年寄りと殴り合いの一歩手前まで、違うものは違う、と譲らなかった、武勇伝がある、と近所の高田のオッちゃんが。信頼出来る、一概者(いちがいもの)だと、言ってました。
子規もね、そういうすがすがしさは感じる。虚子とは違うもの。それって、独身で亡くなっているからかも。
一族郎党を背負って立つ大物なのか、清濁の併せ呑みなのか、虚子には、息子の池内友次郎の句なんか読んでも解るけど、かなりのナルシストの世界の(まぁ、悪く言えば・・・よう、そんな風に、身贔屓が出来るもんや、と言うような、手前味噌)を感じるが、子規にはそれを感じ無いんだよね。
なので、ご紹介の本は、楽しみです。
飛鳥クルージング!!…私も老後の憧れです。船はいいですね~
学者、かどうかは分かりませんが、今は近代文学や古典文学・和歌を勉強するのが楽しい状況です。