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夏目漱石の『こころ』『心』『ココロ』とは?

2016-04-06 21:33:25 | 文学・芸術

今に通じる「淋しい人間」

http://www.asahi.com/sp/articles/DA3S12141261.html
漱石は「早すぎたポストモダン」 山崎正和さんに聞く:朝日新聞デジタルより

 朝日新聞社に入り、プロの作家になって以降の漱石の小説には、一貫した共通性があります。それは、女性に迫っていく生命力に欠き、自分ひとりでは女性を愛することができない男たちが描かれることです。

「こころ」の先生、「それから」の代助、「門」の宗助、「行人」の一郎、みんなこのタイプです。女性を愛するために第三者を登場させ、嫉妬心を利用するのです。「こころ」で先生は、友人のKをわざわざ下宿に引っ張り込み、「それから」の代助は、三千代を愛するのに、平岡への嫉妬をバネにする。「門」の宗助も、もし御米が安井の妻でなかったら、あれほど積極的になったか疑問です。こうしたねじまがった恋愛の結果、男たちは自分を罰する自己処罰の感情を抱き、世を捨てたような生活をします。


 「こころ」の先生は自らを「淋(さむ)しい人間」と規定します。自分の内面に空虚を抱え、自己処罰の思いを抱いて生きる人間が「淋しい人間」です。単に孤独というのではなく、人と相寄っても、行動しても癒やされない、存在そのものに不安を抱いて生きる人間です。宗助も、崖下の家で御米とひっそりと生き、いわば自己流謫(るたく)(罪によって遠方に流されること)しています。こういう思想は、後に西洋で唱えられた実存主義に近いのではないでしょうか。


 西洋から近代化を輸入した明治は、自由と独立と己に満ちた時代でした。当時、教育を受けた日本人は、きわめて知的水準が高かったため、こうした理念を純粋に、観念的にとらえた。若者の間では恋愛結婚が強迫観念になった。愛を崇高化してしまうのです。結婚はあくまで個人間のものであり、家と家の結びつきを意味する見合い結婚は否定された。現実は、多くは見合いだったのですが。

 当時の若者の間で大問題だった家からの自立も、西洋では親の財産を奪いとるものだが、漱石の男たちは、家と格闘するのでなく、逃避してしまいます。


 漱石が作家活動を始めた日露戦争後は、戦争が終わって明確な目的が失われ、アイデンティティー危機の時代でした。こうした時代に、漱石は存在自体に疑問を持つ人間を描いた。つまり、プレモダン(前近代)の人間としてモダン(近代)を受け入れたが、モダンをうまく同化できず、かえってその先のポストモダンをのぞいたのが漱石だった。


 漱石はよく読まれてきたというが、本当だろうか。名は誰でも知っているが、どれほど読んでいるだろうか。実はなかなか難解な作家なのです。


 近代的自我の時代が終末を迎え、モダンとポストモダンがいりまじる現代こそ、本当に読まれるのではないでしょうか。最近の若者は(恋愛のできない)草食系男子が多いといわれますが、彼らは自己流謫しているともいえる。漱石は早すぎたポストモダンの作家といえるかもしれません。(聞き手・牧村健一郎)

山崎正和(やまざき・まさかず)
1934年生まれ。文化功労者。『鴎外 闘う家長』『淋しい人間』など。

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