『こんにちは、母さん』
毎週録画して観ています。主演の加藤治子さん 平田満さんは 舞台と同じ配役。
2001年の新国立劇場での初演舞台を観たときは ほんとうに いままでにないくらい感動して、今でも私の観劇作品ナンバー1かもしれません。このとき初めてZ席で観劇したのだけれど(前売りチケットが ほんとうに取れなかった)観客越しに舞台を観るとき、劇場全体が 笑ったり泣いたりして、その大きなうねりのようなものが また舞台にフィードバックしているような、劇的な体験をした。それまでも何本か永井愛さんの芝居は観ていたけれど、あまりの感動に速攻 二兎社のワークショップに申し込んだ。おんなじことを思った人が多かったからなのか、いつもそうなのか ワークショップに参加するためだけでも けっこうな倍率のオーディションがあった。そしてなんとか参加できたのに、教育映画の仕事とスケジュールが重なってしまい、たった一日しか参加できなかった。泣きました。
(2004年の再演は 北京に行っていて見られなかった)
そんな思い入れのある作品だけに、テレビドラマは どうなるのか、期待半分、
心配半分。全四回、残すところあと一回になりましたが、これがやっぱり
面白い。芝居の本そのままのエピソードも テンポよくまとめられ、
俳優陣もぴったり。治子さんの 可愛らしさ、面白さ、時折見える哀切感、
女優に年齢は無い、とはいっても すごすぎます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_heart.gif)
たまたま 加藤治子さんの自伝『ひとりのおんな』を 読み返していたところでした。
この本は1992年が初版で、ご本人にいただいた御本で、当然 そのときも
一生懸命に読んだ記憶があるのですが、その頃の私はまだ中国に興味をもつ
直前で、中国関係の箇所が特別印象に残ることはなかったのです。
それが 今読み返してみると、治子さんの初めての海外経験は 戦時中の
軍の慰問で ハルピンにいらしたとのこと。戦時中は 女優以外の仕事も
なさっていて、上海電影日本支社で仕事しているとき、李香蘭さんと
スキーに行った話。戦後60年代に 日本の新劇訪中団で北京で公演し、
赤絨毯をひいて迎えられた話。中国とも縁のある方なんだなと 再認識。
治子さんは 私が生まれたときは 私の叔母さんだったので
病院に 当時は珍しかった パンダのぬいぐるみを 私が生まれる前に
持ってきてくださった、と母から聞いたことがあります。
今 そのパンダがいないのが悲しい・・・私の中国好きは 前述の劉さん以前の
このときの刷り込みかも・・・。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_1.gif)
私自身が女優になってからは、あまりにも大女優すぎて、
こどもの時のように なつけなくなってしまったけど、
ロンドンにご一緒したり、運転手をさせていただいたり。
そんな時の印象に残ったことは、芸に厳しく自分に厳しい 根っからの
女優魂です。どうか お元気で。
毎週録画して観ています。主演の加藤治子さん 平田満さんは 舞台と同じ配役。
2001年の新国立劇場での初演舞台を観たときは ほんとうに いままでにないくらい感動して、今でも私の観劇作品ナンバー1かもしれません。このとき初めてZ席で観劇したのだけれど(前売りチケットが ほんとうに取れなかった)観客越しに舞台を観るとき、劇場全体が 笑ったり泣いたりして、その大きなうねりのようなものが また舞台にフィードバックしているような、劇的な体験をした。それまでも何本か永井愛さんの芝居は観ていたけれど、あまりの感動に速攻 二兎社のワークショップに申し込んだ。おんなじことを思った人が多かったからなのか、いつもそうなのか ワークショップに参加するためだけでも けっこうな倍率のオーディションがあった。そしてなんとか参加できたのに、教育映画の仕事とスケジュールが重なってしまい、たった一日しか参加できなかった。泣きました。
(2004年の再演は 北京に行っていて見られなかった)
そんな思い入れのある作品だけに、テレビドラマは どうなるのか、期待半分、
心配半分。全四回、残すところあと一回になりましたが、これがやっぱり
面白い。芝居の本そのままのエピソードも テンポよくまとめられ、
俳優陣もぴったり。治子さんの 可愛らしさ、面白さ、時折見える哀切感、
女優に年齢は無い、とはいっても すごすぎます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_heart.gif)
たまたま 加藤治子さんの自伝『ひとりのおんな』を 読み返していたところでした。
この本は1992年が初版で、ご本人にいただいた御本で、当然 そのときも
一生懸命に読んだ記憶があるのですが、その頃の私はまだ中国に興味をもつ
直前で、中国関係の箇所が特別印象に残ることはなかったのです。
それが 今読み返してみると、治子さんの初めての海外経験は 戦時中の
軍の慰問で ハルピンにいらしたとのこと。戦時中は 女優以外の仕事も
なさっていて、上海電影日本支社で仕事しているとき、李香蘭さんと
スキーに行った話。戦後60年代に 日本の新劇訪中団で北京で公演し、
赤絨毯をひいて迎えられた話。中国とも縁のある方なんだなと 再認識。
治子さんは 私が生まれたときは 私の叔母さんだったので
病院に 当時は珍しかった パンダのぬいぐるみを 私が生まれる前に
持ってきてくださった、と母から聞いたことがあります。
今 そのパンダがいないのが悲しい・・・私の中国好きは 前述の劉さん以前の
このときの刷り込みかも・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_1.gif)
私自身が女優になってからは、あまりにも大女優すぎて、
こどもの時のように なつけなくなってしまったけど、
ロンドンにご一緒したり、運転手をさせていただいたり。
そんな時の印象に残ったことは、芸に厳しく自分に厳しい 根っからの
女優魂です。どうか お元気で。