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初代たま日記いちごいちえ

今日もとりあえずセロトニンだしてみよ・・・

初七日?

2006年08月20日 | たまちゃんとだいちゃん
十五年いっしょに暮らしたたまが亡くなって一週間たちました。あっというまだったような、長かったような・・・。落ち着きましたが、たまがいないということに関してはまったく現実感がありません。不思議な感じです。十五年のシドニー暮らしの歴史のなか、たまはいつもそこにいましたから、いま、もう存在してないんだと思っても全然ピンときません。いつも家のなかで大人しく過ごしていましたから・・・・

いつもたまがいたあたりに黒いものがおいてあると、ふと、「あ、たま?」と一瞬思います。ほんの一瞬ですけど。あちらこちらにたまが見え隠れします。

きょうは、前々から約束していたのでお友だちと家族とみんなで飲茶に行きました。それからシティーの紀伊国屋さんで長女がアイドル雑誌の大人買い、チャイマチで、金田一少年の事件簿・剛さんSPバージョンDVD購入。紀伊国屋さんではかわいい写真立ても買いました。お魚の形がたくさん切り抜かれていて、猫用のようです。たまの写真を入れようと思います。


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2006年七夕

2006年08月19日 | たまちゃんとだいちゃん
七月七日、今年も二女はユーカリの枝で七夕飾りを作りました。
以下は彼女が短冊に書いた願い事です。(順不同)


「たまがながいきできますように」
「おおがねもちになれますように」
「おじいちゃんがながいきできますように」
「お母さんが嵐のコンサートに行けますように」(これは日本語学校で作製した短冊)
「嵐のコンサートにいけますように」
「おとうさんがながいきできますように」
「だいがけんこうのままでいますように」
「おかあさんがながいきできますように」
「おばあちゃんがながいきできますように」


漢字をもうちょっと使ってほしいものです(苦笑)
「嵐」はすっと書けるのか・・・教育のたまもの?
しかも日本語学校でも書いてるし、母と名指しで・・・あたた。(><)
お姉ちゃんのこともなにか書いてあげなさいよ・・(^^;)


しかしね、この七夕から一月後にたまちゃんが死ぬなんて
だれが予想できただろうかね。
ほんとに・・・・
あしたは初七日・・・


しかし、たまちゃんはえらいよ。あわてずさわがずうろたえず、
きっちり一人で旅立っていきました。
寝たきりにもならず、前日まで牛ミンチを食べるってね・・・
すごいよね。見習わないと・・・・・


合掌


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明日で一週間

2006年08月19日 | たまちゃんとだいちゃん
ふいに発作のようにやってくる悲しみはおさまってきました。
発作のように津波のように、突然湧き上がってましたが・・・
いまはずいぶん落ち着きました。

でも、落ち着きたくないという感覚もあります(苦笑)
たまのためにいつまでも痛みを抱えていたいと・・・

そうはいっても日々の暮らしのなかで確実に元にもどっていくのでしょう。
たまが過去の思い出となっていってしまうのは、さみしいですが・・・



気温がグングン上がって、
うちのバルコニーが気持ちのいい季節になってきました。
お日さまを浴びながら、だいちゃんと二人で
「たまを偲ぶ会」をちょこちょこやってます。
たまもあと数日生きていてくれたら、暖かくなったのにな・・・・


だいちゃんの生活は、とりあえずこれといった変化は見られません。
夜中は(体脂肪の高そうな)私のお腹の上で寝て、
朝は朝日の射す長女のベッドの枕の上で寝て、
天気のいい日はバルコニーのテーブルの上で思う存分日光浴。
夕方以降はこたつの中。

相変わらず幸せ探しの名人です。

お母ちゃんがいなくなったのをわかっているのかいないのか・・・(^^;)

たまが冷たくなって横たわっていたとき、
だいは猫ベッドのなかで立ち上がってたまを見下ろしていました。

わたしがたまを毛布に包んで膝にのせていたときは、
ちょこちょこ部屋に来ては、ふとたまをのぞきこみ、
ぴーーと走り去ったり・・・

それって、ただ、くさく怪しげだっただけ?(爆)



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悲しみは痛い

2006年08月18日 | たまちゃんとだいちゃん
悲しみは痛い 今回 発見しました 悲しみは痛いです

そばでうとうとまどろんでいたのは こっちでした

そばで夢見心地を味わっていたのは こっちでした

もう 私より先にだれにも逝ってほしくない

こんなにしんどい思いは ちょっとかないません

堂本くんじゃないですが 正直しんどい

こんなに痛い目にはあいたくありません

たまの忘れ形見のだいちゃん 死ぬなよ

絶対 死ぬなよ

すぎさんのおまじないが どーか 効きますように・・・・・



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8月17日(木曜)

2006年08月17日 | たまちゃんとだいちゃん
諸事情で、二女といっしょに家に居ました。

ふもとの町にひさしぶりにおり、郵便局で切手を購入。
1ドル20セントの切手を30枚買おうとしたら、
「普通の封書だったらアジア方面へは1ドル25セントよ」と教えられ、
「いつから?」
「去年の九月から、かれこれ一年経つわよ」
「知らなかった・・・・」
「知らなかったのー?まーラッキーだったわねー!」

ずーーと1ドル20でだしてた・・・(--;)

そういえば、友人ハリーはアメリカへ出す封書に「90セントしか、はらんぞ!」
と堂々と言ってた。某ケイコさんも、そうだったな・・・
写真を何枚も同封して重くなった封書にも一定の切手しか貼ってなかった。
「絶対だいじょうぶ、ちゃんと着くもん」って。

たしかに。一年間、5セント少ないまま出し続けたけど、何の問題もなかった。
先方にはちゃんとついている。料金不足でもどってきたことなど一度もない。

以前取り寄せたある教材の大型封筒にも、
「45セント足りません」と書かれていたけど、普通にポストに入れてあった。


郵便局のあと、ふらふらと近所の花屋で水仙を買い、
インド料理屋で、バターチキンとベジタブルカーマカレーとナンとマンゴレッシーを買った。
父と娘でやっているお店だけど、お嬢さんがすごく感じよかった。
インドでは、お父さんのこと、「ババ」って言うんですね。
看板娘みたいでした。

午後から、この一週間の疲れがでたのか、がーーーと睡魔に襲われ
頭痛と微熱。
カナシミ疲れってとこでしょうか・・・(苦笑)
松潤バースデーソング他を聴いてベッドにもぐりこんでました。

きょうも、写真のたまは元気です。

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笑顔

2006年08月16日 | たまちゃんとだいちゃん
仕事に行ったら、わらわらと子どもたちが
笑顔でよってきた
ベラ、シエナ、ザッカリー、ジャック、アミリア、ケイトン、
ケイト、ケイエン、ナターシャ・・・・・
抱きしめながら、涙がにじみそうになった

ありがとう。



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悲しくても鼻毛はのびる・・・・

2006年08月16日 | たまちゃんとだいちゃん
愛猫に死なれ悲しみにくれていたら伸びていた
仕事に行く前に気がついてよかったよ、鼻毛

人間ってこっけいだね
こんなに悲しくっても鼻毛はのびる・・・・


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過去形になっていく

2006年08月16日 | たまちゃんとだいちゃん
普通に過去形になっていくことがさみしい

たまは・・・・・・だったね
たまは・・・・・・・してたね

フツーにカコケイになっていく
たまがカコケイになっていく

日曜まで、そこにいたのに
たまはどこにいっちゃたんだろ

ココだよね
そうだよね





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忌引き(?)明け一日目

2006年08月15日 | たまちゃんとだいちゃん
がんばって仕事行けば少しは気分は楽になるかな、と思いましたが甘かった(苦笑)しんどい、しんどい(^^;)

ここまでへこんでると、子どもたちと接することすらつらかったりします。人と触れ合わなくていい仕事だったらもう少しやりやすいかもしれませんが・・・泣いてる子を辛抱強くリラックスしながらかまってあげることがうまくできませんでした。

午前中がとくにひどかった。午後からはいくぶんすーーとしてきて、四か月の赤ちゃんのぷくぷくのほっぺやお腹を触ってミルクのニオイをかいでちょっと癒されましたが・・・・

おしめ替えのときは、だれかれかまわず、「おばちゃんちの猫さー死んじゃってかなしいんだよ」と訴えてみましたが、みんな下半身すっぽんぽんのまま「???」でした。

仕事のひとつひとつがどうでもいい感じで、早く家に帰りたかったです。あきまへん。

そういえば、いたずらっ子のザカリーが、ランチのとき、何度も何度も自分の席を立って、後ろからあたしの肩に顔をうずめに来てくれましたが、なぐさめてくれていたのでしょうか・・・

そんなこたぁーないか(^^;)

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初盆

2006年08月14日 | たまちゃんとだいちゃん
たまちゃんはお盆に亡くなり、いきなり初盆になってしまいました。
参りますよね。昨日までいたのにいなくなるというのは。
ほんと、参ります。
でてくるのはため息と涙と鼻水ばかりなり。

ここでいつも寝てたのに・・・
ここでいつもご飯たべてたのに・・・
食事の用意の時には必ず台所にやってきたのに・・・・

おかしいですよね。おとついまでヨタヨタしながらも
自分で歩き、自分で食べ、自分で飲み
食事時にテーブルに飛び乗り、お行儀の悪いことをしていたのに
もっともかなり衰弱してはいましたが
少なくともたまはたまの生活を死ぬ前日まで
普段どおりにしていたのに・・・・

きょうは、もうどこにもいません。



写真をあちこちに飾るとすこし気分が落ち着きました。
遺影って残された者にはたいせつなアイテムなんですね。

死んでていいからそばにいてほしいという感じですか・・・・
病院のスタッフに毛布にくるんだたまを渡したあとから
やってきた喪失感とさみしさとさまざまな想いに
ときおり押し潰されそうになります。
冷たくなっていても自分の腕のなかにいる間はそこにたまがいる
という感覚でしたが・・・・

こんなにも身近な存在をなくすというのはつらいことなのですね。
身近な存在というか家族そのものでしたから。
わたしたちの苦楽をそばで見ていてくれた存在でした。

13日のお盆、そして日曜日、いいお日柄(苦笑)を選んで逝ってくれたようです。
たまちゃんらしい最期といえるでしょう。

たまちゃん、またね! 早く帰っておいで(^^)
待ってるよ!

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不在

2006年08月14日 | たまちゃんとだいちゃん
きのうからいなくなったたま。さみしいし、あーしてあげればよかった、とか、こーしてやればよかった、とか・・・・ぐるぐるまわってる。昔の写真ひっぱりだして見ていると、こんなことしてたなーなんて思い出す。

この一年間、しなくなったことがいくつかある。台所のバルコニーからベッドルームの窓の桟に飛び乗ったりとか、バルコニーの煉瓦の上で外を眺めることとか、フベッドルームにはいってこなくなったりとか、バルコニーで日向ぼっことか・・・

一人で皿を洗ったりしてると涙が流れてくる。胸が痛くなる。家族としゃべっているとらくだけど。たまの思い出話はつきません。

いなくなっちゃったよ。ほんとに。どうしよう。こんな日が来ることはわかっていたけど、納得できない。おかしいよ。たまがいないなんて。家族が欠けてしまいました。

早く帰ってくるといいな。たまが帰ってくるといい。たまの定位置を空けて待ってるよ、たまちゃん。早くもどっておいで!



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たまちゃん

2006年08月13日 | たまちゃんとだいちゃん
昨年の八月に目を患ったのを堺にたまはゆるゆるとこの一年間で旅立つ準備をしていったのでしょう。亡くなる前日まで、好きなものを自分の力で食べ、ミルクを自分の力で飲み、失敗つづきだったとはいえ、トイレにも自分で歩いて行ってました。

病院でチューブにつながれることもなく、怖い思いをすることもなく、慣れた場所で慣れた家族がいるなか、好きなように動き回って、そして息をひきとりました。たまちゃんの最期はまちがいなく充実していたと思います。

そして数時間前には自らこたつに入ったりもしました。なでてげたとき、たまは顔を持ち上げ、「ありがとね」と言ってくれたようでした。お別れしてくれたんですよね。

15年間、ほんとにありがとう。わたしたちの苦楽をすべてともにしてくれたのがたまちゃんでした。冷たくなったたまちゃんをタオルケットでつつんで膝に乗せながら、胸がはりさけるような痛みを感じました。「みんなで日本に帰ろう・・・」とそう考えてました。たまがいなくなったシドニーにい続ける理由がわからなくなってしまったのです。

あっけなくいなくなってしまいました。なんと簡単なことでしょうか。病院で渡したら終了。いえ、終わってはいません。たまとのこの15年間を、わたしはこれから総括していかなければいけないような焦燥感を感じています。

いつもそこにいて当たり前の存在が急に消えること。これほどの大きな喪失感が他にあるでしょうか。これは人間でも動物でも同じ。動物はさらにあっけない分寂しさがつのります。




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この2~3か月

2006年08月13日 | たまちゃんとだいちゃん
一年前に目を患ったのち、たまちゃんは復活して一年間生きてくれましたが、やはり冬場はきつかったのでしょうか。

昨年は暖かくなるとともに目の痛みもおさまったようで、少しずつ元気になっていきました。クリスマスのころには元気もずいぶん復活してリードで散歩もしました。2キロほどしかなかった体重もすこしふっくらとして増えました。背骨のごつごつしたところがかすかではありますが柔らかさを増したようでした。

「たいぶふっくらしてきたね」とみんなでほっとしていたのに、今年の冬のはじめくらいからでしょうか。寒さとともにたまの嘔吐と下痢がひどくなっていきました。最初は痴呆で粗相しているのかな、という感じではじまりました。トイレで用がたせなくなり、なぜかバスタブの中に下痢をしていることが多くなりました。そのうち人間のトイレのマットレスやバスルームの入り口でするようになってしましました。

猫用トイレをランドリールームのほかにバスルームにも置いたのはたぶん、三ヶ月前くらいからだと思います。それでも間に合わなかったり、バスルームのドアが閉まっていると、子ども部屋の長女の机の下やテーブルの隅などに便をしてしまうようになってしまいました。このころになると、筋力体力の低下とともに痴呆もすすんでいたのではないかと思います。

本能からか、食への欲だけがすごくでてきました。この数ヶ月は、夕飯のテーブルに必ず登ってきて、無理にでも食べものを取っていくようなことがつづきました。最後の一週間は、たまを台所に閉じ込めて夕飯を食べるたことが数回ありました。

激しい嘔吐と下痢は回数を増し、毎朝、嘔吐をかならずするようになり、食欲と衰弱は比例するかのように目に見えてあらわれてきました。

食べてはもどし、食べてはくだしてしまいます。本人も生命への危機感を本能で感じとっていたのではないでしょうか。必死で食べものを求めていたのでしょう。

昨年いったん相当痩せてしまったたまでしたが、猫用ミルクなどである程度体重をとりもどしていたので、今回も猫用ミルクはせっせとあげていましたが、たまはなんでも食べたがりました。

台所の流しにもすぽっと飛び乗れていたのが、この一週間はできたりできなかったりになってしまいました。三回挑戦してだめだったこともありました。

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これも元気なころのたま

2006年08月13日 | たまちゃんとだいちゃん

ゆっくりお休み・・・・
15年間いっしょに暮らしてくれて、ありがとう。


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たま

2006年08月13日 | たまちゃんとだいちゃん

これもたまちゃん。ふっくら。

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