えつこのマンマダイアリー

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最近の新聞記事より ~「反戦準備」~

2023年03月12日 | 雑記

(↑ 夫の気象予報士資格試験合格祝いの五目寿司(#^.^#)  ※記事内容には関係ありません。)

 

 掲載が2ヶ月も後になりましたが、2023年1月15日付東京新聞朝刊の「時代を読む」欄に載った法政大学名誉教授 田中優子氏のコラム「反戦準備」を紹介します。

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反戦準備 田中 優子(たなか ゆうこ)(法政大学名誉教授・前総長)

 昨年暮れ、ジョン・レノンの「平和を我等(われら)に」を久々に耳にした。ベトナム戦争の反戦歌だったのだが、まさに今こそ歌うべき歌だと思った。反戦歌といっても決して攻撃的な歌ではない。原題はGive Peace A Chanceで、 "All we are saying is give peace a chance"を繰り返す。「私たちが言っているのは平和にチャンスを与えてくれということだけなんだ」という意味だ。実に遠慮深い。とても戦争が終わりそうもない時に、せめて停戦を、と言い続けたくなる、その気持ちそのままだ。ただし、その後ろではジョンが~主義だの~革命だのごちゃごちゃ言うな、と強烈な皮肉を飛ばし続けている。理屈なんてどうでもいいからとにかく戦争やめろ! まさに今叫びたくなる言葉だ。
 ジョン・レノンにはもう一つ、「イマジン」という反戦歌がある。これも思い出しておきたい。「そのために殺したり死んだりしなきゃならない、そんな国家なんていうものが無い世界を想像しようよ」というくだりは多くの人が知っていると思うが、それに「宗教も」という言葉が続く。今はそれが突き刺さる。

◇ ◆ ◇

 反戦とは何か。理屈ではなく、「戦争は嫌だ、やめろ」という叫びである。年が明けた時私は、日本人は今からその「叫び」の準備が必要なのではないか、と思った。
 「人間から獣がはい出している」。これはノーベル賞作家のスベトラーナ・アレクシエービッチさんがウクライナ侵攻について問われた時の言葉である。元旦の朝日新聞で目にした。対岸の火事ではない。
 昨年の12月2日、自民党は公明党と「敵基地攻撃能力」保有を正式に合意した。やはり「宗教も」なのだ。軍事費の倍増、原発の継続新設も決まった。そして12月6日、内閣府は「日本学術会議の在り方についての方針」を一方的に決定し公表した。学問とは中長期的視点で社会や人類や地球の将来を議論し社会に問うことがその役割だ。政治的意思決定とは異なる自律的な価値観と組織が必須である。今はそれを、政治的意思に従わせようとしている。
 敵基地攻撃能力保有、軍事費の倍増、原発の継続と新設、そしてこの日本学術会議への介入は全て関連している。そしてこれらは、日本が戦時体制に入りつつある、ということを指し示している。さかのぼってみれば森友学園問題は、国有地を与えることによって教育勅語を教える学校を認可する意図であった。学問と教育と家庭を支配するのは、人の心を制御するファシズムの常套(じょうとう)手段である。

◇ ◆ ◇

 しかし平穏な正月を迎えた日本人には、戦時体制とは思えないかもしれない。そう思っているうちに、ある日それはやってくる。
 日中戦争が「満州事変」という名で始まり、日米戦争が宣戦布告なしに真珠湾攻撃で始まり、ウクライナ戦争が「特別軍事作戦」という名で始まったように、戦争は突然始まり、その原因は一方的に相手にあるとされる。つまり「防衛のため」と言い続ける。
 だから、反戦の準備をしよう。戦争の用意がどこでどうされているのか伝えるべきだろう。戦争が何をもたらすのか伝えることも必要だ。あとは歌で、短い言葉で、行動で、そしてやがて、一揆の日がやってくる。何より心の準備が必要だ。

(※文章中の太字化はブログ管理人によります。また、読みやすいように、漢数字を算用数字に置き換えています。)

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 この記事内容に関連した記事を、過去にいくつか紹介しています。ぜひ併せてご参照ください。

「最近の新聞記事より ~国民を洗脳する国家~」
  同じく田中優子氏の主張が紹介コラムの一つです。

「新聞記事より ~元自衛官 泥さんの演説~」
  
余命宣告を受けた元自衛官の反戦への叫びです。泥氏が今でもご健在であることを心から願っております。

「保育園園長から平和の伝言 ~手作り小冊子に込めて~」
  私の地元の保育園の園長が反戦を詩のような形式で訴えています。

 

 ロシア vs. ウクライナ戦争をまだまだ対岸の火事ととらえている日本人が多いと思いますが、田中氏の言うように、もっと危機感を持つべきときだと私も思います。国民に気づかれないように巧みに、あらゆる機会を利用し、権力に都合のよいように国民を洗脳し、どさくさに紛れて法律を変え、都合の悪いことは隠し続け、都合の悪い歴史的事実を変えようとするのが権力者です。「政治は政治家が行うこと」ではなく、「政治は暮らしに直結する国民のためのもの」です。国民の基本的人権が守られる政治になっているかどうかという視点で、日々の暮らしで気づくちょっとした疑問を見過ごさず、自問自答し、権力者の「だまし・ごまかし・おどし・ならし」に対抗する力をつけていきたいものですね。
 最後までお読みくださり、ありがとうございますm(__)m

 


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4 コメント

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考えない人は葦である (ボッケニャンドリ)
2023-03-12 20:10:20

中学の頃、教師は反戦歌に批判的でしたね。
戦争に反対する歌が何故ダメなのかワケワカメ状態。


コロナ騒ぎで思ったのは国民に恐怖を植え付けると簡単にコントロール出来るってことですかね。
何も調べずに簡単に怖がったり国を盲信するのもアレですけど。
返信する
ボッケニャンドリさんへ:DVと同じ構造 (takuetsu@管理人)
2023-03-13 21:16:04
ボッケニャンドリさん、返信遅くなりましたm(__)m

「恐怖を植え付けると簡単にコントロール出来る」というのは、DVと同じ構造ですね。
傍から見れば、「なぜ抵抗できないのだろう? なぜ逃げられないのだろう?」と思いますが、そういう思考力さえ奪われてしまうのでしょうね。

「中学の頃、教師は反戦歌に批判的」? そうなんですね。
私の頃(たぶん、私はボッケニャンドリさんより数歳年下だと思います)は、教師が授業で政治色を出すようなことがなかったように思います。大人社会全体に、「政治の話はタブー」みたいな空気を感じていました。うちの両親は違いましたけれどね。

高校(都立)では、とっても面白いことがありましたよ。
佐藤栄作がノーベル平和賞をもらったとき、国語の授業の直前に、男子生徒の一人がわざと後ろの黒板(教壇の正面)に「祝!佐藤栄作ノーベル平和賞受賞」とでかでかと書いておいたのです。なんとなれば、彼や自民党の政治に批判的であることを授業中に匂わせていた国語(社会じゃなくて)教師がそれを見て、怒りを露わにすることを予想していたからです。
彼の予想は見事的中、その教師はそれを見た途端、烈火のごとく怒り出し、批判を始めました。一旦始まった批判は止みそうになく...仕掛けた本人や彼の目論見に気づいていた連中はにやにやひそひそ...。
それを見て、まんまと術中にはまったことに教師も気づいたようですが、引っ込みがつかなくなったのか、結局授業のほとんどがそれで終わってしまいました。今でも懐かしい一コマです。
うちの高校には20年、30年と平気で居座っている教師が大勢いて(当時は在職年数に制限がなかったのです)、教師によっては大学の授業のような専門的な内容もあって、なかなか面白い高校だったなぁと思います。

あら、すみません、こんな話になってしまいました(^^;
「ワケワカメ」とか「頭がピーマン」とか流行りましたね。今では死語でしょうか?!
返信する
Unknown (ボッケニャンドリ)
2023-03-14 08:00:07
> 教師が授業で政治色を出すようなことがなかったように思います。
だから反戦も参戦もダメってことですかね。


> 「祝!佐藤栄作ノーベル平和賞受賞」
最高!
この発想は全く無かった。
しかも高校生でこれは凄い。


> 「ワケワカメ」とか「頭がピーマン」とか流行りましたね。今では死語でしょうか?!
世代によるんじゃないか、と(^^;;;
返信する
ボッケニャンドリさんへ:何もわかってなかった頃(^^; (takuetsu@管理人)
2023-03-14 17:18:51
ボッケニャンドリさん、度々ありがとうございますm(__)m

> >「祝!佐藤栄作ノーベル平和賞受賞」
>最高!
>この発想は全く無かった。
>しかも高校生でこれは凄い。
教師をまんまと術中にはめるとは、最高でしょう?! しかも1年生のときですよ。あ、年齢がばれちゃう(^^;

とにかく、天晴だったのでその仕業を覚えているのですが、肝心の首謀者が誰だったのか思い出せなかったので、卒業25年後に初めて開いた同期会(幹事やりました(^^;)でつき止めるべくクラスメートに訊きまくったのですが、覚えている人がなかなか見つからない...w(☆o◎)w 
最終的には見つかったのですが、人によって覚えていることが全然違うことがその同期会でよくわかりました。他の人が覚えていても、私は全く覚えていないとか、逆のケースももちろんあって。
人の記憶って面白いですね。

世の中のことが何もわかっていない頃の話でした。今でもどれくらいわかっているか...??? 自信はありません(^^ゞ
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