82歳からの旅

私の記録

~ 父母の50回忌を迎えて ~

2014年03月02日 11時12分54秒 | 心に栄養を
            3月2日日曜日    

 私の父は私が35歳の時・母は36歳の時になくなりました。今年
は50年めで、今年の3月9日に50回忌の法要を営む事になりました。

 其れで私なりに父母の法要について、考えて準備をしています。

 父母の事について語り合う事は、この機会を置いて他に無いと思い
ます。其処で私の知っている限りの事を、記録に残して仏前に供えた
いと思います。
 其れで調べて行く中に、父の並々ならぬ苦労が解りました。
 
 私が幼い時に悪い事をすると、とても厳しく叱っていました。が中学
高校と進むと、父から叱られた記憶がないのです。父母の事について
纏めていて気付いたのです。どうしてだろうか?と・・・

 農家で猫の子の手も、借りたい。そんな時でも家の手伝いもせずに、
近所の子を集めて野球をしていました。そんな時に母は涙を出して私
に注意しました。でも父は何も言いませんでした。

 こんな事は他にいくらでもあります。農繁休暇で学校が休みの日に
友達と海に行き、地引網で魚を採って夕方家に帰りました。
 帰ってみると親友の岡君がお母さんと一緒に、小倉から手伝いに来て
いました。
 其の時も母は、私を注意しました。でも父は笑いながら、家の子「仕
事で忙しくても手伝いもしないのです。」と・・

 他にもまだ・・・

 その訳も父の生い立ちを調べていく中に、分かりました。其の時に
私の胸は、張り裂けそうに成りました。お父さん御免なさい・お父さん
有り難うと。
 
 父は子供の頃、中学に行く為に、丁稚奉公に行ったのです。朝は速く起
きて部屋や庭の掃除等を済ませて、学校に行っていました。学校から帰っ
てからは、薪割り・お風呂沸かし・お使い等をしてから、自分の時間に
なったのです。自分の遊ぶ暇もなく…耐えかねて中学を退学して家に帰
って来たのです。
  
 其の事について父は、生涯悩み苦しんだ事と思います。37歳で家を建
て6人の、子供を育てるのに・・苦労の連続だったと思います。
 其れなのに我が子には、自分の子供の時の苦労は・・と、子供の遊びた
い気持ちを許したのだと思います。 

 此の事は又、弟妹にも是非知らせたいと思います。又此の機会に他にも
知っていることが有れば知らせ合って、父母の供養にしたいのです。

 もう父母のことについて、皆で話す事もないと思うと、人間の無情を覚え
るのです。私達兄弟がいなくなったときには、父母について全てがなくなる
のです。残るのは甥っ子の家の仏壇の中の位牌と、寺にある過去帳にお墓だ
けです。
 準備が遅れましたし、父母の僅かな一部だけかもしれません。これだけ
でも良い、父母の仏壇に供えて供養にしたいと思います。
 
 今準備している事は、父は3歳で父親を亡くし、6人兄弟のすえっこです。
長男の家で結婚後も3人の子供と37歳まで兄の家に同居していました。

 私の誕生と共に家を建てて、分家しています。其れからは小作人として、農
作業を中心に、多くの困難を乗り越えて6人の子供を育て上げました。

 子供が成長して是から、と言う時に亡くなりました.父の死亡と共に翌年に
は母も亡くなりました。
 
 50回忌に僅かでも良い、父母に、真心の感謝を捧げたいと思います。
お父さんお母さん、本当に有り難うよ・有り難う御座いました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

  

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3 コメント

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家ということ。 (kaeru)
2014-03-02 21:27:49
 私は結婚して妻の両親と同居し、二十年位経って養
子縁組した関係で「家」ということが他の人より心にか
かっているようです。とは言え別に旧家でもなければ名
門でもないので、「家」即両親です。

 そして、私の役割はその両親の墓守を孫に当たる息
子に引き渡すことです。そのことを通じて両親も私たち
夫婦も「生き続ける」ことになると思っています。

 人それぞれましてや「家」となれば千差万別です、そ
の千差万別を語ることも自分史かと、読ませていただき
思いました。
 御両親の墓前に、合掌。 
返信する
kaeruさんへ (82歳からの旅人より)
2014-03-03 17:08:16
 私は次男坊です其れで、生家は兄もいないし分家して、離れて住んでいます。
 父母の納骨は、東本願寺に納骨しました。お墓も私の住んでいる門司に、分骨して、新しく作りました。
 でも町の人達はお墓の、管理料が高くてお寺に納骨しています。
 其れで子供は、寺の納骨堂にしたいと行っています。何故かというと、お墓の金と、土地代で300萬もかかったのです.その上に管理料が10年で約10万円位いもかかるのです。
 お寺の納骨堂は、50万円~100万円くらいで有る様です。天国への旅も容易では有りません。
 コメント何時も有り難う・・・
返信する
Unknown (よかったさん)
2014-03-13 13:45:08
お兄さん、覚えておいでですか?よかったさん、、、鹿児島のちいねえさんの友達です。

もう何ヶ月もコメントをしないままでした。ごめんなさいね。
ちいねえさんのお繋がりで、全国のいろんな方とお話しされるようになったのをとても嬉しく
思っていました。皆さん、お兄さんとちいねえさんをとても大切に思ってくださる。
世の中には心暖かい方がたくさんです。びっくりしますね。それもこれもご兄妹の誠実さ、一生懸命さ
もろもろに共鳴なさるから、、、ですね。こんなご兄妹めったにいらっしゃいませんね!
お兄さんはパソコンへの学習も意欲が満ち満ちていますし。頼もしいと思います。

今回、お父様お母様の50回忌を無事に成し遂げられた由、ご安心なさいましたね。
お兄さんとちいねえさんが、ご郷里の風景や法事の模様など、ブログで知らせてくださって、なんだか
私たちまで親戚の一員になったような、、親しい気持ちを持ちました。
ご両親の生き方やお考え、子供さんへ教育、お若くして不慮の事故でお亡くなりになったこと、 お母様も
あとを追うように天に召されたことなど、、、深いおもいでいっぱいでお聞きしました。
一度にお二人とも、、とはお寂しかったですね。
野球に夢中でお家の手伝いをなさらなかったことを、お父様は許しておられた、、、自分の若い日に重ねて、、、。
今になってわかる、、お父さんのそのお気持ちが、、とおっしゃっています。がきっとお兄さんは野球の傍ら、
お手伝いもなさっていたと思います。
書かれたものを親戚のみなさんと分かち合えて良かったですね。
うちも11月に父の33年忌です。何か用意できるものがあるといいんですけれど、、。兄に相談してみましょう。

ちいねえさんの話で、何かお兄さんにハプニングがあった、、、ように書かれていて、、なんだったのかちょっと
心配でした。スピード出しすぎでまさかお巡りさんに、、、?でもお元気そうなのでよかったです。
また、、、いつか、、、あそびにまいりますね。奥様とお元気で居てくださいね。

けさの嵐がやんで、春がまた1歩近づいたような午後です。いとこの新築祝いの買い物に、加治木の龍門司焼きの
窯元に行きます。
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