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匠三刻#(たくみつどきしゃーぷ)

平田匠と「TAKUMI DuO」応援ブログ。及び管理人の『僕の1日は、昨晩の反省を鼻で笑うことから始まる』

自分的最新イビツァ

2007年02月26日 | スポーツ
サッカーに詳しい皆さんにはすっかりおいてけぼりをくっておりますがとりあえず僕が拾ったイビツァ・オシム語録で心に残ったものを勝手に掲載。権利関係のグチグチしたものはシラン。

「基本的に私があなたたちに同意する必要はないし、あなたたちが私に同意してくれなくても構わない。お互いが同じ意見を持つ必要はないからだ。それぞれが正しいと思ったやり方で、お互いの考えを重ね合わせながら良いものを作っていく、そうした意味の信頼関係を築くべきだろう。お互い日本代表がより良い方向に進むことを願っているのだから。

私は監督なので、ついあれはだめだ、これはだめだと言いがちだが、でも、いま私たちは、こうして中村をはじめいろいろな選手について話しあうことができている。ゲームの進め方についても話しあいができている。何時間でも話しあえる環境がある。

~中略~
もし説明が必要なら、私はいつでも話すつもりだ。私は正しくないと侮辱されても怒らない。もっと議論しよう。」


もっと議論しようってことでね。でも怒らない自信はないなぁ。おしむかっこいいよおしむ。



イチローは凄ェな

2006年09月18日 | スポーツ
続く凄ェなシリーズ。
6年連続200本安打おめでとうございます。200が凄いのか、6年連続が凄いのかもう、わからんわ。

「記録を積み上げていなかったら、ただのいけ好かないマイペース野郎と揶揄される」と某福本さんの漫画(笑)で書かれていた彼が、かのWBCですっかりリーダー気質に生まれ変わった後、レギュラーシーズンで.287という打率。それについて聞かれたイチロー、「最高の滑り出し。」そして今年も200本。実証する強さと凄さ。4月の時点で「音頭取りの後、その切なさ-不遇を背負う覚悟-」について某友人と語っていた僕は、また惨めな気分になったとさ。

(余談だけど、WBCの「ワールド」がただのスポンサーの冠だってことを囃したてた人がいたけど、アメリカとドミニカとキューバと韓国と日本が参加していれば「充分ワールドシリーズじゃん」と僕は思ってました。逆に言えば世界的に野球ってやつは…。いかんいかん)


小学校低学年でバッティングセンターの130kmの玉を打ち返しながら、「もっと上手く打てるはず」と泣いて悔しがった男、イチロー。(ホントか?)

僕の後輩が同中。廊下でその後輩の足を引っかけてはしゃいでいた結構お茶目な、その時美化委員の男、イチロー。

高校時代、「ピッチャーの足下を抜ける当たりだけだったら全球打てます」と言い、監督をビビらせた男、イチロー。(この人らしい)

本当は2000年に渡米するはずだったが、仰木監督に「あと1年、一緒にやろう」と言われ渡米を延期した、結構浪花節な男、イチロー。(仰木監督は…ずるいよね。あなたに言われちゃっちゃあ、そりゃやりますよ)

渡米する数年前からメジャーリーグのボール(メジャーと日本ではボールの種類が違うらしい)での練習もしていた男、イチロー。
曰く「何かやるときには、『準備』をしなきゃいけないんですよ。」

一時、この言葉がやけに気に入り、ことあるごとに「俺らは『準備』が足らんのだよ。」と連呼していた僕の友人B。

1~2年前、その友人Bと遊んでいたとき、ふと雑誌のグラビアに目がいき「これ誰?」と聞いたところ、「榮倉奈々だよ。知らんの?常識だよ?お前そんなんじゃダメだよ」と友人Bに畳み掛けられ、「ポッと出のグラドル1人2人知らんぐらいが何だってんだよ!」とマジギレした僕。そしてつかみ合いの殴り合い。
(そんな榮倉奈々さんも、今では立派なダン・ドリです。)

そんな2人と行動を共にしながら別段仲裁に入る気もない気ままな友人A。
そんな友人Aがダッシュボードに入れてある数多くのモテCDの中に、松浦亜弥の「渡瀬橋」が埋まっていることを密かに知っている僕。

ある日3人でドライブ中、ひょんなことからそれを発見して「こんなもん、お前が手に入れる半年前から俺持っとるよ。俺の勝ちだな。」と素で自慢モードに入るB。

そんなBを後部座席から嘲笑する僕。それをバックミラーで確認してキレるB。そしてまた、つかみ合い殴り合いの大げんか(笑

そんな二人を相変わらずスルーしてミスチルの「sign」をかけ始めるA。
興に入ってきたのかサビを一緒に歌い出すA。大声で。
それに気づいて手を止める二人。「お前の歌声って最高だな。」とAに向かってハモる僕とB。
3人でがっちり握手(笑。そして大合唱(笑
(以上フィクション)

僕らがそんな日常を繰り返しているときも、きっとバットを振っていたであろう男、イチロー。

でも、そんな僕達のとりとめもない日常と彼の努力の日々を、等しく、等価値におくときが、たまにはあってもいいんじゃないかって密かに思う僕。

たまに、たまにですよ。



(イチローと松井に囲まれる山本昌をなんだか愛しく思う東京の名古屋人でした。ああ、日本柔道は凄ぇなとか、川嶋は凄ぇなとか書きたかったなぁ…。)




山本昌は凄ぇな

2006年09月17日 | スポーツ
あ~凄い。
ノーノーおめでとうございます。阪神ファンの皆さん、ごめんなさい。

許したランナーはエラーで進塁のみの準完全試合。しかも97球。
なによりも41歳1ヶ月。

入団して4年目、1988年にドジャースに野球留学。当時の大エース、フェルナンド・バレンズエラよりシンカー(スクリューボール)を教わりはしたが、あまりに高度な話で全く理解できなかったため、結局習得出来ず、1Aで不貞腐れていたという。しかし当時、たまたま居たスペイン人の三塁手(控えの控えレベル)が、遊びで仲間とピッチングをして遊んでおり、その選手がシンカーを投げていたのを見て、その選手から投げ方を教えてもらった後に自分も遊びで投げてみたところ、驚くほど球が曲がったそうである。(以上 参・引用:wikipedia)

人生何があるかわからんもんですね。ほんと。ここで覚えたスクリューが彼をここまで昇らせたと考えると感慨深いです。

かつて山本姓が中日に二人いたために「昌」とつけ、その後再び山本姓が自分一人になっても験を担いで昌をつけ続ける男、山本昌。

歳を経て、ストレートの急速が上がる男、山本昌。(30歳台前半までは132-133km/h前後。現在137-138km/h前後。)

大のラジコン(カー)好きで、元チームメイト山崎と「山山杯」という名を冠したカップ戦までやる男、山本昌。
(岩瀬もラジコン仲間だという噂)

その昔、名古屋の「中村公園駅」付近、僕の姉がバイトする本屋で「ビーバップハイスクール」6巻を買っていった男、山本昌。

その頃調子が悪く、その話を聞いた長年の中日ファンである僕の母に「そんなもん読んどるから勝てんのだわ」と言われる男、山本昌。

というか、ここにきて振り返ると結構毒舌な僕の母。

というか、「ビーバップハイスクール」の映画でデビューした仲村トオルの大ファンになった僕の姉。今では立派な保育士です。

というか、一昨日昨日とスポーツデイと騒いでいたら今日もだった。

というか、ぶっちゃけこのニュースを聞いたとき、「◯◯すげぇな」シリーズができる!」と思い、一人「やったっ!」とほくそ笑む僕。ちっちぇぇなぁ、ちっちぇ。

山本昌さん、改めておめでとうございヤスス。
ちなみに阪神は最後にノーヒット・ノーランされてから「41年」相手球団にノーヒット・ノーランを許していない球団だったんですって。




松井は凄ぇな

2006年09月15日 | スポーツ
あ~凄い。
てかタメですわ。

僕も左腕を折ったことがありました。
松井と同じぐらい派手に折れました。
リハビリ含めて二ヶ月かかりました。
ギプスの中の腕が痒くて痒くて、


…(以下、一応グロ注意)…

ボールペンを突っ込んで掻いていたら、皮が剥けて化膿して大変でした。
いざギプスを外す段になって、電動カッター(刃の形状は丸いが、実は上下に細かく振動しているだけでしかも刃先は落としてある)でギプスを割った瞬間に、膿がウダラァ~って垂れてきたのは今でも軽いトラウマです。

…(以上、一応グロ終わり)…


松井が高校野球で騒がれていたとき、
連続四球に大騒ぎになっていたとき、
まさしくその場面をリアルタイムで観ていたとき、
茶の間で一緒に観ていた母親にふっと言われました。

「あんたはそこで、何やっとんの?」

人生で言われた一番キツイ言葉の一つです。
日本一短い母からの手紙を頂きました。

ええ、あなたの目の前で麦茶飲みながらテレビ観てますが何か?
それ以来、高校野球なんか大っ嫌いです。碌に観てません。ハンカチ王子最高。


それから、

俊輔がやりやがりました。まったく昨日今日とスポーツデイ。おめでとう。歴史に名を刻みましたね。さすが「練習の虫」。フリーキックで点取れるってことはそういうことだ思います。(そりゃもちろん才能もあるだろうが)
週間少年マガジン連載中の長寿ボクシング漫画のじいさんがいってた
「努力した者が全て頂点に立てるとは言えん。だが、頂点に立った者は皆、すべからく努力しておる」
ッて感じだったっけ?その言葉を思い出したよ。おめおめ。

つか、ファン・デル・サール(笑)。あれはしょうがないのかなぁ?
「あんた、そこで何やっとんの?」ってチームメイトに責められていやしないか心配です。心配さんです。


それから、

深夜にテレビつけっぱなしでネットやってたら、TBSが推してる「世界バレー」の特番がやってました。
河合俊一が明らかに一杯ひっかけてました(笑)。テンションがおかしい。
「あんた、そこで何やっとんの?」って中垣内に突っ込まれないか、いやさ、真後ろの中田久美に裏でぶん殴られていないか、心配です。心配さんです。

そういや、姉貴が河合ファンだったな。勢い余ってバレー部に入部してたな。
弟のくせに「かわいいな、こいつぅ」と思ったもんです。
恋する女はきれいさ~決してお世辞じゃないね~(参:ひろみ・ゴー)
今は立派な保育士さんなのでした。勢い余って日常会話も幼児語です。料理中に突然童謡を歌い出します。「かわいいな、こいつぅ」とは絶対に思いません。

「かわいいな、こいつぅ」と思ってしまったのは同番組に何故か出ていた亀井絵里です。
引き画で台本にがっついているところを見事に写された亀井さんです。
台本通りすぎるコメントをした後、「これではいけない」と思ったのか、付け足した言葉が完全に浮き、失笑を買っていた亀井さんです。
真鍋かをりが上手く拾ってくれました。ありがとう、元ブログの女王。今はもう「書くのが面倒くさい」って言ってるって本当ですか?しょこた…いや何でもないです。
しかし頭の回転早そうだったな。肌が妙にきれいだったな。

それに比べて亀井さん…。
「あんた、そこで何やっとんの?」って中澤さんに後で殴られやしないかと心配です。心配さんです。

てか、僕はここで何やっとんの?



W杯備忘録

2006年07月13日 | スポーツ
のための備忘録。
前回、こぼれ話を拾うのが趣味ともらしてましたが、
なんだか、あまり気持ちよい話を拾えていないというのが
事実で。まあ、だらだらと見つけていきたいと思います。
ちょいと身の回りが急がしいんで、
もうちょっと後に、ぼちぼち書いていきたいと
思っておりますが。1年後ぐらいに。

エクアドルのスパイダーマンパフォーマンス。
“教授”ベソットに会いにチャーター機で飛んでいった
ユベントスメンバー。
中庭で三角ベース。
79年組。
ヒデとゾノと名波。
マキシ=ロドリゲス。
クローゼとポドルスキ。
カーンとレーマン。
リカルド。
C・ロナルドとルーニー。
エリクソンとオーウェン。
ドログバと母ちゃん。
イビツァ=オシムと東京五輪と
祖母井GMとキャプテン。
マテラッツィ。
と、ジダン。
で、亀井絵里(わはは)。
(シェフ…。キツいッスよ)

概ねこんなところですが、
実は最初「何してくれてんだ!マテラッツィ!!」で
書こうとしたところ、何やらやっぱり世間の
ジダン擁護の気配を大いに感じ取り、
それならば、マテ兄貴に気に入られようかなと
考えてしまった、天の邪鬼なざるそばなのです。
変に勧善懲悪を否定するのも微妙に嫌だったりするが。

何か、心温まる話ないですか?

コサックダンスをしようとしたら、1発目でアキレス腱を
切って歩けなくなった夢を見たざるそばでした。
右足が痛い。


ベッカムに恋して

2006年07月05日 | スポーツ
しばらくサッカーネタを続けつつ、
実はそんなに詳しいわけでもないので、
そろそろ違うものをと思ったのですが、
一方で匠トリオも動く気配を見せそうなので、
間つなぎに、
あと少しはサッカーネタを引っ張っとこうかと思案中、
社の同僚より、
ひょんなことからモーヲタ認定されたので、
いっそのことモーネタでもかましてやろかと思いつつ、
実はそんなに詳しいわけでもないので、
ネタ仕込みの時間稼ぎに、
やっぱり今日もサッカーネタで攻めることになった
ざるそばだったりします。
もうすぐ梅雨明けですね。ですよね?

さて、ポルトガルに惜しくも破れたイングランドですが、
つい最近、仕事関係のお得意様とその話をしようとしたところ、
先方がずうっと、「イギリス、イギリス」とおっしゃっていたのを
結局、訂正することかないませんでした。意気地なしのざるです。
だって間違ってないといえば間違ってないし。
と言うとウェールズ出身の方に失礼ですわね。ギッグスが泣くぜ。
スコットランド出身の方にも、北アイルランドの出身の方にも。
やっぱ尊重すべきところでしょうね。。。
ゆ、U2っていいですよね。

しまいには、
「私はめっきり野球派なんで、交流戦の話がしたくて
たまんなかったんだけど、ワールドカップのせいで
まったく楽しくなかったよ!」
とトドメをさされてしまいました。
めげずに「巨人、ヤバいですね。」と言ってみました。
「杉山がヒンギスに勝ちましたよ!」と矛先を変えました。
ようやく盛り上がりました。

ひとつ言いたいのはですね。
今大会のベッカムの方が、日韓大会のときより10倍
かっこいいってことですよ。(安易だ…)
指入れ嘔吐で、その後フリーキックでゴールですよ。
漢だねぇ。
(表題とリンクしてるのはこれだけです…。寝ます。)

あ、も、もうすぐオールスターですね!





私はあきらめない

2006年06月30日 | スポーツ
フランス代表ジネディーヌ・ジダンの引退がのびてウレシイ限り。
一方で、無敵艦隊はどうしてこうも大舞台で不遇なのかと首を
ひねってしまう今日この頃。暑すぎて仕事を放棄したざるそばです。
みなさん、大丈夫ですか?

それにしてもジダンの3点目は素晴らしかった。
ここで終わるわけにはいかないと、
全身で語るようなゴールだった。

以前、「ハゲはかっこいい」をキーワードに40代の
男のファッション雑誌を立ち上げようと軽い座談っぽい
企画会議なんかしていたことがあったけど、
そこで僕が語った言葉の全てが軽薄に思えてしまう程、
単純にカッコええゴールだったのだ。

4年前の大会、1点もとれずに大会を去ったフランス。
グループリーグが終わったところで、
どこかのテレビ局のダイジェストを観た。
プロ野球の珍プレー・好プレー集なノリで作られたものだ。
そのVTRには、ゴールポスト脇で無惨に転がる
ジダンのカットが使われていた。
禿頭大写し。ハゲに汗がしたたる。
明らかに笑いを狙った編集だ。

試合の放送でもこのカットは使われていて、その際に僕が
持った印象とかけ離れた使用の仕方に、随分と疑問を
感じたことを覚えている。

たぶん、試合中このカットを狙ったカメラマンも、
瞬時にそのカットを選んだスイッチャー、ディレクターも、
何というか、王者の悲哀とでもいうのか、そんなものを
画面に込めたかったんだと思う。

それがダイジェストVTRでは前出のような扱いになっていた。
ある意味、ディレクションの妙というものを体現している現象で
まったくもって、非常に勉強になった。
エイゼンシュタインも大喜びだろう。

高校の時に、如何にすれば電通に入社することができるのか、と
小一時間シミュレートした結果、無駄無駄無駄ぁ!!と
バカらしくなって(自信なくなって)止めてしまった僕だが、
きちんと続けていればひょっとすれば今頃…と
ウソくさい想像をしたくなる程…止めておこう。
何を考えたところで、今、『その立場』にいないと
いうことは現実なのだから。
この編集が終わったら、どうやってあの女子アナを口説こうか
と考えている人よりも、
僕は『やれること』が小さすぎるのだから。
それに何より、ジダン自身が過去の屈辱を払拭する
活躍を見せてくれたのだから。

もう一人、どうしても挙げておきたいのが、
パトリック・ヴィエラ。
ジダンと誕生日が同じのヴィエラ。
今回も1アシスト1ゴールと気迫を見せたヴィエラ。
「ジズーをここで終わらせはしない」とトーゴ戦でも
ゴールを決めたヴィエラ。

02年、W杯。初戦ベルギー戦で先制された日本。
「やっぱりダメぢゃん…」と誰もが思ったその2分後、
(そう、僅か2分後)
それまで無得点記録を伸ばし続けていた、
また、もし僕が「あきらめないってどういう意味ですか?」と
聞かれたら、黙ってこの時のVTRを見せようと考えてしまう程、
僕に感動を与えた、
魅惑のファウルゲッター鈴木隆行に負けずとも劣らない気迫を
見せてくれたパトリック・ヴィエラ。
(すげぇ修飾句…)

そして今、30歳のヴィエラ。
何かを感じずにはいられないのだ。

次はとうとうブラジル戦。
何かを思わずにはいられないのだ。


出直してこい

2006年06月25日 | スポーツ
(最近攻撃的ですが、そんな気分なんですみません。)

ブラジル戦終了後、ミックスゾーンでの最後のインタビュー。
中田英寿は、インタビュアーに向かい「(僕の)話聞いてますか?」
と疑問をぶつけた。そして二度目となる台詞を語気を強めて繰り返した。
「今の、現時点であったことが自分たちの力なんで。」

Jヴィレッジで行われた日本での最後のキャンプで、中田英寿は、
練習を終えて宿舎に引き揚げた他の選手とは行動を別にし、
ひとり、筋力トレーニングを続けた。
報道陣から、声が漏れた。
「おい、まただよ。こっちはメシも食いに行けねぇじゃねぇかよ」

6月15日。オーストラリア戦で惨敗してから3日後。
練習を終えた中田は、ミックスゾーンで英国とクロアチアの記者の
呼びかけられ、足を止めた。クロアチアの記者が質問をした。
「クロアチアに勝ち、勝ち点4で1次リーグ突破を考えるのか?」
中田は激怒した。
「なぜ勝ち点4と考えるのか?理解出来ない。勝利を常に考えるべきだ。
考え直して、出直してこい」

数分後、「考え直した」とクロアチアの記者は再度食らいついた。
「ドイツ戦もオーストラリア戦も終了間際に失点をしているが、なぜだ」
中田は今度は真摯に答えた。

韮崎高校時代の中田を知るある記者は、こんなことを言っていた。
「よくしゃべり、茶目っ気のある、かわいい子だった」
地元のテレビ局が制作した、韮崎高校を追ったドキュメンタリーを
観たことのある人は、こう感想を漏らした。
「皆を引っ張るリーダー的な存在で、部員の悩みにいろいろと答えていた。
語り口や、行動は高校生とは思えないほど大人びていた。」

言うまでもなく、彼のマスコミへの不信感の決定打は
「君が代ダサい発言」報道だ。
頭がよく愛嬌もある青年の、他意のない、何気ない言葉を
大の大人が大喜びで意図的に曲解し、紙面に載せた。

今現在、マスメディアに踊る、多くの言葉は
「彼がもっとチームに馴染んで、引っ張って」
「協調性が足りないために」
「イチローにはなれなかった」
そして「中田、号泣」

再びブラジル戦終了後、
ミックスゾーンでの最後のインタビュー。

「また、次の大会がありますけども…」
「はい」
相変わらずの、日本マスコミお得意の、半疑問形で
止まった言葉の続きを一瞬だけ待って、
中田はその場を去った。少し鼻で笑って。

彼の涙を伝えることができるマスコミ関係者が、
日本にどれだけいるだろう?

「考え直した」と再度語りかけられるプライドと愚直さと
意地を持ったジャーナリストは何人いるのだろうか?

少なくとも、中田本人が答えた『公式での』発言は、
「泣いてません。
(ピッチに10分ほど倒れていたのは)疲れていたんで」だ。

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今回改めて、webがこれだけ普及?発達した社会にいられてよかったな
と感じた。限られた報道機関の、フィルターを通らない情報を
こんな僕でも容易に手に入れられることができるという事実は、
やはり魅力的だ。

相変わらずの玉石混合だけど、それが玉なのか、石なのかを
見分けるのは、それこそ自身の資質と経験と努力だ。
そして最後に一線を引く決断力もまた、情報の渦に何度も
飛び込み、あるいは意識的に離れることで磨かれる。

最終的な決定権が自分自身に与えられるという事実が、
僕を安心させる。
どれだけ世界が拡がろうが、最後は自分に帰結する。
まあ、結論、どんなことでもそうだけど。
視野は広い方がいいじゃないですか。

日本にもいますよ。伝えられる人は。その人もネットで
出会ったのだ(笑)



このタイミングで書いておかないと…

2006年06月18日 | スポーツ
五輪予選で負ってしまった大怪我が君を変えてしまった。
そのことを思うと胸が痛い。タラレバが許されるのならば
あのとき、怪我をしていなければ今頃君はどんなにすばらしい
選手になっていただろうか?
そんな空想をすることが、きっと君にとって最も辛いことであり、
その後の君の努力を否定することにつながる、最も失礼なことで
あることは承知だ。

「今でも高校生の時の自分に追いついていないような気がする」
と、何年か前のインタビューで吐露していた。
ポジションがセンターハーフの位置まで下がったのは、
その位置が適職だからではなくて、
前で仕事が出来なくなったから?
某掲示板では今、君はただのリフティング職人扱いだ。

そのテクニックと人柄で誰もが君の中に「リアルキャプテン翼」
を見た。それが天性のものか、培ってきたものなのかは
わからないけれど。

おそらく2002年、瞬間、日本で最も愛された男であった親友の
ことを躊躇なく「うらやましい」と言える君が僕はうらやましい。
「だから自分も歴史に名を刻むゴールを決めたい」と言う。

いつからプロスポーツ選手は、普段から品行方正であることを
求められるようになったのだろう。
アメフト選手を見てみれば、社会的な[犯罪者]なんてごろごろ
いるだろう。でも、フィールドの中では彼らはスーパースターだ。
「子供が真似するから」なんて理由を呑気に口にする母親には
「お前が注意しろ」と言ってやれ。夢の世界と現実の一線を教えて
あげるのは、いつだって側にいる大人の役目だ。

[プロ]ならその分野でプロフェッショナルであればいい。
その代わりどこまでも、残す結果だけが彼らの価値だ。

だから、君が中盤の人材として2番手、3番手であることに異論を
挟もうとは思わない。

でも、だからこそ、結果を出してくれ。切に想う。切に願う。




(スポーツ誌『Number』風に書いてみた♪)
ちなみに僕の一番好きな選手は魅惑のファウルゲッター
鈴木隆行選手だ(泣)

さあて、会社行こ。また徹夜でした♪
(昼間風邪で、たっぷり寝たけど。おかげでハイテンションす。)

W杯が始まりました

2006年06月11日 | スポーツ
と、いうことで、ワールドカップって登録商標だってご存じでした?
使っちゃいけないらしいですよ。ワールドカップ。ワールドカップ。
ワールドカップ。なんぼのもんじゃ!

さて、ワールドカップと言えば、前回02年は心おきなく
楽しんだと書きましたが、今年はできそうにないです…。
恒例の「事務所でチラ観」状態を続けているところですが…。
スウェーデン対トリニダード・トバコ。なかなか接戦です。

さておき。僕がこういうお祭りでいつも期待するのは、期間中の
こぼれ話。前回はとびきりのストーリーに出会えて幸せでした。
今回もそんなエピソードと出会いたいな、と思いつつ…。
どんな話だったかって?聞きたくなくても転載したいと思います。

デンマークのフォワード、トマソン選手のエピソード。
少し長いです。(それでも前半はなくなくカットしました)
新聞記者の「皐月パパ」さんが自身のプライベート・サイトで
紹介したもの。「転載ご自由に」とのことだったので、お言葉に
甘えさせて頂きました。では。以下より。

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それはある握手会でのことである
デンマークというチームは前述したように練習を公開し、
和歌山県民との交流を積極的に行った
練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い
握手会、サイン会もたびたび行った

そのひとコマの話である

あの日も、いつものごとくサイン会が行われた
気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった

あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が
出来上がっていた
気軽にサインをするデンマーク選手たち
もちろんトマソンもその中にいた

その最中のことである

トマソンの前にある少年が立った

彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた

後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す
「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた

トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう
通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた

意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、
トマソン選手に渡した
それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという
英語で書いた、その紙切れにはこう書いてあった

「ボクは小さいころに、病気にかかって
 口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・
 だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです
 デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです
 頑張ってください」と・・・

その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた
言葉が出なかった・・・

だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・
「それなら君は手話はできますか?」と・・・

手話で語りかけた

その『言葉』に驚く少年と母親

再度聞くトマソン・・・

「手話はわかりませんか?」と・・・

それを見ていた皐月パパはトマソンに英語で言った

「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」
と彼に言った

手話を万国共通と思う人が多いのだが国によって違う、
ましてや日本国内でも地方によって違う

「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン

そして彼は通訳にこう言った

「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが
手伝ってください」と言った
微笑んで「わかりました」と答える通訳

トマソンは
「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと
言っておいてください」とも言った

後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった
・・・一言も文句を言わなかった・・・
彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう

そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった

「君はサッカーが好きですか?」

「はい。大好きです」

「そうですか。デンマークを応援してくださいね」

「はい。あの聞いていいですか」

「いいですよ。何でも聞いてください」

「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」

この少年の質問に彼は答える

「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます
 その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・

その彼の言葉をじっくりと読む少年
そしてトマソンは少年に言った

「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが
 君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています
 君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」

この言葉に黙ってうなずく少年

「わかっているなら、オーケー!
 誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
 そして君のお母さんにも辛いことはあるのです
 それを乗り越える勇気を持ってください」とトマソンは言った

このやり取りに涙が止まらない母親

この光景を見ていた我々記者も涙した
その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した

そして、トマソンは最後に少年にこう言った

「ボクは今大会で1点は必ず獲ります
 その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように
 ボクは祈っておきます」

この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた

「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った
 そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親

ボクの取材に母親は目に涙を浮かべて言った

「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ
 日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」と
涙を流し、笑いながら言った・・・・

そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた
1点どころか、彼は4得点という大活躍だった

こんなトマソン、デンマークを見た皐月パパもいっぺんに
ファンになってしまった^^;

1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク
彼らをボクは応援した・・・

もちろん和歌山県民も応援に訪れた
試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた

オルセン監督は言った
「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった
 あれが我々の力になった」と・・・

和歌山県民の応援も実ったのであろう
フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け
見事1位通過を決めたのである

そして、向かえた決勝トーナメント1回戦
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった

スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた

その声に皐月パパは叫ぶ

「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」
「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた^^;

だが・・・この応援も届かなかった
和歌山県民の想いも通じなかった

デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった
その日の和歌山県には雨が降ったという

県民の涙雨だったのかもしれない・・・・

負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた
「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」
という言葉が彼らの合言葉になった・・・

だから、彼らは行なった

デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた
そこに駆けつける多数の県民
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた

その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督
もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた

そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた

少年と母親もその会に出席していた
少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン
トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる
少年はトマソンへ笑顔を向ける

そして、トマソンは少年にこう語りかけた

「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた

これに少年は答える

「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです
 それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」と・・・・

「ありがとう」と言うトマソン

そして、この少年にトマソンは言った

「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」

「はい」

「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている
 それは神様が決めたことであり、今からは変えられない
 ボクが言いたいことわかりますか?」

「はい」

「神様は君に試練を与えたけど、君にも必ずゴールを決めるチャンスを
 神様はくれるはずです・・・
 そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」
とトマソンは言った

この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った

そして2人は・・・

「さようなら」

「頑張って」

という言葉を残し彼らは別れを告げた

最後に2人は仲良く写真におさまった
飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人

この写真は少年の宝物になることだろう

トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・
彼の転機になることを皐月パパは祈ってやまない

小さな少年、心優しきトマソンに
これからも栄光あれ。。。

※皐月パパ 2002年7月10日の日記より

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この話をサイトで紹介した後、各新聞社に『皐月パパさんという
新聞記者はいないか』という問い合わせが殺到。皐月パパさんは
「他社に迷惑をかけた」ということで、減給+自宅待機という処分を
受けたという…。正しい判断だと思う。社会って難しい。


このお話、今は本になっているらしいです。
「少年とストライカーと約束」
よろしければ。