ZEN and ZOO  玉野大介

動物園の中に禅の精神、禅の芸術は生き残っているか、そんなわけの分からないテーマを小脇にかかえ、美術を中心につづります。

永遠の室内の灯り

2009-07-31 20:59:17 | 芸術
そもそも昼の青い空の下の明るさというものは地球が太陽と言う恒星に特別近くを公転しているからであって、本来宇宙はもっと薄暗いものなのです。
天王星ぐらいに行けば、病院の広い待合室に裸電球一つという感じではないでしょうか。
それはもう宇宙とは室内のように薄暗いということです。
印象派がアトリエから出て真実の光を描いたと言うなら、我々は室内に閉じこもり宇宙空間の永遠の光を手に入れようではありませんか。

月から地球への影の道

2009-07-22 21:52:23 | 思索
神秘主義者ルドルフ シュタイナーをよく読んでいた頃がありまして、その著作の中でいつまでも記憶に残っているのが影の中に霊的存在が現れるというお話です。
人が日差しの中に立った場合、地面に影ができます。日差しが人に当たって、その人の影になった部分と地面の影の間に影の通り道ができます。
その部分に霊的存在が現れるというお話です。
何度も僕はこの話を思い出してはおもしろいなあと思っていました。
それが今日の皆既日食と自分の頭の中でつながったのです。
あれは地球に届いた月の影です。月からつながる影の柱、あるいは影の道です。
その影の道を利用して霊的存在が移動するのです。この世の不成仏霊が月に登って行くのでしょうか。
あるいは魔物が月から降りてくるのでしょうか。僕にはそのへんはわかりません。
太陽と月の見かけの大きさがだいたい等しいという奇跡のような偶然もこの影の道をつくるためなのかもしれません。
少しでもどちらかが大きかったり小さかったりすると影の道はぼやっとしたものになるように思います。

光が物に遮られた場合、すべての成分が遮断されるわけではないでしょう。
何かが物を通過していきます。この霊妙な何かが重要です。
影とは光がないという否定ではないのです。
影とは我々がいまだ知らない不思議な物質なのかも知れません。
今夜はゆっくりあなたの部屋のどうしても影になってしまう場所をじっくり観察してはどうでしょうか。
なにかが微妙に動いているはずです。

室内の光は闇を孕む。

2009-07-20 20:20:15 | 芸術
最近の絵のテーマとして動物園を描いているので、外光、太陽の光を前提として描いています。太陽の光は全てに一様に当たります。どうもこれが気に食わないのです。やはり室内の光源から離れると次第に暗くなったり、いくつもの光源のせいで陰がたくさんできたり、反射して意外なものが現れたり、そんな光が好きなのです。いっそ、動物園のすべてをを室内に入れたり、太陽光を室内の電灯のように扱ったりしてみようかと思っています。
室内の光は闇をはらんでいます。明かりが消えるといつでも闇がやってくるんだ、と言う感じです。暗闇は夢を孕みます。真っ暗な深海を泳ぐ深海魚は夢の形象で泳いでいます。

unseal/frantic 合同企画展 "My favorite things

2009-07-18 12:53:39 | 芸術
unseal/frantic 合同企画展 "My favorite things"
8月1日(土)~12日(水) PM12:00 - 7:00 会期中 日・月休み

上の企画展に参加します。いつもの小さなカフカと 発泡スチロールで作った門の模型です。門の模型は自分では気に入ってます。いけてると思います。



unseal、frantic それぞれの作家たちに「私の好きなもの」というテーマの下で自由
に制作してもらい、二つのギャラリー空間を縦横に使って展示してみようという合同
グループ展です。総勢30名の作家たちの参加で、展示作品は50点を超える予定です。

初の試みで、作家たちには作品のメディアを指定していませんからどんな作品が飛
び出してくるか予測できません。思わぬ傑(怪)作に遭遇する可能性大です。
お盆前の短い開催期間ですのでぜひぜひお見逃しなく!!

(unsealのサイトより引用)






出来事への生まれ変わり

2009-07-15 22:29:18 | 思索
こういう物語はどうでしょうか。
第1部と第2部に別れます。
第1部はある男の極普通の人生の物語です。そしてその人生の最後にとても悲しい経験をし、世界を恨み、「今度、生まれ変わったら、世界を滅ぼしてやる。」と叫びながら、死んでいきます。

そして、第2部です。世界は戦争へと向かって、そして、滅んで行きます。
その過程が第1部の男の人生と絶妙な比喩的類似を示して行くのです。
そうです。男は世界大戦という出来事に生まれ変わったのです。

出来事の生まれ変わり

2009-07-12 20:43:00 | カフカ
織田信長や豊臣秀吉の生まれ変わりのような人物を主人公に小説を書くことはよくあることです。
でも、比叡山焼き討ち、本能寺の変、刀狩などの出来事が生まれ変わって、人間となって人生を生きるというような小説はあまり見かけることはないようです。
そういうことができるのが カフカなのだと思います。

プラスティックとコンクリート

2009-07-10 13:20:42 | 思索
プラスティックとコンクリートは現代の代表的な材質です。
もし、墓をつくるとき、墓石ではなく、プラスティックかコンクリートをえらばなくてはならないとしたら、どうしますか。
僕は間違いなくプラスティックを選びます。例え、モダンな打ちっぱなしコンクリートで作られていてもです。誰もが直感的に感じるのではないでしょうか、お墓にはコンクリートは使いたくない。コンクリートとはそういうものなのです。

高層ビルと人工雲

2009-07-04 13:42:20 | 思索
こういうのはどうだろうか。
高層ビルの最上部あたりに人工雲発生装置(そういうものがあればだが)を取り付けて、その部分だけが四六時中雲に覆われている。何か陰謀めいてすてきではないか。
雲母という石を粉にして毎日少しづつ服用すると、そのうち、頭の上に雲が棚引くそうだ。カッコイイと思う。富士山みたいだ。

美術批評と罵詈雑言

2009-07-03 10:05:28 | 芸術
美術雑誌などで批評や作品の感想のようなものを読んでいると、何か広大な沼地の真ん中に突然放り込まれて、
どちらに向かえば助かるのか途方にくれるような気持ちになります。
例え話です。
絵画のコンテストが行われ、特に傑出した作品がない場合、一等賞の選考に二つの選択があります。
一つはその中で一番良いものに与えることです。そうすればコンテストの開催の意味も満たされますし、
応募した人々も納得するでしょう。でも、それを繰り返していると、そのコンテストが目指している美の基準が見えなくなります。
今一つは該当者なしです。これは不満がでます。そして、何回も該当者なしではコンテストそのものがなくなるかもしれません。
しかし、美の理想のようなものが見えてきます。審査委員の志が感じられます。
今の批評は褒めてばかりです。現実を肯定することは大事です。でも否定をすることでその批評家の志がほのかに見えてくるのです。
批評家に信念があれば、ときには罵詈雑言もはかねばならないのです。

ぶっちゃけていうと、美術雑誌の読者としては悪口がいっぱいのほうが読んでて楽しいぞということです。