桂離宮は行ったことはあるが修学院離宮は初めての訪問である。説明をして頂く方から上、中そして上離宮を回るのは3Kmぐらい歩くことになると最初に言われた。まあ、3Kmならと思いながら御幸門を潜った▼修学院離宮は後水尾上皇によって造営工事が起こされ1659年頃に完成した山荘である。写真1は下離宮の寿月観(じゅげつかん)の中である。奥が一段、高くなっており上皇はここに座られたようである。写真2は中離宮の楽只軒(らくしけん)である。この建物の場所は上皇の第一皇女梅宮が離宮の造営より早く円照寺を創建されたいたところである▼写真3は楽只軒と繋がる客間にある違い棚である。霞棚と呼ばれ浜離宮(桂棚)、醍醐寺の塔頭三宝院(醍醐棚)と並び天下の三棚と称されているようだ。写真4、5はその客殿の杉戸に描かれた絵で祇園祭の鉾は狩野敦信で鯉の筆者は不詳とのこと、ただ網だけは別の時期に描かれており円山応挙の筆と伝えれている▼写真6は上離宮の隣雲亭(りんうんてい)である。また写真7は浴龍池の島にある窮邃亭(きゅうすいてい)の扁額で、後水尾天皇の宸筆である。最後の写真8は窮邃亭の開けた障子に太陽光が当たっているのが非常に美しかった▼修学院離宮には駐車場がない。心配しながら行ったが入り口から100mぐらい下ったところにコインパーキングがあり、助かった。30分400円ながらMAX800円、修学院の隣にある紅葉の名所赤山禅院に行ったが心なしか足取りはゆっくりだった。
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