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ゲーテの「銀杏の葉」Ginkgo Biloba

2019-11-10 23:23:16 | 文学・芸術
Ginkgo Biloba

Dieses Baums Blatt, der von Osten
Meinem Garten anvertraut,
Giebt geheimen Sinn zu kosten,
Wie’s den Wissenden erbaut,

Ist es Ein lebendig Wesen,
Das sich in sich selbst getrennt?
Sind es zwei, die sich erlesen,
Daß man sie als Eines kennt?

Solche Frage zu erwidern,
Fand ich wohl den rechten Sinn,
Fühlst du nicht an meinen Liedern,
Daß ich Eins und doppelt bin?

まずは、ドイツ文学において訳出や解釈などもすばらしい「手塚富雄」の日本語訳でも紹介します。

今後、結婚式を挙げられれる中で、心ある方々に、このような詩の紹介や言及などを祝辞として、以下の一部でも引用されましたら、この上ない幸いです。

「銀杏の葉」

東洋からはるばると
わたしの庭にうつされたこのいちょうの葉は
賢い者のこころをよろこばせる
ふかい意味をもっているようです。

これはもともと一枚の葉が
二つに分かれたのでしょうか?
それとも二枚の葉がたがいに相手をみつけて
ひとつになったのでしょうか?

このようなことを思っているうちに
わたしはこの葉のほんとうの意味がわかったと思いました。
あなたはわたしの歌をきくたびにお感じになりませんか、
私が一枚でありながら
あなたと結ばれた二ひらの葉であることを?


もともと銀杏(いちょう)は中国原産であり、中国から日本、そして日本からヨーロッパへと伝わる。遡ること四百年前の17世紀にドイツ人の医師で植物学者の*ケンベルが長崎出島からオランダに持ち帰り、ヨーロッパ全土に広がっていったそうだ。このゲーテの詩にも、日本の影響があるのだと考えれば、さらに感慨深い。

銀杏といえば、平成22年3月10日に、鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れてしまい、樹齢千年以上とも言われていた姿が消えたが、その根や蘖(ひこばえ=樹木の切り株や根元から生えてくる若芽)は枯れずに逞しく繁栄(再生)し続けている。

そして「鎌倉の大銀杏の勇姿」は芳賀矢一作詞である「鎌倉」の歌詞の中にも、「・・・4 上(のぼ)るや石のきざはしの 左に高き大銀杏(おおいちょう) 問(と)わばや遠き世々(よよ)の跡(あと)・・・」と詠われている。

地域の歴史にしっかりと根付いている「文化・伝統」ならば、その根はたやすくは途絶えないのである。

La feuille de cet arbre, que l’Orient confie à mon jardin, nous offre un sens mystérieux, qui charme l’amitié.

Est-ce un seul être vivant, qui s’est subdivisé en lui-même ? Sont-ce deux êtres qui se choisissent, en sorte qu’on les prend pour un seul ?

À ces questions, j’ai trouvé la véritable réponse : ne sens-tu pas, à mes chansons, que je suis unique et jumeau ?

季節の詩:ゲーテと『銀杏の葉』

『銀杏の葉~Gingo Biloba』

これは はるばると東洋から
わたしの庭に移された木の葉です
この葉には 賢者の心をよろこばせる
ふかい意味がふくまれています

これはもともと一枚の葉が
裂かれて二枚になったのでしょうか
それとも二枚の葉が相手を見つけて
一枚になったのでしょうか

こうした問いに答えられる
ほんとうの意味がどうやらわかってきました
わたしの歌を読んであなたはお気づきになりませんか
わたしも一枚でありながら あなたとむすばれた二枚の葉であることが

『ゲーテ詩集』より(訳・井上正蔵、旺文社文庫, 1968)

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