ZEN and ZOO  玉野大介

動物園の中に禅の精神、禅の芸術は生き残っているか、そんなわけの分からないテーマを小脇にかかえ、美術を中心につづります。

カラーバリエーション

2009-04-29 10:42:11 | 芸術
最近、いろいろな商品でカラーバリエーションで一つの製品を豊かに見せようとしています。
それで、思い出したのが アンディー ウォホールのシルクスクリーンがいろいろな色調のバリエーションをもつことです。
アンディー ウォホールは資本主義の未来を予言していたのだな、と、思ったのですが。違います。
その当時すでにそんな商品が巷にあふれていたのでしょう。それを皮肉ってそれらを作ったに違いありません。
時代は繰り返しはじめているようです。
そんなカラーバリエーションよりも、スナック菓子の何々味のほうが気になります。
コンソメ味、梅しそ味、カレー味、その他です。
自分で絵を描くときも、この頃は梅しそ味風を心がけています。
人の絵を批評するときも、コンソメがきいてるね、とか、うす塩だね、とか 醤油を忘れたね、とか言っています。

プラスティック

2009-04-25 14:55:26 | 芸術
プラスティックの分子構造は単純な単位となる部分を100、200、と数珠繋ぎにつなげた冗長な単純さでできています。
これは2進法の0と1だけで計算するコンピューターと似ているところが不気味です。
人類が創り出したどんな崇高な文化もこんなものなんだという皮肉を突きつけられているような感じです。
何かを作る場合、そのイメージを具体化する素材が重要です。
プラスティックが発明されるまで、芸術作品の素材といえば、木材、金属、石、紙、といったものでした。
木材を例にしましょう。木は何十年もの間、山の中で風雪に耐え、年輪を刻み我々の前に提供されます。
そういったものはそれを素材に何かを作るものに、成熟や試練を求めるようです。
しかし、プラスティックはそうではないのです。プラスティックは成熟や試練をもとめないのです。
プラスティックの安易な石油からの合成がそれをもたらしているような気がします。
オタク文化の幼児性はプラスティックのおかげでこの世に生を得たのです。
プラスティックはオタクの成熟を拒んだ幼児性、試練を経ない幼児性の表現を快く許してくれるのです。
オタク的な感性は遠い昔から存在していたはずです。
ただ、いざそれを表現しようと、素材の前に挑んだとき、木や金属や石や紙がそれを表現するのにふさわしくなかったのでしょう。
そして、それらの素材からできあがっている文化がその幼児性の表現を文化として認識できなかたのでしょう。
プラスティックの原料の石油は現代になって深い地層のしたから汲みだされました。
まるで時を待っていたかのように、地中深く身を潜めていたような感じです。
プラスティックのなんともいえない軽いムードが現代に噂される終末論を助長しているのでしょう。
人類は幼児性への退行とともに滅んでいくのでしょうか。
僕にはプラスティックのいまひとつの可能性があるような気がします。
幼児性ではなく無垢なるものへ。
試練、と成熟に向かいながら、悲観や疲労に染まらない、無垢なるものへ、です。
プラスティックで作られたゴシックの大教会、その中に祭られる、プラスティックの巨大な磔刑のイエス像などはどうでしょうか。
もちろん、プラスティックで作られた大伽藍のなかのプラスティックの巨大な仏像が並ぶ、密教立体曼荼羅も生きているうちに見てみたいです。

侘び、寂び、鬱 2

2009-04-19 19:09:28 | 芸術
侘び、寂びは意識の外の対象の無常だとすると、(植物が枯れていくとか、他人が死んでいくとか、金がなくなるとか)
その対象は時間の流れに消えていくのだろう。
しかし、自分の意識だけはしっかり残っている。
これが鬱を溜めていくのだろうか。
昔のひとはちゃんと、自分に対しても無常感をあてはめられたのかもしれない。
現代人はいくら侘び寂びといっても、自分の我だけはどんどん膨らんでいく。
トイレで便を流したとき自分はしっかり残っているように。
トイレで便を流したときトイレごと流れていきたいものです。

侘び、寂び、鬱

2009-04-18 22:23:41 | 芸術
侘び、寂びは単純に言えば侘しさ、寂しさというネガティブな感情を芸術までに昇華したと言えるでしょう。
現在の社会で問題となっているネガティブな感情とは 鬱だと思います。
現代の芸術家がやるべきことの一つは、この鬱という状態を芸術的に表現することです。
鬱はなんとなく模様のようなものではないでしょうか。
鬱模様の壁紙、鬱模様の着物、すてきではないですか。
「鬱模様の粋な着物ですね。」
こんな言葉をかけられるのも、捨てたものではありません。

東京芸大 上野動物園 不忍池の弁財天

2009-04-17 13:40:10 | 禅と動物園
東京芸大 上野動物園 不忍池の弁財天、これらは地図上、並んでいます。
弁財天は芸能の神様です。芸術のと言っても良いでしょう。
東京芸大の関係者には密接な関係があると思われます。
しかし、その間になぜ動物園、その意味をこじつけなければなりません。
トランジスターというものをご存知でしょうか。一世代前の電子部品です。
信号を増幅するために用います。
半導体物質というものを 三つ並べてできています。
そうです。芸大、動物園、弁天、と、同じです。
トランジスターは NPN、あるいは PNP、という並びでできています。
N、とPがなんだったか忘れました。もしかしたら、全く違うアルファベットだったかも、です。
要は真ん中が異質でそこに信号が入ると端から端へ増幅」された電流が流れると言うトランジスターの仕組みです。
ではイメージしてください。
真ん中の上の動物園に来場者がたくさん入ると、不忍池の弁天様のパワーが どっと、東京芸大に流れ込むのです。

パンダががうなぎ上りに来場者を集めたとき、弁天パワーが芸大に流れ込んだはずです。
そして、そのとき芸大に学んでいた誰かがそれを受け止めたに違いありません。
その人物がいまだその力を顕現させていないか、もうすでにすばらしい作品を世に出しているかはわかりません。
それを調べてみることはおもしろいかもしれません。

現在、上野動物園の来場者は大幅に減少しているようです。
もし、東京芸大の先生方が学生達の芸術力を高めたいと思うなら、
まず、何をさしおいても、中国に行きパンダを上野動物園へという旨を、
中国政府に直訴することです。
 


ゲーテ「親和力」の中の挿話

2009-04-12 15:24:07 | 芸術
ゲーテの「親和力」を読みました。
その中に嵌め込まれた美しい挿話がありました。
あるたくさんの人々が走る船の上で宴を催していました。
そのうちの二人の若い男女はお互いに愛していながら、その気持ちを通じ合えない障害のなかにありました。
女は水の中に身を投げることによって永遠に男の心に自らの面影が残ることを考えました。
女は飛び込みました。そして、男はすぐさま助けるために後を追いました。
男は泳ぐことに巧みでした。女を抱きかかえ岸にあがりました。
男は近くに家を見つけました。若い夫婦の家でした。女は息を吹き返しました。
若い夫婦はびしょ濡れになった二人の代わりの衣服を探しました。
ふさわしいものは彼等が婚礼のときに着た晴れ着しかありませんでした。
二人はそれを着て、岸の方へむかいました。そして、ちょうど 二人を捜索していたその船が通り過ぎるところでした。
二人は船に手を振りました。
心配していた船の上の人々は、目の前に真っ白の婚礼衣装に身を飾った二人が笑顔で大きく手を振るのを見つけるのです。

なんというすばらしい眺めでしょう。これがゲーテなのでしょうか。
話は変わりますが、絵の中に描かれた絵というものもあります。絵の中の絵の挿話といいましょうか。
フェルメールの絵の室内の壁に絵が飾られていたのを思い出します。部屋の奥にあるためぼやっと描かれています。
それがなんともいいのです。絵の中の絵は完璧な絵です。決して、ふれることができない絵です。
絵の具で描かれていていながら、この世の存在ではありません。
それは夢のなかで夢をみてしまったときのような、あてどない不安です。


ゴダールのウィークエンド

2009-04-08 22:07:57 | 芸術
近くの映画館でゴダールのウィークエンドを見ました。
これは自動車を並べる映画でした。
並んで並んで並んで横転。並んで並んで並んで炎上。並んで並んで並んで人身事故。
並んで並んで並んで死体。
何を言ってるか分からないでしょうが、ご覧になれば納得です。
ゴダールも立派な禅僧でした。みごとな並べっぷりでございました。
終わり近く、主人公のカップルが、相続金を目当てにある女を殺し、それを交通事故死に見せかけるための、
最後の石組みは見事でした。
それは小型飛行機と衝突という荒唐無稽でした。
ゴダールのでたらめはワンダフルです。

カフカの「城」をこんなふうにドラマ化して欲しい。

2009-04-05 22:00:01 | カフカ
カフカの「城」の一般的イメージは主人公Kが永遠に解明できない城の組織の謎に翻弄される不条理劇だ。黒いコートの役人たちがKを冷たくあしらう。それでもKは城に挑み続けるが、謎は謎であり続ける。そんないかめしいイメージだ。
しかし、カフカの長編にはかならずKを助ける幾人もの女性が登場する。
彼女たちは不条理にKを奪い合うのだ。
だから、昼メロドラマ風でやって欲しい。
脚本は橋田すが子氏を起用して、ほのぼのとした感じを出したい。
主演は少し年齢がいっているが、坂東えいじ氏をお願いしたい。
人目も気にせず、ゆで卵を食べ続ける無邪気な残酷さがKにはふさわしい。
このドラマを見ればその不条理さに笑いが止まらない。

眠ること

2009-04-03 13:27:26 | 考察
テレビの番組で心霊特集などをよく見ます。
そのなかで霊能師が心霊スポットを歩きながらあそこに1体、そこに何体などと指摘して歩くという場面をよく見受けます。
気になるのは、眠っている霊というものを指摘したところを、いまだかつて見た覚えがないことです。
考えられる理由は
1霊が眠ると、霊能者にも見えなくなる。
2霊は眠るとき、誰にも起こされないような場所を探す。
3霊は眠れない。

真実は3番ではないでしょうか。
魂と言うものは肉体を利用して初めて眠りにつけるのかもしれません。
さまよう魂は眠ることを求めて誰かの肉体に取り付くのです。
そして、誰にでもある眠れない夜というのは、あなたの代わりに誰かがあなたの肉体を利用して束の間の眠りを眠っているのではないでしょうか。

どうして、自分の身体より大きいものが見えるのか。

2009-04-01 22:03:55 | 考察
どうして、自分の身体より大きいものが見えるのか、と悩んだことはありませんか。
20インチのテレビに20インチ以上のものが映ることはできません。
もちろん縮小すれば映りますが。
我々が見ている視覚は実物大に、我々の脳の寸法をはるかに超えています。
もしかしたら、人間の脳は宇宙と同じくらいに巨大なのかもしれません。