ZEN and ZOO  玉野大介

動物園の中に禅の精神、禅の芸術は生き残っているか、そんなわけの分からないテーマを小脇にかかえ、美術を中心につづります。

女性的な日本

2011-06-28 22:45:39 | 思索
日本の美術雑誌を見ていると圧倒的に肖像は若い女性像である。たぶん日本において美しいとは女性的なものなのだ。
日本的なるものは女性的なものかもしれない。釈迦はインドではヒゲの生えたまさしく男である。日本ではヒゲは残っているがなんとなく女性的に表現される。これは性を超越してるというより、日本的に美しくしようと思ったら女性的になってしまったのだ。
そんな中で空海の密教の仏像は憤怒の相で女性化に抵抗している。でも、やはりこういったものは続かない。仏像はまたやさしくなる。縄文土器の荒々しさも受け継がれない。それでもときどき爆発する。利休もこの爆発のひとつだと思う。今では茶道は女性のお稽古事になっている。

不穏さ

2011-06-11 20:00:30 | 思索
為政者にとって、いくら勢力があっても恐れるに足りない反対勢力があり、その逆に、ほんの少数なのに潰さずにはいられないようなものがある。後者は何か不穏なものをもっている。不穏とは全てを見通しているような知性である。芸術作品にもそんな不穏さを感じさせるものが良い。

芸術とおやじ

2011-06-09 19:41:08 | 芸術
おやじとはとうの昔に流行とは無縁になり、ある時代に身につけたセンスを大切に胸に抱いて目の前に居るにもかかわらず、夜空の星のように無限の遠さを感じさせるような孤高な美的存在である。おやじとは生きていながら、すでに星である。

自分の絵について

2011-06-01 23:22:33 | 芸術
自分の絵を描くとき、意識してこのように描こうということはない。
しかし、たくさん描いたものを改めて眺めてみると、法則めいたものがある。
一つは室外よりも室内のほうが圧倒的に多い。僕の感覚では宇宙空間も巨大な室内なのだ。
それに気づかれないために宇宙は膨張し続けているように思う。だから、室内は宇宙である。
いまひとつは、登場する人物たち。数人登場する彼等は互いに関係をもたず、それぞれ自足して
それなりの姿勢をとっている。それはどこか星のようである。星はひとつひとつ何光年という距離をおいて
孤独である。だがそれを見上げる我々によって星座という形を与えられる。
僕の絵の中の人物も星になる。そして室内という宇宙空間のなかで星座となり、そして占星術が紡ぎ出すような
過剰な言葉を語り出す。